八十四話 目覚めた怪物
『グルオオオォォォォォッッッ!!!』
猛々しい雄叫びを上げる、地下から現れた怪物。
その騒動で"タウィーザ・バラド"の人々は次々と建物から飛び出てくる。
「な、何だァ!? コイツはァ!?」
「ゾウ!? カバ!? サイ!? いや、そんな優しいモノじゃない……!!」
「地面から突然……!? ふ、封印された化け物か何かかァ!?」
ギャーギャーと叫び声に似たような声が"タウィーザ・バラド"全体に伝わる。
この怪物は何の前触れも無く、突如として地面から現れたのだ。
「……何だ……あれは……」
絶句。突然の出来事に脳の処理が追い付かず、フォンセの思考回路は動きにくくなっていた。
そして"神の日記"を持っているライは、ゆっくりとその口を開いた。
「……アイツは……"ベヒモス"だ……!」
「「「「「……………………な!?」」」」」
──"ベヒモス"とは、海の怪物レヴィアタンと対になる陸の怪物である。
その巨躯が故にベヒモスは世界に一頭しかいないにも拘わらず、複数で数えられる程である。
その容姿は杉のような尾が生えており、巨躯に見合う膨大な腹部を抱えていると謂われ、鉄のような固さを持つ強靭な骨を持っている。
しかし大きさだけでいえば、このベヒモスは小さ過ぎる位だ。
通常のベヒモスというのは、上半身に砂漠が一つ入る程の巨躯を誇っていると謂う。
それが為に食欲旺盛で、ベヒモスが一日で食する物は千もの山に生える草木だ。
そしてベヒモスは以外にも性格は温厚で、ちょっとやそっとの事では動じないらしく、大きな河や湖の水が口に入っても動かなかったという逸話? を持っている。
一説によれば神が創り出した生き物の中で、レヴィアタンが"最強の生物"ならばベヒモスは"最高傑作の生物"と謂われている。
争い事には滅多に加わらないが、存在しているだけで世界中の植物を食してしまう恐れがあるレヴィアタンの対となる怪物、それがベヒモスだ。
「……ベヒモス……。……うん? ……なあライ、何故あれがベヒモスだと……?」
ベヒモスを一瞥するエマ。
そしてエマは、姿をハッキリ見た訳でも無いに拘わらずベヒモスだと即座に応えたライに対して疑問が浮かぶ。
このベヒモスは通常よりも遥かに小さいのだ。それでも城一個分程度の大きさはあるが、その程度の巨躯を誇る幻獣・魔物は多い。
なのにベヒモスだと一瞬で見抜いたライの事が気になったのだ。
それを読み取ったのか、ライは"神の日記"をエマたちに見せるように突き出し、言葉を続ける。
「ああ、それはこの日記から浮かび上がった文字を見てくれ……」
「……」
「「「「……………………」」」」
エマはライから受け取り、その後ろからレイ、フォンセ、リヤン、キュリテが覗き込む。
その日記には──
『××××年
今日の朝方、海の怪物と対になる怪物が魔族の街に現れるだろう。 』
──と、その短文だけが書かれていた。
「……これは……さっき見たときはこのような文字が無かった筈……一体……?」
その単文に目を通したエマは訝しげな表情で日記を閲覧する。
エマは一通り日記を見たのだが、このような文字は書いていなかったからだ。
見逃していた可能性も無くは無いが、その単文は一ページに大きく書かれていた。そうそう見逃す物でも無いだろう。
「だが、確かにライが書き足した訳でも無さそうだな……」
パラパラとページを捲って文字に触れ、裏表と眺めて今書かれた物では無いと判断するエマ。
「ああ、本当に浮かび上がってきたんだからな。それに、俺はそんな速筆じゃねえよ……」
それだけ言い、ライは図書館の窓に近付いていき窓を開ける。その衝撃でライの髪が揺れ、ベヒモスの声が先程よりも大きく耳元に入る。
「皆様! 街に怪物が現れましたので直ちに避難を……! ……ってちょっと貴方! な、何やっているんですか!?」
するとそこに、危険を知らせる為にか職員が走ってやって来た。
ライは職員をチラリと一瞥し、
「あ、そうだ。これ……」
「……わっ……!」
ライが持っている金貨を二つ渡した。
「……えーと……これをどうしろと?」
突然金貨を渡され、困惑の表情を浮かべる職員。
危険を知らせたら突然金貨を渡された。何が何だか分からなくなるのも当然だろう。
ライは窓の淵に立ち、ニッと悪戯っぽい笑みを浮かべながら職員の質問に応えた。
「図書館の利用代金と弁償代金だ」
「……え?」
──刹那、ライは『壁ごと窓を砕いて』加速を付け、一直線にベヒモスへと向かった。
ドゴォンと、遅れて窓枠から音が響く。ライは音速を超越して駆け出したのだ。
窓を開けたは良いが、ライの生み出す衝撃に窓枠は耐えられなかった。ライが金貨を渡した理由は修理用の金銭だろう。
空気を切り裂き、加速していくライ。更に空気を蹴飛ばし、城ほどの巨躯を誇るベヒモスへ向けて直進する。
周りを見れば幹部の部下達数百人が既に戦闘を行っていた。しかしベヒモスは全く動じずに止まっている。
「そこを……どけぇ!」
そして、それに加勢するようベヒモスへ拳を放つライ。
『………………』
刹那、ベヒモスの頭? に命中した拳によって轟音が"タウィーザ・バラド"に響き渡った。
その衝撃によって"タウィーザ・バラド"が大きく振動してクレーターが造り出され、視界が消えるほどの砂煙が舞い上がる。
「……ッ。……流石……固さはお墨付き……って訳か……!」
簡単な建物を粉砕し、クレーターを造り出す程の拳を受けたベヒモスは微動だにせず相変わらずの態度で大きく佇んでいた。
「……! 何だ君は……!? 此処は危険だ! 子供は逃げなさい!」
そして、"タウィーザ・バラド"幹部の部下がベヒモスの頭? に乗っているライに向かって話す。
この街に住む幹部の部下は他人の心配をしてくれるらしい。
いや、足手纏いと思っているだけかもしれない。
何はともあれ、確かに見た事の無い者が横から入ってくれば不安になるものだろう。
「此処は私たちに任せるんだ! コイツはただ者では無い! とてつもない怪物だッ!!」
「ああ! 俺たちは今まで"タウィーザ・バラド"を襲ってきた幻獣・魔物何体かと戦ってきたが、コイツは雰囲気だけでヤバいと分かる!」
ドスの効いた声でライを制する"タウィーザ・バラド"の兵士? 達。その様子を見ると、中々に善き者たちらしい。邪魔になっているかもしれないライが来たとして、邪険に扱うのでは無くライの身を案じてくれているのだから。
「……知っていますよ……」
「「……え?」」
そんな兵士達の声を軽く流したライは、ベヒモスの上で跳躍すした。それによって再び砂煙が舞い上がり、ライが移動する時の衝撃で砂煙が晴れる。
「「……クッ……!」」
兵士達はその衝撃に飲まれないよう腕で顔を覆い、煙が晴れると同時に目を凝らす。
その時には既にライの姿が無く──
「ほら……よっとォ!」
──ベヒモスの背中? 目掛けて拳を放っていた。その拳は命中し、再び爆風が巻き起こる。
別に何もしていないのならベヒモスを倒す必要も無いのでは? と考える者もいるかもしれないが、先程も述べたようにこのベヒモスはまだ本来の大きさではない。
要するに、さっさと倒してしまわなければベヒモスは本来の大きさまで巨大化するのだ。
簡単に説明すると、歩くだけで山一つが消え去る怪物が誕生してしまうという事である。
それを防ぐ為にも、ライは"タウィーザ・バラド"に居る兵士達の意見を無視してベヒモスへ攻撃を仕掛け続けるのだ。
「……頭も駄目、背中も駄目。……デカいだけでそれ程頑丈じゃない……精々鋼鉄程度の固さと思っていたから俺だけの力でも良いと考えていたけど……やっぱ無理だな。仕方無い……使うか……(じゃあ、頼んだ)」
しかし、ライ『だけ』の攻撃はダメージが通らない様子のベヒモス。
なのでライは、魔王(元)を使う事にした。
【ククク……やっとか。……だが、仕方無くじゃなくてだな、結構頻繁に戦いたいものだ……】
刹那、ライを漆黒の渦が包み込む。しかし魔王(元)は少々不満気だった。やはり戦闘好きな魔族だったので戦いを好むのだろう。
(オイオイ……お前を頻繁に使ったら世界が持たねえよ……)
魔王(元)は頻繁に戦いたいようだが、そんなに魔王(元)を使ってしまうと世界が危うい為にライは使えないと言う。
一、二割の力でも一挙一動で山河を砕き、地殻変動に匹敵する力を放つ魔王(元)。確かに使い過ぎては星が持たぬだろう。
【ケッ……まあ、結果的にはお前一人じゃ面倒な相手……それなりの強敵と戦えるから良しとするかァ……!】
そのような事を話しているうちに漆黒の渦はライの両手両足を包み終え、万全の戦闘体勢が出来上がる。
(ハハ、そう言って貰えるならお前を使っている身としてはありがたいな)
【ハッ! お前がその気になりゃ三千世界も破壊してやるよ!】
そして、ライはベヒモスの上で跳躍した。
その衝撃を受けたのがベヒモスじゃなければ砕けていた事だろう。跳躍したライは空中で一瞬だけ停止し、空気を蹴って加速を付ける。
「これで……どうだァ!」
『グルオオォ!?』
そして響いた、まるで岩が砕けたような音。それと同時にベヒモスがダメージによる声を上げる。
流石に魔王(元)レベルの力ならば怯ませる事が可能のようだ。純粋な硬さでは対となるレヴィアタン以下だろう。
「……良し、手応えあったな……!」
それを実感し、ライは再び跳躍してベヒモスの背中? から降りた。
ベヒモスはというと、突然の衝撃に何が起こったのか分からない様子である。殴られた箇所からは鮮血が溢れていた。が、直ぐに収まる。
「……あの怪物が……怯んだ……?」
「まさか……あの子供が……!? いやしかし……」
ベヒモスの全体を見る事が出来ない兵士達は何が起こっているのかを理解できなかった。しかしベヒモスが怯んだのも事実である。それを見て混乱しつつ、兵士達は声を上げた。
「ええい! 考えていても仕方無い! 子供に負ける我々"タウィーザ・バラド"護衛兵じゃない!!」
「そうだァ!!」
「「「「オオオォォォォォッ!!」」」」
二人の兵士の声に反応し、他の兵士達も魔法使いは箒に跨がり、箒を必要とし無い魔術師は炎魔術・水魔術・風魔術で浮き上がる。土魔術師は大地を浮き上がらせ、それに乗ってベヒモスへ向かった。
*****
「……さて、私たちも見ているだけじゃなくそろそろ行くとするか……」
ワーワーと、ライによって活気を取り戻した"タウィーザ・バラド"の兵士達。それを眺めていたエマは自分たちも行こうと提案する。
「そうだな。……まあ、レヴィアタンよりも強さ的な意味では弱いベヒモス……それも復活したばかりで力も半分以下……ライ一人で十分だと思うがな……」
そしてそんなエマの言葉に返すフォンセは、ライだけでも簡単に倒せると言う。
寧ろライがいなくても今のベヒモスならばこの街の幹部でも倒せるだろう。
「確かにそうだが……ここ最近身体を動かしていないのでな……前の戦闘にも参加できなかったし、少し暴れてみたいのだ」
「ふふ……そうか」
フォンセに返すエマは久々に身体を動かしたいと言い、それを聞いたフォンセはフッと笑う。
そのような会話をし、エマとフォンセも図書館の壊れた窓から飛び出した。
「あ、ちょっと……!」
職員はすかさず二人を止めようとするが、エマとフォンセにその声は届いておらずそのまま行ってしまった。
「……えーと……私たちはどうする?」
「うん……どうしようか……」
レイが横目でチラリとリヤンを一瞥して質問し、リヤンはその質問の答えが分からずどうすれば良いか考える。
ライやエマ、フォンセに比べたら度胸も力も無い二人。どちらかと言えばそのまま待機していた方が吉だろう。
「もちろん……!」
「「…………え?」」
そしてガシッと、キュリテが答えを待つレイと答えを考えているリヤンに抱き付き、
「行くに決まっているでしょ♪」
窓から飛び立ち、サイコキネシスで自分の身体とレイとリヤンの身体を持ち上げてベヒモスの元へ向かった。
「「ち、ちょっ……」」
レイとリヤンは堪らず声を上げようとする。が、そんな声は掻き消され……というか無視され、キュリテに攫われた二人はそのまま行ってしまった。
「……えーと……お気を付けて……」
あらゆる事が同時に起こった事へ唖然とする職員。そんな思考回路がショート寸前の職員は何となくそれだけ言い、ポツンと取り残された。
*****
『グルオオオォォォォォッ!!』
ライに攻撃を受けたベヒモスは暴れる。その巨躯で暴れ回れば街など一堪りも無く崩壊するだろう。
事実、ベヒモスがその身体で激突した建物は軽く粉砕されて粉々になった。
「少し落ち着け……!」
『……!?』
そして、そんなベヒモスをライは……『蹴り上げて空中へ浮かせた』。数十トンを遥かに超越する程の巨体、それを浮かせたのだ。
ベヒモスは浮く筈の無い身体が浮き上がり、困惑して空中で手足をバタつかせる。
「降りたいか? ……ほらよ……!」
『ガギャ……!?』
それから大地を砕いて跳躍し、空中に浮いたベヒモスをそのまま叩き落とすライ。
ベヒモスは"タウィーザ・バラド"の大地に叩き付けられ、轟音と共に粉塵を巻き上げて動きが停止する。
「……まだか……」
『グルオオオォォォォォッ!!』
そして停止したベヒモスは直ぐ様起き上がり、高々と雄叫びを上げた。
ライも飛べる訳では無いので地面に着地してベヒモスを見上げた。そして気のせいか、一回り大きくなったような気がする。
「いや……気のせいじゃないな……」
そして、ベヒモスは本当に巨大化していると理解するライ。
生き物は風船のように空気などを入れたとしても急成長する事は無いのだが、ベヒモスは巨大化しているのだ。
どういう原理でそうなるのかは分からないが取り敢えずライは──
「まあ良いか」
──大地を踏み砕いて加速し、正面にいるベヒモス目掛けて突き進んだ。
「取り敢えず、迷惑にならない場所へ……なァッ!」
『……!!』
そしてそのまま回し蹴りを放ち、ベヒモスの巨躯な肉体を少し浮かせる。
「空中なら身動きは取れない筈だろ? ……いや、俺には関係無かったかな……」
次の瞬間に跳躍してベヒモスへ拳を突き刺し、そのまま数百メートル吹き飛ばした。
ベヒモスの巨躯は建物を貫通しながら吹き飛び、それによって生じた砂埃でその姿が見えなくなる。
「まだまだァ!」
ライは更に加速し、吹き飛んだベヒモスとの距離を詰める。
数百メートルの距離など音速を超越しているライにとってはあって無いようなものだろう。
「……何なんだ……あの子供……」
「……さあ……? 支配者の子供とか?」
「いやいねェだろ……」
そして、活気を取り戻した"タウィーザ・バラド"の兵士達が出る幕も無く、一人で暴れるライに唖然とする者達。
それもその筈。見た目は普通の子供である魔族の少年が、巨躯の身体を持つ怪物──ベヒモスと互角以上で張り合っているのだから。
「オイオイ……何だよ? この体たらくは……。あんなガキに負けちまっているのかァ? この街の護衛兵はよ……。まあ、うちの幹部を助けたらしいから相応の実力を持っているのかもしれねェが……」
「「「!!」」」
そして、そんな兵士達の背後から声が掛かった。
「……な、ナール様……!」
"タウィーザ・バラド"幹部、アスワドの側近四人衆の一人……ナールだ。振り向きながらナールを見やる兵士達に向け、ナールは言葉を続ける。
「だが、あのガキが幾ら強くてもよ……この街の住人じゃねェ奴に『手柄』を横取りされるのは癪だろ? だから……さっさとお前たちも向かえッ! 俺も直ぐに行く!」
ナールは怪物の正体がベヒモスという事は理解していないが、怪物の驚異はある程度理解していた。それを踏まえ、敢えて"手柄"という言い方をしたのだ。
「そ、そうだ……! 此処は俺たちの街なんだ!」
「ああ、そうともよ! だから、街の住人じゃない部外者に手柄を横取りされたくない!」
「そうだ! 街の住人が戦わないで、外から来た奴にだけ頼っていちゃイケねェ!!」
「俺たちの街は俺たちで……!! い、行くぞォォォ!!」
「「「オオオォォォォッッッ!!!」」」
ナールの言葉を聞いた一人を筆頭に他の兵士達も動き出す。
ベヒモスに負けないような雄叫びを上げ、先程よりも加速させた箒や飛行用の魔術で動き出したのだ。
「ああそうだァ!! その心意気を忘れるなァ!! 魔法・魔術がメインと言っても俺たちは戦闘種族の魔族だァ!! ただデカいだけの怪物なんか屁じゃねェ!!」
兵士達の指揮を執りつつ、自らも炎を放出してベヒモスへ向かうナール。
辺りを見れば他の側近も瓦礫をどかしたり住人を避難させている。
「……へえ? ハハ、中々面白い街じゃねえか……。こういう時に怒気を上げる事が出来る者がいるだけで大分変わるものなんだな」
【ハッハッハ! それでこそ俺と同じ種族である魔族だ! 楽しくなってきたァ!!】
その様子を見たライはクッと喉を鳴らして住人達や兵士達へ目をやる。
魔王(元)は戦争という雰囲気が好きなのか、さぞ楽しそうにしている。
何はともあれ、幹部の側近も参戦し、ベヒモスとの戦いはベヒモスが完全になる前に終わらさなければならない。
ライたち&"タウィーザ・バラド"の人々vsベヒモスの戦いは、まだ続く。