八百七十九話 夢の終わり
「さて、どうするか」
──辺りは穏やかな草原だった。そこでは一人の影が悩んでいるような面持ちで一つの家の前を彷徨いていた。
この場所はお城の近く。その影は存在が薄くなっているみたい。
と言うか……見覚えがある場所だ。厳密に言えば無いんだが、この世界──夢の中では何度か見た光景だ。
此処は……また夢の中……影は私の先祖……。
「全く、勇者も勝手な男だ。確かに我にも少しは関係あるかもしれないが、何故我が報告に行かなくてはならない」
ブツブツと文句を言う神。何て言うか人間らしいな。
かつての神様にはこんな一面もあったんだ……。けど、それもあって何か近い存在に感じるなぁ。
意外なものだな。この様な状況でも臨機応変に対応するものかと思っていたが。
先祖の一面……。何だか新鮮な感じ……。
「うむ、確かに不条理だ。よし。やはり我は何もせず、この剣だけを家の前にでも立て掛けて去るとしよう」
そして、どうやら帰る事に決めたらしい。まあ、もう消えるから帰るも何も無いんだけどな。
神様って意外と小心者だったのかな……。でも世界を滅ぼそうとしていたから気が弱いって訳でも無さそう……。
それにしても独り言が多いな。まあ、不安になると独り言が多くなるのは分かるが、神のメンタルもそんな感じなのか。
また見れた……意外な一面……。そんな先祖は家の前に剣を置いて、その場から立ち去ろうとした……。
「ねえ。アナタ誰? 私の家に何か用?」
「何者だ! 倒すぞ!」
「こら。お客様……? に失礼よ。ソル、ティエラ。特にソルは好戦的過ぎ」
「……っ! ……ソル、ティエラ、ルナ。勇者……いや、ノヴァの子供達か」
「……! パパを知ってるの!?」
「となると報告隊の誰かか? 父上はどうなったか分かるか?」
「パパを知っている存在……気になるわね……」
そして立ち去ろうとした神に話し掛けた者達は、勇者の子供であるソル、ルナ、ティエラの三人。勇者の名前を聞いて興奮している様子だ。
ご先祖様は何日居なかったんだろう……。確かに何週間とか離れていたら子供達の立場を考えると不安になるかも……。
しかし……ふむ、勇者や勇者の妻とはあまり性格が似ていないようだな……。いや、案外こんなものなのか?
勇者の事を聞かれて先祖はたじろいでいるみたい……。
俺たちの思考とは別に、神と勇者の子供達の会話は続く。
「フム……まあ、この場は一旦落ち着いてくれ。我は報告隊では無いが、お前達に聞きたい事があるのは重々承知している。我が来たのは一つの報告の為だ」
「報告……?」
「報告隊じゃないなら、父上に関係する事じゃないのか? いや、このタイミングで来たんだ。少なからず関係はしている筈だ」
「そうね。大人しく聞いた方が良さそう」
「齢十にも満たぬ子供にしては随分としっかりしているな。それも教育が行き届いている証拠か。まあ、もう少し子供っぽさがあっても良さそうだが」
勇者の子供たちは年齢に反してしっかりしていた。と言うか、既にあの結婚式から何年も経過しているのか。
洞察力も高いみたい。ご先祖様って案外知的派だったりしたのかな……。一人旅には色々と知恵も必要そうだけど。
しかし、神も悠長に話しているな。時間の程は大丈夫なのか?
先祖はそんな子供たちを前に……言葉を続けた……。
「まあいい。取り敢えずさっさと事を済ませるか。この剣に見覚えがあるだろう? お前達の父親が持っていた剣だ」
「……! パパの……剣……」
「……。何で父上が来ないで剣だけが……」
「パパに何かあったの!?」
「いや、案ずるな。お前達の父親は生きてはいる。ただ帰って来れないだけだ」
「帰って……えっ!?」
「それで案ずるなって言う方が無理な話……そもそもアンタは誰なんだ?」
「そうね。名前くらい教えてくれないの?」
勇者の子供たちの反応は全員が驚愕のようなもの。まあ、父親が帰って来れないと聞かされたら普通こうなるよな。
ティエラちゃんはショックを受けているみたいだけど、ソル君とルナちゃんはショックを受けているなりに比較的平静を保っているみたい……。……そう言えば、年齢的には私の方がずっと下だったね。
この様子、ある程度の事は勇者の妻、スピカとやらから教えて貰っているのかもしれないな。オブラートに少し危ない所にでも言ったと伝えたのだろう。
落ち着きを取り戻した先祖は子供たちに言葉を続ける……。
「名か。名は教えなくても良いだろう。我ももう消えるのだからな。それと、分かり切っていると思うが帰って来れないというのはもう二度と会えないと同義だ。この剣は形見のような物。家宝にでもすると良い。まあ無論、信じずとも良いがな」
「「「……っ」」」
また随分ストレートに言ったな、神。子供たちが絶句しちゃったぞ。
元々の存在が存在だから配慮とかはしない性格なのかな?
率直に告げるのは後腐れ無くて良いが……まあ本人が本人。仕方の無い事か。
何かの理由があって世界を滅ぼそうとしていたみたいだけど……基本的に他人には関与しない性格だったんだ……。
「さて、これにて報告は終わりだ。我は消え去る。報告隊には我がある程度の情報を流して置いたから、今は平和が戻った世界中で祭典が開かれているだろう。お前達もそれに参加でもすると良いさ」
「「「…………」」」
それだけ告げ、神はその場から消え去る。消え去らざるを得なかった。成る程な。神討伐の情報は神本人が伝えていたのか。
ティエラちゃんたち……何だか可哀想……泣いたりはしていないけど……いたたまれない気持ちなんだろうな……。
強い子供たちだな。一番幼いティエラですら父親との別れを受け入れている。いや、唐突な事であらゆる感情が混雑しているだけかもしれないな。
けど……そこにスピカさんがやって来た……。
「ソル、ルナ、ティエラ。どうしたの?」
「ママ……これ……」
「……! ……。……そう、パパの剣ね……。誰が持って来てくれたの?」
「知らないおじさん……パパは生きてるけど……帰って来ないって……」
「……。そう……」
やって来たスピカさんはティエラちゃんから勇者の剣を受け取り、色々と状況を察したようだ。やっぱり覚悟を決めていたんだな。
やっぱりスピカさんも強いや……。あの剣……今まで以上に大切にしなくちゃ……。
泣きはしないが、子供たちは目に涙を溜めている。心配させたくないから声を上げて泣かないのだろうな。
同じようにうっすらと涙を溜めたスピカさんは子供たちに見えない位置でそれを拭って……そんな三人をそっと抱き締めた……。
「さて、お家に入りましょう。きっとパパは帰って来るわよ。生きているなら、いつかは必ず会える筈だもの」
「本当……?」
「ええ。だって、世界を二度も救った一番強い人よ。アナタたちのパパは。だからきっと……きっとね……」
「ママ……大丈夫?」
「母上……」
「ママ……」
三人を抱き寄せたスピカさんは涙を流しながらそう告げる。ソル君、ルナちゃん、ティエラちゃんには見えない位置だけど、三人も心中は察しているみたいだ。
そんなやり取りの瞬間、世界が流転して時間が加速するように季節が巡った。これは……スピカさんたちがご先祖様……ノヴァ・ミールが居ない世界を過ごした様子かな……。
毎日子供たちの世話をしながら、暇が出来たら外に出て待つ。健気で一途だな。嫌いじゃない。
春……夏……秋……冬……。雨の日も風の日も……必ず一日一回は外に出ているみたい……。
「──もう……本当に帰って来ないの……? ノヴァ……。貴方とはまだまだ話したい事があったのに……。まだ結婚して十年も経っていないじゃない……昔はいつも一緒に居たのに……旅に出てから会う機会が少なくなって……ようやく掴んだ幸せもこんな形で……」
スピカさんは子供たちには気付かれないように、勇者の剣を握り締めて涙を流す。
膝から崩れ落ちて、嗚咽を漏らした。
辛そうだな。私もやっと出来た大切な存在が居なくなったら……。
悲しみに暮れる日々なのに……子供たちの前では強く振る舞う……。いい人……。
「──スピカよ。悲しいのは分かる……。しかし、子供には父親が必要かもしれぬ。再婚というのは……」
「全く考えていないよ。だって私の旦那はノヴァだけだもん……。お父様も気を遣ってくれているのは分かるけど、気持ちだけ頂いておくよ」
「そうか。無理強いはせぬ。お主にはお主の選んだ道があるのだからの。要らぬ世話を焼いてしまったか」
「ふふ、ありがと。私を心配しての事だもん。大丈夫よ。私は」
「そうか。そう言えば、長男のソル。この国の兵士になりたいんじゃっての。まあ、なれるのはまだ数年後の話なんじゃが。……しかし英雄の子供じゃ。もしその時が来たら手厚く歓迎してやろう」
「うん。随分立派になったわ。ルナも高飛車な性格が直ると良いんだけどね。学校ではモテモテみたいなのに私に釣り合う人は居ないって。ティエラは最近剣術を学んでいるわね。なんでも、お父さんみたいな英雄になるって。女の子なんだから別の事を趣味にすれば良いのに……」
「ホホ、まるで誰かの昔を見ておるの。ノヴァのパートナーになって、一緒に世界を救うとか」
「……っ。それは昔の話!」
場面が切り替わり、数年後くらいか? ノヴァ・ミールの居ない傷は完全に戻っていないみたいだけど、随分と明るくなったかもしれない。
無理しているのかな……? けど、無理矢理の笑顔って訳じゃないみたい。
流石に数年も経つと多少はマシになるみたいだな。だが、確かに完全に精神的な傷が癒えた訳じゃないか。
そんな和やかな世界が更に巡って変わり行く……。
「──私……決めた。ノヴァを待つのは止める。もう後少ししか居れないけど、子育てに専念するよ!」
「そうか……。再婚はしないが、待つのはやめるのか。それも良いじゃろう。兵士になりたいと言っているとは言え、ソルもまだ子供。少なくともあと二、三年は共に過ごす期間があるのじゃからな」
「うん。今までも子供たちに不安な顔は見せなかったけど、今度は本当の意味で専念する……!」
「それが良いかもしれないの。子供たちが会ったという男性については目撃証言も無く、未だによく分っていないが、その者の言葉が本当ならもう帰って来ないという事になる。事実、帰って来ないのだからの。異常気象が収まったのを考えると神は倒したが、何らかの理由があって聖域から出られなくなったと言ったところか」
「多分ね。それと、私には何となく分かるの。ノヴァが帰って来れない理由もね」
勇者が帰って来ない理由は、スピカさんも大凡理解しているらしい。てっきり伝承通り、概要も含めて伝わっているかと思ったけど、そういう訳でも無さそうだ。
決心は付いたみたい。絵本では──世界は勇者に救われ、しかし勇者はいなくなり、世界の平穏と秩序を引き換えに今も聖域で世界を、私たちを見守ってくれていることでしょう。──って書かれていたけど……。
どうやらこの夢物語も、此処で終わるらしい。
何で私たちはこの夢を見ていたんだろう……何かがあるのかな……。
──そしてまた、場面が切り替わった。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
けどその場面に言葉は聞こえない。
流れるように、スピカさんと子供たちの日常が描かれている。
スピカたちの暮らし。他愛ない平穏。
そこに勇者は居ない……。
「……」
「……」
「……」
「……」
その光景も次第に遠退き、時が巡る。
成長して行く子供たち。忙しくも楽しそうなスピカさん。
周りの景色が忙しなく廻転する。それと同時に年月が経ち、スピカは老い、子供たちは成長した。
声は変わらず聞こえない……。だけど……少し寂しい感覚……。
「────」
「────」
「────」
「────」
視界が闇に包まれ、次の瞬間小さな光が差した。
ああ……終わるんだ……。長かった夢が。
今後、この様な夢を見る機会が訪れるのだろうか。
そんな疑問は霞のように消え去り……。
──俺は小さな光に飲み込まれるよう、元の世界に戻った。