七百十六話 人間の国・四人目の幹部
──"ミナス・イリオス・寒色側の城付近"。
街の方から移動したライたちは、巨大な城の近くに来ていた。
この位置からは街全体を見渡す事が出来、近く、と言っても少しは距離があるが隣の場所にはアポロンの城が見えている。街を見渡せるこの位置から街を護るように造られているのだろう。
現在位置は城から数百メートル離れた、城の大きさがよく分かる草原のような場所。近くに手頃な岩がある以外は基本的に開けた場所だが、夜という事もあってライたちの姿は隠れているだろう。
「彼処がもう一人居る幹部の城か……寒色側の城に来たけど、アポロンじゃない方の幹部だよな? 多分」
「……さあ。だが、何らかの情報は得られると信じよう」
闇夜に姿が隠れているとは言え、一応体勢などは低くして目立たぬように構えるライたち五人。
寒色側にあるだけでアポロンの城という可能性もあるが、それでも何かは分かると考えてゆっくりと迫る。
ヘパイストスの時は城に入った瞬間バレていた。なので今度はその点の行動もしかと注意している。城の中に居るとして、城に入れば十中八九気付かれる。城の外、数百メートル離れた場所からなら気配も薄いだろう。加えてライたち自身が気配を消している。例え実力者だとしてもそう簡単には見つからない筈だ。
「珍しいですね。この時間この場所に来るとは。旅の方ですか?」
「……!」
ギクリ、と一つの声によってライたちの動きが止まった。
見ればそこには月に照らされてキラキラ光る紫混じりの青い髪の女性がおり、手頃な岩に座って空を眺めていた。
静謐な青い瞳は夜空の月を映し、ライたちの方を見てニコリと穏やかに笑う。
「こんな所に何の用かは分かりませんが、私と同じく夜空を見たいのならオススメですよ。街の光が届かないので星や月がよく見えます」
その瞳にライたちは吸い込まれそうだった。
全てを包み込み、穢れのない瞳。
だが、それと同時にライたちは警戒を高める。ライたちは、自分たちの気配を消すと同時に周りに注意を払っていた。にも拘わらずこの者が話し掛けて来るまでその存在にすら気付けなかった現状、どうしても警戒はしてしまうものだ。
当然、その警戒を悟られぬように細心の注意は払っている。
「……。そうですか。確かに良い雰囲気の場所ですね。旅の途中、色々な街に寄りましたけど"ミナス・イリオス"はその景観を重要視している感覚があります」
「ふふ、ええ。この街は昼と夜、表と裏がはっきり分かれていますから。ああ、裏と言っても悪い意味ではありませんよ? つまるところ対になる物同士がはっきりと分かれているという事です。……よく分かりませんよね?」
「いえ、そんな事はありません。この街の様子を見て実感しました」
静かに、透き通るような声で笑うアルテミス。
"ミナス・イリオス"ははっきりと裏表が分かれている。それはもう実感している事だ。
全体的に明るい暖色。つまり表側と全体的に静かな寒色。つまり裏側。悪い雰囲気や意味ではなく良い意味での裏表だが、それを踏まえた上での景観を大事にするのがこの街の在り方なのである。
「ふふ。……あ、名乗り遅れましたね。私の名は"アルテミス"。人間の国"ミナス・イリオス"にて幹部を努める者です。どうぞ宜しく御願いします」
「……っ」
その名前は、またもや驚きの表情に変化するのに十分なものだった。
──"アルテミス"とは、オリュンポス十二神の一角にして月の女神を謳われる処女神だ。
元々は野山や森の女神であり様々な動物と関わりがあったと謂われており、その反面疫病や死とも関係していた。
だがその死は苦痛から免れる為の死であり、加えて狩猟を司る女神であり遠矢が得意だったとされる。
純潔と狩猟を司る月の女神、それがアルテミスだ。
アルテミス。その名を知ったライたちは何とか平静を保つが、内心ではとても平静を保てなかった。それなら気配に気付けなかったのも頷ける実力者である。
しかしその事に気付いていないのか、気付いているが敢えて気にしていないのか分からないが、視線を戻したアルテミスが言葉を続ける。
「この場所は良い場所です。人は少なく、心地好い風が吹く……。仕事に疲れた身体を心身共に癒してくれる絶好の場所ですよ」
その言葉と共に一迅の風が吹き抜け、アルテミスの美麗な青髪を揺らす。
先程からずっと月を見ているが、それは自分が月の女神だからなのだろうか。
だがこの街に来る前、国境の街近隣の森で同じく月の女神の異名を持つステンノーやエウリュアレーと出会ったが、月の女神が何人居るのか気になるところである。
しかし元より多くの神々が集うこの世界に置いてそれを気にするのは無粋な事だろう。同一視される神々や同じものを司る神は多い。何故かは分からないが、そういうものだと割り切るのがこの世界に生まれた者に課せられた性である。
「へえ……。先程も似たような事を言いましたが、確かに良い場所ですね。喧騒とは無縁のような、そんな場所。俺、好きですよ。こういう場所」
「わ、私も気に入りました……!」
「ふふ、ああ。悪くない」
「うむ」
「うん……」
「ふふ。旅の方々に気に入って頂けて何よりです。自然に身を任せるのも、存外悪い事ではありませんよ♪」
一先ず話を合わせるのと、実際に良い場所だったのでライたち五人は同調して返す。
アルテミスはカラコロと鳴るような声で笑い、再び空を眺める。仕事に疲れた身体を癒すと言っていたのでやはり幹部という職業は中々の労力を使うのだろう。それは常人から掛け離れた神という存在すら疲れる程。他人事だが(大変だなぁ)とライたちは考える。
「そうですか」
簡単な返事をしつつ、アルテミス。この街、二人目の幹部を見定める。
性格は穏やか。素性も分かった。アルテミスはアポロンと双生児とも謂われているのでこの二人が街を治めるなら幹部が二人居ても納得だ。
残る疑問はその強さだが、狩猟の女神でもあったので強さも確かなものだろう。
「……では、そろそろ俺たちは戻ります。貴女の休息を邪魔してしまいますから」
なのでライは、一旦宿に戻って今日の情報を纏める事にした。
まだ気付かれていない、ライたちが侵略者であるという事実。宿に戻ったら戻ったでデメテルの時のように襲撃され兼ねないが、もしもの時に備えて休む事も必要だろう。
「あら、そうですか。お気をつけてください。旅の方々。ああそれと、ようこそ太陽と月、昼夜の街"ミナス・イリオス"へ。アナタ方の旅に幸福があらん事を願います」
太陽と月、昼夜。アポロンとアルテミスの存在から、それらはこの二人を象徴とした言葉という事が分かった。
幹部としての定型文なのかは分からないが、心の底から歓迎をしているのは窺える。裏表の街であるが、幹部達二人の心境に裏表は無いらしい。様々な者達と何度かの裏切りを見てきたライたちなのでその事がハッキリと分かった。
「ええ。そう願ってくれれば俺たちも心強いです」
ライたちの旅の幸福。それは=アルテミス達にとって街と国を征服される事。ライたちの正体に気付いた時、恐らく幻滅されるだろう。
だがそれは侵略者故に仕方のない事。評価が信用から地の底に落ちるかもしれないが、今のうちだけでも親しくして置きたいものである。
もう一人の幹部アルテミスを確認したライ、レイ、エマ、フォンセ、リヤンの五人は境目にある宿に戻る。五人とアルテミスはこれにて別れるのだった。恐らく次にアポロン、アルテミスと会う時は、征服を掛けた戦いの時だろう。
*****
──次に会うのは征服を掛けた戦いの時、だと思っていた。
だが、それは筋違いな推測だったようだ。
「ハハハ。また会うとは、奇遇だね。今日は良い一日を過ごせたかな?」
「ハハ……そうですね」
「おや、先程振りですね。貴女達も?」
「ええ、まあ……」
「あ、ああ……」
「う、うむ……」
「うん……」
男湯と女湯。場所は違えど、境目にある宿の温泉で幹部二人とまたもや鉢合わせてしまっていたのだ。
今日一日は探索で程好く疲労した。なので宿に戻り、少しだけ今日の出来事を纏めた。その後汗を流す為に湯殿へ向かったのだが、この有り様である。
因みにライたちはアポロンにもアルテミスにも何処の宿に宿泊しているのかを教えていない。なので完全に偶然の出来事だった。
「えーと……お風呂……入るんですね」
先程の今なので話す言葉が見つからず、不躾な質問をしてしまった。
風呂くらい誰でも入るだろう。加えて純粋の女神。入らない訳がない。
(この質問違う……!)
言ってから気付き、赤面して湯船に沈み、ブクブクと空気を漏らす。
それを悟ったのか、アルテミスは微笑みながらレイの言葉に返した。
「ふふ、はい。心を休めるのなら空。身を休めるならお風呂。中々良いものですよ」
「うぅ……その微笑みが逆に恥ずかしい……」
言葉に返しつつ、何故湯殿に来たのかの説明もする。その優しさが逆に恥ずかしいレイだが、アルテミスの気質からなのか悪い気はしていなかった。
「この国の幹部と風呂に入るのは二度目か。何とも奇妙なものだな。上層部の者がこうも出歩いて良いのか?」
チャプっと湯船から白い手を出し、軽く擦りながらアルテミスに話し掛けるエマ。
既にエマたちはデメテルとアルテミス。本来なら簡単には会えない筈の上層部と二度邂逅している。当然風呂などには入るのだろうが、偶然が過ぎるのが気に掛かっていた。
アルテミスは興味深そうに言葉を返す。
「へえ。二度目なのですか。確かにそれは中々ある事ではありませんね。それと、別に出歩くのは問題ありませんよ。仕事熱心なのは良いですけど、時には休息が必要ですからね」
「……。少なくとも今日見た時はずっと休んでいるような……」
「ふふ。これは一本取られました」
幹部の立場上、中々会えるものではないのはアルテミスも知っている。なので興味があるのだろう。が、途中で放たれたレイの言葉に笑って返す。
確かにアルテミスは今日、大きな動きはしていないように見える。だが、夜の間ずっと活動するという事を考えればこの一、二時間はほんの僅かな休憩なのかもしれない。
「……さて、折角知り合った仲です。これも何かの縁。どうぞ"ミナス・イリオス"で寛いでいって下さい」
「はい。お言葉に甘えて」
透き通るような白い肌を手で擦り、ニコやかに笑うアルテミス。自然とその笑顔に釣られ、レイの顔もはにかむ。
レイ、エマ、フォンセ、リヤンの四人はアルテミスと共に暫しのんびりと過ごしていた。
*****
一方、女性陣が歓談する中男湯ではライとアポロンが談笑していた。
「へえ。観光名所を幾つかは見てくれたのか。ありがとう。中々良い場所だっただろう?」
「はい。充実した時間を過ごせました。……そう言えば、夜には活動しないという割りに城に戻る訳では無いのですね」
「ハハ。いつも……って言ってもよく分からないか。僕はこっそり抜け出す事が多くてね。いつも通りなんだ」
「はぁ……」
ライは夜には活動しない暖色側の街を治めるアポロンがこんな時間"ミナス・イリオス"の境目にある宿の湯殿に居る事が気になっていたが、アポロンは割かし城を抜け出すらしい。なので内密で来たとの事。
確かにアポロンにも宿の場所は教えていない。気配を追われた可能性もあるが、それは限りなく低いだろう。断言は出来ないが高確率で偶然のようだ。
「この街に幹部が二人居て、恐らく部下達も居るのでしょうけどアポロンさんは一人で来るのですか?」
「ああ、そうだね。そうしなくちゃ自由なんてモノは中々手に入らない。完全にお忍びだよ」
「へえ……」
なら他の幹部や部下は連れていないようだ。気配を探れば嘘か本当か分かるが、本人が警戒していないので疑う必要も無いだろう。好青年だが基本的に自由な性格をしているらしく、考えてみればそれもそうだと妙に納得出来た。
ライの知る幹部たちも幹部としての仕事はしかと行うが、基本的に自由な者が多い。
レイたちと同じく、ライとアポロンも談笑しながら湯殿で寛ぐのだった。
*****
「……」
「「…………」」
「「…………」」
「……」
「……」
──そして入浴直後、ライとアポロン。レイ、エマ、フォンセ、リヤンとアルテミスがばったりと出会した。
風呂上がりなのでライとアポロンに女性陣やアルテミスの身体は桃色に火照っており、髪も少し濡れている。必然的にライとレイたち。アポロンとアルテミスに分かれ、互いの顔を見つめていた。
「アポロン。貴方、またサボりましたね?」
「ハハ……いや、それを言うならアルテミスこそ」
「私はこの後、朝まで仕事です。何故貴方はいつもいつも……」
「す、すまない」
前述したようにアポロンとアルテミスは双子とされている。
二代目であるこの二人は、数秒や数分の差にてどちらが兄でどちらが妹なのか、どちらが姉でどちらが弟なのかは分からないが、主導権はアルテミスにあるらしい。明るい好青年が静かになってしまった。
「二大幹部が揃い踏みか……中々見れる光景じゃないな。街の住人達も集まってきている……」
「険悪……ってよりは注意されているみたいだけど……どうしようか?」
「戻ろう」
「ああ、戻ろう」
「うん……」
アポロンにアルテミス。この街の二大幹部が揃い踏みの光景が珍しいのか、周りには野次馬が集まり出していた。このままでは悪くはないが目立ってしまう。後々この街の幹部に挑むに当たってそれは避けたい。
なのでライ、レイ、エマ、フォンセ、リヤンの五人は満場一致でこっそりと二人から距離を置くように離れた。
「これだから貴方は……! あ、ライさん。レイさん。またいつか」
「じゃあね。五人とも」
「……!」
「「……!」」
「「……!」」
だが当然気付かれる。それ程の実力者なのだから当然だ。
ライたちを示したその言葉に周りの者達は反応を示し、その姿を見やる。
「お、おい。幹部様に話し掛けられているぞ……!」
「何者だ……?」
「確か街で見掛けたような……」
「何にせよ、あの御二人に話し掛けられている時点でただ者ではない……!」
「ああ。幹部様と知り合いとは……!」
「うぅ……目立ってる……」
「気にせず返答だけして戻ろう……」
挨拶されたら返さない訳にはいかない。ライたちは苦笑を浮かべつつアポロンとアルテミスに返したが、益々目立ってしまった。
だが周りの者達は気に掛けず、風呂上がりにも関わらず少し疲れたライたち五人は部屋に戻る。
そして今日の出来事を纏め、"ミナス・イリオス"にて一日目の活動を終わらせるのだった。