16
朝になると体の重さが取れていた。
下腹部の痛みもほとんどない。
ヒルデに霊気を分けたのが良かったのだろうか?
エネルギー循環がどうたら言っていたけど、それしか考えられんしなぁ。
「バケモノみたいな回復力ねぇ」
鐶が皮肉っぽく言う。
「フツーは2、3日はだるいんだけど」
「ふっ、オレ様は特別製なんだ」
「アホ」
鐶はブブイをすくって食べた。
そう、朝食である。
「今日はガスさんが着てるよ」
美紀が自分の皿を持って席に着く。
「朝、食べてきたかな?」
オレは気づいて自答するように言うと、
「製造所から着てるっぽいから、食べてないかもね」
美紀が、そういえばってな感じで答える。
外に行って本人に聞いてみると、やはり食べてきてなかった。
ムリムリ食堂まで押してくる。
「いや、その、ご馳走になってしまっては心苦しいしなぁ」
「気にしない。朝、食べないと力出ないぜ」
オレは皿を出させ、ムリムリ勧める。
こういう気配りを怠ってしまうと、後々困ることがあるからな。
逆にしっかり振舞っておけば、良好な人間関係が形成されて後々助かることがある。
オレらの今、おかれた状況を考えれば、周囲の人たちと友好関係を保つことが大事だ。
そう、自分のことを第一に考えるなら、人に優しくしなきゃならんってこと。
「では、お言葉に甘えて」
ガスはスプーンを握った。
元々、エリザベスの好意でもらった食料だから、いってみればオレから振舞うってのもヘンなんだけど、ガスは細かいことはあまり気にしないタイプのようだった。
勧めに従ってブブイを食べ始める。
……ふふ、バカめ、まんまとオレの策略にハマリおって。
オレは心の中で悪役みたいなセリフを吐く。
あくまで冗談だけど。
「今日は、エリザベスさんは来てないんですね?」
オレが訊ねると、
きゅぴーん。
鐶と美紀の視線がキツくなったようだった。
視線が痛いほど刺さってくる。
「エリザベスの姉御は出かけたみたいだ。どうも知り合いの貴族を訪ねるつもりらしいが…」
ガスが食べながら言った。
あ、オレが頼んだことをやってくれてんだ。
わー、ありがとう、エリザベス。
ますます惚れてしまうなあ。
「カイ君、鼻の下が伸びてるわよ」
「デレデレすんな」
鐶と美紀が同時にオレの足を踏んだ。
で、今日もデイヴ叔父さんの製造所に来ました。
蒸留と熟成について学ぶのだ。
メンバーは昨日と同じ男子である。
こいつらが学び終わったら、覚えのいいヤツ以外は、どんどんメンバーを変えていって一通り体験させよう。
覚えの良いヤツってのはつまり筋の良いヤツってことだ。
そいつを班長にでもして他のヤツらに教えさせよう。蒸留酒班ね。
目指せマスタークラス。
さて覚えの良いヤツは……?
作業場にいるヤツを見回すと、
おや、あれはノッポさんじゃないか。
「先輩、その往年の小学校低学年向け番組のしゃべらない司会者みたいな呼称は止めてください」
ノッポこと唐竹割雄はイヤそうな顔をする。
「お前、リアルタイムで見てる年じゃねーだろ!?」
ツッコミどころ違うぞ、オレ。
いや、いいのか。
「とにかく止めてください」
「じゃあ、ワリオ」
本名だし、良いだろう。
「カタカナ発音は止めてください。ヒゲのジャンピングキノコ兄弟の敵役みたいに聞こえる」
「注文の多いヤツだ」
オレはヤレヤレと頭を振り、
「お前を蒸留酒班の班長に任ずる!」
前置きもなく言いつけた。
「ええーっ!?」
「喜んで引き受けてもらえて嬉しいよ」
「ちが、喜んでねーッスよ!」
「いや、絶対適任だ。だってお前、巨人族に似てるし。平和大使としてヨツンヘイムへ行ってくれ」
ちなみに割雄の身長は195センチを超える。
でも巨人族と似てるかどうかは分からないけどな。
「イヤですよー、先輩、イジメないでください〜」
ちょっとからかったら、割雄は泣きそうになっている。ガタイの割りに情けないヤツだ。
「冗談だ」
「先輩が言うと、冗談でなくなるんですよ〜」
そりゃそうだ。
オレがリーダーだからな。
「でも、班長は引き受けてくれ、デイヴ叔父さんもお前は筋が良いって言ってたしな」
ウソも方便である。
「え、ホントッスか?」
「ウソついてどうする、お前の腕力とセンスが認められてる、ガンバレ!」
オレはそう励ましてやった。
人は誉められるとそれまで以上の力を発揮することがある。
眠っていた部分が刺激されて目覚めるのかも。
割雄もそうなるといいなー。(ダメモト)
「……じゃ、やってみます」
「頼んだぞ」
オレは、満面のウソ臭〜い笑みを浮かべた。
で、蒸留と熟成工程を見学。
体育の時間で見学をしている女子の気持ちが分かった。ま、ウソだけど。
蒸留には事前に仕込んでおいた発酵樽を使用。
発酵済み煮液を蒸留釜へ注ぎ込み、釜戸の火で加熱。
確かアルコールは水より沸点が低い。
低い温度で沸騰して気体となり、釜の上部から伸びる細い金属管へ抜けてゆく。
そして金属管を通るうちに冷やされて液体に戻る。
蒸留によるアルコール分の分離だ。…いや抽出だったかな?
金属管には角度が付いていて、液体に戻ったアルコールはゆっくりと製品樽の中へと落ちる仕組みだ。
水が沸騰しないようにしないといけないので、釜戸の火力の管理が難しいかもな。
製品樽に詰めたアルコール分は製品保管庫に入れられ、味がこなれて、まろやかになるまで樽の中で熟成される。
オレは蒸留釜に投入された煮液が、一体何本の製品樽になるかを見ていた。
この数字が分かれば、製品樽何本に対して何袋の原料小麦が必要になるかが分かる。専門用語では『歩留まり』とかいうはず。
「待て待て、姉ちゃん。熟成中に樽に飲まれる分を勘定してねーぞ」
デイヴ叔父さんが、オレの計算を見て言った。
未だに『姉ちゃん』と呼ぶ。
「樽に飲まれるって、吸収されちゃうんですか?」
「ああ、そうだ」
デイヴ叔父さんは嬉々として説明する。
「だから、たまに継ぎ足してやらなけりゃならん」
「へー、吸収率も入れないとなあ」
「小難しい事は分かんねーけどな、樽は生きてんのよ」
「聞いたか、割雄?」
「聞いてますよ、メモ用紙持ってくりゃ良かった…」
割雄は、なんだかんだと言っても、結構ついて来れている。
「質問なんですけど、継ぎ足す分量を見込んで次の釜をつくらなきゃならないってことですよね?」
「兄ちゃん、結構、いいところを突いてるじゃねえか」
「いやあ…」
割雄は単純に照れてる。
が、そこは『叔父さんのご指導の賜物です』とか『先生が良いから』なんてお世辞を言う場面だ。
なんて、某死神のくれた殺しのノート物語の主人公みたいなセリフを吐いてみたり。心の中で。
後は販売ルートに乗せてゆくだけだな。
エリザベスは上手くやってくれてるかなー。
大司教へのお目通りもこなさなきゃならないし。
課題は結構山積みだ。
とは言っても、現時点では既にある枠組みを利用するだけだ。
革新はそれからだな。
夜になり、愛しの鐶と美紀とお約束のお休み前のラブコメをしてから、それからまた愛しのヒルデちゅわーんに会うために庭に出ていた。
恋多きオレ。
多過ぎかもな。間違いなく。
『なに、鼻の下のばしちゃってるのよ?』
ヒルデは昨日と同じドレス姿で現れた。
「よぅ、ボクちゃん、日中、ヒルデちゅわーんに会えなくて寂しかった」
『何よ、気持ち悪いわね』
ヒルデはツンとそっぽを向いたが、その実、悪い気はしてなさそうに見える。
「それよりアラビカ豆って何でこんなところに置きっぱなしになってるんだ?」
オレはいきなり前置きもなく話題を切り替える。
『……』
ガクッ。
と音が聞こえそうなくらい、ヒルデはズッコケた。
『くっ……その変わり身の早さは相変わらずね』
「ん、何か言ったか?」
『何でもないわよ』
ヒルデは『こっちのことよ』とつぶやいた。
『アラビカ豆は、ここの元の持ち主が仕入れたのよ。アラビカ豆の煮汁が飲める店を開こうとしてたみたいね』
ふーん。
コーヒーショップのことかな。
「一つ教えてくれ、アラビカ豆の煮汁ってこの辺の人たちは飲むのか?」
『まさか、あんな苦いもの飲むわけないわ』
ヒルデは生前飲んだことがあるようだ。
険しい表情で、ぶんぶんと頭を振る。
やっぱな。
一般的じゃない飲み物なんだ。
でも、この前、偉そうに『元気が出るのよ』なんて言ってたけど、あれってウンチク?
ま、ツッコムとイヂメられそうなんで、言わないけど。
「てことは、ここの元の主人って……」
『そ。アラビカ豆を大量に買い込んで自爆したの』
ヒルデは小悪魔っぽく笑った。
『それが引鉄で、宿は倒産。一家は路頭に迷ってしまったわ』
「かわいそーだな」
『でも、商売人って成功するか失敗するかのどちらか一つだけよ』
ヒルデは訳知り顔だ。
「そうだな」
オレはうなずく。
「アラビカ豆か」
庶民はコーヒーを飲まなくても、上流階級は違うかもしれない。
酸化してなけりゃあいいけど。
「それって、何時頃の話だ?」
『え? 去年の冬入りの頃の話よ』
じゃあ、寒い時期だから保存状態は大丈夫かもな。
「もう一つ、ヒルデはオレの事を知ってるよな?」
『……え?』
ヒルデは驚いて、目を見開く。
オレの顔を見つめている。
うおー、驚いた顔も可愛いのう。
今すぐ抱き抱きしたいが、ぐっと我慢。
「単なる勘だが、ヒルデの言動とか態度を見る限りはそうとしか思えない」
『……』
ヒルデは黙っている。
「オレは、この世界に来るまではただの学生だった」
オレはヒルデを見据えたまま、言った。
「でも、この世界に来て、魔法を使った。性転換もしてしまった」
『……』
ヒルデは耐えれず、オレから顔を逸らす。
「それはどうしてか。答えは簡単だ。オレはこの世界に関係がある。…まあ性転換は関係ないかもしれないけど」
オレが言うと、
『……』
ヒルデは再びオレを見た。
悲しそうな瞳。
ド○ドナの歌よりも悲しい感じがする。
「教えてくれ、オレは何なんだ?」
直感だった。
オレが変化したのも、もしかしたらここへ来たのも、オレがこの世界の住人だと考えれば、ある程度の説明がつく。
『……ダメ』
ヒルデは苦しそうに声を絞り出した。
『これからも、あたしとこういう風に会いたいなら…、お願いだから聞かないで』
ヒルデの目から涙が溢れてきた。
ずきっ。
オレの胸に痛みが走った。
オレは、この娘を知っている。
オレは、この娘の、この表情を知っている。
悲しいこの表情を知っている。
******
ずきっ。
******
オレは、オレは、………………私は、私は、知っている。
******
古の時を経て、
時を越えて、
同じ表情を見ていた。
******
どうにもできず、
どうすることもできず、
人々の憎悪を受けて
人々の許しを請うて
******
むごい仕打ちを受けて
ヒルダの断末魔の声を聞き
******
私は
私は、狂った。
変貌した。
******
焼き尽くし、
壊し尽くし、
蹂躙し、
蹴散らし、
食らい尽くした。
******
そして、私は遂に捕らえられ、
蹂躙され、
蹴散らされ、
焼き尽くされ、
壊しつくされた。
死んだ。
完膚なきまでに死んだ。
******
死して尚、
立ち上がった。
私は
怒り
怒り
怒り
世界を憎み
世の理不尽を憎み
戦いを挑んだ
それは世界に対する復讐
******
『……ッ』
『………ッ』
『タ………カイ……ッ』
『しっかりしてよっ!!!!!』
ヒルデの叫びで、オレは我に返った。
な、なんだったったんだ、今の?
「あれ?」
『あれっじゃないわよ!』
ヒルデは涙を流していた。
「なんか、今、記憶の奔流が……」
『バカッ、心配させないでよッ!!』
ヒルデはオレに抱きついた。
オレは最初はびっくりしたが、その感触の心地良さに安心してヒルデを抱きしめる。
『あんたって、ホント、バカなんだから』
ヒルデはきつく抱きついたまま、
『心配させないで』
「ああ、分かった」
オレはうなずく。
******
それは、もしかしたら前世というものなのだろうか。
オレはこの娘を愛していた。……ような気がする。
もちろん今でも好きなのだが、それとは別の次元で狂おしいほど想っていたのだ。
女同士だが、それでも愛していた。
いや、女の身体はしていたが、本来はそうでない。性別とかがない何かだったのだ。
だが、ヒルデを失った。
愛を失った。
******
『……もう離れたくない』
ヒルデはオレに抱きついたまま、つぶやいた。
『いっそ憑り殺せたらよかったのに…』
物騒なことを漏らしてますよ、この娘。
「それは、まだ勘弁だな」
オレは諭すように言った。
「オレにはまだ仲間を元の世界へ帰すって大仕事が残っている。鐶や美紀もいる。ヒルデのことも愛してるが、鐶と美紀も同時に愛している」
『……』
どん。
ヒルデは急にオレを突き飛ばした。
力の強い幽霊さんだな。
きっ。
気丈にオレを睨んでいた。
「すまん、今すぐ君の想いに答えてやれなくて」
オレはヒルデの手を取った。
『いいの』
ヒルデはこつんとオレの胸に頭をぶつける。
オレの豊満な胸が揺れた。
『……くっ。あんたの胸、あたしのコンプレックスを抉るのよね』
「ヒルデ」
オレは彼女を抱きしめた。
キスをした。
『あんたのことは好き……でも今のままは苦しいよ』
「心配すんな、みんなを帰したら戻ってきてやる」
オレは言うものの、鐶と美紀のことが頭に浮かんだ。
『ほら、今でもあの娘たちのこと考えてる』
「すまん、でもオレは100パーセント君の事を愛していた『私』じゃないんだ。あちらの世界で過ごした時間が存在する。鐶と美紀のことも大事なんだ」
『分かってるわよ、そんなこと』
ヒルデは歯を食いしばって声を絞り出した。
怖えー。
『あたしだって、あの娘たちにあたしと同じ思いはさせたくないもん』
「だったらなぜ、そんなに嫉妬すんだよ?」
『うるさいわね、女の子はみんなこうよ』
ヒルデは開き直った。
『大体ね、あんた、あたしと別れた後も、とっかえひっかえ別の娘といちゃついて……』
「はあ?」
オレが首を傾げると、
『あ、いけないッ』
ヒルデは慌てて口を塞いだ。
そこがまた可愛い。
萌えー。
って、オレ真底ヘンタイだな。
『こ、このーっ』
ヒルデは何故か急にヤケになって、オレにキスしてきた。
「うわっ……むぐっ」
何だよ、急に。
うわっ、犯されるぅ。
って、負けるか、この!
オレはヒルデの肩をつかみ、キスを仕返す。
『ん、んん??』
ヒルデは徐々に押されて、慌てふためいた。
『んー!』
『んっ』
『んー……』
唇を離すと、
はふう。
息を漏らすヒルデ。
その仕種がちょっと色っぽくて、ますますドキドキする。
『バカ』
ヒルデはオレの胸にもたれた。
えーと、胸が押されてちょっと気持ちいいんですけど。
『ヘンタイ』
うん、ボク、ヘンタイ。
オレは全肯定。
幽霊だろうと可愛い女の子なら、ぜんぜんオッケーッスよ。
触れるしね。
『こら』
ゲイン。
ヒルデの拳骨がオレの脳天に叩き込まれた。
幽霊のクセに物理攻撃すんな。
『今日はもう帰るね』
「ああ」
『……あの』
ヒルデはもじもじと、オレを上目遣いで見ていた。
「何だ?」
オレが聞くと、
『また明日も会ってくれないとイヤよ』
恥ずかしそうに言って、そして宙空に消えた。
うーん、ツンデレ〜。