七百六十三話 人間の国・七人目の幹部
──"フォーノス・クラシー・ブドウ畑"。
ライたちがヘスティアと出会っていた頃、エマとフォンセは街の外側付近に生い茂るブドウ畑に囲まれた道を歩いていた。
ザッザッと大地をゆっくり踏み締める音が周囲に響き、風の流れによって木々は揺れ、ブドウの芳醇な香りが鼻腔を刺激する。中々に心地の好いものである。
日差しは射し込むのでエマは傘を差しているが、ブドウ畑に佇む傘を差した少女(見た目だけ)は絵になる。深緑の木々と青紫のブドウが織り成すコントラストも相まり、美しい景観が醸し出されていた。
「賑わいがあった街中とは対照的だな。それなりに人間の数は居るが、少しばかり静かに思える」
「ああ。しかしこの静寂もあって落ち着ける雰囲気だ。見学は自由みたいだしな。そう言えばエマ。此処は日差しが射し込んでいるようだが平気なのか?」
「問題無い。ブドウの木々があるから射し込む光は僅かなもの。この傘だけで十分抑え切れる光量だ。まあ、厳密に言えばただの光ではなく"太陽"の光に作用があるのだが……似たようなものだろう」
「ああ、確か太陽の力が問題だったか。確かにヴァンパイアは聖なる力の込められた十字架や自然のエネルギーがふんだんに込められた流水が苦手……その最大級の存在だから太陽に弱いんだったな」
「そう言う事だ。まあ、木々も自然の一つだが……どの様なモノが苦手でどの様なモノが平気なのか、数千年生きた私にも分からない」
此処のブドウ畑にも人々は居るが、比較的静かである。
そんな中、ブドウの樹が影になって居心地が好さそうなエマを気に掛けるフォンセだが、自然の神聖なエネルギーが入り込まなければ問題無いので平気そうだった。
「だが、此処に幹部のような存在は居なさそうだな。長閑で落ち着いた雰囲気ではあるが……。いや、この街の幹部がどの様な性格かにも寄りそうだ。そう言った意味なら居てもおかしくないが」
「ああ。このブドウ畑然り、先程の街中然り、何処に居てもおかしくはないからな。ライが居ればその特性から偶然のような必然で出会う事が出来そうだが……」
「一応私にもその能力? 特性? があっても良さそうなんだけどな。直属の子孫という意味なら私の方がそう言った面での力も強そうだ」
「ふふ、フォンセにはそいつのような理不尽さが足りないのかもしれないな。奴が奴だからこそ宿った力……ライやフォンセ関係無く、その者だからこその力なのかもしれない」
魔王の名は伏せつつ、何故フォンセには魔王のような力が無いのかなどの理由を考えながら話す二人。その結果、至った結論は魔王が唯一無二の魔王であるからこそ宿った力なのだろうというものだった。
誰にも説明出来ぬような理不尽な力。生まれついてのそれは特有のものであり、血縁なども関係無いものなのかもしれない。
「さて、取り敢えず街中の方はライたちが探している。幹部の居る可能性が少なくとも、外側のブドウ畑を一通り見て回るとするか」
「ああ。そうしよう。本人に直接会えずとも、何かしらの情報は得られるかもしれない」
居る可能性は薄いが、此処が幹部の街である以上何かしらの情報は得られそうである。なのでエマとフォンセはまだ暫くこのブドウ畑を探してみる事にした。大地を踏み締め、長閑な景観のブドウ畑を進む。
辺りを見渡し、風と共に甘いな香りが吹き抜ける場所でその風を受けて黒髪と金髪を揺らす二人。それから数十分後、エマとフォンセは何の手懸かりも見つけられなかった。
「やはり歩き回っているだけではそれっぽい者は見つからないな。直接話さずとも姿を見ればある程度は分かりそうだが……」
「ああ。いや、もしかしたら自然に力を消しているのかもしれない。気配や実力、簡単に消せるだろうからな」
「その線もあったか。なら、やはり迷惑になるかもしれないがその辺に居る者に話を聞いてみるか?」
手懸かりは無し。と言うのも、ブドウ畑は見学自由みたいだが作業をしている者が多い。なので二人は気を使って話し掛けなかったのだ。
しかしそれでは埒が明かない。先に進む為にも、迷惑を承知の上で話し掛けてみる事にした。
「君達、さっきから何かを探しているようだが……何を探しているんだ?」
「「……!」」
そして行動に移ろうとした時、誰かが話し掛けてきた。二人はピクリと反応を示してそちらを窺い、その容姿を確認する。
その者は半分程実を食べたブドウを片手に立っており、その見た目は男性とも女性とも取れる風貌をしていた。
髪の色は紫色。両性的な整った顔立ちでエマとフォンセに真っ直ぐ視線を向けている。だが、話し掛けてきたのなら好都合。二人は改めて向き直り、その者へ話し掛ける。
「いや、この街には幹部が居ると聞いてな。折角だからその幹部について色々と知りたいと思った次第だ。まあ、まだ名前も顔も性別も知らない存在。あわよくば有名人に一目会ってみたいと考えたが、検討も付かず今の状態という事さ」
目的は話さず、有名人である幹部に会いたいと話すエマ。本当の事を教えれば情報を教えてくれる訳が無いのだから当然だ。
そんなエマの言葉を聞いた者はブドウを一口。軽く笑って言葉を続けた。
「へえ? 有名人か。それは嬉しいな。……あー、そうそう。名乗り遅れた。俺がその幹部の一人、"ディオニュソス"さ。以後お見知り置きを」
「「……!」」
──"ディオニュソス"とは、オリュンポス十二神の一角に数えられる事もある豊穣とブドウ酒の神である。
ヘスティアのように数えられる事もあるという意味は、二人の関係にある。
ディオニュソスはヘスティアの甥であり、十二神の一角に入れないディオニュソスを哀れんだヘスティアが譲ったという伝承から来ているのだ。
元々は半神半人の者であり、功績を積んで神へと昇格した存在である。
神になる為の旅にて様々な経験を積み、ブドウ栽培や魔術に呪術を身に付けたと謂われている。
半神半人にして豊穣とブドウ酒を司る神となった存在。それがディオニュソスだ。
「ディオニュソス……という事は、お前は男なのか。そのなりで」
「ハハ……よく勘違いされるのは確かだな。まあ、その様子だと先代ディオニューソスの伝承も知っているみたいだ。力を受け継ぐ為に似たような俺が選ばれたのかもしれないな」
ディオニュソスではなく、先代ディオニューソスの伝承に、本人は男性なのだが娘として育てられたと記されている。このディオニュソスはそれ故の中性的な顔立ちなのだろう。
性格や見た目が伝承の存在に近いのがこの国の幹部になる為の在り方。偶然似たのではなく幹部という立場に選ばれた時、必然的に近しい者が選ばれたのだろう。
「ああ、成る程。それで見事なブドウ畑が展開されているのか。しかし、これくらいなら人の手で作らずとも簡単に作れるのだろう? 何故態々管理が必要になるような作り方にしたんだ?」
ディオニュソスの伝承にはブドウの木々を生やせるというものがある。それの蔦を使って敵を拘束した事も屡々。なので何故手間の掛かるやり方にしているのか気になったのだろう。
ディオニュソスは笑って返す。
「ハハ、確かにその方が楽だな。けど、神という存在は人々に幸福を与えると同時に試練も与える。試練次第じゃ死ぬ可能性のあるものもあるけど、クリアした時の恩恵はそれを凌駕するモノになる。俺の場合は危険性は少なくてそれなりの恩恵だけど、物を育てる事の大切さを教えたいって訳さ」
「ふむ、ブドウを育てる事で得られる恩恵か。確かにこの木々のお陰で外から来た者に襲われる危険性も少なくなっている。そして交易などに使える品を自分で作る事でより思い入れがある……不便ではあるが、達成感を得られる為にこうしているのか。お前自身も手伝っているのを見ると、親交を深めるという意味もありそうだな」
「まあね。先代ディオニューソスは自ら旅をして信仰の方を深めたけど、その力を受け継いだ俺は親交の方を深めて楽しく過ごしたいって考えたんだ」
ディオニュソスが作らない理由はそれがディオニュソスの試練だからとの事。試練と言っても目の前に居るディオニュソス自身がブドウの栽培を手伝ったりと、本人の言うように親交を深めるのがこの試練の目的なのだろう。
それだけ言い、ディオニュソスは更に言葉を続ける。
「まあ取り敢えず、幹部として口上を述べなくちゃならないな。ようこそブドウと炉の街"フォーノス・クラシー"へ。ゆっくりしていって下さいな」
「ああ、じゃあお言葉に甘えさせて貰うか」
「そうだな。此処は良い雰囲気の街だ」
ニコやかに笑い掛け、エマとフォンセにそれだけ告げた。エマとフォンセの返事を聞くと同時にディオニュソスは作業に戻る。
それからもう少しだけブドウ畑を見て回った二人はブドウ畑を後にし、街の方に戻ってライたちと合流するのだった。
*****
「ディオニュソスと……」
「ヘスティアか……」
──それから数十分後。ライ、レイ、リヤンとエマ、フォンセの五人は合流して自分たちが得た情報を交換していた。
五人が得た情報の目玉は幹部の存在について。偶然か否か、互いにこの街の幹部と出会ったライたち。その名を聞いたエマは言葉を続ける。
「となると、此処はアポロンとアルテミスが居た"ミナス・イリオス"以来の幹部が二人居る街か。まあ、デメテルの居た"エザフォス・アグロス"やアレスの居た"ポレモス・フレニティダ"にも伝達係を兼任したヘルメスが居たが……一つの街に留まっているという意味では二回目だな」
人間の国には幹部が二人居る街がある。この街も一つだが、ライたちは既にアポロンにアルテミスが居た太陽と月の街"ミナス・イリオス"という街に寄っているのだ。
だから驚き自体は少ないが、幹部が二人居る街は征服するにあたってかなり苦労するもの。エマの言葉にライは頷いて返す。
「ああ。まあ確かにヘスティアとディオニュソスの関係からしても別におかしな事じゃないけど……これは少し大変だな。仕掛けられれば応戦するんだろうけど、特別好戦的な存在でもない。どうやって仕掛けるか」
「悩みどころだな。こういう時に口実が出来るから、街に及ぼす被害を除けば舞台装置としてヴァイス達は役に立っていたが……今回はこの街でその様な事件も起きていない」
「アハハ……まるでヴァイス達を物みたいに考えているね……けど、攻め方を考えるのは確かに大変」
「この街は平和だ。だけど、おそらくだがヘルメスから侵略者の情報は伝えられている筈……他の幹部の街よりは"ポレモス・フレニティダ"の近くにあるからそれなりに警戒をしていても良いのだが……それが無いな」
「うん……ブドウ畑が姿を隠すのに役立っているから警戒が緩いのかも……」
"ポレモス・フレニティダ"ではヘルメスから情報がいっていなかった。その現場を見た訳ではないが、その街に居た者達の反応からそうだろうと考えたのだ。
特に、その街でチームの頭をしていたノティアに出会っている。そのノティアが侵略者について話さなかった時点でほぼ確定だろう。
しかし仮に、その理由が治安にあるのなら此処"フォーノス・クラシー"は平和な街だからこそ侵略者の情報は入っている筈。それらを話したところで、ライには一つの疑惑が思い浮かんだ。
「もしかして幹部達が俺たちに話し掛けてきたのは……魔王の力や偶然じゃなくて──侵略者の情報と俺たちの特徴が一致していたからその確認の為に接触したのか?」
「「……!」」
「「……!」」
──そう、ヘスティアとディオニュソスが外から来たライたちに接触した理由。それがこの事にあるのかもしれないと考えたのだ。
純粋に街を楽しんで欲しいと考えたのかもしれないが、僅かな懸念を確かめる為の接触ならば唐突に話し掛けてきて数言話しただけで去った理由にも合点がいく。
ライ、レイ、エマ、フォンセ、リヤンの五人はゴクリと生唾を飲み込み、何となく周りを見渡した。
「……まあ当然、それが考え過ぎという線もある。あくまで可能性だな。最近が最近だから、俺自身が少し警戒し過ぎているかもしれない」
「だが、その様な可能性を考えるのは悪い事じゃない。変に警戒するのも問題だが、特徴が知れ渡っているんだ。考慮はしていた方が良いだろう」
警戒のし過ぎも問題だが、殆どが敵地である人間の国。警戒もしなくてはならないだろう。その可能性を頭の隅に収めつつ、ライは立ち上がりレイ、エマ、フォンセ、リヤンの四人も立ち上がる。
「取り敢えず、宿くらいは探しておくか。此処が敵地だとしても、多少の休養が取れる場所は必要だ」
「うん。警戒はしても、それが原因で休めなかったら本末転倒だもんね。情報だけでその特徴の人を出入り禁止とかにはしなさそうだもんね」
警戒と休む場所を見つける事は別。特徴が幹部に知られていたとしてもまだ特定はされていないだろう。なのでライたちはこの街の拠点になりうる場所を探し始めた。
人間の国"フォーノス・クラシー"にて幹部を見つけたライたち五人は、宿を探す為の行動に移るのだった。