九百六十五話 聖域
「……。この道……行っても大丈夫なんだよな?」
「多分。落ちないとは思うけど……」
「まあ、大気圏から落下する程度、今まで受けた攻撃に比べれば軽い。仮に落ちても問題無いだろう」
「そうだな。大気圏から落ちたくらいじゃ死にはしないさ」
「……。そう言う問題じゃないと思うけど……」
直ぐ上の星々にも負けない輝きを放つ、ライたちの前に現れた螺旋を描く光の道。そこはずっと先まで続いており、光なので落ちないか不安だった。
落ちたとしても問題は無いのだが、やはり不安はあるのだ。
だが行かなくては始まらない。何より好奇心の強いライは実験も兼ねて光の柱に一歩踏み込み、そのままそこに立った。
「……。どうやら大丈夫みたいだ。皆も来て良さそうだぞ」
「うん。じゃあ……」
そーっと踏み込み、軽く跳躍して光の道に乗り込むレイ。それに続いてエマ、フォンセ、リヤンの三人も混ざり、その人数に合わせて光の道の幅が広がった。
「便利なものだな。……そう言えば、勇者の剣はあるのか?」
「……え? あ、あるよ。光の道が創られると同時に私の所に戻ってきたみたい」
「老婆に貰った物は無くなっているな……。成る程。あの物の中に光が入っていて、勇者の剣を反射して道を創り出した……という事か。道が創られれば勇者の剣の役割は終わる。だから自然と勇者の剣が持ち主と判断したレイの元に戻ってきた……ってところか」
ふとレイの持っていた勇者の剣を気に掛けるライだが、どうやら既にレイの手中に戻ってきたらしい。
聖域に行くのに必須という勇者の剣と老人に貰った物だったが、ライはようやくその役割を理解した。
確かにそれらが無ければ光の道が創られる事も無く、今の状況が形成される事も無かった。
つまるところ、聖域の主との関連性のある物が必要と言うが、おそらく光を収める物とそれを反射させる物が必要不可欠という事なのだろう。
また一つ疑問を解消したライたちは自分たちに合わせて広がった光の道を進み、坂を上るように歩む。
「どれくらいの距離があるんだろうな。聖域まで。案外遠かったりするのか?」
「うーん、どうだろう。大気圏は抜けちゃっているからね。何光年とかそれ以上の距離があっても何ら不思議じゃないや」
「何なら、精神的な何かが作用して決まった心境の時や何かをしなくては見つからないという可能性もあるな。既に聖域に入っているが、その何かをしなくては見えない可能性という事だ」
「有り得るな。いや、寧ろ有り得ない事を探す方が大変かもしれない。気持ちや面持ち、態度に言動。その全てが無ければ入れない可能性は高い」
「そうなった場合どうすれば良いんだろう……」
光の道を進み、まだ進み始めたばかりだが聖域までどれ程の距離があるのか気に掛けるライたち五人。
何をすれば良いのか、このまま歩き続けていても良いのか。分からぬままに光の螺旋を上って行く。
聖域と呼ばれる場所。絶対に何かの罠はある筈だ。
「……ん? まさか……あれか?」
──と思っていた矢先、一際目映い輝きを放つ空中の浮島のような場所があり、そこがライたちの視界に映り込んだ。
蜃気楼のように存在しないのに存在しているモノの線も考えたが、此処は宇宙のような場所。熱気や冷気などを含めて蜃気楼の条件は満たしていない。
幻覚や幻術。その他の錯覚術の可能性もあるが、そう言った雰囲気は無い。つまり、ライたちは本当に聖域へと到達したらしい。
まだ遠方に位置しているので本当はそこに無い可能性もある。そこから少し進み、疑惑が確信に変わった。
「本当に此処みたいだな。此処が……聖域か……?」
光の領域に踏み込み、光が晴れたところで辺りを見渡す。
光域の中には草原があり、一本の大樹がそこの。というより、この場所の中心にポツンと佇んでいた。
周りは光に囲まれている。しかし青空も広がっており、小川が流れ、そのせせらぎも聞こえて穏やかな草原という印象。やはりと言うべきか、ライたちが夢で見た場所ではない。それもあって内部に踏み込んだは良いがまだ疑問が残っているのだろう。
取り敢えず何の当ても無いライたちは、一先ず一番目立つ大樹の元に近付いた。
「凄い樹だな……。聖域ってだけあって神聖な気配が漂っているや」
「本当……大きい……。遠目から見ると普通の樹だけど、近付くとより一層その迫力が伝わるね……」
脈打ち、ザワザワと葉が擦れて音が鳴る。生い茂った葉からは木漏れ日が差し込み、先程の小島のように樹の周りだけが別空間とも思える錯覚が及ぶ。
複数の樹ではなく一本の樹である大樹。樹一本のみで神聖なその雰囲気は正しく聖域と呼ぶに相応しい気配があった。それ故に、今更ながら聖域に来たという実感が確かなものとなる。
「それを言ってくれると有り難い。此処じゃ何もする事が無いからな。俺好みに世界を飾るのが趣味なんだ」
「「……!」」
「「……!」」
「……!」
そんなライたちに向け、一つの声が掛かった。
偶然か否か、声と同時に風が吹き抜け、葉が擦れてザアザアという音が響く。同時にライたち五人の髪を揺らし、草原も揺れる。
ライ、レイ、エマ、フォンセ、リヤンの五人は同時に顔を上げた。
「よぉ。お前たちは前に会ったな。あの時は何があったのか分からなかったが……随分と苦労したみたいだ」
「あの時……。やっぱり記憶が残っている。つまり本人という事ですか。……かつて世界を救った英雄……勇者さん」
そこに居た者は、レイのような白っぽい銀髪を揺らし、樹の枝にて遠くを見つめていた。
その存在をライは既に知っている。かつて世界を救った英雄であり、ライの憧れでもある勇者。──ノヴァ・ミール。
短い銀髪。端正な顔立ちであり、その青み掛かった凛とした静謐な目でライたちに視線を向ける。腰には自身の剣の模倣物を携えており、今一度風によってその髪が揺れた。
「確かアンタはライ・セイブル。魔王の城に居た側近の子孫か。そして俺の子孫のレイに魔王の子孫のフォンセ・アステリ。神の子孫のリヤン・フロマ。……ヴァンパイアのエマ・ルージュ。前に一応会ったけど、久し振りだな。ヴァンパイア」
「数千年前に出会っているというエマは兎も角、私たちを知っているのか。いや、聖域は全世界を見渡せる場所。別におかしくはないな」
勇者。ノヴァ・ミールはライたちを知っている様子だった。
しかし聖域という場所からしてそれは当然の事。聖域は全世界。即ちこの宇宙を見渡す事の出来る場所。故にノヴァがライたちを知っていても何ら不思議ではなかった。
「それにしても、こうしてレイと話せるのは嬉しい限りだな。目元はスピカに似ている。髪質は俺の遺伝か。血筋で言えばティエラの血を強く受け継いでいるみたいだ。目の色は俺とスピカの両方と違うが、成る程。隔世遺伝か。確かにその色をした奴が俺の何代か後に居たな。俺とスピカの血が数千年経ても残っているのは嬉しいな」
「ご先祖……」
ライたちから視線を逸らし、おそらくノヴァが一番見たかったレイに視線を向ける。
ノヴァの妻、スピカ・ミールとは数年程しか生活する事が出来ず、ソル、ルナ、ティエラ。子供たちが成長する姿も聖域から眺めるしか出来なかった。なので改めて自分の子供たちが子孫を残し、自分に会いに来てくれているのが嬉しいのだろう。
「おっと、つい自分の世界に入ってしまった。まあ、この聖域自体が俺の世界なんだが、取り敢えず子孫とその仲間たち。歓迎するよ。色々話したい事があるから態々この場所まで来たんだろ?」
「はい。色々と。別に知らなくても良い事ですが、聖域についても色々知りたいんです」
「ハハ。堅い堅い。そう畏まらなくても良いぜ? そうだな……よし。親戚と話す感覚で対応してくれ」
ノヴァはライたちの目的も知っている。それについて頷くライだが、その堅さにノヴァが笑って返す。
夢で見た通り明るい印象のノヴァ・ミール。カリーブやトピアとの事もあり、どちらかと言えば親しい中にある存在。レイの仲間という事もあって普通に接して欲しいのだろう。
「良いのか? 一応俺の祖先や前まで俺の中に居た魔王とは敵対関係だったんだけど」
「構わねえさ。過去は過去。今は今だ。祖先が悪人でその血を受け継いでいるからと言って敵対関係になる必要は無いからな。基本的に住む環境で性格は変わるんだ。盗みを働かなくちゃ生きる事すら出来ない存在は、自然と世間から見た悪の道に進む。世間一般から見た常識を学び、それを遂行出来れば世間から見た常人になる。ま、正義や悪。その存在の定義は時代によって変わるって事だ。生まれた瞬間に罪を犯す存在なんてそうそういねえし、今が良いならそれで良い」
存在の価値観は、その時代によって変化するモノとノヴァは考えていた。
世の中にはアジ・ダハーカのように生まれた瞬間に悪と定められる存在も居るが、悪や正義と言ったモノはあくまでその世界に生きる者達の見立てに過ぎない。
勇者ノヴァはしかと自分の意思を持っており、罪などはその時に決めるようだ。
「けど、俺は世界征服を達成した悪人だ。人を殺めた事もある。果たしてそれが良いとは言い切れないだろ?」
「そんな事なら俺だってある。時代だったからって言い訳をするつもりはないけどな。実際、俺はお前の祖先を殺したんだ。ライ。それなのに今は英雄と呼ばれ、勇者と呼ばれて聖域で全世界を見守っている。ま、堅苦しい事は言わねえけど、色々気にしたって仕方ねえって事だな!」
「……。案外適当なんだな……勇者って……いや、確かに夢の時点でそんな感じだったし、逆に大物っぽいな」
正義や悪。殺害の罪。それらはこの世界、力のある者は殆どが経験している事。
その様な時代なのは誰が悪いという事も無く、生き物を殺すという行為はおそらくどの時代でも残り続ける事柄だろう。なのでその事に関しては深く言及せず、今を大事に生きれば良いと適当に話された。
英雄らしからぬ発言に若干困惑するライだったが、ノヴァにもそう言われたので深くは気にしない事にした。だからと言って十字架を背負っている事実は変わらないが、背負った上で行動するべきという事だろう。
そんなノヴァに向けてライは言葉を続ける。
「それにしても、夢で見たアンタと何も変わらないんだな。勇者は。お伽噺とかだと生き物に絶望したかつての英雄が世界を変えようとするストーリーもよくあるし、こんな何も無い世界に居続けるとそんな事を考えたりしそうなものだけどな」
「ハハ。俺が自分で望んだ事だ。絶望する理由もねえしな。それに、俺は全ての存在を受け入れる。悪人だろうと善人だろうと関係無くな。世界を見守る以上、それ相応の行動はしておくさ」
勇者はお伽噺や伝承に出てくる勇者像のまま。それが意外なライだったが、だからこそ勇者という概念のような存在なのだろうとよく分かった。
自身で救った世界を自身で壊しては意味がない。その様な行動を起こす存在は謂わば勇者の紛い物だろう。
何はともあれ、此処に居る勇者ノヴァ・ミールはライにとって理想の姿で存在していた。
「けどまあ、今の勇者さんは勇者さんで、色んな意味で危なそうな雰囲気もあるような……全てを受け入れたら受け入れたで問題もありそうな気がするよ」
「ハハ、それを指摘されたら困る。ちゃんと場は弁えているからその点は安心してくれ」
「と言うか、聖域ではどんな事をしているのかも気になるな。その辺を含めて色々聞いてみたいし」
「ああ、さっきも言ったようにそれも知っている。んじゃ、そろそろ詳しく話を聞こうか」
ノヴァは木から飛び降り、伸びをして話を聞く態勢に入る。
それと同時に椅子とテーブルを何処からか出現させ、その椅子に座った。
「……てか、しれっと無から物を出すんだな。まあ、確かに魔法とかは使えるんだろうけど」
「別に珍しくも無いだろうさ。話をするだけならこれが一番楽だからな。ま、何なら寝転がりながら雑談でもしたいところだ」
「本当に適当なんですね……私のご先祖……」
「いや、レイ。失望しないでくれ。子孫にそんな顔されると流石の俺も悲しい」
今の一連の行動を指摘するライとそれに返すノヴァ。レイは若干引いており、ノヴァは慌てて弁明した。
何はともあれ、此処が神聖な場所である聖域。勇者の性格は夢のままであり、取り敢えず親しみのある存在という印象である。
そしてライ、レイ、エマ、フォンセ、リヤンの五人は聖域にて勇者の話を聞くのだった。