23:ヒルデ視点
あたしはアスガルドの豪商の娘だった。
何、不自由なく育った。
でも、それだからこそ自由は少なかったのよね。
いわゆる箱入り娘とでもいうのかしら、あたしは家から一歩も出ることができなかった。
あたしも町で見かける子供たちのように、みんなと遊びたいのに。
いつもそう考えていたわ。
でも、家の中にいてもそれなりに面白いことはあったの。
使用人が面白い話をしてくれたり、ばあやが編み物や手遊びを教えてくれたり。
ただ、お父様とお母様が、あまりあたしの相手をしてくれなかったのが、寂しいといえば寂しかったわね。
二人は商売が忙しくて、家を空けていることが多かったし、それは子供のあたしにも仕方がないことだって分かってた。
あら、話がそれたわね。
使用人がしてくれる話の中には、たまにバケモノの噂とか魔族の話とかがあって、
その当時は怖かったけど、今にして思えば毎日話す内容が仕入れられずネタ切れになっていたんでしょうね、
それしか話す内容がなかったってことなんだと思う。
魔族の話は、ほとんどがおとぎ話なんだけど。そう、生き血を吸う魔物、古の墓の中から蘇る魔物、獣と人の中間のような魔物……どこでも聞くことの出来る定番の話。
必ず英雄に倒されるか、弱点があって簡単に倒されるのよね。
その中に、本当の姿を持たない魔物の話があったわ。
その魔物は自分の姿を持たない。
相手の姿を模して、時にはその人に成り代わったりするの。
姿はそっくりでも中身は違う。
魔物になってしまっている。
確かに怖いお話。
でも、それは偏見と迫害が生み出した話。
その魔物は、シェイプチェンジャーとかドッペルゲンガーなんて呼ばれてるようね。
でも、話を聞いた後はすぐにその魔物のことなんか忘れてしまったわ。
ある日、あたしは使用人たちの目を盗んで町に出かけたの。
いつも見かける子供たちと一緒に遊んでみたかったのよ。
すぐに帰るつもりだったのが、時の経つのも忘れて遊びほうけていて、気づいたときは一人だった。
辺りは薄暗くなってきていて、場所もよく知らないところで、急に不安になって、お父様とお母様に心の中で謝ったわ。ごめんなさいって。
でも、謝って済むのは大人がいるときだけ。
あたしは何とかして家に戻りたかったけど、焦れば焦るほど道が分からなくなっていったの。
使用人がしてくれる話の中には、人攫いの話もあって、それが急に思い出されてきて、泣きたくなったわ。
神様、どうか助けてって。
祈ってた。
そしたら、どこから現れたのか、あたしと同い年くらいの子が目の前にいたの。
アスガルドの人間じゃなかったわ。
お話にでてくるムスペルヘイム人みたいだった。
肌が浅黒くて、背も低くて、顔付きもあたしたちとは違ってのっぺりしていて、髪はぼさぼさ、服も粗末なものだったわ。
でも、そういうのとはまた違って、目が特徴的だった。
吸い込まれそうな目。
魔力を持つ宝石のような輝き。
あたしは道に迷ったのも忘れて、その子に見入ってた。
「こっち…」
その子は急にあたしの手を取って歩き出したわ。
あたしは最初は怖かったけど、その子がすぐにあたしの家に連れてってくれてることに気づいた。
だって、すぐに近所のパン屋さんの看板が見えてきたんだもの。
今思えば、あたし家の近くの同じ場所をぐるぐる回っていたのね。
「ありがとう、あたしヒルデ。あなたは?」
あたしが訊ねようとしたら、その子はいなくなっていた。
家に帰ったら、みんなに怒られた。
でも、みんなお父様とお母様には言わなかった。
かばってくれたのが半分と、言ったら自分たちの責任になるからが半分なんだと思う。
その後は、あたしは、使用人にせがんで外へ連れてって貰うようにしたわ。
道に迷うのが怖かったし、使用人と一緒なら監督上は問題ないからね。
お店屋さんを見たり、町並みを見たり、してた。
でも、実を言うとホントは、あの子のことが気になってたのね。
ちょうど男の子に興味が出てくる年頃だったもの。
容姿も身分もすべてが自分と違う子。
町で暮らす子供たちとも違う子。
あたしはいつの間にか、町でその子を探すようになっていたわ。
今にして思えば、初恋だったのかもね。
結局、その子は見つからなかった。
そう。
あたしが16歳になるまで。
お父様とお母様が結婚相手を探し始めたことに気づいたのは、秋のことだった。
それに気づいた時、あたしは気が重くて、家の中にいられなかった。
どこもそうだけどある程度以上、名のある家ってのは、家の発展のために親の都合の良い相手と結婚させられるのよね。
まあ、それが何が何でもイヤってワケじゃなかったんだけど、でもやっぱり、あの子に会いたかったの。
一目でもいいから。
そしたら諦められるかもって思ったのよね。
16にもなれば一人でも外に出れたから、あたしはあの子を探しに行ったわ。
町に出て、探したわ。
子供のころに遊んだ子たちは、既に大人として家業を継いだりしてた。
もう遊ぶ暇なんてない。
それは分かりきっていたけど、改めて現実を突きつけられると寂しかったわ。
あたしはお父様とお母様の商売についての知識はある程度もっていたけど、実際に現場へ伴っているわけじゃない。
なんだか、自分が役立たずな感じがして、ショックだったわ。
そんな時ね。
あの子にばったり会ったのは。
一目で分かった。
大分、大きくなっていたわ。
あたしより背が高くて、スリムで、結構かっこよくて。
でもその時は、性別までは分からなかった。
完全に男の子だと思ってた。
その子は、追われていた。
すぐに分かった。
あたしは道端の樽にその子を押し込めて、やり過ごした。
あたしは素知らぬふりして樽に座ってた。
樽の中で、その子は倒れていた。
引っ張り出すのは一苦労だったけど、何とか引っ張り出したわ。
引っ張り出したら、すぐに目が覚めて、でも、あたしを見て怯えていた。
何がこの子をこんなに怯えさせたのかは良く分からなかったけど、あたしは道端で売ってた薄焼きのパンを買って渡したの。
心を解すには食べ物が一番よね。
その子はすごい勢いでパンを食べた。
で、
「ありがとう」
ってお礼を言ったわ。
あたしは嬉しくなって、舞い上がって、その子を連れて街を散歩した。
多分、別の町へ探しに行ってしまったのだろうけど、その子を追ってたヤツらはいなくなっていて、あたしとその子は買い物をしたりして楽しんだ。
それから、ほとんど毎日、あたしはその子と会ってたわ。
段々、その子の事が忘れられなくなっていった。
あたしの心の中には、その子が住まうようになっていたわ。
でも、そんな楽しい日々も長くは続かなかった。
お父様が『話がある』って言った時、あたしは覚悟したわ。
遂に結婚相手が決まったのね。
意外に冷静な自分にびっくりしていたわ。
「お前もそろそろ年頃だ」
そんな切り出し方だったと思う。
相手はビフレストの豪商の息子だった。
名前も覚えていない。どうでも良い人だった。
あたしは断れる訳もなく、承諾するしかなかった。
お父様とお母様のことは好きだったし、親の言うことをしっかり聞くのが娘の務めだと思っていたもの。
でも、あの子にはさよならを言っておきたかった。
お父様とお母様が出かけた後、あたしは、すぐに街に出てあの子のところへ行った。
「あたし、結婚することになったの」
あたしは迷ったけど、ちゃんと伝えることにした。
「もう会えないの」
その子は悲しそうだったけど、引き止めなかった。
身分が違いすぎる。
何もかも違いすぎる。
あたしもその子も、それは分かりすぎるくらい分かっていた。
ところが、運命のいたずらというのはあるもので、あたしは豪商の息子に会ってびっくりした。
あの子だった。
えー? なぜー?
疑問に思うと同時に、神様に感謝した。
その子の両親は子供がなく、養子を取っていたのだ。
それもムスペルヘイム人の子。
頭も良く、礼儀正しく、紳士的、いうことなし。
ここまでなら、よくある恋愛モノのパターン。
ハッピーエンドなのだろうけど、でも、あたしたちにはその先があった。
何度かその子と会う度に、あたしは違和感を感じ始めた。
何かが違うと。
そして気づいた。
瞳の輝きが違っているのだった。
あたしは急に思い出した。
使用人が話してくれたおとぎ話。
本当の姿のない魔物。
それは目だけが輝く魔物。
つまり、それは、彼は、彼の姿を模しているのであって…。
魔物というのは言い過ぎかもしれない。
前にも言ったと思うが、人というものは偏見と迫害を持つ生き物だ。
その偏見と迫害が生み出した魔物。
その実、単なる模倣能力を持つ生き物。
退廃した王侯貴族がペットとして売り買いするただの生き物。
人身売買……いや、犬や猫と同等のレベルで売り買いされる生き物。
それが輝く目の魔物の正体だった。
ムスペルヘイムでは普通に売り買いされている。
それが現実だった。
つまり、彼はその生き物に自分の姿を映させて遊んでいたということなのだ。
別人だった。
それがたまたま逃げ出したのだ。
子供の頃にあったのだって、同じように逃げ出した個体なのだろう。
あたしは、抜け殻のようになった。
だが、輿入れの準備は順調に進んでおり、真実が分かったからといってどうすることも出来なかった。
駆け落ち、
なんて、
できるはずがない。
お父様とお母様に申し訳ないし、仮に実行したとしても現実的に収入がなければのたれ死ぬだけだ。
せめて、あんたに魔力でもあればね。
魔物なんでしょ?
あたしはやっぱり町でその子に会っていた。
そして、何度か愚痴のようにこぼしたのだった。
それが悲劇の幕開けとも知らずに。
******
あの子は一日だけどこかへ消えていた。
次の日、帰ってきた時、あたしはその子が分からなかった。
なぜかというと、その子の姿がすっかり変わっていたからだ。
女になっていた。
輝く目だけがその子であることを物語っている。
「もらってきたよ、魔力」
その子は言った。
あたしは最初、その意味が分からなかった。
だが、すぐに分からされた。
魔力。
つまり、力。
強大な力。
あの子は、どこからか強大な魔力をもらってきた。
悪魔にでも魂を売ったのだろうか。
そして、それは、
何の力もない者が、
何の経験も経ずに、
何の努力も伴わずに、
強大な力を持ってしまったということだった。
数日後、あたしはお父様とお母様に伴われて、ビフレフトの豪商の家を訪ねた。
豪商の息子はいつも通り、迎えてくれており、ただの抜け殻のような毎日が待っているということを示唆していた。
あたしは使用人たちがしゃべってるのを聞いていた。
立ち聞きするつもりはなかったのだが、聞いてしまった。
豪商の息子は異常な性癖がある。
毎晩のように娼館に行く。
だが、娼婦と交わっているのではない。
娼婦の姿にした魔物と交わっている。
……吐きそうだった。
グロテスクな物を見た感じに襲われた。
彼は人間に飽きてしまっていた。
気持ち悪い。
気持ち悪い。
誰か、何とかして。
あたしは沈んだ毎日を過ごした。
女になってしまったあの子。
あれは何だったんだろう?
その答えはすぐに分かった。
輿入れの準備もあらかた終わり、式の段取りを打ち合わせに行った時だった。
あたしは、豪商の息子がいつもと違っているのに気づいた。
瞳が、
らんらんと
輝いている?
結局、人が魔物を作り出してしまったのだろう。
偏見と迫害が魔物に変えてしまったのだ。
あたしの一言が、あの子を魔物にしてしまったのだ。
だが、あたしは誰にも言えるはずもなく、そして結果だけ見れば限りなくハッピーエンドに近いワケだから、口をつぐんだ。
あの子があたしの側にいてくれる。
あたしを追いかけてきてくれたのだから。
あたしを迎えに来てくれたのだから。
それだけで良かった。
何もいらなかった。
******
豪商の息子は急に変わった。
噂が立っていたが、
それも、
結婚するからな。
今までのは精算したんだろ。
という自然とそういう風にまとまっていた。
みんながなんと言おうと、構わない。
あたしはあの子がいるだけで幸せだった。
でも、あたしは知らなかった。
あの子は、力を吸い取れるということに。
すべての個体がそうではないらしい。
あの子の力は特別強かったという事なのだろう。
しばらくして、式が執り行われ、あたしはお父様とお母様の元を離れ、住み慣れた家を離れ、ビフレフトへと向かった。
ビフレフトの新しい両親はよくしてくれた。
厳しいながらもその中には愛情が宿っている。
これでなぜ、息子が異常性愛に走ったのかが分からない。
もしくは養子に入る前からそうだったのかもしれない。
あの子も上手くその生活になじんでおり、すべてが上手くいくかに見えた。
ビフレフトに入ったその日のうちに、町の憲兵が押し入ってきた。
「殺人の件で、ご子息に二、三伺いたいことがありまして」
詳しい話は聞けなかった。
が、簡単には説明を受けた。
ビフレフトの女性の魔法使いが死んだとのことだった。
そして、その現場であの子が目撃されたのだという。
実質的な逮捕だ。
「息子は所用で出ておりますが…」
お義母様が震える声で言った。
そう。
幸いにもあの子は出かけていた。
戻ってこないで。
あたしは、願いを込め、窓のところへハンカチを結び付けておいた。
前にこうやって遊んだことがある。
外出OKなら、ハンカチを結び付けておく。
ダメならハンカチはなし。
事前に何も取り決めていない。
一か八かだった。
上手くいったのか、あの子は夕方になっても戻ってこなかった。
「逃がしましたね?」
憲兵は捨て台詞を言ってから出て行った。
夜になっても、お義父様もお義母様も何もしゃべらず、何も食べずに過ごした。
あたしは何か食べるよう勧めたが、無駄だった。
苦悩が襲ってきた。
憲兵が家を見張っているに違いない。
部屋に戻って休んでも、気分は一行に良くならず、泣きたくなった。
そこへあの子が戻ってきた。
どこから入ってきたのか?
問いただすと、
家には誰にも知られていない秘密の抜け口があるのだという。
「あんた、魔法使いを殺したの?」
「うん」
その子はうなずいた。
「力を吸い取ったら死んじゃった」
「それはやってはダメなことなのよ」
「でも、人間は私たちを殺すよ?」
その子は言った。
平然としている。
事実を述べているというだけなのだ。
これもまた人が作り出してしまった結果なんだ。
あたしは諦めた。
「とにかく逃げて」
「キミは?」
「あたしまでいなくなったら怪しまれるでしょ?」
あたしはムリヤリその子を逃がした。
「ヴァルハラに戻ったら、いつもの場所で」
あたしが言うと、
「うん」
その子は無邪気にもうなずいたのだった。
そして、数日経ち、あたしはお義父様とお義母様に暇乞いをした。
婚姻を解消するか否かはさておき、この状態でまともな生活が送れるとは誰も思っていなかった。
とりあえずあたしはヴァルハラへ戻った。
お父様とお母様のところに身を寄せ、ひたすらほとぼりを冷ました。
起きてる間も、寝てる間も、あの子のことが気になって気が狂いそうになることもあったが、何とか耐えた。
ほとぼりさえ冷ませば、また会えるようになる。
単純にもそう考えていたのだった。
破局はすぐにやってきた。
半年もした頃だろうか、あたしは週に何回かは家を抜け出し、気晴らしに買い物をと嘯いてあの子に会いに行った。
あの子はきちんと言いつけを守っており、何もかも上手く行きそうに見えた。
憲兵が家にやってきのは、それからすぐの事だった。
あたしに用事だった。
「実は、あなたにハルバート氏の息子さん殺しの嫌疑がかかってます」
憲兵は淡々と述べた。
「ハルバート氏の息子さんが飼っていたシェイプチェンジャーを使って息子さんを殺害し、息子さんに成りすまさせ、ゆくゆくはハルバート氏の商売をすべて乗っ取ろうとしていましたね?」
まさか。
そんなことを考える者がいるなんて!
筋すら通ってない。
「あなたがハルバート氏の屋敷に居たときに使っていた部屋から、息子さんの干からびた死体が見つかりました」
……なんてこと!?
お義父様、お義母様がそんな仕打ちを!?
息子を失った悲しみの矛先が、あたしに向いたのかもしれない。
すべては不幸にして、
つかの間の幸福は泡のように弾け、
消えた。
あたしは抵抗できるはずもなく、拘留された。
取調べには一切同意しなかったが、その甲斐もなく裁判官が押し切って処刑となった。
誰もこんな面倒な事件を真面目に処理したくないのだ。
ハルバート家は貴族とのつながりがすごくある。ウチなんか目じゃない。
だからこそ、お父様は嫁にやりたがったのだ。
ようはスケープゴートが一人いればいい。
それだけのことだ。
殺人は火あぶりの刑だ。
あたしは震えた。
神様、せめて一思いに殺してください。
痛くない方法で。
看守にも頼んだが、聞き入れてもらえなかった。
処刑当日。
あの子が来ていた。
助けに来てくれたんだ。
兵士たちが取り押さえに行っている。
でも、もう終わりだよ。
終わりにしようよ。
あたしはもう、疲れた。
自分の名誉を守れなかったのは悔しいけど、でももう疲れたの。
もう終わらせて欲しい。
熱い。
熱い。
でも、我慢しなくちゃ。
死ぬのは怖いけど、
それは解放。
受け入れるしかない。
解放されるのはもう間近……。
最後に目に入ったのは、
変貌したあの子の姿だった。
焼き尽くし、
壊し尽くし、
蹂躙し、
蹴散らし、
食らい尽くす、
あの子の姿だった。
ダメよ、もうそんなことをしては……。
人間たちに殺されてしまうのよ。
ただ簡単に。
意識が閉じた。
それはあたしの人生が幕を閉じたことを意味した。
ヒルデとあの子の悲しい記憶です。
書いてる本人も辛いッス。でも書かなきゃ。(泣)