六百八十四話 人間の国・一人目の幹部
目の前に現れた女性にライたちは──警戒を高めていた。
恐らく優しい性格だろう。それに加えて街の住人の為に行動を起こす実行力もある。しかし、樹海を彷彿とさせる程の森を簡単に作り出してしまう力。明らかに只者ではないという事が窺えた。
「ウフフ……怯えなくて大丈夫ですよ。……いえ、怯えている訳では無さそうですね。何かを警戒しているような、そんな雰囲気」
「……。いえ、助けてくれてありがとうございます」
若葉色と深緑の合わさった衣を纏い、ライたちを見て笑う女性。ライたちでも何とか出来た水だったが、助けて貰った事に変わりはない。なのでライは少しだけ警戒を緩めて礼を述べた。
「少しは警戒を解いてくれたようですね。けど、まだ気を許していない。見ない顔ですが、旅の方ですか?」
「はい。ちょっとした用があったのでこの街に寄った次第です。……ええと、俺はライと申します。失礼ですが名前を伺っても?」
どうやらライたちの事は知らないらしい。ライもこの女性を知らないので、先ずライは丁寧な話し方の女性に名前を訊ねた。
ライも名乗ったが、"セイブル"まで言うと詮索される可能性がある。なので良くあるかは分からないが"ライ"という名だけを教え、相手から聞かれるよりも前に相手へ委ねたのだ。
女性はスカートの裾を両手で摘まみ、ゆっくりと頭を下げて名乗り上げた。
「ライさんですか。私名前は──"デメテル"。人間の国にて支配者直属の幹部を勤めており、"オリュンポス山"に住まう神々の一角。豊穣の女神と呼ばれています」
「……!?」
その名前は、また別の驚愕を呼び寄せる事になった。
──"デメテル"とは、オリュンポス十二神と呼ばれる神々の一角で豊穣の女神だ。
穀物や栽培などの事柄を普及させた第一人者であり、母なる大地の具現化した存在である。
温厚な性格をしており、大地に恵みを与える存在だが怒らせると逆に飢餓を齎すと謂われている。
大地の神々でも最上位に立っており、その力もとてつもない。
大地と豊穣の女神である地母神。それがデメテルだ。
大地と豊穣の女神であるデメテルを前にしたライたちは息を飲んでその姿を改めて一瞥した。河の濁流が塞き止まったのでエマもライたちの近くに来ており、同じく息を飲んでいた。
その姿は相も変わらず、優しげで包容力のある雰囲気だった。
「……っ。デメテルさんでしたか。大地の女神の……」
「ウフフ。驚かせてしまいましたか? 大丈夫ですよ。アナタ達が誰であろうと、問題を起こさないのならとやかく言いませんから。……けど、本当に水害には気を付けてくださいよ? アナタ達も力はありそうですけど、自分の街は自分で守りますから」
「あ、はい。すみません」
その言葉から、ライたちの正体が分かっているのか分かっていないのかは微妙なところだった。
含みがあるようにも聞こえるが、純粋に雰囲気から力を見抜いた可能性もある。だが本人からすれば当初の問題はライたちが危険を冒してまで河の水を止めようとした事のようだ。確かにライたちなら止められたが、やはり街一つを任される幹部として思うところはあるのだろう。
それとは別に、デメテルの存在からライには別の疑問もあった。
(デメテルが人間の国の幹部……なら支配者は……)
それは支配者の存在。デメテルはオリュンポス十二神という、何度も言っているようにオリュンポス山に住む神々の一つ。ならばその頂点に立つ者の存在は必然的に分かるのだ。
「まあ、恐らく大抵の事は問題無さそうですね。人間の国の支配者は、全知全能を謳われる"ゼウス"ですから」
「……っ!」
ライの疑問は、一瞬にして解消された。もしかしたらその者と見せかけて別の者が裏で手引きしているなど考えていたが、そんな事は無かった。
人間の国の支配者は、やはり全知全能の主神ゼウスだったのだから。
──"ゼウス"とは、神々の主神である全知全能の存在だ。
全宇宙と天候を司る天空神でもあり、人間と神を守護する存在にして支配する存在である。正しく人間の国の支配者には相応しい存在だろう。
宇宙を簡単に破壊出来る程の雷を武器としており、その武器を使って全宇宙の支配者になったと謂われている。
それ以外にも様々な武器や武具を扱い、自身の部下にそれを貸す事もよくあるという。
全知全能の神である全宇宙の支配者、それがゼウスだ。
「あ、また驚かせてしまいましたか」
「ああ、いえ。自国の支配者を知っているのは普通ですので、俺はちょっと無知だったなと実感しているだけです。しかし、弟に支配者を任せているんですね。デメテルさん」
未だに驚愕の感性は抜けないが、少し落ち着きを取り戻して言葉を発するライ。
というのも、伝承ではデメテルはゼウスの姉とされている。なのでライがそれが気になったのだ。
デメテルは愛らしい唇を緩め、その言葉に笑って返す。
「ええ。普通ならそうですね。けど、姉弟だったのは先代のゼウス様とデーメーテール様です」
「先代?」
「ええ。支配者や幹部というものは、代々その名を受け継いでいく制度なのですよ。他の支配者様なら、魔族の国のシヴァ様も二代目ですね。幻獣の国のドラゴン様と魔物の国のテュポーン様は古参で初代のままなのですけど、現在の私たちにかつての伝承などはあまり関係していません。その力と名だけを受け継ぎ、国や世界の安寧を守るように努めているのです。まあ、今の支配者であるゼウスは基本的に他の事柄には関わりませんけどね。いざという時は全ての事を成し得る力があり、部下たちにも優しいので信頼は厚いのですが」
何処かで聞いた話かもしれない。知っての通りこの世界に居る神仏には伝承と同姓同名の者が多い。それは、その名と力のみを受け継いだ事でそうなっているのだ。
従来の神々と同じ名、同じ力を有しているが生まれ育った環境や伝承も大きく異なる者が多い。寿命や諸々の事柄によってその神仏が消えた場合、神仏の血縁者やその力を宿して産まれてきた者が受け継ぐというものである。
今のデメテルの言葉からするに、オリュンポス十二神の力などはそのまま。もしくはそれ以上のモノとなっているが、旧十二神は殆ど残っていない。もしくは完全に消滅しているのかもしれない。
「支配者制度って言うのも簡単じゃないんですね。数千年前からあるので何時から出来ていたのかは知りませんけど、一人で永遠に続くという事は無いのですね」
「ええ。フフ……詳しいのですね。数千年前から存在しているなど普通は知らない事だと思いますよ?」
「ハハ。興味あるんです。勿論、俺が一つの国を治める支配者になる訳ではありませんけど」
魔王(元)の夢によって知った、数千年前からある支配者制度。ライも一つの国の支配者になるつもりはない。世界を征服するのだから当然だ。
ともあれ、デメテルは笑って返した。
「そうですか。あ、そうそう。一つ忠告を。五人組みの侵略者がこの国に入ったという情報を得たので気を付けてください」
「え!? いや、はい。気を付けます」
どうやらデメテルには侵略者という五人組みの情報が入っているようだ。まだ大きな問題を起こしていないライたちが関係あるのかは分からないが、一先ず関係無い体を装って返していた。
そんなライたちの態度を少し気にしつつ、デメテルは言葉を続ける。
「それと、六人組みの無法者も居て、この国の街を次々と襲っています。その事も気を付けてください」
「……! ……。はい。その事は俺たちも聞いています。物騒ですね」
恐らくそれはヴァイス達の事。やはりと言うべきか噂になっているらしい。しかし人間の国の支配者であるゼウスが動いていないのを見ると、やはりゼウスは基本的に行動を起こさないタイプの支配者のようだ。
だが、ライたちについて詳しく知られていないのは好都合。この場は一先ず流すのが一番だろう。
「では、"エザフォス・アグロス"でゆっくりとしていって下さい。良い街ですよ。此処は」
「はい。豊穣の女神お墨付きの街。堪能させて頂きます」
話に一区切り付いたところで、デメテルはニコやかに笑いながら自分の城へと歩いて向かう。今回のように何らかの事件が起きた場合は街を護る為に行動を起こしているが、幹部なので幹部の仕事も多いのだろう。
「さて、俺たちも少し街を探索してみるか」
「うん。問題は起こりにくいみたいだからね」
「ああ。人間の国の幹部とこんなに早く会うとは思わなかったけど、考えてみれば"セルバ・シノロ"の次に魔物の国と近いこの街に幹部が居るのは普通だ」
国境の街というものは、他国からの侵入があるかもしれないなど多くの問題を抱えている。魔族の国のダーク然り、幻獣の国のニュンフェ然り、国境付近に実力のある幹部を配置させるのは国の平穏を護る為にも当然の事だった。
それならば人間の国の国境近くの街にデメテルが配置されているのもおかしい事では無い。事は済んだ。なのでライたちは"エザフォス・アグロス"に戻るのだった。
*****
"エザフォス・アグロス"では、少し騒がしくなっていた。と言っても先程のように不穏な騒がしさではなく、デメテルが魔法か魔術を用いて作り出した森関連での騒がしさだった。
暫くしたら河の水も引くと考えられるだろう。それまで森は残っているのだろうが、取り敢えず安全なので折角だから森が消えるまで見物したいと言った所だろうか。ライたちはそんな騒がしい街中を歩いていた。
「おう、兄ちゃん達。さっき飛び出して行ったが、無茶しやがるな。デメテル様が来てくれたから良かったものの、気を付けなよ」
「ハハ。ええ、気を付けます」
「お嬢ちゃん達も、坊主をしっかり見てやんなよ」
「アハハ……坊主ってライの事……。まあ確かに年齢はそうだけど」
先程の行動もあり、絡んでくる者も多い。ライたちの身を心配しているので悪い絡みではないが、特に返す言葉も見つからないので愛想笑いでその場をやり過ごした。
この街は気の良い者達が多い。それも支配者の幹部であるデメテルの要因が多いのだろう。あの性格の者が街を治めているのなら殺伐としていないのも頷ける。
「けど、此処は見ての通り平和な街みたいだな。目的の為にはデメテルに俺たちの正体を明かさなくちゃならないけど、それもそれで結構思うところがあるな」
「優しかったもんね。デメテルさん。けど、怒ったら怖いっていう伝承も受け継いでいるのかな?」
「普段は温厚だけど怒ったら怖い……なんか既視感がある気がする」
デメテルの様子を見、豊穣の女神という事も踏まえて地獄に居たアナトを思い出す。
アナトも優しい女神だが、愛故にバアル関連では性格が豹変する。デメテルもそのような性格だったらと考え、少しゾッとするライ。
「……取り敢えず、目的の事も踏まえてこの街に二、三日滞在する事になりそうだ。地形を理解していた方が良さそうだな」
「ああ。俺たちの目的の為なら、全世界に恨まれる覚悟でやらなきゃな。力が物を言う魔族の国や魔物の国と違って、色々と問題も起こりそうだ。まだ幻獣の国も残っているし、短いようで先は長いな」
今後に行う様々な事柄を考え、世界征服は一筋縄じゃいかないと改めて実感するライ。しかし二つの国を収めた手前、退く訳にもいかないだろう。
一旦は"エザフォス・アグロス"にて滞在する事を考え、ライたちは街を探索するのだった。




