八百十一話 操られた二人
「……アフロディーテ様に仇成す逆賊がッ……!」
「……っ。エマ……!」
片手に雷を纏ったエマを前に、フォンセが風魔術と水魔術を掛け合わせて作り出した防壁を用いて牽制する。
雷は受け流せたがエマの腕は受け流せなかったので見切って躱し、そのまま流れるような動きでエマの身体を投げ飛ばした。
フォンセはライ、レイ、エマ、リヤン程ではないが、それでも魔族にして魔王の子孫である。なのである程度の武術は行えるが、エマが相手ではそれもあまり持たないだろう。
「吹き飛べ……!」
「……っ。街はお構い無しか……!」
投げられたエマは倒れると同時に掌へ風を纏い、それを次の瞬間に放出した。
至近距離だが避けられない攻撃ではない。が、これを避ければ"フィーリア・カロス"の街はフォンセの背後から全てが消え去ってしまうだろう。なのでフォンセは風魔術を放ち、エマの風にぶつけて相殺。そのまま影響が少ない天空へと吹き飛ばした。
そして、天空の雲は"フィーリア・カロス"上空から数千キロの範囲に渡って消し飛んだ。
(これ程の騒ぎを起こしても街の者達は反応しない……街の者達にも催眠が掛かっているからか……)
エマの風を受け流したフォンセは街の様子を見て思案する。
既に幾つかの建物は倒壊している。そして先程の風によって空の雲は全て消え去り、余風でまた幾つかの建物が吹き飛んだ。
そんな状況なのに何の騒ぎも起きないのは、やはりアフロディーテの催眠作用が街全体に広がっているのだろう。例え世界が消え去り、死してもアフロディーテの事しか考える事が出来なくなっていると見て良さそうだ。
「死んで……」
「リヤンはそんな事言わないよ!」
フォンセとエマの一方で様々な力を生み出し、光の剣を創り出したリヤンがレイに嗾ける。レイはその言動に違和感を覚えつつ、鞘に納まった状態の勇者の剣で受け止めた。
それによって小さな砂塵が舞い上がり、次の刹那にリヤンの動きで砂塵が揺らぐ。それと同時に攻撃へ移行し、光の剣がレイの首元を掠めた。
「……っ。やっぱり動きはリヤンの……普段よりは少し遅いけど、隙が無い……!」
「"破壊"……!」
リヤンの動きからある程度を予測するが、その刹那にレイの周りにある空間が砕け散る。
それによって生じた空間の亀裂から大きな風が放出され、レイの動きが鈍る。その隙を突いたリヤンが幻獣の力で攻め立てた。
「えい……!」
「……っ」
光の剣に合わせた疾風のようなエルフの速度。上段下段、左右と巧みに仕掛けてくる剣術は何とか受け流せているが、空間の亀裂に生じた暴風で上手く動く事が出来ないのは中々にやり辛い環境が形成されていた。
おそらくリヤンはその風の流れを読んでいるのだろう。全く足を取られていない様子だ。
「"衝撃"……!」
「……ッ。しまっ……!」
光の剣と空間の隙間からなる風。それに気を取られていたレイの腹部に衝撃波が放たれる。
それを受けたレイは吹き飛ぶが何とか剣を突き立てて停止した。
「はぁ……はぁ……」
「苦戦しているみたいだな……レイ……」
「フォンセ……そう言うフォンセも苦労しているみたい……」
「まあ、相手が相手だからな……今までで一番やり難い相手かもしれないな……!」
停止した先でのレイの背後にはフォンセがおり、レイと同じくダメージを負った様子で立ち竦んでいた。
二人は自然と背中合わせの形になって迫るエマとリヤンを見やり、軽く交わした後で互いに位置を変えて迎え撃つべく駆け出した。
「天候の力と物理的な攻撃が主体なエマは私が相手にするよ……!」
「ああ。様々な力を使うリヤンは私が相手をする!」
今までの相手はレイとフォンセにとって分が悪かった。なので二人は互いに相手を変えて嗾けたのだ。
レイは鞘に納まったままの勇者の剣を腰に携えて天叢雲剣を抜き取り、それを用いて斬り込む。フォンセは魔力を込め、迫るリヤンに片手を翳した。
「やあ!」
「……」
「"風"!」
「"風"……!」
次の瞬間、天叢雲剣がエマの身体を切り裂き、フォンセとリヤンの魔術が衝突して暴風が吹き荒れた。
レイが天叢雲剣を使った理由。それはエマの身体を斬り付けても再生するからである。勇者の剣では不死身という性質を無効化してエマを殺してしまう可能性もある。しかしエマの実力から、鞘に納めたままでは絶対に勝つ事。もしくは止める事が出来ない。なので対等に渡り合う為にも天叢雲剣を使っているという事である。
「効かぬ……!」
「……っ。知ってるよ!」
斬り付けられたエマはそのまま片手を翳し、レイの眼前に霆を放つ。レイはそれを仰け反るように避け、そのまま天叢雲剣を切り上げ、その身体を下から上へと両断した。
断面からは鮮血が噴き出し、肉は勿論の事、臓物や骨などが覗き見る。しかしその状態から即座に再生し、レイの身体を蹴り飛ばして距離を置く。
「……ッ! ゴホッ……!」
「……」
ただの蹴りではあるが、ヴァンパイアの怪力からなる重い蹴り。勇者の剣を使っていないので肉体は強化されておらず、手痛いダメージを負ってしまった。
しかし腰に携えているだけでも効果はある。本来なら意識を失っていたかもしれないが、フラ付きながらも何とか堪えた。
「……っ。まだまだだなぁ……。私の身体……ご先祖様なら宇宙が消えちゃう攻撃も丸腰で耐えられると思うし……」
蹴りを受け、まだまだ自分は神話の領域に到達していないと悟るレイ。確かにかつての勇者なら剣を使わずとも素の状態で魔王や神並みの実力はある事だろう。
そんな先祖の血を引いているからこそ、実力不足がはっきりと理解出来ていた。
「失せろ……!」
「けどそれなら……まだまだ成長出来るって事だよね……!」
だが、実力不足は以前から感じていた事であり、長く続くレイの課題でもある。だからこそレイは実力不足を割り切り、自身を更なる高みへ引き上げると決めた。
勇者の剣があればかなりの力は出せるが、勇者の剣を使わずともやれる事を証明する為にも操られているエマに負ける訳にはいかなかった。
「やあ!」
「……!」
痛みを気にせずに踏み込み、天叢雲剣を洗練された動作で振り抜く。それによってエマの片腕が吹き飛び、切り口から鮮血が噴き出した。
だが当然のようにその腕は即座に再生し、既に新たな天候を纏っていた。
「暴風雨の塊……!」
「食らうがいい……!」
それは風、雨、雷の集合体。即ち暴風雨。大嵐である。
街一つを吹き飛ばす爆弾があればその数百倍のエネルギーを誇る嵐。それが何億分の一にまで圧縮されたエネルギーの塊となると触れたら神クラスの者ですらそれなりのダメージを負うもの。直撃はマズイだろう。
「……っ」
「避けたか」
無理矢理態勢を変え、身体を捻るように躱す。女性というものは男性よりも身体が柔軟である。なので無理矢理の方向転換も負担が少なく行える。次の瞬間にエマから前方の街が消し飛んだ。
それと同時に片手を弾いて立ち上がり、息を吐かす間も無く一気に攻め入った。
「何とか意識だけ奪えないかな……」
「……」
まだ良い策は見つけていない。しかし何とかしなくてはならないのも事実。なのでその策を見つける為にも隙を与えず自身が思考する時間を確保しているのだ。
操られている状態のエマには、普段の鋭さが少ない筈。なので考えながら相手をする事も出来ていた。
「"光の球"……!」
「……っ。"土の壁"!」
一方のフォンセとリヤンは、リヤンが光の剣を消し去り光魔術からなる光球を用いて嗾けていた。
それに対してフォンセは壁を造り出して防ぎ、光の爆発が"フィーリア・カロス"の街を包んで揺らす。大きな砂塵が舞い上がり、視界の死角からリヤンが迫っていた。
「"破壊"……!」
「"風の加速"!」
死角からの破壊魔術に対し、フォンセは風魔術を用いて加速し、ギリギリの所で避ける。誰も居なくなった場所では空間のみが砕けてヒビが入り、次の刹那には完全崩壊する。
加速したフォンセはリヤンの頭上へと移動しており、その上から掌を翳していた。
「すまない、リヤン。"衝撃"!」
「"衝撃"……!」
「謝る必要も無かったか……!」
頭上から隙を突いた衝撃波の一撃。リヤンは即座に対応して同じように衝撃波を放ち、フォンセの衝撃波を相殺してその姿を視界に捉えた。
空間の消滅と衝撃波のぶつかり合いによる暴風が吹き荒れ、街全体が大きく揺れる。刹那にリヤンは力を込め、ヴァンパイアの持つ蝙蝠のような翼で飛行した。
「消えて……」
「……ッ!」
それと同時に空気を蹴り、フォンセの頭上へ急加速。次の瞬間には魔族の国幹部のダークと幹部の側近であるジャバルの脚力を合わせたかのような重い蹴りを頭から打ち付け、フォンセの身体を勢いよく大地に叩き付けた。
「……ッガハッ……!」
叩き付けられたフォンセは吐血して沈み、大地が大きく陥没して半径数百メートル程のクレーターが形成される。
そこから遅れて街全体に衝撃波が伝わり、岩盤を浮き上がらせて白亜の街が──ひっくり返った。
比喩では無い。文字通り岩盤が浮き上がって街が逆さまになったのだ。この被害はとてつもなく、街の住人達が無事なのか気掛かりである。
「まさかリヤンが此処まで容赦しないとはな……街の事を考えていない……リヤンは操られているから仕方無いが……操っているアフロディーテ本人はそれで良いのか……?」
クレーターの中心にて、リヤンの事を考えるフォンセ。操られているリヤンが街の事を考えないのは仕方無いとして、アフロディーテの思考が気になっていた。
幹部という立場上、拠点となる街が崩壊するのはあまり好ましくない筈。にも拘わらずお構い無しで戦闘を続行させる精神が疑問なのだ。
先程までなら気付かないという可能性もあったが、流石に街が反転してしまう程の鬩ぎ合いには気付く筈。まだ街が反転して数秒だが、音沙汰は無かった。最も、ライが相手をしているのでそれどころではない可能性もあるが。
「まだ生きてる……」
「……まあ、それこそ考えていても仕方無い事か。リヤンを正気に戻すのが私の役目……さて、その様な魔術はあるのか……」
クレーターの上から見下ろすリヤンに対し、ゆっくりと立ち上がって視線を向けるフォンセ。催眠状態を解く魔術の有無は分からないが、何とかしなくてはならない事に変わりは無かった。
「フォンセ!」
「……! レイか!」
そんなフォンセの元に、クレーターを滑り降りてレイが姿を現した。街が反転したので此方の様子が気になってやって来たのだろう。
「大丈夫?」
「ああ。身体は丈夫だからな。エマは?」
「……まだ駄目みたい……」
「そうか……」
レイはフォンセの事を気に掛けており、フォンセはそんなレイが戦っていたエマを気に掛ける。
どうやらまだエマも正気には戻っていないらしく、傘を差しながら蝙蝠のような翼で空を旋回していた。となるとエマは街がひっくり返った瞬間に飛び立ったらしく、レイは対象が居なくなったので心配なフォンセの元に駆け付けたという事だろう。だが、状況は何も変わっていない。レイとフォンセは二人でエマとリヤンに向き直った。
「なら、まだ続けなくてはならないな。催眠を解くにしても、どの様な催眠かを更に理解する必要がある。大凡は分かってきたが、まだまだ情報を集めなくてはならないからな……!」
「うん……!」
ライ、レイ、エマ、フォンセ、リヤンの五人が"フィーリア・カロス"に来てから数十分。その短時間で街が反転し、数百メートル程のクレーターが形成されている。幹部であるアフロディーテ本人は気にしていないのだろうが、傍から見ればかなりの大惨事だろう。
ライとアフロディーテが戦闘を続ける中、レイとフォンセは仲間二人を正気に戻す為に奮闘していた。