六百六十五話 大焦熱地獄
──"地獄・大焦熱地獄"。
此処は焦熱の下に位置する場所、大焦熱地獄。
相も変わらず上の地獄の十倍の苦痛を伴う地獄であり、豆のような大きさの炎で現世の地上を焼き尽くせる焦熱よりも更に高熱という場所だ。
此処に居る亡者達の悲鳴は三〇〇〇由旬。つまり21000㎞離れた場所にも届くと謂われている。
基本的な刑罰は焦熱と同じで、その規模と破壊力が十倍というだけである。そんな場所にて罪人は四十三京年以上過ごすと云う。
「折角適応したというのに……一々地獄に引き戻しやがって……!」
【何言ってんだ? 此処は元々地獄だろ】
「そうだが、ニュアンスが違えだろ! 地獄は地獄でも更にキツイ地獄って事だよ!」
【ならば始めからそう言え】
「お前、わざとやってるだろ?」
【クク……さあ、どうだろうな】
更に深い地獄に落とされたレクスは、エラトマに向けてギャーギャーと苦言を漏らしていた。ようやく適応したというのに、再び適応しなくてはならない地獄に叩き落とされたのが腹立たしいのだろう。
恐らくこの地獄も慣れるのだろうが、慣れるまでが苦痛のようだ。
【わざとかどうかは捨て置き、まだ慣れてねェなら俺の方が有利に戦える。まあ、ハンデなんざ要らねェけどな。問題は俺を取り込むかどうかってところだ】
「ハンデが要らないのなら、少しくらい待ってくれても良いじゃねえかよ」
【だから言っただろ? 俺を取り込むかどうか。正面からぶつかり合うなら待ってやらねェ事も無い】
レクスが本調子になる事は、エラトマにとっては別に構わない事。それを理解し、大焦熱地獄に慣れるまで待ってくれないかを訊ねた返答がこれである。
正面からぶつかり合えば勝てない可能性の方が高いが、レクスの出した結論は──
「分かった。俺はアンタを取り込まない。約束する」
【嘘だろ、それ】
 
──約束した瞬間、エラトマが加速して迫り、レクスの腹部を打ち抜いた。それによってレクスは吐血し、即座に治療魔術で回復する。そのまま瞬間移動を用いて姿を眩まし、エラトマの死角から回し蹴りを放った。
「騙せると思ったんだけどな。弱々しく演技して、実際そこそこ弱ってたからな」
【クク……テメェに良い事を教えてやるよ。正直者より嘘吐きの方が相手の嘘を見破る力に長けているんだぜ? 常日頃から嘘を吐いているからな。嘘のタイミングを見極めるは簡単だ】
嘘を吐き慣れた者程相手の嘘を見抜く事が出来る。それは紛れもない事実だ。
嘘を吐く時、如何様にして上手く相手を騙せるか試行錯誤する。それ故に嘘を吐くのが上手い者は様々な失敗パターンも思い描く事となる。仕草や口調から嘘か本当かを見抜けるようになってしまうのだ。
「嘘吐きは嘘吐きを見破れるか。ハッハ、その通りだな。だが、例え見破っても触れれば俺の勝ち。隙を突けなかったのは少々厄介だが、やり方はまだある」
【ハッ、やってみろよ】
レクスに触れたら即終了の戦い。逃げる事は止めたと言っているので正面からぶつかるつもりではあるようだ。
というか、どちらかと言えばレクスが嗾けている。此方から攻めてカウンターを食らっては厄介。なので相手を待つ形なのだ。
「やってやるよ!」
そのあからさまな挑発にレクスは乗り、瞬間移動で死角に回り込む。幾ら賢くなろうと、根本的な性格は変わらないので挑発には乗りやすいのだ。
しかし瞬間移動に気配と姿を消す術がある。面倒なものは変わらない。
「オラァ!」
【ハッ、瞬間移動は速いがテメェは遅ェな!】
「だが、未来を読める!」
回り込まれた瞬間に裏拳を放ち、それをレクスは予知し、再び瞬間移動で死角に移動した。
その移動をエラトマは予想して躱し、回し蹴りを放ちながら言葉を続けた。
【いや、瞬間移動で"速い"って表現は違うか。移動とは言うが、点と点の移動……空間を跳び越えている訳だからな。反応以外の速度はあまり関係ねェ】
「何を言ってやがる!」
回し蹴りを避け、エラトマに向けて裏拳を放つ。それをしゃがんで躱したエラトマは魔力を込め、レクスの眼前に炎魔術を放出した。
今は魔法・魔術の類いを無効化出来るレクスだが、強過ぎる力は無効化し切れないのがエラトマ──魔王の特性である。元々エラトマは宇宙破壊規模の攻撃も耐えられる身体なので与えられるダメージなど限られているが、レクスは違う。そこそこ力は強くなっているがまだまだである。なのでエラトマの魔法や魔術には耐えられない筈だ。
「チッ、流石に不味いって分かるぜ……!」
その魔力の強さから何かを察したレクスは即座に瞬間移動を用いて移動し、影響が及ばぬ焦熱地獄にまで避難する。そして次に映った光景は──大焦熱地獄が炎で焼かれるモノだった。
「……っ! 地上に持っていったら全てを焼き尽くす焦熱地獄の炎……その十倍の威力を誇る大焦熱地獄の炎が……燃えた……!?」
異常、規格外、超越者、逸脱、理不尽、どの言葉を用いても足りない程の破壊力。それが現世にて永らく語り継がれている魔王、ヴェリテ・エラトマの力。
自信家である流石のレクスもその力には生唾を飲み、たらりと冷や汗が流れる。
恐らくエラトマにとっては簡単な、料理に使う程度の炎と同様に発したモノ。その威力が太陽をも遥かに超越した熱となるのだから底無しの強さである。
【便利だな、瞬間移動。太陽系を軽く焼き尽くす炎から一瞬で此処まで逃げ延びるとはよ】
「化け物かよ、アンタ。見た目はガキだが……その力は俺が見てきた何者よりも遥かに強大だ……!」
背後へと回り込んでいたエラトマに向けて言い放ち、一歩後退る。先程の力を目の当たりにした手前、触れれば勝ち。そして自分は死ぬ事が無いと分かっていても警戒してしまうのだろう。
そんなレクスに向け、エラトマは素っ気なく言葉を続ける。
【そう警戒すんなよ。俺は今、本来の本気の半分も出せてねェんだからな】
「……ッ!?」
その言葉は、レクスに衝撃を与えるのに十分な言葉だった。
先程の炎は本気ではない。それはなんとなく分かる。しかし、まさか本気の半分以下の更に下の力しか使っていないという事が衝撃的だったのだろう。
本気ならば無限に広がる多元宇宙。即ち無限空間その物を一瞬で消し去れるエラトマ。本人からしたら当然の事だが、現世の魔王について詳しく知らないレクスからすれば衝撃以外の何物でもなかった。
「……。どうやら、環境や力に慣れれば勝ちって訳にもいかなそうだな……。取り込んだ力を増幅させるにしても今のアンタにすら追い付くのは何京年掛かる事やら……。地獄の刑期が終わるレベルだぞ」
【クク……それでも俺に追い付けるなら十分じゃねェかよ。永遠の時間があっても追い付けない奴は多いからな】
エラトマの力を取り込んだレクスは、何れ今のエラトマになれる素質がある。しかしそれをするには地獄での刑期を終える程に莫大な時間が掛かる事だろう。
それは本気の半分以下である今のエラトマにという意味だ。確かに永遠に追い付けない者よりはマシかも知れないが、気が遠くなるどころの問題ではない。絶望しかない状況である。
「まあ、だからと言って降参する程柔じゃねえけどな……!」
【ククク……それでこそだ】
姿と気配を眩まし、消えた状態で瞬間移動を使用してエラトマの前から居なくなる。その言葉からして逃げた訳では無いのだろう。今度は嘘も吐いている雰囲気はなかった。
つまり、姿が消えた状態でも捉えられてしまうので遠くからエラトマの呼吸と動きを読んで慎重に嗾けようという魂胆なのだろう。今までは正面から挑んでも何とかなる相手が多かった。実力で劣っていたのはサタンやテュポーンくらいだ。
なので闇雲に突っ込まず、出方を窺いながら攻め行こうと考えているようだ。
「さて、何処から攻めるか……」
死角から観察し、動きを考える。ゆっくりしていては周囲ごと破壊される可能性があるのであまり時間は無いだろう。しかし下手に動いては返り討ちに遭うのが目に見えている。
触れれば即座に勝利を得られる戦いだからこそ、悩みも多いようである。
【オイオイ、何処に隠れているんだ? また周りを破壊しちまうぞ? 折角やる気を出したと思ったのによ】
「考えている暇は無いな。少しでも思考出来ただけで十分な成果だな」
雲行きが怪しくなってきたところで、レクスは行動へと移る。焦熱地獄を破壊されるのは構わないが、それによって先手を取られる事を懸念したようだ。
エラトマにとっての先手は、レクスを始めとしたそれなりの実力者でもかなり脅威的なもの。なのでやられる前にやった方が早いという判断である。そしてそれは、的確な判断だった。
「そらっ!」
【……!】
瞬間移動で背後に回り込んだ瞬間蹴りを放つレクスと、それを片手で受け止めるエラトマ。光を超えたレクスに対してこの反応速度、やはりというべきかとてつもないものだ。
その一撃にはかなりの力が秘められていたが、微動だにせず受け止め切った。衝撃で焦熱地獄の炎が少し消えたが関係無さそうだ。
【クク……出てきたか。やっぱ全てを破壊されて巻き込まれるのは大変って訳だ】
「ああ、そうだな。だが、やっぱり掌で触れる事は出来なかった。そこだけが残念だな」
腕を振るい、レクスの足を弾く。それと同時に向き合ってから踏み込み、互いの拳が正面衝突を起こして焦熱地獄を吹き飛ばした。
それによって大地に大きな穴が空き、エラトマとレクスは再び大焦熱地獄へと落下する。しかし現在の大焦熱地獄はエラトマの炎魔術によってより激しい環境となっている。レクスならば慣れるかもしれないが、肉体その物が消滅する可能性もあるので本人からしたら難しい事だろう。
【どの道、テメェは簡単に捩じ伏せられるぜ?】
「……ッ!」
落下途中に拳を放ち、レクスの速度を更に上げて大焦熱地獄へと落ちる。そこから魔術を使い、レクスの落下地点に巨大な爆発を引き起こした。
本来ならば銀河系が吹き飛んでもおかしくないモノだが、本調子ではないのと手加減している事も相まって精々太陽系が消し飛ぶ程度のモノだった。
「クソッ──」
【やっぱ無事か】
「──ッ!?」
何とか身体の消滅を免れたレクスは落下地点から立ち上がり、背後に居たエラトマの肘打ちで正面方向に吹き飛んだ。
吹き飛びながらも恐らく追撃が来るだろうと未来に集中して次の出方を窺うが、レクスの思考は疑惑へと変わった。
「……っ。奴の未来が見えない……!?」
そう、エラトマの行動する未来が見えなくなったのだ。
先程までは見えていた次の行動と未来。それが突然見えなくなったレクスは驚愕の表情を浮かべながら吹き飛び、空中で堪えて辺りの気配を探る。そして気配は背後にあった。
【クク……何かの不手際があったか?】
「……テメ……!」
言葉を続けるよりも前に腹部を蹴り上げられ、空中回し蹴りで遠方に飛ばされる。地獄は数兆キロ以上と広大だが、距離に上限は存在している。そのまま地獄の端とも言える壁にぶつかって衝撃を全身に受け、上から落とされたエラトマの踵によって大地に叩き付けられた。
「やっぱり見えねえ……! まさか、魔法や魔術のみならず、未来という必ず訪れる概念も無効化するのか、アンタは……!」
【さっきテメェって言おうとしてなかったか? まあ呼び方はどうでもいいか。クク……俺は概念を砕く存在だからな。その気になれば、過去にも未来にも今にも関係している一秒って言う概念すら砕く事が出来るぜ?】
「……ッ」
レクスは絶句した。
この世にもあの世にも何かが生まれた瞬間、必ず着いてくる概念。それを砕けるというエラトマの存在に、絶句せざるを得なかった。
それ即ち、概念、エネルギー、存在、この世のありとあらゆる万物を砕けるという事。そして今のエラトマが本気の半分にも満たない事を踏まえれば、その恐ろしさは誰にでも分かる。
【その様子だと、万策尽きたようだな。まあまあ楽しめたぜ、レクス王】
「……!」
王になると言っていたレクス。エラトマはその言葉を皮肉に使い、レクスを嘲笑う。元々のレクスならば皮肉とは受け取らず普通に喜んでいたかもしれないが、今のレクスは少し知恵を付けた。故に、皮肉を受け取り憤る。
そんなレクスはエラトマを睨み付け、瞬間移動と同時に言葉を続けた。
「分かった、認めてやるよ。俺よりアンタは圧倒的に強い!! だが、アンタさえ居なくなれば俺に死角は無くなる!!」
【……?】
土魔法と土魔術を用いて、エラトマの周りに壁を造り出す。直接触れた訳では無いので壁は消えず、相変わらず余裕の態度を取るエラトマへ最後に言い放った。
「無限地獄に落ちろ!! 俺が光を超えて叩き付ければ、流石のアンタも下層に飛ばされる筈だ!!」
【クク……そういうことか】
レクスの言葉から、何をするかを悟るエラトマは、敢えてその行動を受け止めた。次の瞬間にエラトマの入った土の箱を先程造られた穴から投げ落とされ、光を超えて落下する。
既に落下の衝撃で深くなっていた穴。エラトマが無限地獄に到達するのも時間の問題だろう。
「ッハハ……! ハッハッハ!! 勝った! 戦いには負けたが、勝負には勝ったぞ!」
エラトマの居た場所を見やり、全身の治らぬ傷を癒しながら高笑いをする。ダメージの酷さ故に笑うだけで全身を死ぬ程の苦痛が襲うが、高揚感の溢れる今の状態では痛みも薄くなっているようだ。
テュポーンに続き、エラトマを行動不能にさせたレクス。二人ともまだまだピンピンしている状態だが、テュポーンの事を知らないレクスからすれば敵は居なくなったと見ても良いのかもしれない。
焦熱地獄と大焦熱地獄を巻き込んだ戦いは、レクスがエラトマを更に下の地獄に落とす事で決着が付いた。のだろうか。




