私の見つけた「幸せ」
友人にリクエストされて書いた「歪んだ愛」を題材にした作品です。自分の「幸せ」について改めて考えながら読んでいただけると楽しめると思います。
五月中頃、大学の新年度にも慣れてきつつある現在――私たちは家で楽しくレースゲームをしていた。
「あっ、ちょっと! 結! スターは反則だって!」
「アイテムに反則なんか無いし……」
声を大きく荒らげる私に対して、結は微笑を浮かべつつ、落ち着いた少し控えめな声で返す。
「あぁー、また負けた……どんだけ強いのよ」
私がゲームのコントローラーを置いて仰け反ると、横では嬉しそうに微笑む結の姿があった。
その笑顔は私は好きだった。普段の大学ではあまり表情を変えず、暗い雰囲気でいる結は心を開いてくれている私にはこんな表情を見せてくれる。
私だけに向けられた笑顔――それに少し嬉しさを感じているのは嘘ではない。
私たちは共に親の友人関係から自然と仲良くなったと言える。
私――小泉真奈の母と、結――槙原結の母は高校時代からの親友で、頻繁に顔を合わせることが多かった。
一度、母の親友にあってみたいと思いついて行った時に出会ったのが結だった。
そんな三年前の出会いが今ではかけがえのない出会いとなっていた。
三年前出会った私たちは好きな物において共通点があり、それにより次第に意気投合していった。
一歳年上の結は少し早くに大学に行き、その大学は少し実家から遠いため一人暮しするということになった。
私は離れていってしまう結を忘れることが出来ず、必死に勉強して結と同じ大学へと入学した。
その頑張りを認めてくれた母は結の母親と相談して、結の住んでいる家で二人で暮らすことをゆるしてくれた。
三年もの間に多くのことがあり、喧嘩など一度もしなかった私たちはこうして二人暮しという夢の生活を手に入れていた。
ある日、私が夕飯の買出しから帰ってきた時のことだった。
私が帰ってくると、結の様子がおかしかった。明らかに家を出た時との表情も、気配も何もかもが違うように見えた。そこから感じられるのは例えれば「無」という感情だった。
そんなら結を心配して私はソファに座る結に駆け寄った。
「どうしたの結? 体調悪いの?」
そう言い結のおでこに手のひらを当て、体温を確かめた。
「熱は……無いのね。大丈夫? 顔色悪いけど」
呼びかける私には結は反応せず、ボーッと付けられたままのテレビを眺めているだけだった。
不思議に思った私はとりあえず買ってきた食材を片付けようと思ってその場から立ち上がる。すると、結の左手には私の携帯が強く握られていた。
「結? それ、私の携帯……」
携帯を取り返そうと結の左手にに時分の右手を伸ばすと、結が振り向いた。
「だめ。渡せない」
急に振り向かれて驚いた私は携帯を取り戻そうとする手を止める。
「渡せないって、冗談やめてよ。特に何も無いでしょー」
笑いながら結の持つ携帯に手をかける。しかし、その手は結の右手で振り払われた。
「ねぇ、真奈。悠希って――誰?」
そう言って向けられた瞳は黒く、どこまでも深く感じた。光を一切吸い込んでいない――そんな暗い瞳。
「悠希……って、あぁ高校時代の友達」
平然と結の質問に答えた私は携帯にまた手を伸ばす。しかし、先程と同じようにその手は振り払われる。
「しっかり答えて。どんな関係だったの」
こんな質問は普段の結はしない。何かがおかしい。
「どんな関係ってただの友達だよー、最近連絡なかったのにいきなりなんだろ」
少し不思議に思い考え込む私に結は表情を変えずに話し続ける。
「連絡なかったんだ。ふーん」
少し結の瞳に光が入ったと思い安心した。
「でも、この人は邪魔」
そう言って再び瞳の光が失せる。
結は私の携帯のロックを解除し、様々なアプリを素早く開いて「悠希」と表示された項目を削除していく。
「ちょ、ちょっと……どうしたの……」
あまりにも理解ができないその行動に私は結から距離を取ってしまう。
「私――私、あなたが好き。真奈、あなたが好き」
虚ろな目で迫ってくる結から恐怖感を覚え、後ろに逃げるように後退してしまった。
「なんで逃げるの。私は素直な気持ちを伝えただけなのに……ただ、あなたと一緒にいたいだけなのに……」
そう言う結の瞳には涙が浮かんでいる。しかし、変わらず瞳は暗いままだ。
「そ、そんなのおかしい……って」
あたかもゾンビのように私に抱きついてくる結を体から引き離す。
――なんでだろう、とても怖い。
「なんで逃げるの、ダメなの……? 私じゃ……? 一緒じゃ嫌? 私のこと――嫌い?」
「嫌い」という単語だけが脳内でこだまして、鋭く息を呑む。
全てが疑問形の結は涙を零しながら床を這う。
――どうにかしないと、結が変だ。
私の脳には結を落ち着かせることしか無かった。
「落ち着いて結! どうしたの……私は結のこと嫌いなんかじゃないよ」
結の顔を両手で触れながらそう言った私の声は震えていた。
「だって、私……一緒にいたい、ずっと……」
そう言いながら泣き崩れる結は普段見ないようで少し違和感を感じた。
でも、その瞳は輝いていて本心だと確信付いた。
「大丈夫だよ、結……私はここにいる。いつまでも、一緒にいるよ」
結のことを抱きしめる。落ち着いてほしいという気持ちと、好きという気持ちに応える意味を含めてのハグだ。
「でも、いつまでもは無理なんだよ」
その声は低く、重く私の心に響いた。
「え?」
いつの間にか結は泣き止んでいて、真剣な趣で私の目の前に立っていた。
その表情は決して柔らかくなく、悲しんでいるようにも見えた。目尻に残った涙が更に悲しさを引き立てていた。
「だって、いつか私たちは死ぬんだもん。決して一緒じゃなくてね」
軽く告げた結はそのままキッチンへと向かう。
キッチンから戻ってきた結の右手には私が料理に使う包丁が握られていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ! そんな死ぬのがバラバラなんて当たり前じゃん! 死ぬまでの人生で一緒にいられたらいいんじゃないの!?」
向けられた包丁の先が窓から射し込む夕陽を反射してオレンジ色に染まっていた。
「死ぬまでの人生だけ? そんなの嫌だよ。人生もあの世も、どっちでも一緒にいたいの」
その時にやっと気づいた。結は本気で私のことを愛してくれているんだ――って。
「死ぬまでじゃだめ――か。確かにそうだね。私も死んでもあの世で一緒にいつもみたいに暮らしたいよ」
私が微笑むと、その微笑みに応じるように結も微笑む。
「でも、でも……そんな気持ちもいつか忘れちゃうかもしれない。彼氏が出来て結婚して――そんな未来が真奈にはあるかもしれない」
結は向けた包丁を下げることなく話を続ける。
「だったらさ……今ここで二人で死んで、あっちで楽しく暮らそうよ」
二人しかいないこの家にテレビのニュースの音声だけが響いた。その騒がしさの中で私の心は動かされ、自分の心を縛っていた何かが消えた気がした。
今は結と暮らせて幸せだ。心からそう思う。だけど、そんな気持ちもこれからの人生で起こる色んなことで薄れていってしまうのかもしれない。
だけど、そんな人生に不満は無かった。それが普通の人間の人生なんだって――そう思い込んでた。
でも違ったのかもしれない。今目の前の幸せを手にすることが、それに手を伸ばすことが最善で一番早く幸せになれる事なのかもしれない。
――やっぱりその幸せを叶えるには一つの方法しか無いのかな。
「私も結が好きで、今の生活が大好きだよ。こんな幸せ無駄にはできないよね」
ぽつりぽつりと呟いていく私を見て結は、にぃーっと白い綺麗な歯を見せつつ笑った。
そんな姿も愛おしくて、今の幸せを表現出来る一つのものだと思う。
自分で掴み取ったこの生活も、この愛や幸せも。全部全部無駄じゃなかった。
私にはこれからなんて必要ないんだ。今のままで――それでいい。
今のままで、今を維持して結と一緒にいることが、全てを、人生までもを投げ出して手に入れる――それが私にとっての愛だ。
「だからさ、一緒に」
「「行こう」」
そう言うと同時に、結の持つ包丁が私の左胸へと入り込んできた。
意識を失いかける私は刺された包丁を引き抜き、結の左胸へと刺した。
朦朧とする意識の中で私たちは床に倒れ込み、互いに手を握りあった。
「これで、いいよね……これで、一緒だよね……」
「これで……いつまでも一緒だね。真奈」
顔を見合わせて笑い合う私たちは文字通りの「幸せ」というものを手に入れていた。
真っ赤な血を互いに流しているこの感覚も一緒になれていると感じる。
弱まる鼓動が私の意識を薄くしていった。
流れる血に髪が浸りながらも私たちは笑顔を向けあっていた。
きっとその笑顔は誰よりも「幸せ」というものを感じている笑顔だと、私だけでなく結も思っていただろう。
「幸せだね……真奈……これからも……一緒、だよ……」
血を吹き出しながらも微笑みかける結を抱きしめた。抱きしめたが故に結に刺さっている包丁が更に深く、結の左胸へと入り込んだ。
ぐちゃぐちゃと抉られるその音が私たちの迎える未来を祝福しているようだった。
その音を聞いたのを最期に、私の意識は完全に途絶えた。
そして遂に幸せに浸る私たちは笑顔で永遠の幸せに向けて歩いていた。
どうでしょう。私はこれも一つの愛の形、「幸せ」だと思います。