六百五十話 城での騒動
──"地獄・バアルの城"。
翌日、普段のライたちが目覚めるよりも前の早朝の時間帯。バアルの城では大変な騒ぎが起きていた。
その騒ぎを聞き付けたライは起こされる形となって飛び起き、暇潰しに惰眠を貪っていたエラトマとテュポーンもその喧騒につられて目覚める。始めはエラトマもテュポーンも騒がしいと不機嫌だったが、この喧騒がマズイ事であると理解した瞬間に嬉々として喧騒の元に向かう。
そしてライ、エラトマ、テュポーン、バアル、アナト、フルーレティ。そしてダンタリオンにフルカス。ロノウェというバアルの城に居る──一部を除いた全主力が集まっていた。
問題の場所に着いた瞬間、ライはバアルたちに訊ねるように話す。
「バアル! この騒ぎは何だ!?」
「……っ。モートとレクスに逃げられたようだ……!」
「……ッ!」
訊ねた瞬間に帰ってきた答え。それはある程度予想していたが、まさか本当にそうであったと知ってライは歯噛みする。
返答した瞬間にバアルは逃げたモートとレクスが収容されていた牢獄に向かい、ライたち主力もそれに続いて現場検証を行う。
「やはり……どうにかして逃げたなら見張りの三人は既に取り込まれてしまったか……。だが、三人は確かな実力者……適正でこれ以上にない見張りの人材だった……どうやって三人に報告させる間もなく……?」
三人が居た痕跡はあるが、三人の姿はない。レクスが逃げたという事はどうにかして三人も取り込んだと考えるのが正しいだろう。
そして此処にはもう一人の囚人、モートの姿も無い。取り込まれたか、協力したのか。謎は深まるが答えは一向に見つからなかった。
「まあ、モートとレクスの二人が居れば出来る事も色々あるからな。アスモデウスとマモン、ベルフェゴールの力……炎と乾き……パッと思い付くだけでこれだけあるって事は、俺たちが知らないだけで他にも出来る事はあるかもしれない」
「ああ。しかし逃げた事は確実……此方としても先に手を打った方が良さそうだ……」
「……?」
敵に出来る事は多数あると考えるライとバアル。そしてバアルは、少し気になる事を呟く。
"手を打った方が良い"。つまり、何らかの策があるという事。そしてそれを昨日や一昨日など早いうちにやらなかったという事は、相応のリスクもあるという事。良い策ではあるのだろうが、それが何なのかライ。そして周りの主力や悪魔たちがバアルを見ていた。そのうち何人かは既に理解している様子だった。
「……バアル。その……先に手を打つって一体どういう事だ?」
「……」
そして、ライはその事を訊ねるように話す。バアルはライの方を一瞥し、その後周りに視線を向ける。
この策は、達成するのは少し難しいがそこまで意外な策という訳では無い。なのでバアルは口を開き、他の者たちに向けて説明をした。
「単純な事だ。アマイモンのように、他の敵対者達と一時的にでも協定関係を結ぶ。まあ、一言で言うのは簡単だが、かなり大変な事になるだろうけどな」
「……!」
それは、協定を結ぶ事。確かに敵が複数の軍を取り込むのならば、此方も上位の実力者を味方に引き入れる。バアルの言う通り、単純にして確実な策だろう。そして、相応のリスクも持ち合わせている。
そんなバアルの言葉に反応を示し、ライは言葉を続けて訊ねる。
「残っている大罪の悪魔と敵……その中の誰かにバアルは当てがあるのか?」
アマイモンが協力する理由の一つであるアスモデウスのように、自分たちだけの敵が共通の敵となるには理由が必要である。
一つの理由は相手が自分たちが狙われるかもしれない共通の敵という事だが、他の上級悪魔を動かす理由には少し弱い。なので動かす事に対しての少なくとも後一つの理由があれば良いのだ。
それが気になったライ。その質問に対してバアルは頷いて返す。
「ああ。無いという事はない。それは我よりも、我の部下に対しての事だ。……実はフルーレティには、我以外にも仕えている悪魔が居る」
「……!」
バアルの当て。それはバアルの優秀な部下フルーレティの、他の主と関係しているという事だった。
フルーレティが仕えていたのならば、フルーレティの支配下にある行方不明の三人も仕えていたという事になる。つまり、共通の理由に欲しかった、もう一つの理由が加わったという事だろう。しかし他の悪魔達とは敵対しているが為に、協力は難しい。
それらの事も踏まえると、バアルの懸念していた通りであった。
「さっきのバアルが言った通りだ。他の悪魔達と協定を結ぶのは確かに難しい面も多くて少し複雑だな。けど、戦力になる事は違いないか」
「ああ、そういう事だ。リスクと利点は実は似ている。大きなリスクには相応の対価が付いてくるものだ」
不利益と同時に、利益も多数ある。ならば行かない手は無さそうだ。その場で戦いが起こるのも覚悟のうちだろう。
そしてライは、バアルに向けて今から誰の元に向かうのかを訊ねた。
「その上級悪魔は……?」
「……"傲慢"を司る大罪の悪魔──堕天使"ルシファー"だ」
──"ルシファー"とは、七つの大罪の傲慢を司る偉大な悪魔である。
かつては神に次ぐ地位を持っており、ルシフェルという名だった。知恵と光の大天使長で最も美しく最も聡明だったと謂われている。
もう一つの大罪の悪魔と同一視される事もあるが、此処に居るというルシファーは同一人物では無さそうだ。
かつて神に逆らい、その神群に謀反を起こして自ら堕天したと謂われている。
当然力も強く、地獄ではルシファー、ベルゼブブともう一人の悪魔で三人の支配者であるとされている。
堕天した神に匹敵する力を持つ、傲慢を司る最も美しい大天使にして大罪の悪魔。それがルシファーだ。
「ルシファー……! 傲慢を司る光の悪魔か……確かに一筋縄じゃいかなそうだな」
「ああ。だからこれから何人かの主力を連れて行くつもりだ。……だが、城の警備も必要。多くの主力は城に残って貰う」
バアルの言う事は正しい。レクス達がまだ潜んでいるかもしれない現状、多くの主力を残しておかなければこの城が攻め落とされてしまうだろう。それならば主力全員や全ての悪魔たちを連れて行けば良いと思う者も居るかもしれない。
だが、バアルが望むのは悪魔で協定。全主力と悪魔たちを連れて行けば均衡を破り、ルシファーに戦争を仕掛けた事になってしまう。なのでそれなりの実力者数人とバアルだけで行くのが一番のやり方だった。
【クク、なら俺たちが適正じゃねェか。アスモデウスは片付けたが、その直後に取り込まれたとなれば俺たちの顔は割れていない事になる。特に大きな戦いも無かったしな。警戒はされるだろうが、お前と後一人知った顔が居りゃ多分大丈夫だろ】
「……。確かにそうだな。まあ、三人の主力が居なくなったからこれ以上減らすのも考え様だが……お前たち三人の誰か一人でも城に残ってくれるなら問題無さそうだ」
顔の割れていないライたちならば変な警戒はされないかもしれない。その逆の可能性もあるが、エラトマの言うようにバアルの部下に知った顔。フルーレティ辺りが居れば問題無いだろう。
ライ、エラトマ、テュポーンのうち一人が残れば城の警備も安泰だ。
「で、誰が残る? 余はもう流石に嫌だぞ。昨日一日残っていたのだからな」
「じゃあ、ここは俺が──」
【クク……俺様が残ってやるよ】
「……なっ!?」
自分が残ると言おうとしたライは、驚愕の面持ちでエラトマの方に視線を向けた。
それもそうだろう。テュポーンは残るつもりが無いと分かるが、同じく残るつもりが無いと思っていたエラトマが自ら残ると告げたのだから。
消去法で自分が残るのが一番無難に進めると踏んでいたが、少々勝手が変わりそうである。
「なんでまた……」
【ハッハ! そりゃもう何時も通り、ただの気紛れだ。たまには待ってやるのも悪くねェと考えた次第だよ】
「……」
ただの気紛れ。本当にそうかもしれないが、何かを考えているかもしれない。その意図は結局読み解けなかったが、それを解き明かしている時間も惜しい。
ライ、テュポーン、バアル、そしてルシファーと関わりのあるフルーレティはエラトマと他の主力を残し、ルシファーの居る場所へと向かうのだった。
*****
──"地獄・某所"。
「それで、俺達は何処に向かうんだ? 死神様?」
「その言い方は寄せ。だが、教えても良いだろう。亡者のお前には拠点もない。お前が勝手に行動して勝手にやられては元も子もないからな。一旦私の拠点へと向かう」
「……。テメェ、俺がやられるだと? あんましナメてっとぶっ殺すぞ!」
バアルの城から数千キロ離れた場所にて、モートとレクスが共に走っていた。しかし二人の仲は悪そうであり、一時的に協定を結んでいなければ今すぐにでも戦闘が勃発し兼ねない状態だった。
「フッ、舐めてなどいない。奴等の強さはお前が身を持って知っているだろう。手も足も出ずにやられたんだろ?」
「……っ」
しかしモートはレクスの暴言を軽く流し、自分の拠点という場所に急ぐ。二人の速度はバアルたちに見つからぬよう静かな音速以下の速度であり、脱獄してから数時間で数千キロにしか行けない程度だ。だが自分の拠点とバアルの城は距離もそこまで離れていないのか、モートはこの速度でも十分そうな雰囲気である。
「敵は予想以上の強者だ。瞬間移動と未来予知の力を手に入れたお前なら一度私の拠点に行けばそこから自由に行動出来るようになる。それによって他の大物悪魔達の力を効率良く回収出来る……。挑んでボロ負けするよりはその方が良いだろう?」
「……チィッ! だが、一理ある……分ーったよ。悪魔で対等だが、作戦とかを考えるのはテメェの方が良い。言われた通りに行動してやらァ……!」
「フフ……。此方としてもその方が有り難い。パートナーなんだ。私の軍には名のある幹部も居ないからな。戦力が強化されるのは良い事だ」
「だが、対等だかんな?」
先を急ぎつつ、今後の行動について説明をするモート。レクスはその言動を見ての通りそれ程賢く無く、自分勝手。なのでモートからすると扱いやすさはあった。
短気な者ならその態度に腹を立てて内部抗争が起こるかもしれないが、何百回も戦いによって死んでいる温厚なモートなら軽くあしらう術も持っているので、ある意味良いパートナーとも言える。
ライたちがルシファーの拠点に向かう中、モートとレクスの二人は自分達の拠点となる場所に進むのだった。
*****
──"地獄"。
血の池。灼熱。暗闇。針山。様々な地獄を抜け、ライ、テュポーン、バアル、フルーレティの四人はルシファーの拠点へと向かっていた。
此方の移動速度は第三宇宙速度程であり、それなりの速度を出してその方向へと向かう。道中、無言で進むのも退屈なのでライはバアルに情報収集を兼ねて訊ねる。
「なあ、バアル。ルシファーってどんな性格だ? 伝承通り傲慢なのか、意外と物分かりが良いのか気になる。それによって話し合いは大きく変化するからな」
「ああ……まあ、傲慢っちゃ傲慢だな。概ね伝承通りの性格だ。自分勝手で傲慢。ナルシスト。光に導く性格。そしてそれを嘘偽りでは無く事実であると理解させる力を持ち合わせている」
「成る程な」
ルシファーの性格は伝承通りであると述べるバアル。基本的に傲慢なようだが、光に導くとも言ったので元・天使であるが為に良い部分もありそうだ。
そしてバアルが称賛する力を持ち合わせているとなると、協定関係を結べたら確かな戦力となりそうである。
「フッ、そんなに強いのなら協定を結ぶ前に一つ戦いたい気分じゃ。自分の力に自信があるからこそ傲慢となってもうたのだろう」
「……」
テュポーンの台詞にライは「お前もだろ」と思ったがその言葉を飲み込んだ。
確かに実力があれば自然と慢心して傲慢になってしまうかもしれない。その例がテュポーンを始めとした現世の支配者たちだ。老体で全盛期以下の実力しかないドラゴン以外は自分の力を過信しており、事実それに伴った力を持っていた。
そんな誰にでもある心の思いを具現化させた程の悪魔。かなりの力を誇っている事は明白だ。
「さて、ルシファーの拠点にはこの速度なら直ぐに辿り着く。着いた瞬間何が起こってもおかしくないから、相応の準備はしておけよ」
「ああ、分かっている」
大罪の悪魔達の拠点は然程離れていない。なので第三宇宙速度でも数時間で到達出来る程らしい。それはつまり十数万キロしか離れていないという事だろう。
先を急ぐライたち四人と、別の場所にて先を急いでいるモートとレクス。地獄で起きた騒動は、予想よりも遥かに巨大なものとなりそうである。




