六百六十二話 決行
──"地獄・バアルの城・ライの自室"。
翌日、ライが微睡みから目覚めた時バアルの城は騒がしかった。そう言えば一昨日も騒がしかったなぁと寝惚けた脳裏にどうでもいい考えが過る。
(……ってそんな事を考えている場合じゃないか。城が騒がしいって事は、相応の理由があるって事だからな)
眠気を無理矢理消し去り、意識を引き起こしたライは思考を変えた。今の状況で騒がしいというのはバアルの城。もしくは地獄の何処かで何らかの問題が発生したという事。どちらにせよ、穏やかな騒がしさではないだろう。
ライはベッドから起き上がり、軽く身体を動かした後で自室の扉に手を掛け外へと向かった。
「あ、ライ様! 現在バアル様たちが集まっております! ライ様もお早く!」
「あ、ああ。分かった。何時もの談義室だな?」
「はい! 既に殆ど……恐らく全ての主力様方は揃っているかと!」
外に出た瞬間、何人かの悪魔達がライを待つ面持ちで待機していた。ずっと待っていたのか疑問に思うが、それは一先ず置いておく。ライもこの軍では主力。なので急かされるのも仕方の無い事なのである。
話し合いが行われるというのは何時もそれを行っている談義室。場所は分かっているので、ライとライに付く悪魔達はその部屋へと向かった。
*****
──"バアルの城・談義室"。
悪魔達に連れられたライは談義室の扉を開けてその部屋に入った。見たところ確かに殆どの主力は集まっており、全員が神妙な面持ちをしていた。
しかし全員という訳では無く、予想はしていたがエラトマとテュポーンの姿は無い。それも何時ものように、遅れて来る事だろう。因みに協定関係にあるルシファーとアマイモンだが、両軍は両軍で魔力を伝って映像を伝える道具からこの城の様子を窺っている状態だった。その道具が目立つ場所に置かれているのがその証拠である。
「もう皆集まっているみたいだな。約二名を除いて」
「ああ。まあ、あの二人は基本的に自由……ライも好きな場所に腰掛けていてくれ」
「ああ、分かった」
そんな主力たちを見渡したライはバアルに促され、適当に空いている場所に座った。特に指定した席ではないが、近くにあったので座ったという訳である。
「あら、誰も居ないところに座るんですね。私も隣いいでしょうか?」
「ん? ああ、フルーレティか。構わないよ。バアル軍の中ではそれなりに親しいからな。エラトマたちは多分俺の近くに来るから、空けているんだ」
「あ、そうなんですか」
腰掛けた近くに、立っていたフルーレティが座る。ライが敢えて誰も居ない席を選んだ事を気に掛けていたが、エラトマたちと関係していると聞いて納得した。
フルーレティのみならず、座っていない者は何人か居る。恐らく自分となるべく親しい者と隣になりたいという人間臭い心境なのだろう。悪魔にも人間だった者は多いので頷ける。バアル軍が不仲という訳では無いが、信頼していたとしてもより信頼の深い存在は誰にでも居るものだ。
【オイオイ、もう全員集まってんじゃねェか。お前が最後だぜ?】
「何を言っておる。最後なのはお主の方だろうに。余の方が早く到達した」
ライとフルーレティが歓談している時、最後にエラトマとテュポーンが全く同じタイミングで談義室に入ってきた。何やら言い争っているが、特に深い意味も無い戯れ程度の言い争いである。
そんな二人はライの予想通りライのフルーレティとは逆方向の隣に座り、全員揃ったのを確認したバアルは早速言葉を続ける。
「さて、急な招集ですまない。色々と聞きたい事はあるだろうが、その説明を兼ねて早速だが本題に入る。──昨日、地獄の三大支配者の一角であるアスタロトの城が落とされた」
「「「…………!?」」」
バアルから放たれた言葉に、周りの者たちは絶句した。
地獄の三大支配者、ベルゼブブ、ルシファー、アスタロト。その一角が落とされたと言うのだから当然だろう。
「それは一体どういう事です……!」
「言葉の通りだ。落とされたという事は敗北したという事。加えて、大罪の悪魔は我とルシファー以外誰も居ない。名のある悪魔でもたった一日……いや、数時間での侵略は至難の技だろう。十中八九、レクスの仕業だろうな」
言葉の通り。だからこそ異常だった。
アスタロトは地獄の支配者と謂われているだけあってバアルやルシファーに並ぶ実力者。現世に赴けば、一挙一動で複数の世界を滅ぼす力も秘めている程の者である。
そんなアスタロトが一晩で落とされた。拠点という事もあり、部下の悪魔達も居た筈だ。にも拘わらずこうなったというのは、地獄に住む者なら誰もが驚愕する事柄である。
「アスタロト……名前くらいなら現世の本で聞いた事があるな。まあ、詳しい実力については書かれていなかったけど、地獄の支配者である以上相応の力は秘めていた筈だ……」
「ええ。その通りです。バアル様やルシファー様に並ぶ実力者のアスタロト……それを攻め落とす力を秘めているのなら事態は思った以上に大きなものとなる事でしょう」
アスタロトについてはライも知っている。現世の本には現世に住む幻獣や魔物のみならず、悪魔や神。天使について書かれた者も多いのだ。
かつてあの世も現世に関わった者が居たからこそ記された先人の記録。それを愛読しているライは詳しくはないが大体の者は知っている。なのでフルーレティの言うように、この事態の異常さは理解していた。
「だからこそ、我はお前たちを招集した。地獄の支配者と大罪の悪魔。レクスはその両者を宿し、我々はその両者自身。何がどうあれ、この事態は最早今後起こりうる問題について悩んでいる場合ではないと考えた」
「「「……!」」」
周りの主力と悪魔たちが息を飲む。
今からバアルが出そうとしている結論は、昨日エラトマが言っていた事である。
主力と悪魔達を改めて一瞥し、バアルは言葉を続けた。
「故に、我らからモートとレクスの元に攻め行く事とする。他の大罪の悪魔のように一つの国のような形で軍を運営していれば問題も生じるが、モートとレクスは完全に二人だけの国だ。その二人で地獄を収めようとしている。恐らく既に、全ての罪人を定める程の閻魔大王の手ですら終える力ではないかもしれぬ。我らが協力する事で、初めて対等と言えよう」
レクスとの戦争。相手はかなりの実力者だが、ライたちからすれば逆に好都合とも言える。
態々全ての大罪の悪魔と地獄の支配者を倒さずとも、レクスを討ち滅ぼすだけで事が済むのだから手間が省けるというものだ。──最も、この場に居る者たちはモートが既に始末された事も知らないのだが。
【クハハ! 良いじゃねェか! 俺はそれを始めから望んでいた! 防衛に回るより攻めた者が勝利を掴むからな!】
「フッ、そうじゃな。意外と気が合うではないかエラトマよ。余も楽しみじゃ」
【「無論、俺(余)一人で十分だがな(の)!」】
互いに言葉を被せ、嬉々としてバアルの結論を称賛する二人。周りの悪魔たちは不安そうな面持ちだが、大罪の悪魔にして地獄の支配者であるバアルとルシファー。実力者であるアマイモンにその力を目の当たりにしたエラトマ、テュポーン、ライが居るのでそこまで不安ではないようだ。
他の主力たちはエラトマとテュポーン程気楽ではないが覚悟を決めた顔付きであり、バアルの結論に誰からも異論は無かった。自分たちの関与する地域ではないので当然と言えば当然だ。地獄に居る以上、どんなに善人に見えようと何かしらの考えはあるものである。
「なら、もうこれ以上言及する事も無いだろう。決戦は今日、モートとレクスの拠点に全員で乗り込む!」
「「「おおおお!!!」」」
バアルの言葉に意気込む悪魔たち。映像を見ているだけで声は届かぬルシファーとアマイモンがどの様な事を考えているか分からないが、少なくともバアル軍は全員が賛成していた。
「なら、我は一先ずルシファー達に確認を取ってくる。既に部下を取り込まれているアマイモンは問題無いと思うから、後はルシファー達だけだ。……やる気になってくれると嬉しいんだがな」
「なら、私も向かいます。関係していないとは思えませんからね」
「なら、俺も行く。協力の有無は俺たちにとっても重要だ」
【クク……なら俺は先に戦場で暴れていてやるよ】
「余もな」
後はその事について確認する為、バアル、フルーレティ、ライの三人がルシファーとアマイモンの所に向かい、エラトマとテュポーンを始めとした悪魔たちでレクスの拠点に向かう。
地獄に来てから三週間と一ヵ月。そして五日。地獄での体感二ヵ月ちょいの生活も、そろそろ終わりを迎えようとしていた。
*****
──"地獄・ルシファーの拠点"。
相変わらず地獄に似付かぬ美しい風景を進み、ライとバアル、フルーレティの三人はルシファーの拠点に来ていた。一応協定関係にあるので、ルシファーの部下である悪魔達もすんなりとライたちを通す。
そして数日振りにアガリアレプトと会い、拠点の案内をされていた。
「いやはや、久し振りですね。二、三日程度ですけど。バアル様の御話は聞いておりました。ルシファー様と主力たちは貴賓室に集まっております」
「そうか、分かった。お前も来るのか?」
「ええ。一応主力である事には変わりませんから。戦闘面とそれ以外両方での」
ルシファーの部下である主力達が集まっているという貴賓室に向かう途中、バアルはアガリアレプトに自分も来るのかと訊ねていた。どうやら案内をしているだけで、本当の意味で全員が集おうとしているようだ。
バアルたちが何の為に来たのかも大凡理解しているらしく、承諾するにしろ拒否するにしろ話し合いは早く終わる事だろう。
「さて、到着しました。何にせよ、覚悟は決めていた方が良いでしょう。私もルシファー様の考えは分かりませぬ故に」
「……」
扉に手を掛け、バアルたちに確認を取った後でその扉を開く。軽い音と共に開いた扉を抜け、ライとフルーレティはバアルに続く形で貴賓室内へと入った。
「やあ。来たかい。態々来て貰って悪いね。別に来なくても良かったんだよ? 協定関係にある以上、此方から赴く可能性はあったんだから」
「"可能性は"……か。確実に来るという保証が無ければ赴くのは普通だ。……しかし、来る事を予想していたのなら我が聞きたい事も分かる筈だ」
入った瞬間に掛かるルシファーの軽薄な声音。バアルはそれに返しつつ、事をさっさと済ませる為に訊ねるよう質問をした。
ルシファーが協力しない可能性を懸念しての行動。既に予想していたらしいルシファーならば質問にもさっさと答えられるだろう。
「仕方無いな。だけど、もう少し余裕を持て。お菓子でも摘まみながら話し合いをしようじゃないか。敵が誰だろうと、私の相手になるかは分からないのだからね」
「相変わらずの傲慢な発言だな。前置きはいい。聞きたい事は"YES"か"NO"の二つだけだ。単刀直入に聞く、我らと共にレクスの拠点に乗り込むか?」
「構わないよ」
「……!」
即答だった。その返答の早さにバアルも一瞬反応を示す。
対するルシファーはそんな事を気に掛けておらず、紅茶を一口含み喉を潤した。そしてクッキーを摘まむ。その一連食べ方には品があり、ルシファーの態度は戦争中とは思えない程の優雅さである。
「そうか。ならば何故向かわない?」
「だから言っただろう? 君たちが此処に来る事は予想していた。だから待っていたってね。例え先程の話が終わった瞬間に私たちが移動しても君たちはこの拠点に来る筈……だからこそ、先ずは行く意思があるという事を本人の前で証明したに過ぎない」
どうやら何から何までお見通しだったようだ。
確かにルシファーを信用し切っていないバアルならばルシファーたちが行動を起こしたとしても警戒して拠点に来ていたかもしれない。それを見込んで予め待っていたとの事。流石に此処まで言われればバアルには返す言葉も無かった。
「……。分かった。妙な詮索すまない。ならば共に行こう」
「フフ……始めから素直になれば良いんだ。裏切られた訳でもないのに元・部下に冷たく接する筈が無いだろう?」
軽く笑って立ち上がり、周りに居た部下や主力の悪魔たちに目配せで指示を出す。それを受けた者たちはレクスの拠点に向かい、バアルたちもそれに続く。
「そう言えば、レクスの拠点は知っているのか? アンタとモートが知り合いなら、場所は分かりそうだけど他の者たちがどうか分からない」
「ええ、問題ありませんよ。一応全員知っていますから。バアル様のような大罪の悪魔や地獄の支配者よりは知名度も劣るとは言え、それ程までに有名な存在ですもの」
ルシファーとバアルが行動を起こす中、ふと気になったライが近くに居たフルーレティにレクスの居場所が分かるのかを訊ねた。
そしてフルーレティ曰く、大罪の悪魔や地獄の支配者程の知名度は無いものの、拠点がバレている程度には有名らしい。それなら安心してそこに向かえる。
ルシファーとの話し合いをそそくさと終わらせたライは、バアル、フルーレティとルシファーたちと共に戦場へと向かうのだった。




