八百七話 勇者と神
「さあ、来てやったぞ。神! 姿を現せ!」
一つの声と共に、銀色の剣尖が輝く。それは、勇者ノヴァ・ミールが聖域にて神の居場所に到達した事を示す事柄だった。
ああ、これはつまり、また夢を見ているな。勇者が聖域に乗り込んだ後の続きか。
ご先祖様の姿は分かるけど、相変わらず顔は見えない。そしてご先祖の存在以外、聖域の様子も分からない。
これは夢だからか……? 夢では周りの景色が曖昧な事も多い。しかし明晰夢に近いこれはもう少しはっきり見えても良さそうだが……。
分からない事が多いけど……。既に過去に終わっている出来事……。そんな中でも構わず勇者と先祖の会話が続いていた……。
「まあ、姿を見せないならそれでも良い。少し気が引けるが、周りを少し破壊する!」
神を脅すように話す勇者。確かに全盛期の勇者なら剣を一振りするだけで聖域の全てを破壊出来そうだな。正義の味方を自称していたから、本当にいざという時以外はそんな事しなさそうだけどな。
けど今。今から見れば過去だけど、過去から見た今はそんな事を言っていられない様子。今がいざという時なのかも。
その証拠に勇者は自身の剣を握り締め、何時でも振り抜ける態勢になっていた。何千何万と繰り返された事によって身に付いたであろう一切の無駄がない洗練された動き。ただの一動でこれ程までとはな。銀色の剣尖に光が反射して線でも引いているかのような軌跡が見えたぞ。
何で先祖は勇者を呼んだのに出てこないんだろう……。敢えて焦らしているのかな……。
「……! そこか!」
次の瞬間、勇者は剣を振るった……みたいだ。振るう瞬間が俺にも見えなかった。
その斬撃はご先祖様の背後に向かって進み、何もない空間を切断した。それだけなら私にも出来るけど……その範囲は此処からじゃ見えない程だ……。ご先祖様にとっての軽い牽制は私にとっての八割くらいかな……。ううん。聖域の広さを考えるとこの範囲……もしかしたら全力と同等かも……。
辺りは白くて勇者の剣がギリギリ分かるくらい。だが、その破壊力は凄まじかった。聖域が接する事によって生じている災害の範囲は星一つ分くらいだが、この聖域自体の広さはほぼ無限と思われる。周りの強度も宇宙一硬い物質があるならその数万倍は下らない筈……。その領域をこんなに大きく抉るとはな……。勇者の軽い牽制で宇宙に亀裂を作れるくらいの破壊力だぞ……。
凄い力……。だけど……一部の領域は無傷……。それなら……彼処に私の先祖が居るのかな……?
「よくぞ気付いたな。褒めて遣わす」
「ハッ、そんなバレバレな位置に居て気付かない訳が無いだろ! 退屈凌ぎの為だけに人々や動物を傷付け、世界を滅ぼす悪の権化……此処で終わらせる!」
「良かろう。ならば来るが良い。そして見せてみよ、人間の底力をな!」
勇者が自分の剣を握り締め、光を超越して姿を現した神──ソール・ゴッドに向けて斬り掛かる。そしてそれは神が光の剣を創り出して正面から防いだ。
その衝撃は凄まじく、聖域の世界が見る見るうちに崩壊していく……。これが神話の戦い……。
これなら私たちも行っているようなものだが、まだ二人共全力には程遠い力しか使っていない事だろう。小手調べの範囲で私たちにとっての七~八割。ハデスなどの特例を除いて今現在戦っている神々の本気クラスはある。ふふ……思わず乾いた笑いが溢れそうだな……。
勇者と先祖は目にも止まらない速度で鬩ぎ合いを繰り返して……一挙一動で太陽系の範囲から銀河系の範囲を消滅させているみたい……。これって……本人達からしたらちょっと走ったり飛んだりするみたいな軽く動いている感じだよね……。
「フッ、これが勇者の力か。まだまだ本気では無いのだろう。魔族最強の魔王、ヴェリテ・エラトマを討ち取った力。全知全能たる我に見せてみよ!」
「望むところだァ!」
踏み込み、聖域の世界が揺れて攻防を繰り返す勇者と神──そして、俺たちの視界が急激に遠退いた。……ああ、もう終わりか。今回は短かった……いや、人間の国に来る前の夢と同じくらいの長さかもな……。
まだ見ていたい。顔は見えず、体格がほんのりと分かるくらいだけど……ご先祖様達の動きは参考になるから……。私も、もっと強くなりたい……。
勇者と神の威圧はこの時代に存在していない筈の私にまで届く。何とも恐ろしい力だ。聖域でなければ何度世界が崩壊していた事か……。
先祖……嬉しそう……。退屈ってそんなに辛いのかな……。永遠の退屈は全世界を滅ぼしたくなる程なのかな……。それとも……誰も居ない場所での一人が一番辛いのかな……。
俺たちの思考を余所に、遠退く世界は変わらない。……ああ、そろそろ勇者の旅も終わるみたいだ。この後勇者は神を倒して、永遠に聖域に閉じ込められる……それが現代に伝わる勇者の伝説。それまでの過程がどうなのか。かなり気になる。
あっという間にご先祖様達は遥か彼方に移動しちゃった……。ううん……違う。私たちが移動しているんだ。この時代には存在していないから……私たちの遺伝子に刻まれた神話の記憶を夢として映しているだけだから……。
神と勇者。文字通り神々の戯れ。本人達からすれば真剣なのかもしれないが、こうして見届ける分には悪くないな。だが、この夢が何時まで見れるのか、それが気になる。もう既に終わっている事柄。だけど聖域でのやり取りは伝承として伝わっていない。唯一聖域に到達したのが勇者だけだからだ。……そう考えると、名残惜しい。
この時点で既に……私のお母さんには私が宿っているのかな……。だって先祖はこの戦いで消えちゃう筈だから……。けどこれは数千年前の出来事……お母さんの……レーヴ・フロマの存在は影も形も無い筈……。
──夢が遠退き、俺たちの距離がぐっと縮まる。それと同時に聖域よりも眩しい光が瞼の裏か目の前か。何処からともなく射し込んだ。
気になり、遠退き、名残惜しく、疑問が残る夢。そんな不可思議な夢の微睡みから、私たちは目覚めた。
*****
ハデスとペルセポネの居た墓地と冥界の街、"ビオス・サナトス"を発ってから一週間と四日が過ぎたある日。
ライ、レイ、フォンセ、リヤンの四人はテントの中で微睡みから目覚めた。
外からは風の音と木々の葉が擦れる微かな音が聞こえており、夏特有の蒸し暑さはあれど今日も穏やかな気候のようだ。
「おはよう。レイ、フォンセ、リヤン」
「おはよー。ライ、フォンセ、リヤン」
「挨拶ご苦労。ライ、レイ、リヤン」
「……おはよう……ライ……レイ……フォンセ……」
今日の目覚めは良好。眠たげな様子も無く、ライたち四人は簡単な準備を終えてテントの外に出た。
外には何時ものように日を通さぬ葉が生い茂った木の上へエマがおり、ライたちの姿を確認すると同時に挨拶を告げる。
「おはよう。ライ、レイ、フォンセ、リヤン。よく眠れたようだな」
「ああ、おはよう。エマ」
「おはよー。エマ」
「ふっ、挨拶ご苦労。エマ」
「……おはよう……エマ……」
普段通りの変わらぬ挨拶を交わし終え、早速ライたちは朝食の準備を始めた。
慣れた手付きで食材を並べ、刻んで炒めて焼いて形を作る。元々はヴァイス達に見付からぬよう魔力などを使わない為に始めた料理だが、この様に手間隙掛けて作るという行為も仲間たちと行うのは楽しいものである。
それから数十分程掛けて作り終えた料理を並べ、ライたちは手頃な切り株や石に腰掛ける。少量の魔力ならこの国に居るであろう旅人や他の住人に紛れられるのでテーブルは魔力から作り出し、椅子代わりの切り株や石も清潔にしている。料理も出来ない程に少量の魔力しか使えないが、それでも十分だろう。
最も、このテーブルは直ぐに消えてしまうが。まあ食事を終えるまでの時間は残り続けるものだ。
「ほう。今日も夢を見たのか。ふむ、やはり一、二週間の頻度で夢を見ているようだな。その夢も終盤に差し掛かっている……まるで私たちの進行に夢の方が合わせているような感覚だ」
「ああ。薄々思っていたんだけど、もしかしたら本当にそうなのかもしれない。伝承でだけ伝わっていた聖域が本当にあるなら、そこに勇者が居る筈。それで、俺たちの先祖は勇者や魔王、神に何らかの関わりがある。エマに至っては勇者に会った事がある。そして此処はその勇者が居た人間の国。もしも勇者がまだ聖域に居るなら、関わりが深い俺たちに……レイ、フォンセ、リヤンに導きみたいなものがあってもおかしくはない」
この国に来てから見始めた夢。それが聖域に居るかもしれない勇者の存在と何の関連性も無いとは思えない。
もしかしたら夢が終わった時、聖域への道が開かれる可能性もある。ライたちはそう考えていた。
ともあれ、まだ推測の範囲でしかないそれは考えるだけ無駄だろう。なのでライたちはその話を捨て置き、軽く談笑しながら朝食を終えた。
「さて、"ビオス・サナトス"を発ってから一週間と少し。そろそろ次の幹部が居そうな街に着いても良さそうだけどな。まあ、基本的に当て無しで進んでいるけど」
「アハハ……。そうだね。まあ、目的はあるから良いんじゃないかな?」
「そうだな。それに、今残っている幹部の数もおそらく半分以下の筈。次の街への道のりが長くなるのも仕方ないさ」
「ああ。幹部を倒して行く事で必然的に幹部の居る街の数も減っていく。あくまで私たちの目的とする街だから幹部の数自体は変わらないがな。あと数人だとしたらその数人分の幹部の街しか残っていないという事だ」
「うん……。人間の国の旅ももうすぐ終わると思う……」
十数人居た幹部達も、既に残るは数人だけに成り果てている。無論生きているので、ライたちが倒すべき幹部が数人という事だ。
それもあるので朝食の後片付けを済ませたライたちは身嗜みを整えて早速次の街へ向かう事にした。
「よし。じゃあ、早いところこの国を終わらせて、勇者の聖域とかについても色々と調べてみるとするか」
「うん!」
「「ああ」」
「うん……」
ライの言葉にレイ、エマ、フォンセ、リヤンが返し、荷物を持って先を行く。
目的は最優先。そう考えたライたちは人間の国、次の幹部が居る街を探して進むのだった。
*****
「──って事で……お? あれは街っぽいな。それに栄えている。幹部の街か?」
「──へえ。……うん? あ、本当だ。街みたいだね。遠目からだからよく分からないけど……確かに発展しているかも」
「それなら幹部が居るかもしれないな。国境の街とかのような雰囲気でもないし、それで発展しているのは高確率で幹部の街だ」
「ああ。時代が時代。幹部のような絶対的な存在が居なくては発展するよりも前に崩壊するからな。可能性は高い」
「うん……」
キャンプ地を発ってから数時間後、談笑しながら進んでいたライたち五人は街と思しき場所の前に来ていた。
その街は遠目からでも分かるように発展しており、全体的に煌びやか。それ程までに目立つ街で発展しているという事は、幹部の街という可能性が高かった。
「賑わってはいるみたいだし、廃墟って線は無さそうだな。……よし、行ってみるか」
「そうだね。一、二週間毎くらいで幹部の街は位置しているし、そろそろ着くかも」
「うむ。どちらにしても行ってみなくては始まらないからな」
「ああ、そうだな。早いところ済ませたいものだ」
「うん……」
見た通り明るそうな街を前に、ライ、レイ、エマ、フォンセ、リヤンの五人は向かう。
人間の国にて"ビオス・サナトス"から一週間と四日後、ライたちは新たな街に到着するのだった。