105 胡晶鈴の足跡
朱京湖と間違われて、胡晶鈴は西国へと連れてこられた。人違いだとは言わず、京湖ではないとばれるまで晶鈴は黙っている。晶鈴をさらった男たちは、民族の違う晶鈴の顔さえ見ようとはせず、西国の衣装だけで判断し、確認をしなかった。彼らは人さらいが専門なのか、さらった相手と顔を合わせるということをしないようだ。女子供をさらうときに罪悪感が出るのだろうか。それともさらうことが重要であって、さらった人間には全く興味がないのかは分からない。
食事などで時々外に出されるが基本、牢のような荷台に乗せられた。男たちは、晶鈴が大人しくしているので猿ぐつわも、縄も解いてやっている。ずいぶん遠くまで着たころ、逃げ出すチャンスが何度か訪れたが晶鈴は逃げなかった。人違いとも言わなかった。
もう朱京湖は町から離れているだろうから、今、晶鈴が逃げ出しても彼女を捕まえることはそうそう出来ないだろう。
「もうしばらく様子をみましょう」
命の危険は感じないのでそのまま終点につくまで晶鈴は行動をとらなかった。
「着いたぞ!」
男は晶鈴の頭から布をかぶせ周囲を見えなくさせる。身体にも縄を掛けられた。
「へへへ。こりゃどうも。じゃ、俺たちはこの辺で」
男たちは金を受け取ったようで、カチャカチャと金属音をさせて遠ざかっていった。
「こちらへ」
今度は女の声が聞こえ、晶鈴の背をそっと押し歩くよう促す。布の中から下を見ると六芒星のレンガが敷き詰められている。美しい意匠だと飽きることなく長い距離を歩いた。階段に差し掛かり、その白い大理石の美しさにも目を見張る。
「京湖の国の趣向も素敵なのね」
色々な大理石のモザイクが美しい広間に入り、しばらく歩くと女が「膝まづいてください」と晶鈴の肩を上から押さえる。晶鈴は黙って膝まづいた。
「待っておったぞ」
頭の上から太く低くいやらしさを感じる男の声が聞こえた。腰掛けていた男は立ち上がり、手ずから晶鈴の布をとった。顔を上げた晶鈴の目の前の男は、にやにやとした顔が瞬時に激昂した表情に変わった。
「だ、誰だ! 貴様は! この女は誰だ!」
怒りで目を真っ赤にさせ、晶鈴の胸元をつかむ。
「ラージハニはどこだ!」
おそらく京湖のことを言っているのだろうと分かったが、晶鈴は「不知道」と答えた。言葉が通じないようで、男は通訳のために人を呼ぶ。気品のある老人がやってきた。怒り狂っている男と違い、静かで優し気な老人は晶鈴に京湖のことを尋ねる。しばらく話し合うと、老人はわかったと頷き男に向きを変える。
「バダサンプ殿。どうやらこの者は占い師だそうでラージハニ様から、占いの褒美にこの衣装と腕輪を賜ったとか。それきりラージハニ様の行方は知らぬということです」
「ぐぬっ」
「この者には罪はありません。どうかご容赦を」
怒りが収まらないバダサンプは、イライラと歩き回ったのち身近な兵に、さっき金を与えた者たちを処分するように命令した。京湖と間違えて晶鈴をさらってきた男たちは今頃、もらった金で酒を飲み楽しんでいるだろう。娯楽もつかの間、すぐに首をはねられるのだ。
命令を下すと、わずかばかりバダサンプの留飲を下げた。
「さて、その女の処分だが……」
「この者に非はありません。自国に帰してやるがよいでしょう」
「いや。わしをぬか喜びさせおって……。ちょうどよい。浪漫国に向かう隊商がいるだろう。この女を奴隷として売ってやろう」
「そ、そんな」
「浪漫国は人種が違う者を奴隷にするのが好きだからな。高く売れるだろう」
老人は晶鈴に今までの話を告げた。
「すまぬな。そなたは華夏国へと戻れぬようじゃ」
「いいのよ。あなたのせいではないわ」
「わしにもっと力があれば……。ラージハニ様……」
この老人が京湖を慕っていて、バダサンプには心から従っていないことはよくわかった。晶鈴はこの老人に京湖は元気だと、今のうちに逃げることが出来るだろうと告げてやりたかったが、余計な言動は慎んだ。ただ一言「20年ちょっとの我慢ですわ」と老人に告げた。
この時の晶鈴にはなぜだかわからないが、そんな言葉がつい口から出た。晶鈴がこの国を去って20年過ぎに、ラージハニこと朱京湖がみつかり、彼女によってバダサンプが暗殺されたとき、老人は予言だったのだと気づいた。




