34:ヒルデ視点2
その時にはもう誰もいなくなっていた。
家族もいない。
官吏もいない。
処刑人もいない。
群衆もいない。
あの子もいない。
あるのは、がらんとした何もない広場だけ。
空虚だった。
心が虚ろ。
魂が虚ろ。
肉体も滅んだ。
ないない尽くしってところね。
あたしは、ずっとそこに突っ立っていた。
悲しさは既に頂点を通り越し、もう何もかもが、どうでも良くなっていた。
どれだけの間、そうしていたのかはよく分からない。
ふと、気づいた。
あの子がどうなったのか。
人間を殺していた。
最後に見た時、憎悪のせいだろうか、魔力が強まっていた。
一方的な殺戮。
でも、それは人間が生み出した魔物。
殺されちゃった人たちは可哀想だけど、それは仕方のないこと。
運が悪かった。
そう思うしかない。
あたし自身にしたって、そうだ。
特別、悪いことをしたつもりはない。
ただ、あの子と一緒にいたかっただけ。
巡り合わせが悪かっただけ。
でも、あの時、お父様とお母様が、あたしを結婚させるって時、反対していれば、もしかしたらこんな結末にはならなかったかもしれない。
今更って気がするけど。
……。
あの子を見つけよう。
死んでたって構わない。
あたしのように幽霊として残っているかもしれないじゃない。
あたしは、あの子を探すことに決めた。
死んでしまった者が言うのもヘンだけど、生き甲斐っていうのかしら。
目的ができると急に停止していた精神が復活したわ。
あの子の魔力をたどろう。
あたしは思った。
特に理由はなかったんだけど、そう直感していた。
思えば、もう、既に魔力に敏感になっていたのよね。
それぞれ魔法使いの魔力は、それぞれ異なった感触を有している。
食べ物を食べた時に感じる味に近いかもしれない。
動き出して、あたしは初めて気づいた。
足が動かないってことに。
あ、動かないっていうと、語弊があるわね。
足を動かすのが、ひどく億劫だってこと。
まるで病気をして寝込んでから、起き出そうとした時みたいに。
一歩踏み出す度に、くたくたに疲れてしまって、その場にへたり込んでしまうのよ。
なんでかしら?
でも、あたしは、諦めなかった。
一歩ずつ歩き始めた。
歩きだしては、休み、歩きだしては、休みの繰り返し。
一体、何か月そうしていたかしら。
そのうち、あたしは普通に歩くぐらいの速度を取り戻していた。
幽霊って、こんなに不便だったのね。
あたしはちょっと落ち込んだけど、すぐに気を取り直した。
頑張れば、走ったりすることもできるかも。
そして、あたしは町の中を歩き回った。
幽霊になってからは、まったく眠くならなかった。
それは昼も夜も関係なく動き回れるということ。
ま、昼は若干、動きが鈍るみたいだったけど。
そのうち、走るぐらいの速度を取り戻した。
さらに走り続けているうち、いつの間にか空を飛ぶことができるようになっていた。
これで、あの子を探せる。
あたしは、喜々として空を駆けた。
魔力をたどってゆく。
懐かしい、あの感じをたどってゆく。
会えたらなんて言おう?
それを考えると、胸がどきどきした。
伝わるかどうかなんて分からないのに。
あの子は、遠い遠いムスペルヘイムにいた。
あたしには、そこがどこかはよく分からなかった。
ムスペルヘイムの文字が読めないんだもん。
言葉は何となく理解できるようだけど。
あたしが、そこに着いた時、あの子は誰かと一緒だった。
背の高い男の人。
強い魔力。
顔はよく見えない。なぜかしら?
白いモヤモヤがかかったように、はっきりとしなかった。
あの子とその男の人は、修行をしていた。
魔法の使い方を習っているようだった。
あたしは、すぐにあの子の胸に飛び込みたいのを、ぐっと抑えていた。
だって、あの子が一生懸命に修行しているのを見たら、邪魔はできないもん。
「今日はこの辺までか」
男の人は吐き捨てるように言った。
「ちったあ、きばって見せろや。
テメーの力じゃあ復讐の『ふ』の字にも引っかからねーよ。
それとも何か、あの世から戻ってくるだけで満足しちまったのか?」
挑発とは分かっていても、腹立つヤツね。
あたしは、何度、そいつを怒鳴りつけようと思ったか。
あの子は、地べたに這いつくばっていた。
可哀想だけど、修行ってそんなもんよ。
お父様の商隊を任されていた商人頭も、こんな風に鍛えられてた。
その商人頭は、今では……ってゆーか、あたしが死ぬ前になんだけど……立派に独立していた。
ある時、お父様に感謝していたのを聞いたわ。
頑張って。
あたしは、そっとあの子に近寄り、抱き寄せた。
「……?」
あの子は、不思議そうに周囲を見回した。
そう。
悲しいことに、あの子はあたしを見ることができなかった。
言葉も伝わらない。
なんでだろう。
そう考えると、涙が溢れてきた。
胸が張り裂けそうになった。
でも、悲しみに暮れる暇はなかった。
あの子はそのうちに修行を終えた。
「よく頑張った、オレの最後の弟子」
男は嬉しそうだった。
「はなむけにお前にオレの魔力をくれてやる。ありがたくもらっとけ」
「え……でも…」
あの子は、仰天し、躊躇した。
それは、あの子の師匠である、この男が死ぬ事を意味する。
「お前は薄々分かってただろうが、オレはもう末期でね」
「師匠…」
「人生太く短くっていうが、ちっとばかし太く生き過ぎた」
男は笑っていた。
「ま、でも、ちょっとでも弟子の力になれたんなら、本望だ。感謝しろよ? つーか、オレのシゴキをクリアしといて、失敗しましたってのは許さねーかんな」
あの子は決心した。
魔力を吸い取って自分のものにした。
その顔は泣いていた。
そして決心。
あの子は、その瞬間に変貌した。
あたしが死んだ時のように。
姿こそ変わらなかったけど、何かが変わった。
******
ちなみに師匠である男の魂は、天に召された。
神々しい光が男の魂を包み込み、やがて消え去ったのだった。
あたしは天国に行けなかったのだ。
未練が強すぎたのか、何がいけなかたのか、いずれにしても、あたしは罪人だ。
だから天国に行けないのだ。
……それでもいい。
あの子を見守っていられたら。
このままずっと。
あたしは、あの子のそばにいた。
あの子は、あの子のそばに居続けた。
それしかなかったから。
それしかできなかったから。
あの子は、まず同胞を助けた。
解放した。
何にでも姿を変えられる同胞を。
そして、魔族をまとめ上げた。
人間たちと戦い、謀略を用いて瓦解させ、吸収し、一大勢力となった。
最初は敵対していた国々も、強大な力を見せつけられ、次第になびくようになって行った。
あたしは、その様子をあの子の傍らで見ていた。
力を付けて行くその姿は、一方では頼もしく感じられ、その一方では寂しく感じられた。
あたしが、あの子にしてやれることはない。
あの子は、あたしを感じ取れない。
あの子は、あたしの声を聞き取れない。
何も感じ取れない。
あたしはいないのと同じ。
空気と同じ。
******
あの子は、変貌した。
それがどういう形で表れるかは、あの時は分からなかったが、次第にはっきりとしてきた。
強くなったのだ。
良く解釈すればなのだが。
悪く言えば、
つまり、
あの子は、なぜか、可愛い娘たちを周囲にはべらし始めた。
魔族だろうと、人間だろうとお構いなしに。
なっ…!
あたしは、最初、空いた口が塞がらなかった。
あたしを失った寂しさを紛らわすにしても、あまりにもひどい。
ひど過ぎる。
あたしは、見てられなかった。
あの子は変わった。
変わり過ぎた。
自然に涙が零れ落ちた。
そんな、まさか、ウソ……。
あたしは。
あたしは……。
いったい、何なんだろう。
自分が何なのか、何のために存在するのか、分からなくなった。
あたしは、打ちひしがれた。
打ちひしがれたまま、もとの場所へ戻った。
処刑場へ。
精神が死んだ。
抜け殻のようになった。
あたしは、立ち尽くした。
何年経っただろう。
何十年経っただろう。
気づいた時には、処刑場はなくなっていた。
宿の主人が、アラビカ豆を買い付けている場面が見えた。
そして、更に、何年が過ぎたのだろうか。
あの子の魔力が近づいてきた。
あたしは、困惑した。
どんな顔をして、あの子に会うんだろう?
いや、そもそも会えるのだろうか?
あたしは。
そして、やってきたあの子は、まったく違う姿をしていた。
……?
え?
なに?
ムスペルヘイム人のような容姿はしてるけど、何かが違った。
魔力はあの子のものだ。
でも、そのあり方が違う。
あれ?
この子も女の子をはべらしてるッ!(怒)
二人だけ……いや二人も!