八百七十一話 二体の魔物
「よくも……よくも私の腕を……!」
「やっぱり怒っちゃうよね」
ライたちとポセイドンが戦っている少し前。厳密に言えば海が消え去る前の時。腕を切断されたスキュラは怒りを露にしてレイの姿を見やっていた。
しかし敵に腕を切断されたら怒るのは当然の事。本来なら痛みで怒りなどを感じ取る事は出来ないが、魔物の一種であるスキュラには関係無いのだろう。
『軽口を……!』
「……!」
レイの態度を見たスキュラはより激昂し、躍り出るように嗾ける。
切断された方の腕から剣を持ち替え、横に一閃。それをレイはしゃがんで躱し、しゃがんだ方向には犬達が噛み付くように攻め入る。その犬達を跳躍して避けたレイはそのまま犬の上を駆け抜け、再び剣を振り下ろした。
「やあ!」
『……ッ! マズイ……!』
もう片方の腕が持っていかれると判断したスキュラは咄嗟に剣を用いて勇者の剣を受けたがそのまま刀身が切断され、その衝撃で後ろに吹き飛ばされる。吹き飛ばされたのは寧ろ幸運だろう。あのままではスキュラは両腕を欠損していたからだ。
弾かれて海に落ち、水飛沫が天空に舞い上がる。そこから起き上がり、怒りに歪んだ表情で眼前に迫った。
『貴様ァ!!』
「……」
魚の下半身で尾を放ち、それを避けた方向に犬達を嗾ける。同時に剣も振るい、自身の出来る限りの攻撃を次々と仕掛けて行く。
それをレイは舞うように華麗な最小限の動きで避けて行き、一撃も当たらずに眼前に迫った。
「これで終わりかな……!」
『……!』
レイがトドメに勇者の剣を振り下ろした──その瞬間、レイとスキュラの周りにある海が消し飛んだ。
『……っ。な、なんだ!?』
「……! ……ライたちの余波かな?」
レイはそれがライたちの戦闘によるものだと即座に理解し、スキュラの身体に乗ったまま落下する。
スキュラは成す術無く落下し、二人は底の見えぬ海の底へと落ちていった。
*****
「はっ!」
『……ッ!』
そしてまた時間を少し遡り、海に沈んだ直後のカリュブディス目掛けてエマが風の塊を放出し、着弾と同時に海が渦巻いてクレーターのような凹みが形成された。
そこからカリュブディスの姿が露となり、エマは現れたカリュブディスに狙いを定める。
「さて、次だ」
『……っ』
放ったのはまたもや圧縮した風。威力なら雷もかなり高いが、カリュブディスは海に落ちたので雷を放ったとしても海水を通って分散してしまう。なので集中的に狙える風を多用しているのだ。
海のクレーターに向けて放たれた風は更にカリュブディスを押し退け、海底へと沈ませる。
「さて、一瞬は水が消えたな」
『ガァ!?』
それによって周囲の海水は一瞬消えた。それを狙い、エマは雷を放出して再び感電させる。
海に入るのはあまりいい気分じゃないエマだが、空なら話は別。それでも低空飛行だと問題が生じるが、それなりの高度で浮遊して天候を放つ今のエマに死角は無かった。
『クッ……ヴァンパイアめ……!』
「……ほう?」
感電する最中、周りの水を飲み込んだカリュブディスがその水を一気に放出した。
それは既に流水の状態ではないかもしれないがエマは念の為に躱し、その僅かな時間で肉迫して近距離から嗾けた。
「水を飛ばすか。高圧の水は確かにかなりの破壊力を生み出す。貴様の場合は広範囲への海水だが……私には無意味だったようだ」
『……!』
放ったのは拳。話ながらカリュブディスに拳を打ち付け、勢いよく海面に叩き付ける。
ヴァンパイアの怪力は健在。流石に山河を砕く威力は無いが、カリュブディスの耐久力を考えると大岩を粉砕する程度の腕力でも十分に通じるだろう。
「さて、連続で仕掛けるぞ」
『おのれェ!』
それだけ告げ、風の塊を連続して放つ。一つ一つには山を砕く威力が込められており、無駄撃ち無くその全てを命中させたエマは風によって圧されるカリュブディスを今一度改めて一瞥した。
「流石にタフだな。私の拳ですらダメージは負うようだが、体力はそれなりにあるようだ。この場合は何と言うのだろうな?」
『……知る……ものか……!』
連続の風を受け、疲弊し切ったカリュブディスが少ない気力でエマを見やる。
肉体的な耐久力は少ないようだが体力はあるようだ。しかしその体力もほぼ限界に近付いている事だろうとエマは新たに天候を片手に宿した。
「それなら、これで終わらせるか。風と空気と風雨と雷を合わせた天候の塊。星くらいなら砕けるかもしれないな。まあ、ライたちからすれば私のこの力でようやく足元レベルだが」
『……っ』
疲労によって返答もままならぬカリュブディスは無言のままエマを睨み付け、次の瞬間、
『……!?』
「……む? ふむ、成る程な」
──周りの海が消滅した。
カリュブディスは驚愕の表情を浮かべ、エマは周りを見渡して大凡の事を理解する。
戦闘の途中で周りの物が消し飛ぶのは見慣れた光景。なのでエマは平然としていた。
「底が見えないが……海が無くなったのは好都合だ。私は飛べるからな。このまま落下する貴様を一方的に打ちのめすとしよう」
『させるか……! 空中でくらい動ける!』
エマは蝙蝠のような翼で海だった空を舞い、カリュブディスに仕掛ける。カリュブディスは水を放出して落下速度を緩め、エマに構える。
レイとエマによる二体の魔物の勝負は、落下しながらも続くのだった。
*****
「"魔王の雷"」
「"神の雷撃"!」
そして時を戻し、幹部との戦闘ではフォンセとリヤンが魔王と神からなる霆を放ってポセイドンに牽制していた。
二つの雷は雷にも拘わらず雷速を超えて進み、ポセイドンに直撃して目映い雷光が周囲を照らす。同時に周りへ雷撃が散りばめられ、感電させた。
「フム、少し痺れるな。だが、雷のエネルギーというものは高が知れている。自然のものは最大級でも数億から数十億ボルト。常人なら即死だが、魔力や神の力によって強化されているとしても我にはあまり効かぬ」
「一応星くらいなら崩壊させる事の出来る電流だったのだがな。まあ、ポセイドンは……いや、おそらく先代のポセイドーンにはゼウスと戦った伝承がある。星を崩壊させる電流と宇宙を滅ぼす電流では差があり過ぎるか」
「うん……そうかもね……」
その電流を受けても尚無事な様子のポセイドン。
伝承のポセイドーンにはゼウスと戦ったというものもあり、それもあるからこそ力を引き継いだ現在のポセイドンもある程度の雷撃には耐性があるのだろう。
「まあ取り敢えず、俺自身が攻めれば万事解決って訳だ!」
「フム、子供染みた考えだが、合理的でその通りだな。元よりお前は子供であるが」
雷を無傷でやり過ごしたポセイドンに向けて光を超えた速度のライが攻め込み、そのまま拳を打ち付けて下方へと叩き落とした。
今回のポセイドンは避けなかったが、別に殴られた訳では無い。拳を打ち付けたのはポセイドンの掌に。つまり受け止められはしたという事。だが勢いがあったので落下したのだ。
ライとポセイドンの二人は光を超えた速度で落下し、数秒後には数百万キロ下へと到達して海水に着水した。
「また海の中か。本当に底が無い。無限の広さを誇っているんだな。この海の空間」
「ああ、そうだな。まあ、此処に世界の果てがあるのかは我にも分からぬ。無限の空間というのも定かではない」
「ま、本当に無限かどうかが分からないのが無限の証明でもあるからな。何を持ってして無限を名乗れるのかと言えば、答えが無ければ無限だ」
海中で二人は距離を置き、海を蹴って肉迫。会話を行いながら鬩ぎ合い、海を揺らした。
浮力などあってないようなモノ。二人の戦闘の余波によって周りには大渦が巻き起こり、大きく波打った。
「今度は海が吹き飛ばなかったみたいだな。影響が大きいからライとポセイドンの居場所も見つけやすい」
「うん……」
その揺らめきを見やり、同じく落下するフォンセとリヤンがライとポセイドンの居場所を特定した。
特定と言っても二人を中心に海が消し飛び兼ねない大渦が形成されているので割りと簡単に見つかるのだ。
「オラァ!」
「フッ……!」
「「……!」」
そして海の中からライとポセイドンが飛び出し、周囲の海水を薙ぎ払った。
空中でも鬩ぎ合いを織り成しており、目にも止まらぬ速度で行われた攻防の後で二人が弾かれるように吹き飛んで水からなる山のような壁を形成しながら海の中へと戻る。
「左側がライ。右側がポセイドンか。もう既に場所が入れ替わっていてもおかしくないがな」
「うん……。けど……ライなら纏めて攻撃しても大丈夫かな……?」
「そうだろうな。ポセイドンを中心的に狙うのは変わらないが、ライに影響が及ぶのはあまりいい気分じゃないけどな」
「同感……」
その様な会話を織り成し、魔王と神の力を込めるフォンセとリヤン。即座に力は込め終わり、下方の水中目掛けてその力を放出した。
「"魔王の炎"!」
「"神の炎"……!」
放ったのは魔王と神の力からなる炎。世界を焼き尽くす二つの炎は無限空間の海へと着弾し、広範囲を蒸発させて水蒸気を巻き上げた。
惑星程の範囲から水が消え去り、周りの水がそれを埋める。水蒸気に包まれる中、二人は今一度力を込め直した。
「"魔王の息"!」
「"神の吐息"……!」
放ったのは魔王と神の力による風。水蒸気と共にまたもや広範囲を吹き飛ばし、風によって先程と同等の惑星範囲に風穴を空けた。
最も、風穴の底は見えないのだが。
「フム、惑星を容易く吹き飛ばす威力か。まるで惑星が柔らかい玩具のように容易く砕けているな。本来は頑丈な筈なんだが」
「アンタがそれを言うのか。アンタも似たような事が出来るだろ?」
「お前もな」
消え去り、周りの海水によって元の姿に戻る海の中でライとポセイドンが会話する。
本来惑星というものはかなり頑丈であり、同じサイズの爆弾があったとしても砕けず、隕石の衝突などがあってその星に棲む生物が滅ぼうとその形は残るモノ。
ライ、フォンセ、リヤン、ポセイドンや世界の主力は今の海の空間内での範囲のみならず、実際の星であっても容易く砕ける力を有している。今更ながらそれはかなりの力だろう。
「ライ。やはり無事か。良かった。……ポセイドンも無事みたいだけどな」
「ライが無事で良かった……けど……やっぱりポセイドンは堪えていないね……」
「ああ、俺は問題無い。だけどあの攻撃で無事なポセイドンには恐れ入ったよ」
「同じく無傷なお前がそれを言っても褒められている気はしないな。まあいいか」
ライの元にフォンセとリヤンも近寄り、ポセイドンに視線を向けながら話す。当のポセイドンは相変わらず微動だにしておらず、全く手応えが無かった。
「しかし、フム。先程の水も戻ってきたようだな」
「あ、本当だ」
次の瞬間、フォンセとリヤンが消し飛ばした惑星範囲の水とは違う、少し前のライとポセイドンの衝突によって消滅した数百万キロの範囲に及ぶ水が戻ってきた。
それはもはや何物にも例えられない程の重量となって降り注ぎ、物の数秒で辺りが海に戻った。
「かなり重い水だな。ライとポセイドンは動かずとも問題無いだろうが、私たちは魔力や神の力で防がなくてはならない」
「うん……」
「防げるだけ大したものだ。星一つが降り注いだようなモノなのだからな」
「けどまあ、これで元通りだ」
深さは数百万キロ。水圧が凄まじく常人のみならず大抵の物が押し潰され兼ねない海底だが、ライたち四人はポセイドンを含めて無事な様子だった。
フォンセとリヤンは念の為に自身の周りに壁を貼っており、ライとポセイドンは何もせず向き合っていた。
「しかし、これは長期戦になりそうだな。これは此方も少し本気を出すとしよう」
「「「……!」」」
そして次の瞬間、ポセイドンは何処からか棒状の何かを取り出し、構えてライたちに向き直る。
先端が三つに枝分かれしているそれを見やり、ライは言葉を続けた。
「……"トライデント"……! ポセイドンが持つ槍か……!」
「ああ」
──その武器、"トライデント"。
先端が三叉になっており、ポセイドンの本領とも言える武器である。一つ振れば大地が大きく揺れ、津波と嵐が起こる代物。シヴァの持っていた三叉槍と同系統の武器だ。
「トライデントを出したって事は、向こうも少しばかり本気を出してきた訳か。それでもまだまだ全力には程遠いんだろうけどな……!」
「ああ。油断は禁物だな」
「うん……!」
「さて、トライデント。その力を見せてやろう」
トライデントを構え、ライ、フォンセ、リヤンの三人も警戒を高めて構え直す。ポセイドンも力を込め、今一度改めてライたちに構えた。
レイとスキュラ。エマとカリュブディスも落下していた海の空間にある海水が戻り、形成された海底数百万キロの場所にて、少し本気を出したポセイドンとの戦闘は続くのだった。