18 宮中にて
薬師の陸慶明は今回開発した新薬によって順調に出世していた。薬師長について、王族の診察にも同行することが可能となった。
「慶明でも緊張することがあるのだな」
薬師長の田豊成が白いひげを撫でながらからかうように慶明を見る。
「それは、そうでしょう。初めて王太子の私室に参るのですから」
「まあ、すぐ慣れる。そのうち王太子妃も診てもらうことになるからよく精進する様に」
薬草のにおいと、器具しかない殺風景な医局から、甘く濃厚な香が焚かれ、重圧な調度品が並びカラフルで目がチカチカするような布のドレープが慶明の目を覆う。きょろきょろする慶明に「わしも最初はそうじゃった」と田豊成は目を細めた。
「よく見ておくといい。自分の屋敷や、夫人への贈り物の参考になるじゃろう。手に入れることは叶わんとは言えな」
ここに国で一番最高級で、最先端で最も美しいものが集められているのだと思うと、慶明はただただ圧倒されるばかりだった。王太子の私室のまえで、取次の男に田豊成は声をかけると、すぐに頭を下げたまま部屋に入っていきすぐに戻った。
「どうぞ」
男が扉へ手を差し出すと、左右から戸が開かれ中へ促された。
「失礼いたします」
恭しくこうべを垂れたまま二人は中に進み王太子、曹隆明のまえでとまる。
「面を上げよ」
聡明な声がかかり慶明は顔をあげた。男なのに美しいと思わせる王太子の曹隆明に、慶明はまるでここの最高の調度品のようだと感想を持った。
「田医師よ。この者か? 有能であるようだな」
「ええ、陸慶明です。わしの後継ですな」
改めて医局長の道を進んでいると自覚すると、慶明はますます意欲を燃やしていた。
「しばらくは見習いですが、すぐに王太子様や王太子妃様の体調の管理ができるようになるでしょう」
「そうか。頼んだ」
「はっ!」
「では、おかけくだされ」
隆明が寝台に腰を掛けると、田豊成がまず脈を診て、慶明にも脈診をさせた。
「安定しておられます。心身ともに健やかなご様子で」
慶明の見立てに、田豊成もうんうんと頷く。特に健康状態に異常は見られないため診察はすぐに終わった。緊張を解いた慶明はほっとしてまた王太子を眺めた。そして彼の着物が色づき始めたレモンのような美しい黄緑だと気づく。
「黄緑色……」
下女の春衣が、晶鈴が逢引の後に黄緑色の絹糸を髪につけていたという話を思い出す。まさか相手が王太子であろうかと慶明はごくりと生唾を飲む。
「慶明、帰るぞ」
「は、はい」
一瞬自分の世界に入っていたので、慌てて応える。
「では、また10日後に」
「よろしく頼む」
毎日夕方になると、王族の健康診断を行うことになる。慶明はまだ王と王妃を診ることはないが、いずれ田豊成のように王を診ることになるだろう。彼が医局長となった時、王太子の曹隆明が王位についているかもしれない。
10日後の、王太子の診察までに彼の弟妹たちである王子、王女を診察した。それぞれの私室に訪れたが、やはり隆明の部屋は別格に格調高く、人物も兄弟の中で一段と優れていた。
「やはり王となるものは生まれながらに違うのだろう」
晶鈴の子の父親が王太子であればどうにかなるのだろうか。他の王子であれば、晶鈴は頑なに父親を秘密にしただろうか。
「もし、自分が父親だったら……」
誰にも隠すことなく彼女は子の父親を人に告げるだろう。
「ありえないことを考えてしまったな」
自嘲して慶明は晶鈴に思いを馳せる。そろそろ故郷に着くころだろうか。何か困っていることはないだろうか。国家の占い師としての技量は失われてしまったが、十分な金子と能力で生活はしていけるだろうし、故郷もどこかわかっているので何かあればすぐに駆け付けるつもりでいる。
慶明が渡した印章も、町の役所で見せれば彼女にとって便宜が図られるだろう。何よりも晶鈴自身の身分証明書ともいえる通行手形で困ることはないはずだ。特殊すぎる通行手形は使い道もなく、財産でもないので盗まれることはない。
それよりも、王太子を含む王子たちはみな心身ともに健康で、思い悩んでいることはなさそうだった。晶鈴がいなくなっていても寂しくも悲しくもならない者だろうか。子を成すまで晶鈴と逢瀬を重ねていたのは、遊び心だったのだろうか。彼女を弄んでいたなら許せないとと慶明は思い、やはり父親が誰か探し出そうと心に決めていた。




