九百六十八話 手合わせ
「俺、魔王が居なくなってからまともに戦っていないんだ。ヴァイス達とはその状態で戦ったけど、その時は魔王やレイ。エマたちや他の主力と仲間が居た。だから、俺個人の実力を知っておきたい。世界の支配者という名目で世界征服を終えた今、俺自身に皆を護れる力があるのか確認したいんだ」
「成る程。理屈は分かった。確かに世界征服は終わったんだっけな。全員を護るって約束もしていた。その為の力を確認したい気持ちは分かる。……ハッ、良いぜ。俺はケチじゃねえ。戦闘好きって訳でもないけど、力の使いどころはもうこの旅で分かった様子。此処で断ったら英雄じゃない」
ライの申し出。それは皆を、民を護る力の確認。今のライは心の底からそう思っている。それを目で見て分かり、実感したからこそ勇者は了承してくれた。
ただの綺麗事や上部だけの事柄では力を貸す訳にいかないが、今のライならその資格があると考えたのだろう。
「ありがとう、勇者さん!」
「ハハ、気にすんな。力の使い方が分かっていて、今後道を間違える事も無さそうな奴なら稽古くらい付けてやるさ。レイとの稽古も俺の子孫だからって訳じゃない。力を見極めるに当たって、当然例外じゃない。俺は俺が認めた奴には力を貸すさ!」
手合わせ。勇者にとっての稽古を付けるという行為は、適当や成り行きで決めている訳ではない。
本当に正しいと勇者が判断した相手にのみ付ける事であり、少なくともライたちは全員が合格という事だろう。
真の意味で世界を平等に見ている勇者だからこそ、この数千年で堕ちる事も無く聖域という場所を守護し続けて来られたのだ。
「ルールは……アンタは素手か。カリーブたちの子孫なら武器類は効きにくい身体なんだろうけど、果たして剣を抜いて良いのか迷うな」
「別にどちらでも構わないさ。レイの時のように、俺の実力を見て確認してくれ」
「うっし、じゃあそうするか」
決まると同時に二人はある程度の距離を置いて臨戦態勢に入る。
ルールは先程と同様。主に素手のライの場合、急所の判定は難しいところだが、その時次第で決めると考えて良いだろう。公平なジャッジは世界を公平に見ている勇者からしてこれ以上信頼出来る事は無い。
何はともあれ、臨戦態勢の二人。相手が何をして来るか、聖域からずっと世界を見ていた勇者は分かるのだろうが、夢や先程の稽古でしか勇者の動きが分からないライは情報が少ない。故に速攻で嗾けた。
「行くぞ!」
「いきなりの速度だな」
一瞬にして加速し、光を超越した形容出来ぬ程の超速でライは攻め行き拳を打ち付ける。
しかし勇者はその拳を見切って躱し、見切られる事を前提として動いていたライは即座に体勢を立て直して回し蹴りを放つ。
それを勇者は飛び退くように避け、その先に到達していたライが手刀を横に薙いだ。勇者はそれも避け、避けた先にライが踏み込む。そのまま踏みつけ、聖域の大地が粉砕して巨大なクレーターが形成された。
「オイオイ、聖域をあまり壊さないでくれよ。直すのは簡単だけど、折角育てた植物が可哀想だ」
「悪いな。勇者さん。けど、これでも抑えている方なんだよ」
「ま、全力じゃないのは分かるな。今のアンタの全力なら一挙一動で多元宇宙が崩壊している筈。一応考えてくれているようだ。それでもこの聖域に傷を付けるってのは大したモノだけどな」
聖域の世界は現世やあの世。この世界に存在する全ての場所の物質よりも遥かに強靭である。
宇宙一硬い物質があるとしたらその数千数万。計り知れない程に頑丈。そんな世界にクレーターを形成するというのはかなりのものだろう。
「という訳で、まだ仕掛けさせて貰う!」
「どんな訳だよ!」
踏み込み、加速。刹那に詰め寄り、拳を放つライだがそれを見切って躱し、対象がいなくなったライがフラつく。しかし即座に体勢を立て直して裏拳を打ち付け、それを勇者は仰け反って躱した。
その方向にライは氷柱割りの要領で縦に向けた拳を振り下ろし、勇者は飛び退いて避ける。ライはその方向に拳を放ち、弾丸のように拳圧を用いて放出。それも勇者は避け、聖域の強靭な光の壁に拳の空間が形成された。
「拳を飛ばすか。何か変な言葉だな。拳って飛ばすモノだったか?」
「さあな。少なくとも俺はそれを出来るんだから飛ばすモノって事で良いんじゃないか?」
「俺に負けず劣らず適当だな。まあいいか。魔王も空間を崩壊させる程度の拳圧は使っていたからな」
拳を飛ばすという行為は、普通はあり得ない事。しかし空間に干渉する程の拳を扱えるライならあり得る事になる。
勇者としてもその様な実力者は見ており、おそらく聖域から数千年の間で何人かは見た事がある筈。なので特に気にせず向き合った。
「けど、相変わらず当たらないな。ゼウスとの戦いで全く当たらなかった事もあるけど、行動全てが読まれているのと見切られているのじゃ違うからな」
「一応俺も行動を読んでいるが、全知の読むと俺の読むは違うからな。俺のは予測に過ぎない」
「その予測だけで全知の予知と同義なんだから大したものだよ。未来は幾つもの可能性に分岐するからな。見方によっちゃ、その全てを予測した方が効率的に動ける」
「それは普通の未来予知にだけ言える事だろうな。全知の予知は本当にそう動くからな。言うなれば、俺の予測は通常の未来予知以上、全知の未来視以下って事だな」
未来を視るという行為も、その時によって様々である。
ライが言うように、未来はほんの少しの行動で変化する。例えば普通の未来予知だが、普通の未来予知では数分前に見た未来が変わり、その変化に付いて行けない可能性もあるだろう。
だが、勇者のように相手の動きから未来を予測する行為なら多種多様の変化に対応出来る。全知なら数分前の時点で完全な未来が分かる。それもあり、勇者の行動はただの未来予知程度では遥かに追い付けない次元の予測となっているのだ。
「だからそれの攻略法は、未来を読んでいたとしても肉体が追い付けない程の力で仕掛ければ良いって事だ!」
「俺の未来予知攻略もそんな感じだったな」
踏み込むと同時に加速。時を越え兼ねない程の速度で仕掛け、それを勇者は正面から受け止める。その衝撃で勇者から背面の世界が大きく抉れ、波打つように消し飛んだ。
先程までは避けていたが、今度は受け止める方向で対応しようとしているのだろう。しかし対応はあくまで防御のみ。少なくとも、先程のレイの時よりは本気にさせていないという事になる。
「触れる事が出来たなら、そのまま弾き飛ばせれば上々か」
「そう簡単に弾かれる訳にもいかないな」
勇者から離れ、そのまま回し蹴りを放つがそれは片腕で受け止められる。ライは同時に離れ、踵落としを打ち込んだ。
それを勇者は飛び退くように避ける。その一撃で大地が割れて岩盤か浮き上がり、岩盤の上に勇者が跳び乗る。そこに向けて拳を打ち付けて岩盤を粉砕。それを跳躍で避けた勇者に向け、ライは空中で牽制。一瞬の攻防を空中で行い、互いに離れた。
「やっぱりって言うべきか、徒手空拳……素手での戦闘も出来るんだな。剣術に魔法に肉弾戦。その全てが最高クラスの強さ。いや、もう最強で良いか」
「オイオイ、最強を適当に扱うなよ。ま、強さには自信があるけどな!」
「本当にそうだからな……!」
ありとあらゆる戦法を扱える勇者。主に防戦だったとしても、素手でライ相手に対応していたのも事実。現在の時点で多元宇宙とまではいかなくとも、宇宙を破壊するレベルの拳を受けて無傷なのは凄まじい事だろう。
尤も、それを受けても数キロが砕ける程度の聖域の強度も凄まじいものであるが。
「どちらにせよ、せめてアンタに剣を抜かせる!」
「ハッハッハ! もっと志は高く持て。俺を倒す気概で来てみろ!」
「やってやるさ!」
踏み込んで強襲。飛び退くように回避。刹那に鬩ぎ合い、勇者は鞘を取り出した。
「ハハ、流石にキツくなってきた。次だ!」
「鞘に納まったままで相手をするのか」
剣は抜かないが、鞘に納まったままとは言え剣を取り出した。どうやら徒手空拳ではライに分があるようだ。
しかし剣は勇者の強み。此処からが本領発揮と見て良いだろう。
「今度は俺から仕掛けてみるとするか!」
「……!」
──瞬間、気付いた時には勇者がライの眼前に居た。
今まで形容出来ぬ程の速度で自身が移動し、その様な力を使う者達とも戦ってきたライですら勇者が眼前に到達するまで反応し切れなかった速度であり、瞬間移動のような錯覚もあった。だがおそらく、今はただ移動しただけだろう。遅れながらも何とか反応したライは振るわれた鞘を躱し、足元を踏み砕いて岩盤を浮き上がらせた。
飛び退くにしても跳躍するにしても先程の速度を考えれば即座に追い付かれる。故に岩盤を撒き散らし、それを目眩ましにして態勢を立て直そうと考えたのだ。
「咄嗟の反応にしちゃ、よく考えているな。確かに一瞬見失った」
「本当に一瞬だな……! 跳躍した直後だぞ……!」
浮き上がらせた岩盤は一つ一つが一軒家並みのサイズしかない。目眩ましが目的なので数を優先し、範囲は必要ないので当然だ。
しかし追い付かれた現在、その岩盤の上にてライと勇者は攻防を繰り広げ、浮き上がった次の刹那には全てが粒子よりも小さくなって消し飛んだ。
「そらっ!」
「……っと!」
「お? やるな!」
空中のライに向けて勇者が鞘を振り下ろし、ライは柄の部分を手首で受けて吹き飛んだ。
今回の手合わせは先程のレイと勇者のモノと同じルール。つまり、刃に触れられると敗北となってしまうので柄の部分に受けて自ら吹き飛ぶ事でそれを回避したのだ。
一足早く落下したライは次の瞬間に聖域に着弾。大きな粉塵を舞い上げ、そこに勇者が飛び込む。次の刹那に粉塵は消え去り、剣を振るう勇者とそれを辛うじて躱すライが居た。
「はっ!」
「……っ。速いな……! 感覚で避けるしかない……!」
「いや、感覚って……つまり無意識に避けてる訳じゃねえか。凄いな、カリーブたちの子孫」
意識はしない。目でも追わない。感覚のみで勇者の太刀筋を読んで避け、その事に勇者は素直な称賛を与える。
だが、現在のライは確実に押されている。憧れの存在からの称賛だとしても、あまり嬉しいモノではなかった。
「けど……今の感覚なら……!」
「……! お?」
しかし、大分動きに慣れたライは成長し、今度は確実に勇者の鞘を避けた。
勇者はピクリと反応を示し、次の瞬間に打ち込まれた回し蹴りを受け流すように躱す。
その行動から何かを察したのか、勇者は一度距離を置いて一気に嗾ける。
「そろそろ……終わらせた方が良さそうだ……!」
「この感覚……ゼウスと戦った時以上だ……!」
同時に二人は距離を詰め、互いの眼前に鞘から抜いた剣と多元宇宙を崩壊させる拳を放つ。次の瞬間に二人は止まり、余波によって未だに空中へ浮かんでいた他の岩盤が消し飛んだ。
「引き分け……って事で良いか?」
「ああ、そうみたいだな。まあ、剣を抜いた時点で俺の負けみたいなものだけどよ」
「いや、それじゃ俺の気が済まないさ……!」
散った粒子が聖域の光に照らされてサラサラと流れ行く。
決着の付け方は先程のレイの時と同じだが、勇者は感覚で言えば剣を抜いた自分が負けと告げる。しかしただ剣を抜いただけ。仮にこれが本当の戦いなら此処からが本番と言っても良いだろう。
だからこそ、互いに本気になった今、全ての存在が消え去るよりも前に引き分けという結果を残す事で勝負を終わらせたのだ。
「そうか。じゃ、引き分けだな。──ハハ、魔王が居なくても大丈夫みたいだ。アイツが言ってた通りだな」
「……! アイツ?」
剣を納めた勇者と拳を引いたライ。そんな勇者の言葉にライはピクリと反応を示し、勇者は頷いて言葉を続ける。
「ああ。少し前、客人が数百年前に来たって言ったよな? あれは嘘だ。鋭いって事を聞いていたから、敢えて濁して存在を隠していた。前に来た客人は数週間前。魔王、ヴェリテ・エラトマだよ」
「魔王が……」
先程。少し前に勇者が呟いた客人。それは魔王の事だった。
動揺したライの様子を見やり、勇者はフッと小さく、優しく笑って更に続ける。
「そうだ。隠していた理由はアイツからの申し出だな。──"俺が消えた後、此処にライが来る。だからテメェの目で俺が居なくても大丈夫か確かめてくれ。……ま、そんな心配なんか要らねェんだけどよ!"──……ってな。で、それを実行した。本当に言った通りだったよ」
「ハハ……消え去る直前か。あの後直ぐに聖域に行けたのかよ……」
「まあ、全知全能を受け返した時は俺も一緒だったからな。消え去る数秒前。ほんの少しの出来事さ」
「そうか……」
勇者の言葉にライは何も言えなくなる。自分勝手で暴虐無人、そんな魔王がライを気に掛けていてくれた。それは何も言えないが、嬉しいという感覚は今のライに残る。
ライと勇者。二人によって行われた手合わせは、互いが手を引き、引き分けという形で決着が付くのだった。