八百五十五話 主力妖怪らの戦い
『ダラッ!』
「フッ……!」
『ゼァ!』
「ハッ……!」
『「ハァッ!」』
孫悟空が裏拳を放ち、それを防ぐぬらりひょん。同時に如意金箍棒が放たれ、跳躍して躱し刀を振り下ろす。それに対して孫悟空は距離を置き、次の刹那にぶつかり合った。
一見は互いに拮抗しているように見えるが、純粋な実力では孫悟空が上回る。正面からぶつかり合った瞬間にぬらりひょんが吹き飛ばされたのがその証拠だ。
吹き飛ばされたぬらりひょんはそのまま近くにあったこの街の主食である米を作る水田に突っ込み、泥水を舞い上げる。水田の中で全身を濡らしながらも立ち上がったぬらりひょんに向け、孫悟空が嗾けた。
『そこだァ!』
「……っ」
それによってより一層大きな水飛沫が舞い上がり、月の明かりに照らされてキラキラと輝く。その雫が空中で止まったのではないかと錯覚する程の速度で二人は迫り、如意金箍棒と刀が正面からぶつかり合い再びぬらりひょんの方が吹き飛んだ。
しかし今度は孫悟空も少し押されており、二人の距離が離れた瞬間に舞い上がっていた水滴が水田の中へと戻る。
「やはり力では儂の方が下回っておるの。何度か受けられたは良いが、完全に押されておる」
『受けただけ上々じゃねえか。俺とお前は同じ妖怪だが、神仏である俺にゃ、ただの妖怪は勝てねえよ。寧ろ此処までよく頑張っているぜ?』
「随分と上から目線じゃな。まあ、それが事実なのだからしょうがないがの。しかし、それでいて驕りを見せぬのだから質が悪い」
『言っただろ? よく頑張っている……ってな。それはつまり要するに、食い下がっているって事だ。隙を見せたら俺が危ねえ』
孫悟空は、実力では自分が上であると分かっているが、ぬらりひょんの実力も評価しているからこそ驕りは見せない。
ぬらりひょん自身も伊達に総大将をやっている訳ではない。能力半分、カリスマ半分と言ったところだろう。長い事百鬼夜行の主力達を能力に当てているからとは言え、纏める事が出来ているのは事実。それはぬらりひょん自身に能力関係無く、その様な力があるという事の証明だった。
故に、決して油断はせぬ孫悟空が向き直って構えた。
『……!』
──そして、ぬらりひょんの姿が正面から消えた。
孫悟空はハッとして辺りを見渡し、正見の術を使いぬらりひょんの姿を探す。しかし何処にもぬらりひょんの姿は無く、背後から刀で貫かれて声が掛かった。
「これは他人に儂を主と思わせる能力ではない。ひょんと消え去る、謂わば瞬間移動や空間移動の魔術のようなモノじゃな」
『……ッ! カハッ……! ……。……ッハハ、それを俺に教えて良いのかよ……自分の能力を明かしちまってるぜ……』
「構わぬ。どちらにせよ主には直ぐにバレていたのじゃろうからな」
ぬらりひょんが使ったのは相手にぬらりひょんを主と思わせる力では無く、何の気配も見せずに消え去る力である。
それはほぼ初見殺し。なのでその様な情報を与えるのは危険な筈だが、当のぬらりひょん曰くどちらにしても孫悟空なら直ぐにバレてしまうと考えた上での種明かしだった。
刀で腹部を貫かれた孫悟空は無理矢理引き抜くように距離を取り、肩で息をしながら言葉を続ける。
『成る程な……。お前には元々、自分の存在を認識させない能力がある。目の前で消えたと分かりゃ、反射的に俺は"正見の術"を使っちまう。そう思わせる為の移動術か……!』
「佐用。そして主はまんまとそれに引っ掛かった。作戦は成功じゃ」
『ハッ、ネタバラシ早えな。今度は食らいたくねえもんだよ……!』
所謂一種の叙述トリック。もしくは視覚誘導。ぬらりひょんの能力が前提であるが為にただの移動術が認識出来なかったという事だろう。
それに対して孫悟空が同じ手は二度と食らわないと告げるが、何処か不安げな様子だった。
と言うのも、ぬらりひょんを主と思わせる能力を用いられた場合、即座に"正見の術"を使わなくては敵が分からなくなる。しかし使っている間は一瞬無防備になってしまう。その結果が今の状況という事だ。
「しかし、刀が貫通したというのによくもまあそれ程まで動けるものよ。実質不死身のような存在と考えればそれも当然か」
『まあな。不死身や不老不死とは少し違うかもしれねえが、生命力にゃ自信がある』
刀が貫通したにも拘わらずあまりダメージを負っていない様子の孫悟空に向け、ぬらりひょんは肩を落として話す。
攻撃を当てる術は見つけた。しかし孫悟空の耐久力はぬらりひょんからすればかなり厄介だろう。しかし孫悟空からしても選択を迫られる能力と移動術は厄介。互いに互いは強敵だった。
「さて、次はどちらかな?」
『……! ──"仙術・正見の術"!』
「今回も此方じゃ」
『……ッ!』
次の瞬間にそれだけ告げ、ぬらりひょんは姿を消し去る。孫悟空は即座に正見の術を使うが同時に現れたぬらりひょんに再び貫かれた。
今回もどうやら移動術の方。孫悟空は傷を抑えつつ飛び退き、水田の中で待機する。
「成る程。そこなら水の音で儂が迫るのが分かるの」
『まあ、お前の事だから何らかの策はあるんだろうけどな』
それだけ話し合い、ぬらりひょんが再び姿を消した。
孫悟空は"正見の術"を使う準備をしつつ耳を澄ませ、ぬらりひょんの気配を探る。
『……。いや、待てよ……今の俺が奴の存在を認知にしているなら……奴が使ったのは……!』
「フム、早くも気付かれたか」
『……ッ!』
探ると同時に孫悟空は一つの可能性に気付き、そんな孫悟空に音を立てず現れたぬらりひょんが刀を肩に突き刺した。
それによって肩から鮮血が流れ、孫悟空は怯む。そして、空に居たぬらりひょんへと如意金箍棒を振るうった。
『チッ、空からかよ!』
「周りが水辺でも空からなら仕掛けるまで気付かれぬ。常識じゃろ? 儂自身は飛べずとも、移動術を用いて空に移動すれば数秒は飛行出来る」
『成る程な。そりゃそうだ。だが、お前の戦い方の攻略法は見つけた。つか、そもそも"正見の術"は持続型だ。だからもう一つの能力は封じ込めてるも同義だったぜ。今度は引っ掛からねえよ』
「厄介じゃの」
ぬらりひょんの移動術と自身を主と思い込ませる力。それはもう既に破っているも同然であると孫悟空は気付いた。
そう、そもそも"正見の術"は時間制なのである。一度使えば数十分は継続される。姿を眩ませるぬらりひょんによる連続して受けたダメージによって錯乱してしまい、その事を頭から抜け落ちていた孫悟空だがその事に気付いた今、もうぬらりひょんから攻撃を受ける事はあまり無いだろう。
『ハッ、厄介ってのは俺の台詞だ。俺は妖怪にして神仏の類いだが、元が妖怪だから思考回路は普通の人間と同じだ。だからこそ相手の思考を読んで仕掛けるんだが、逆に心理を突かれた訳だよ。色んな人間の家に上がり込んではタダ飯食らって帰るお前だからこそ相手の心理を突けるんだな』
「評価してくれて嬉しいの。主に評価されるという事は神仏に評価されるのと同じ。儂にも泊が付く」
ぬらりひょんの策略にまんまと掛かっていた孫悟空。受けた傷は本人にとっては軽傷だが、それでも読み負けた事実は変わらない。
今一度気を引き締めた孫悟空と何かを目論んでいるかもしれないぬらりひょんが構え直した──その瞬間、
「集中しているところ悪いが、切り捨てる!」
『「……!」』
何処からか一つの声が掛かり、孫悟空とぬらりひょんが反応した瞬間に飛ぶ斬撃が二人の間を通り抜けた。
そこは先程まで二人が話していた位置。そこに向けて放たれた広範囲の斬撃を避けなければ上半身と下半身が分裂していた事だろう。
対し、孫悟空とぬらりひょんは互いを警戒しながらそちらの方向に視線を向けた。
『テメェ、横槍を入れるたァ随分と無粋な真似してくれるじゃねえか。名乗る時間くらいはくれてやる。名乗った瞬間にぶっ飛ばすけどな』
「フム、見たところ侍。しかし妖力は感じるの。妖術の使える人間か半妖。もしくは普通の妖怪か」
敵意があるのは一連の流れから理解出来るが、此処で即座に仕掛けないのは英断だろう。
先ず相手が何をしてくるかは分からない事。無闇に仕掛けたら返り討ちに遭うかもしれないからだ。加えて神話や伝承に出てくる有名な存在なら名を聞くだけで対策を練る事も可能。それらを踏まえた結果、相手が名乗ってくれる存在なら名を訪ねてその後で行動に移った方が此方にとって有利に運べるという事だ。
武人気質の者なら名を訪ねた瞬間に自分の名を聞かれるかもしれないが、それは既に"名乗る時間をやる"という体で封じている。相手には名乗るか仕掛けるしか無い状況を作っているのだ。
「……。これは失礼した。仕掛けておいてアレだが、名乗るとしよう。拙者は山本五郎左衛門。しがない侍兼妖怪の大将だ」
『そうかい山本五郎左衛門。じゃあぶっ飛ばす!』
名乗った者、百鬼夜行とは別の群れを率いる山本五郎左衛門。
名乗るしか無い状況を作り出し、目論見通り名乗ったので孫悟空はそんな山本五郎左衛門に向けて嗾けた。
「儂は保留かの。……まあ良い。暫し様子を見ておくかの」
孫悟空の行動は迅速。ぬらりひょんが反応するよりも前に行動に移っており、山本五郎左衛門の元へと進んでいた。
しかし自分が狙いじゃないのなら別に構わないと水田の中からゆっくり上がり、二人の様子を窺っていた。
『オラァ!』
「フム、戦う相手を変えても良いのか?」
『ハッ! どの道両方とも倒すつもりだからな! 関係ねえよ!』
一瞬にして山本五郎左衛門。五郎左衛門の眼前に肉迫し、如意金箍棒を薙いで牽制。五郎左衛門はそれを紙一重で躱し、刀を振り抜いて仕掛けた。
その刀を避け、如意金箍棒を再び薙ぐ。五郎左衛門はそれに対して刀で受け止め、二人の間には文字通り読んで字の如く火花が散る。
『成る程な。純粋な腕力だけならぬらりひょん以上。速度は劣る実力と言ったところか。魔王、山本五郎左衛門よ』
「流石に拙者を知っていたで御座るか。その棒を見ると、神珍鉄からなる如意金箍棒。お主は斉天大聖、孫悟空だな? かつて神々に戦を仕掛けた、妖怪にして仏門に下り神仏となった大妖怪よ」
『ハッ、テメェも俺を知っていたか。まあ、仏門に下ったってよりは贖罪の旅で御師匠さんに着いていたら神仏になったんだが……似たようなもんか』
どうやらお互いにお互いは知らない仲では無いらしい。初対面なので厳密に言えば知らないのだが、互いの情報は互いの元に入っているので知っているという事だ。
五郎左衛門は孫悟空と水田近くに居るぬらりひょんに視線を向け、一歩下がるように距離を置く。
「見たところお前達は争っているようで御座るな。しかしそれも当然。それなら話は早い。纏めて相手をしよう」
『『『…………』』』
『……ほう?』
「フム……」
五郎左衛門が距離を置いた場所の少し後ろは林。そしてそこから無数の妖怪達が姿を現した。突然現れた事を考えると、既に潜んでいたという事だろう。
孫悟空とぬらりひょんはその光景を見やって軽い相槌を打ち、改めて居住まいを正す。
『数十匹くらいか? その数が全部じゃないとしても、百鬼夜行程じゃねえんだな』
「儂の群れには入らなかった妖怪達か。向こうに着いたのは後悔に繋がるかもしれんのにの」
「さあ、これからが本番だ。拙者、山本五郎左衛門。いざ参らん……!」
無数の妖怪達とその長である山本五郎左衛門は孫悟空とぬらりひょんの戦闘に割って入り、戦いを挑む。
人間の国"ヒノモト"にて行われるライたちと主力。百鬼夜行。そして山本五郎左衛門一派の戦闘は終息が近付くのだった。