15
えーと、オレが女になってから何日目だろうか。
アレが来た。
そうです、女の子特有のアレです。
……ぽっ。
すぐ鐶と美紀に相談したら、
「あっ…ホントに女の子になっちゃったんだ」
「えーっ、それブキミ」
二人とも信じてないというか面白がっていると言うか。
「どうすればいいんだよぅ」
不安げなオレに対して、
「あのね、時間がたてば自然に治るものなのよ」
鐶はやさしく言った。
そ、そうなんだ。
知識としては知っているものの、ちょっと安心した。
「これ使って」
美紀が紙袋を渡す。
ああ、これって確か、スーパーとかではよく見かけるけど、男のオレには縁のないアイテムだったはずなんだけどなぁ。
「ありがとう、君たちはオレの女神様だぁー」
何だか泣けてくる、オレ。
「何、言ってんの、早くしてきなさいよ」
「はいはい」
鐶と美紀はオレを軽くあしらった。
オレ、最近、彼女たちに頭上がらねくね?
一瞬、思ったが、まずは対処だ。
とにかくトイレへ駆け込んだのだった。
で、オレはサウナには行かず、部屋で行水して済ませた。
お湯を沸かして、洗面器に汲む。
髪を洗って、固く絞った布で身体を拭く。
ちなみにオレの髪は、男としては少し長めの車○○美系キャラといえば分かりやすいだろうか。
女になったら、短めのちょっとボーイッシュな感じのキャラへ変身したがな。
うーむ。
女になってしまったからには、前向きに何か女でなければできないことをするべきなのかも。
髪を伸ばすとか、女装(?)するとか、化粧するとか、な。
でも、鐶たちがなんていうかな?
そのうち意見を聞いてみよう。
オレは服を身につける。
普通に女物のチュニックとズボンを着用している。
男物を着ていると目立つしな。
よっと。
恒例の幽霊さんにでも会いに行くか。
オレの中では、もう日課となっている。
いや、誰にも相談できないことを話せるしー。
夜の空気がひんやりとオレの身体を包む。
幽霊はやっぱり昨日と同じ場所にいた。
「よお」
オレは挨拶して、腰掛に座った。
「今日、蒸留酒の製造所へ行ってきた。運よく、そこの職人さんと仲良くなって、作業場を借りれることになったよ」
『……』
幽霊は相変わらず口をパクパクさせるだけ。
「ヨツンヘイムの巨人族はアクアヴィットを好んで飲用するんだけど、自分たちは製造拠点をそんなに持っていないし、原料の小麦も寒すぎてとれないからな。やはりこの業界に参入してブランド確立を目指すべきだろうな」
『……』
幽霊は口をパクパクさせ、庭を指差した。
その先には、日本で言うところの大八車……つまり荷車があった。エリザベスが手配した食料を運んできたものだ。
何かと必要なので貸してもらっている。
「荷車?」
オレは首を傾げた。
……。
……荷物。
いや話の流れからすれば、単純に荷物のことじゃない。
荷車は荷物を運ぶ道具だ。
荷物ってヤツには流れがある。
商品なら尚更そうだ。
商品の流通は物流。
物流の基本は受け/払い、つまりインプット/アウトプット。
荷物を運び込み/運び出し。
アクアヴィットの場合は、運び出し/アウトプットに相当する。つまり輸出だ。
その反対に何かを運び込み/インプット、つまり輸入しろってこと?
頭の中で連想ゲームをしてみた。
「ヨツンへイムから何かを持って来いってことか?」
オレが言うと、
こくこく。
幽霊はうなずいた。
「確か、エリザベスはヨツンへイムから何か輸入しているって言ってたな」
何だっけ?
ま、また明日訊いて見よう。
オレが思考を終え、顔を上げると、幽霊は消えていた。
あ、そうだ。
納屋に何があるか確認しそびれたんだっけ。…オレの女神たちのせいでよ。
それも明日だな、暗いし。
******
オレは翌朝、納屋へ向かった。
鐶も美紀もマサオも始もいないことを確認してから、納屋へ入ってみる。
納屋には物が散乱していた。
奥の方に木箱が一杯積み上げられていた。
そういや、昨日の朝、マサオが言ってたっけ。
木箱は洋画ででてくるような船に乗せて輸出するような感じ。
恐らく輸送用木箱なんだろう。
釘が打ってある。
釘抜きを見つけてこないとな。
オレは木箱は後回しにした。
まずはアクアヴィットの製造研修だ。
昨日のうちに人選していたので、朝のうちに出かけられるはずだ。
デイヴ叔父さんのところでみっちりと教えてもらう。
エリザベスとガスが護衛として着いて来てくれる事になっている。
いや、エリザベスって好奇心強いよな。
あのガタイなら作業もできることだろう。
もちろん、オレも一緒に研修するつもりだ。
「みんな、おはよう」
エリザベスが一人でやってきた。馬車を連れている。
あれ、ガスは?
と思って聞いてみると、
「ガスは先に製造所へ行った、作業の準備に人手がいるそうなんだ」
さいですか。
オレはうなずいた。
馬車で製造所へ行き、早速、作業開始。
今日は午前中は原料の水漬け。
水漬けして発芽を促す。
デイヴ叔父さんによれば『芽出し』と言うらしい。
原料の小麦が入った麻袋を担いで来て、開封し、水を張った樽に入れ込む。
こういう工程は、水槽を設置して網で原料をすくえるようにすれば、より効率的なんだろうな。
オレは作業をしながら、そう思った。
女性化したとはいえ、体格も筋力もそれほど変わってはいない。
精神は男のままだ。ガッツだ、オレ。
で、この工程では一回の蒸留釜で蒸留できる煮液を作らなければならない。
それがワンバッチとなる。
バッチってのは製造の単位みたいなもんだな。一鍋分とか一釜分と言い換えてもいい。
デイヴ叔父さんは、どれだけの原料を投入するとワンバッチ相当の煮液になるかが経験的に分かっているが、オレらはそうは行かない。
今は指示に従って作業してるが、しっかりその分量を覚えなければならない。
分量こそが製造のすべてと言っても過言ではない。
オレは頭の中で整理してみた。
各工程における分量の関係を表すと以下のようになる。
工程:原料小麦 → 湯通し→裁断→煮出し → 蒸 留
設備:−−−− → 湯通し(煮出し)釜 → 蒸留釜
分量:>(>1) → >1 → 1
蒸留釜を基準の分量として、原料小麦を前処理するのが製造工程の基本構造となる。
各工程でロスが出るはずなので、それを見込んだ原料数量を確保しなければならない訳だ。
ワンバッチ相当の原料小麦が最終的に何キロになるかは後で逆算してみよう。
また、ワンバッチが樽何本の製品に相当するのかも知る必要がある。
これが分かると、この作業場の生産能力が分かってくる。
発注が樽20本とだとすれば、何日で生産完了するかが分かるといった感じだ。
また発注を受けられる数量、つまり生産能力の限界値も見えてくるはず。
午後からは『湯通し〜裁断〜煮出し』工程をやらせてもらった。
事前に芽出ししておいた小麦をさっと煮る。これ以上発芽しないようにするのだ。
次に小麦を細かく刻んでから熱湯に漬け込み、煮液を取る。恐らく糖分を取り出したいのだろう。授業で習ったのかどうか定かではないのだが、確か糖分がアルコールに変わるのだ。
煮液を冷やしてから酵母を入れ、発酵樽へ入れ込む。
この状態で2〜3日間、発酵させる。
ここまでが、いわゆる『仕込み』と呼ばれるものだ。
煮る時間、釜戸の火の大きさ、小麦を刻む大きさ、何回煮れば発酵樽1本の煮液に相当するのか、樽1本に投入する酵母の分量などなど。
覚えることは山のようにある。
それでも、何とか覚えたと思う。
明日以降はこれに蒸留、熟成工程が加わる。
恐らく、それらの工程を効率よく回転させてやるのが極意だ。
「いやー、若いもんは力があっていいのう」
デイヴ叔父さんは、呑気に言ってるが、
オレたちは疲労で死にそうだった。
休憩を入れて、馬車で宿へ帰る。退勤。
みんなへばっていたが、オレはエリザベスと雑談。
「前に教えてもらったことなんですが、ヨツンヘイムからミッドガルドが輸入しているってのは?」
「泥炭だな」
エリザベスは答えた。
一緒に作業したのにピンピンしている。やっぱ戦人は基本的な体力から違う。
「それって、どれぐらい輸入されてるんですか?」
「そ、そこまでは知らんな」
エリザベスは『うっ』と唸った。
「じゃあ、どんな人たちが輸入しているんです?」
「何だそれ?」
エリザベスは質問の意図が分からないのか、首を傾げる。
「つまり、輸入に際して制限があるかってこと」
オレは説明した。
「そういうことか。もちろんギルドが一手に引き受けているよ」
「そうなると新規参入は難しいかな」
オレは言った。
ギルドってのは素人じゃない人たちの集団だ。有り体に言えばヤクザものだ。
特に商売には利権が絡む。
利権を失えば死活問題になる。
だから武装したり、暴力を使ったりして利権を守ろうとするのが当たり前だ。
「となるとギルドの有力者を抱きこむ必要があるな」
「そうだな」
「ギルドの有力者とつながってる貴族を知ってます?」
ギルドと貴族。
大黒屋と悪代官。
我ながら単純思考だ。
「……わ、わたしが探すのか!?」
エリザベスは驚いたようだった。
貴族たちとはモヤモヤを抱えてるようだなー。
「人脈ばっかりは、オレらにはないもんで」
オレはコビコビな感じで懇願。
「どの道、アクアヴィットの販売にしたって既成のルートに乗せる必要があるしね」
「うーん、当るだけ当ってみるが、期待はするなよ」
エリザベスは何だか機嫌が悪くなってしまった。
困ったなー。
宿に到着してすぐ、オレは腹痛で倒れそうになってしまった。
目眩がする。
「カイ君、今、肉体労働するなんてダメよ!」
鐶がオレに肩を貸しながら、部屋へ運んでくれた。
「そ、そうなのか?」
「当たり前でしょ!」
美紀も駆けつけてくる。
ふーん、女の子は大変だなぁ。
オレはベッドに横になりながら、
「でも、鐶と美紀が世話してくれんだから、こういうのもいいかな」
言った途端、
ぼっ。
鐶と美紀の顔が赤くなった。
「な、何甘えてんのよッ」
「そ、そうだよ、こんなの今日だけだよッ」
いや、なぜツンデレキャラに?
夕飯は部屋で食べた。
休んだら大分楽になってきた。
病気じゃないから、魔法とかでは治せないんだろうな。
オレは、ぼんやりと部屋の壁を眺めながら思った。
魔法と言えば、アレ以来、魔力の魔の字も発揮できていない。
必要にならないとでてこないのだろうか。ありがちだが。
「カイ君、具合どう?」
鐶が顔を出す。
「ああ、大分よくなった」
オレは身体を起こした。
「あんまり頑張りすぎないでね」
鐶はオレの隣に腰掛ける。
「うん」
オレはうなずいた。
「あのね、女子の間で何かやりたいって声があがってるんだけどさ」
「へー、そうなんだ」
「肉体労働とかはムリっぽいけど、刺繍とか内職みたいなものならできると思うんだ」
「面白いな、やってみたら?」
「ホント?」
「ああ、代表者会議で話してみよう」
オレはうなずいた。
「ところで、鐶」
「ん?」
「オレが、女になっちまってイヤじゃないか?」
「んー、最初は慣れないってゆーか、ヘンな感じだったけど、でもカイ君はカイ君だしィ」
鐶は宙空を見ながら、人差し指を下唇のところへ持ってきて、
「心がカイ君なら、別にいいかなーって」
「ありがと」
オレは言った。
本心から。
これまで、オレは、鐶が異常で不気味な幼馴染だと思っていたのだが、そうではないことがやっと分かった。
みんなとかけ離れたヤツは閉鎖された世界では、異常と取られがちだ。
でも、実社会にでたら、それは個性になるのだ。
この世界に来てみて初めて分かった。
オレには鐶が必要だ。
「鐶」
「なに?……きゃっ」
オレは後ろから鐶を抱いていた。
鐶はちょっと震えていたようだったが、嫌がっている様子はなかった。
振り向き様に顔を上げ、目を閉じている。
オレはゆっくりその唇に向かって接近。
唇が触れるか触れないかって時だ。
「ごるあぁあぁっ!!!」
美紀が入ってきて、
「お前ら、なにさらしとんじゃあああっ!!!!!」
どっかーん。
エルボードロップを食らって、オレは悶絶。気絶。
ぎゃふん。
「…チッ」
意識が閉じる寸前、鐶の舌打ちが聞こえたようなそうでないような。
……えーっ!? あれって演技なの、鐶さん?
******
みんな寝静まったところで、恒例の幽霊さんに会おうのコーナーが発動。
オレは体が冷えないようにコートを羽織って外へでる。
幽霊はもう居た。
『もう、遅いじゃないの!』
…って言ってる感じがする。
「すまん、ちょいと体の具合が悪かったもんだから」
『えー、大丈夫?』
あれ? ちょっと待てよ。
この声、オレがアテレコしたんじゃないぞ?
『何よ、変な顔して』
幽霊はしゃべっていた。しかも女言葉だ。
「お前、しゃべれたの?」
『はあ?』
幽霊は聞き返す。
『あんた、体じゃなくて頭の具合が悪いのね。あたしは今までずっとあんたに話しかけてたじゃない』
「へ?」
オレは、ぽかんとしてしまった。
じゃあオレが聞こえてなかっただけ?
でも、何で急に聞こえるようになったんだろ?
『ははあ、あんた霊力が急に高まったわね』
「え?」
『ちょっと失礼』
幽霊はモヤモヤした手でオレの額へ触れる。
『ふーん、体内のエネルギー循環が一時的に乱れてるわね、身体にひずみが出てる代わりに霊力が高まってきているのよ』
なんでしょう、サブカル系スピリチュアル系?
ま、細かいことは気にしないことにしよう。
それより、昨日までの気になることを聞いてみるか。
「なあ、納屋には何があるんだ?」
『アラビカ豆よ』
「何だ、それ?」
『あんた、そんなことも知らないの?』
高飛車だ。
絶滅していると思ったが、ここに生き残りがいた。
「だって、オレ、この世界の人間じゃないもん」
『はあ? ホントに頭の具合がおかしいのね』
「まあ、それはいいから、アラビカ豆って?」
『アラビカ豆はそのままでは食べれないけど、煮汁を絞って飲むと元気がでるのよ』
幽霊は腰に手を当てて説明する。
それって、コーヒーとか言いやがりませんか?
「でも、何でそれをオレに教えてくれたんだ?」
『だって、あんたが困ってる風だったし…』
幽霊はなんだかモジモジしている。
『なに言わせんのよ! 別にあんたのことを心配してるんじゃないからねっ!』
ツンデレだ。
今日はツンデレ注意報でも出てんのか?
「じゃあ、荷車はあの解釈で良かったのか?」
『うん、そうだけど』
幽霊は不思議そうにこちらを見ている。
でも、白いモヤモヤなので、ちょっと怖い。
『あ、そうだ』
幽霊は言った。
『あんたの霊力が高まってる内に、あたしに霊気を分けてよ』
「えー、それってエナジードレインとかいわないだろうなー?」
『違うわよ、バカ』
幽霊は、ぷいっとそっぽを向く。
『せっかく、あたしの姿をあんたに見せたげようと思ったのに』
「それは助かるかもな」
何せ、白いモヤモヤな影の姿では落ち着かない。
「オーケー、じゃあすぐやろうか」
『目を閉じてみて』
「おう」
オレは言われるまま、目を閉じた。
そしたら、唇にひんやりした感触がした。
わっ。
驚いて目を開けると、幽霊がオレにキスしていた。
接触部位としてはいかがなもんなのだろうか、唇を通して霊気が吸われてゆくのか分かった。
全身の霊気の濃さが薄まってゆくかのような感じと言えば分かりやすいだろうか。
すっ。
どれだけそうしていたのだろう、幽霊が唇から離れる。
すー。
幽霊の姿が急に鮮明になって行った。
金髪に碧眼の女の子だ。
顔立ちは白人。
しかもフリフリのドレスを着ており、髪はオタク用語でいうところのツインテール。
ツーテールとも言うな。
年のころは10代半ばといったところだろう。
いや、実は好みのタイプの一つだ。
そう、オレの守備範囲はバツグンに広いのだ。自慢にならんけど。
『何、ニヤついてるのよ』
あ、まだ聞こえる。
『霊気を分けてもらったからよ、それに……その……口移し……だから結びつきも強くなってるし』
「それって、定期的にしなくていいのか?」
『な、な、なに言ってるのよ。こんなの一回だけで十分に決まってるじゃない!』
幽霊は慌てている。
「残念」
『スケベ、アホ、死ね』
「何とでも言え」
オレにはその程度の攻撃、効かない。
何しろ鐶と美紀に鍛えられてるので。自慢にならんけど。
「ところで、お前、名前は? 『幽霊』じゃ呼びにくいし感情移入もしずらいし」
『ヒルデ』
「ヒルデちゃんか」
『こらー、“ちゃん”はつけるなー』
幽霊……もといヒルデは怒った。
「いや、可愛いのでつい」
『何よ、ほめても何もでないんだからねっ』
うーん、そのツン振りがまた良い。萌える。…オレってヘンタイだなあ。
……。
あれ?
まだ消えない。
『何言ってんのよ、あたしは消えてないわよ。あんたの霊力が下がって見えなくなったんじゃない』
「ってことは、今のオレは霊力が高まったままってこと?」
『みたいね』
「よっしゃあっ、ヒルデといちゃつける!」
『バカ、スケベ、死ね』
ヒルデは、ちょっと頬を染めていた。
「でも、ヒルデは何でここに?」
『……それは』
ヒルデは口ごもる。
「あ、いや、言いたくないんならムリに聞かないさ」
オレは言った。
「誰にでも事情はあるからな」
『ごめん』
ヒルデは表情が暗くなった。
何でだろう。
この娘が暗くなるところを見てると、胸が締め付けられるような気になる。
気になるのだ。
この娘が。
「ヒルデ…」
オレは思わず彼女を抱き寄せようとしていた。
『だめっ』
ヒルデはさっとオレの手をすり抜け、
すっ
消えてしまった。
霊力が下がった訳ではなさそうだ。てことはヒルデの意志で見えなくしたのだろう。
……悲しい。
なぜだか分からないが、無性に悲しい。
オレはトボトボと部屋に帰った。
12/20<と>を間違ってました。修正済み。