八百八十三話 強い気配
──"パーン・テオス・ヘラの私室"。
「ライ、リヤン。二人は先に行っていてくれ」
「「……!」」
レイとエマが別の場所で主力と相対している時、ヘラと出会ったライ、フォンセ、リヤンの三人のうちフォンセが二人に向けて先を促した。
その言葉にピクリと反応を示す二人だが言及はしない。フォンセが何を言いたいのかは既に理解しているからだ。
「もう気付いているだろう。二人共。一際大きな気配はアテナのものでも、ヘルメスのものでも、神々の女王を謳われるヘラのものでもないみたいだからな。二人だけでも先に進んだ方が良さそうだ」
「……。ああ……!」
──そう、この城に漂う強い気配は他にもあったのだ。
その気配の正体は薄々感づいている。だからこそライたちだけにでも先に行って欲しいというフォンセの願いだろう。
それを無下にする訳にはいかない。ライとリヤンは無用な言葉は返さず、相槌を打つように頷いて先を行く。
「先に行かせても良いのか? 正直言って、今のお前じゃ私には勝てんぞ?」
「ああ、そうかもな。だから、始めから少し本気を出すとするよ」
「……フム、成る程の。それが魔王の力か」
ライたちの後は追わぬヘラ。奥に居る者の存在が存在故に別に逃がしても問題無いと判断しているのだろう。
そんなヘラが相手だが、素のフォンセでは少々不利である。故にフォンセは早速魔王の魔力を込めた。
「この部屋……いや、この国が崩壊するかもしれないな。ある程度は力を弱めた方が良さそうだ」
「別に構わぬがな。それ程の力を使う場合は私の空間にでも移動するとしよう」
魔王の魔力を込め、ヘラに向き直るフォンセは国の心配をする。しかしヘラも自分の空間は持っているらしく、いざという時はその空間に移動するとの事。確かにそれなら世界が崩壊する危険性は少ないだろう。
「そうか、それは有り難い。が、まだエレメントは使わずに攻めるとしよう」
「器用なものだな」
それなら思う存分にやれるとフォンセは返し、魔王の魔力をエレメントなどに干渉させずそのまま放出した。
波のように迫る漆黒の力はヘラの身体に纏割り付き、次の瞬間にヘラはその力を振り払った。同時に踏み込み、女神の力を込めてフォンセの眼前へと迫り行く。
「肉弾戦は……別に苦手ではないな」
「その様だな。確かに伝承でも数々の戦争に勝利している」
ヘラは地位のみならず、純粋な力もある。戦争に置いても数々の神を打ち倒した伝承もあるのだから当然だ。
女神の力を纏った掌で掌底打ちを放ち、それをフォンセは避ける。
「反応速度は上々だな。魔族は一般的な存在でも人間の常人より身体能力が高い。お前は逆に肉弾戦はあまり得意ではなさそうだが、避けるくらいなら可能か」
「ああ。しかしまあ、近距離なら魔術もそれなりの威力になるから問題無い。だが、此方も近距離用の魔術でも使うか。"魔王の鞭"!」
「魔力を繋げて鞭を形成したか。伸縮自在、中々だな」
その反射速度に感心するヘラに向け、魔力からなる鞭を薙ぐ。それをヘラは軽く躱したが、フォンセは躱した方向に鞭を嗾けて追撃。それらを舞うように避けて行くヘラは一歩で近付き、フォンセの腹部に拳を当て、刹那に力を込めて拳自体は動かさずフォンセの身体を打ち抜いた。
「……ッ! カハッ……!」
呼吸の漏れるような音と共に吐血し、ヘラの部屋の角に衝突する。そのまま痙攣し、動きが鈍くなった身体でヘラを睨み付けた。
「発勁か……! 先程の掌底と言い……この街とは別の場所で伝わる様々な武術を身に付けているのか……!」
「フム、このダメージでそこまで口が回るか。中々に強靭な肉体を持っているようだな。答えるなら"そうだ"……とでも言っておこうかの。発勁は余計な破壊が少ないからな。この様な室内での戦いでは重宝出来る」
ヘラの放った技、発勁の一つ。触れる瞬間にだけ力を込める事で最小限の範囲に最大級の一撃を与える事の出来る技。
とある武術の一つであり、先程放った掌底打ちとはまた別の武術である。持ち前の情報収集能力も相まり、様々な武術を会得しているのだろう。
「やれやれ。厄介だな……何度も受けられないぞ、この破壊力……!」
「本当は今の一撃で終わらせるつもりだったのだがな。厄介というのは此方の台詞よ」
魔王の魔力を込めて立ち上がり、ヘラに向き直る。
魔王の魔力を纏っているフォンセは肉体的な耐久力も上がっているが、まだ力を出し切れてはいない。なのでこれ程のダメージを負ってしまったのだろう。
「取り敢えず、分かっていた事だが一筋縄じゃいかない相手か。骨が折れるな。今の一撃で折れてないだけマシか」
「その様に軽口を叩けるとはの。まだ余裕はありそうだな。まあ、魔王の魔術らしい魔術はまだ見ていないから、今よりも手強くなるのだろう。面倒な相手よ」
二人は互いに相手を見定め、その実力を思案する。結果、相手は思っているよりも厄介という結論に辿り着いたようだ。
フォンセとヘラ。魔王の子孫と人間の国の主力である神々の女王による戦闘が始まった。
*****
──"パーン・テオス・渡り廊下"。
「大丈夫かな……フォンセ……。レイたちの相手はまだ大丈夫そうだけど……ヘラが相手だと少し心配……」
「神々の女王。最高位の女神か。伝承じゃ、オリュンポスの神を何人か倒しているし、確かに実力はゼウス、ポセイドン、ハデスに次ぐかもな」
その一方で、ヘラの私室から抜け出したライとリヤンは再び現れた長い渡り廊下を駆け抜けていた。
相変わらず兵士達の数も多く物陰に隠れながら進む。その道中で残ったレイたちについて気に掛けるライとリヤンだが、即座に正面を向いて更に加速する。会話している余裕が次第に無くなりつつあるようだ。
「どんどん気配が強まるな……やっぱり来るのか……いや、もう俺たちはそこに来たのかもな……!」
「うん……。この気配……やっぱりそうなのかな……」
余裕が無くなる理由。それは気配の強さが原因だった。
此処に到達するまでアテナ、ヘルメス、ヘラの何れにしても強力な主力と相対した。しかしそんな主力すらをも霞ませてしまうような一線を画す存在。その存在に近付いているのがはっきりと分かっているのだ。
「覚悟はいいか? リヤン……!」
「うん……とは言い切れないかな……」
なるべく近付きたくないが、その意思に反して足が早く進む。不安か焦燥か、少し早くその存在が居るかもしれぬ部屋の前に到達したライは止まり、先程のように勢いよく開けず慎重に扉に手を掛けた。
不安や焦燥を誤魔化すなら自棄になった方が良い。だが、その存在の前でそれをする訳にはいかないと本能のようなモノが悟りこの様な行動に移させているのだろう。
豪華絢爛な扉に手を掛けたライはゆっくりとその扉を開いた。
「──来たか。ライ・セイブルにリヤン・フロマ。レイ・ミールとエマ・ルージュ。フォンセ・アステリはヘラたちと交戦中のようだな」
「「…………!」」
その瞬間に掛かった声。まるで始めから来る事が分かっていたかのようなその素振りは、本当にそう言う事なのだろう。
ライとリヤンは椅子に座り本を読みながらも隠し切れない気配を放つ者、人間の国の支配者──全知全能の主神ゼウスに向き直った。
「どうやら俺たちの事は既に認知済みって訳か。まあ、全知全能の神ならそれも当たり前か」
「そうだな。ともあれ、そう殺気立つな。折角の夏晴れ。窓から入り込む風を感じ、本でも読んでいた方が有意義な時間を過ごせるだろう」
「……。その本、白紙みたいだけどな」
ゼウスはパラッと本を捲り、落ち着いた雰囲気でライとリヤンに視線を向ける。そう、白紙の本を。
一体何を読んでいるのかは定かではないが、全知全能。ゼウスにしか分からない事もあるのだろう。
ライに指摘されたゼウスはまた1ページ捲り、その言葉に返す。
「白紙は良い。物語には決まった道筋があるが、白紙というのは道筋は無く、自分で自分の物語を創造出来るからな。この世の全てを知っている我からすれば白紙こそが唯一の楽しみとも言える」
白紙。それは何も書かれていないもの。全知故に全てを知っているゼウスは既に決まった物語のある本ではなく、白紙のような本を読む。自分で創るのだろう。
ライは警戒しつつ態勢は解いて言葉を続けた。
「へえ? 大変なもんだな。全知ってのは。新たに知る楽しみは無いって事か。というか、自分の死期も既に知っているんだな。人によってはそう言うのも嫌いそうだけど」
「別に知る楽しみが無い訳ではない。ただ単にその事を考えなければ良いだけだからな。お前達も常にこの世界や宇宙の理について考えたりはしないだろう? それに、死期にしたって大抵の生物は何れ死に行く。それで常に死を恐れるのは愚かという他にないだろう」
全知は全てを知ってしまう。だがゼウス曰く、その事を考えなければ良いだけとの事。
確かに常日頃から生き物は何かしらを考えているが、常に自分の得た知識を思案している訳ではない。なので先の展開を考えなければ全知でも知る事が出来るのだろう。尤も、普通はそれが難しいのだが。
「ふうん? まあ、全知の思考は常人の俺には分からないけど」
「ライ。君が常人ならこの世界は既に征服されていると思うがな」
「されていると"思う"……か。アンタならそんなもしもの世界も知る事が出来るんじゃないか?」
「ああ、出来るな。だが、この世界がそうでない以上やる必要がない」
「そりゃごもっともだ」
窓から爽やかな風が入り込み、また一つ白紙のページを捲る。
ライは最大限に警戒しながらそんなゼウスの元へと近付き、更に言葉を続ける。
「それで、俺の目的を知っているなら何をしに来たのかも分かっている筈。何でアンタは動こうとしないんだ? まあ、俺の目的自体がアンタにとっては大した事じゃないってだけかもしれないけど」
「まあ、それもあるな。しかし、ただ純粋に既にこの後どうなるか分かっているから、戦う必要性が無いと判断したまでだ」
「へえ? それってどういう──」
ライが言葉を続けようとしたその瞬間、ゼウスの近くにある半開きの窓が一迅の風によって勢いよく開き、灰色の髪を有する一人が姿を現した。
「お、いきなり当たりを引いたみたいだね。ライに神の子孫……後は今のゼウスか」
「「グラオ……!」」
「久し振りだな。カオス」
そう、ヴァイス達の主力にして原初の神グラオ・カオス。
ライとリヤンは改めて警戒を高め、グラオと知り合いらく来る事も知っていたゼウスは軽く挨拶を交わし、グラオはライたちを見渡した。
「ふうん? 成る程ね。この城にある他の気配からして、ライとゼウスの仲間達は別々の場所で戦っているのか。楽しそうだね。僕達も早く戦ろうよ」
「相変わらず好戦的だな。同じ神のゼウスはこんなに落ち着いているのに」
「まあ、カオスは全知全能ではないからな。万物を生み出した存在ではあるが、我よりは楽しみも多かろう」
ある程度の情報はこの一瞥で理解した様子。故にグラオは窓から部屋の方に降り立ち、楽しそうに構えた。
ライとリヤンは変わらず警戒しつつ、ゼウスは本を閉じて座ったまま視線を向ける。
フォンセとヘラがヘラの私室で戦闘を織り成す中、ライとリヤンはこの国の支配者、ゼウスと敵対組織の主力であるグラオと出会うのだった。