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その後、神殿の地下に行ってみた。
薄暗い地下の通路にはかがり火が備え付けてあり、足元が見えるようになっている。
「カイ君ってば、女の子にはメッチャ甘いのよね」
鐶が呆れたように言った。
「そういうな、こんなトイレもないところに押し込めておくのは可哀想だからな」
実はあの後、尿瓶みたいなものとオマルみたいなもの、それから衝立を差し入れてはいた。
衝立があれば見えないからな。
排泄物は神殿で雇っている下働きのおばさんが回収して捨てる。
そして肥料になる。
ま、その辺の話はいい。
「よぅ」
オレは牢の中の女の子を見た。
女の子はオレに気づいて顔を上げたが、すぐにそっぽを向いた。
「なぜ、オレの命を狙った?」
「……」
女の子は答えない。
黒髪は艶がなく、パサついて来ている。
顔色もよくない。
元々小柄で痩せた感じの娘だったが、さらに痩せてきたようだ。
ま、このまま居れば病気になって死ぬな。
「質問を変える。お前、魔族か?」
オレは言った。
「……」
きっ。
女の子はオレを見た。
オレは、この娘が気になる理由に気づいていた。
ヒルデが話してくれた物語。
その中のオレの前世。
あの子の姿とこの娘の姿が重なったのだ。
「ふん」
オレは続けた。
「オレは昔、魔物だった。だから強力な魔法が使える」
「……ッ」
女の子の目が見開かれる。
明らかに動揺している。
オレが何を言わんとしているかが分からないのだろう。
「人に迫害されるのは辛い。でも、逆に人を攻撃すらば空しさしか残らない」
「……人間なんか、みんな死ねばいい」
女の子は、言った。
無機質な感じのする声だ。
言葉を搾り出したって感じだった。
「人間を皆殺しにして、魔族の天下を作るってか、ちゃんちゃらおかしーぜ」
オレは笑った。
「そもそもなあ、人間とか魔族とか分けて線引きすることが間違ってる」
「あなたには、分からない」
女の子は、すっっと視線を外した。
「分かる」
オレは断言した。
「……ッ」
女の子は視線をオレに戻した。
「オレの前世だった魔物は、人間に殺された。その恨みがまだ心の中に残っている、それが力の源だ」
「……」
女の子は憎悪の中にも不思議そうな表情を浮かべた。
「……はめようたってそうはいかないわ」
でも、そう簡単には行かないもので、女の子は、冷静さを取り戻していた。
うーむ。
失敗。
だが…
「だが、オレには同時に愛する人たちがいる。その人たちを守りたい。従って共存するのが最良の道だ」
「……」
女の子は黙っている。
こちらすら向いていなかった。
「分からなくてもいい。聞け」
オレは続けた。
「魔王軍のやってることは間違いだ。いずれオレが止める」
******
オレ自身、矛盾した存在だと思う。
一方では魔王軍のやり方を認め、一方では魔王軍のやり方を非難している。
共存とは言ってみたものの、結局、強いヤツが弱いヤツを食い物にするだけのことだ。
弱肉強食、血で血を洗う闘争より何ぼかマシってとこだ。
「カイ君、まだ考えてるの?」
鐶がオレをのぞき見た。
「うん」
オレは何が出来るんだろう。
王国守護職に就いて、敵を瓦解させるよう仕向け、アスガルド及びミッドガルドの糧とする。
それはそれで必要なことだ。
だが。
だが、何かがすっきりしない。
モヤモヤが心の中にある。
「ガラにもなく考えちゃってぇ」
鐶が冗談っぽく言って、オレの側に来た。
そして、
ぴと。
鐶がオレに寄り添い、体と体が密着した。
柔らかな感触が気持ちいい。
いや、ヘンな意味以外でも、ヘンな意味でも。(笑)
「あんまり根詰めないでね」
「うん」
「あの娘さあ」
「ん?」
「可哀想だよね」
「うん」
「それに比べたら、あたしたちって恵まれてるね」
「そうだな」
「戦争もないし、不自由のない生活だし。まあ、今はこの世界にいるけど」
「うん」
「だから、あたし、やっぱ上から目線で同情しちゃうのよね」
鐶は困ったような表情を浮かべる。
「カイ君みたいに、同じかそれに近い立場で考えられないもん」
罪悪感。
何もない者に対して、すべて持ってる者が覚える感情。ある意味、正常な反応と言える。
「ようは手を差し伸べてやれるかだろ」
オレは言った。
「上から目線だろうが何だろうが、そいつが必要とするものを与えてやる、それだけでいいんだ」
「そうなのかしらね、あたしにはよく分からないけど」
「ま、あんま深く考えるなよ」
何だか最初の方の会話と逆転している。
「うん」
鐶はうなずいて、
ちゅっ
軽くキスをしてきた。
「おっ…」
オレは、一瞬びっくりしたが、
「じゃね」
鐶はそそくさと出て行った。
ありがとよ、鐶。
オレを元気付けに来たのだろう。
たまに黒いが、良い娘だ。
絶対、手放さないもん!
とかニヤけてると、
「カイ君、いい?」
美紀が入ってきた。
おお、オレの愛しのラブリー。
なんだか良く分からないことを心の中で叫ぶ、オレ。
やはり似たようなやりとりをした後、
『カイ、ちょっといいかしら?』
今度はヒルデだった。
うーん、ご馳走責め。
いや、みんな、オレのものだ。
絶対、手放さん。
******
「さっき、美紀ちゃんとヒルデちゃん、カイ君の部屋に入ってったよね?」
「鐶ちゃんとヒルデちゃん、カイ君の部屋に入ってったみたいだけど?」
『あんた、懲りないわねー。そういう軽率さだから……』
でも、その後、個別にネチネチとイビられました。
何ぼご馳走でも、食べ過ぎると腹痛を起こしますって見本。
ぐえっ。
******
で、アラビカ豆だが、
金属加工技術を持つ司教は、パーコレーターの試作品を製作していた。
ロースターはアスガルドで普通に使用されている小型のものを使用。
ミルは小型のものを製作してもらった。
ミルってのは、いうまでもなく挽き器のこと。
宗太郎の話では、荒挽きで良いそうだった。
ちなみにこの司教と建築技術を持つ司教は別人。
金属加工技術を持つ司教は、フィルモア。
建築技術をもつ司教は、アラン。
鍛冶屋のフォルモア、大工のアランってとこか。
いや、違うか。
そして、大司教とジョージ13世に頼み込み、神殿と王宮のいくつかの職場に置いてもらうことになった。
荒挽きされた粉末とパーコレーターをレンタルする形か。
幸い、納屋にあった豆は劣化しておらず、ほとんどカビも生えていなかった。
カビた部分は検品して取り除き、廃棄する。
王宮出入りのマイヤー家お抱えの商人に、補給とか修理などのサービスを担当してもらった。
オレらの世界で言う、モップとかマットのクリーニング業に近いかも。
神殿の司教も、王宮の官も、最初は難色を示していたのだが、次第にそれを好む者が出始めてきた。
「この苦味がいいね、大人の味?」
「これ飲むと疲れが吹っ飛ぶんだよね」
いろんな意見が出たが、まとめるとこの二つに集約された。
同時に、アルブレヒトが王侯や貴族階級が集まる場所へ積極的に足を運び、無料で勧めていた。
むろん苦味を嫌う者も大勢いるのだが、徐々に愛好者は増えた。
俗に言うヘビーユーザーってヤツだ。
「大司教、ロンドヒル公爵との面会の場を設けてください」
頃合や良しとばかり、オレは大司教に頼んだ。
「おう!? チャレンジャーだな、オメーッ」
オレらのノリが大司教にも伝染してきたなー。
「まあ、いいさ。あの苦真っ黒い汁の件だろ?」
「偏見をお持ちですね。でも、あれは先行きのある商品ですよ」
「そうか」
大司教はすぐに答えた。
「段取りつけるから、ちょっと待っとけ」
「よろしくお願いします」
オレは一礼した。
ロンドヒル公爵との面会はすぐに叶った。
公爵はまだ領地に帰っていなかった。
ぐずぐずとヴァルハラに残っており、ネチネチと穏健派を率いて派兵の撤回を求めていた。
国会でいうと野党になるのだろうか。
ま、国会っぽくていいが。
王宮の一室を借りて面会を執り行った。
こちらは、オレ、バークレー、鐶の3人。大司教はジョージ13世と打ち合わせ、エリザベスは派兵の準備で軍に顔出している。
あちらは、公爵とその側近、護衛2人の4人。
「そなたがカイ殿か」
ヒゲのダンディなオジサマが、意味ありげに言った。
いうまでもなくロンドヒル公爵だ。
意訳すると、『お前がオレ様の商売ぶっ潰してくれたヤツか?』ってとこか。
「お初にお目にかかります」
オレが慇懃に挨拶すると、
「こちらこそ」
同じく慇懃に礼を返す。
ふむ。
先んじて会話を始めてきたところを見ると、結構、能力のある人物のようだ。
オレはてっきり、ドロッとした腐敗系の無能侯族をイメージしていたのだが…。
アルブレヒトとの打ち合わせで、『人材』と表現したのはあながち間違いではなかったという事だな。
「して、今日の用向きはどのようなものかな?」
ロンドヒル公爵は、にこやかな表情の中にも鋭い眼光。
「はい、お互い時間も惜しいところですし、単刀直入に言います」
オレは、すぐ様用件に入った。
「ご周知の通り、ヨツンヘイムの新規石炭発掘を行いましたが、それにより公爵閣下の既成ルートに影響が出たこととお察しいたします」
「うむ、それで?」
「王国の将来のためとは言え、この度の公爵閣下への被害については、一言お詫び申し上げたく思っております」
オレはぺこりと頭を下げた。
「どういう意味かな?」
ロンドヒル公爵は、若干、警戒した様子だった。
そりゃ、敵と目している人物が素直に謝ってきたのだから、疑ってかかって当然だろう。
しかし、そこが付け入る隙となる。
「はい、実はアラビカ豆の仕入れについて考えておりまして、是非、公爵閣下のお力をお借りしたいのです」
「何、アラビカ豆だと?」
ロンドヒル公爵は素っ頓狂な声を上げた。
「そう、ご存知の通り、ムスペルヘイムの特産の一つです」
オレは平然と答える。
「むむぅ」
ロンドヒル公爵は唸った。
オレの奇襲を受け、今、公爵の頭脳はフル回転している事だろう。
石炭の輸入に変わる商品が目の前にぶら下がっている。
オレは素直に頭を下げ、また『王国のために』という注釈を付けていた。
要約すると、
王国のために不本意ながら仕方なくやったことであるが、
それについては申し訳なく思っており、
お詫びといっては何ですが、新たな商売をお任せしましょう。
ということ。
ここでヘソを曲げても、公爵にメリットはない。
それどころか、下手に騒いだら『王国に逆らう逆賊』にされかねないというニュアンスを感じ取ったと思う。
もちろん、そういう風に仕向けたんだけど。
憤りで周りが見えなくなっていたのが敗因だ。
「うーむ」
ロンドヒル公爵は、アゴをさすった。
若干、冷静になってきたようだ。
「数量はいかほどかな?」
「まあ、ほんの手始めですので、あまり多くはありませんが、これから上流階級の方々に広まってゆくと思いますので、先行きは明るいでしょう」
オレは濁した。
ここで具体的なことをいう必要はない。
ロンドヒル公爵も迂回して別の角度から切り崩したいだけなのだ。
戦における波状攻撃と同じ理屈で、こちらの体勢を揺さぶるのが目的だ。
と、その時、
「失礼いたします」
王宮付きのメイドがパーコレーターと人数分のカップを運んできた。
コーヒーの香りが、ふわっと部屋に溢れる。
「もしや、これがアラビカ豆の煮汁?」
ロンドヒル公爵は、またもや不意打ちを食らって、しばし放心。
「ええ、大人の味だと思いませんか?」
なんかちょっと萌える感じのメイドさんがコーヒーを注いで行き、部屋の中が、さながらコーヒーショップと化した。
「さ、召し上がってみてください」
オレが勧めると、
「うむ」
公爵はカップを取った。
少しずつすすり込む。
「苦手な方のためにミルクと蜂蜜を用意してありますが?」
ちなみに蜂蜜は砂糖のかわり。
この世界では、砂糖より蜂蜜の方が普及している。
取るの簡単だからかな?
「いや、大丈夫」
ロンドヒル公爵は、声だけでオレを遮った。
「……悪くない」
「そうでしょう?」
オレは、いたずらっぽく言った。
デモンストレーションってのは意外な効果がある。
心を動かされるとまでは行かなくとも、心の片隅に印象くらいは残っただろう。
そして、それがぎりぎりの交渉をする時に効果を表す。
「王宮と神殿で、テスト的に置かせてもらってまして、評価はまずまずです」
オレは言った。
「ですが、まあ、ここで公爵閣下が『うん』とおっしゃられなくても、それはいたし方ありません。無理強いはできませんからね」
印象を強めておいて、ここで一回引くのが吉だ。
ま、他にも話を持ち掛けるしね、ってなニュアンスをかもし出すのだ。
もしかしたら、誰か他の有力者に取られてしまうかもしれない。
そう思わせれば勝ちだ。
「……」
ロンドヒル公爵は、カップを揺らして中のコーヒーが回っている様子に見入っていた。
コーヒーを味わっているようで、その実、利益を計っているようである。
オレの見立てでは、ロンドヒル公爵は反逆者ではない。
単なる合理主義者だ。
だから、自分の立場を危うくしたくはない。
そして、己の利権を守れれば文句はない。
『こしゃくな小娘め!』って感情は残るだろうが、それは仕方がない。…娘じゃないけど。
言ってみれば、出会い方が悪かったのだ。
世の中、案外そんなもんである。
「よかろう、その案に乗ろう」
「ありがとうございます」
オレは満面の笑みを浮かべて、頭を下げた。
「だが、今日はそなたにしてやられてばかりで、面白くない」
ロンドヒル公爵は、はっきりと言った。
……何だか、大人気ないぞ。
「だから、一つ、指摘してやろう」
「何でしょう?」
オレは惚けた。
「酒税を引き上げて軍資金を少しでも捻出し、また酒造設備の販売に切り替えたのは構わぬ。魔王の軍勢が販売する酒に工作する機会を減らしたのだからな」
ロンドヒル公爵は、構わず続けた。
「だが、これまで酒の販売にかかわっていた商人たち、それから酒造所を経営していた者たちは困るだろう。そこを魔王の軍勢につこけまれるかもしれぬので、気をつけられよ」
「なるほど」
オレはうなずいた。
……それを忘れていたな。
「庶民の暮らしを立てるのも為政者の務めだ」
「はい、おっしゃるとおりです。ご指摘、ありがとうございました」
オレは、今度は本当に心から頭を下げた。
「有意義な面会だった」
「お互いに」
ロンドヒル公爵とオレは、なんだかそれっぽい会話を交わして、お開きになった。