六百四十八話 テュポーンvsモート・決着・味方との合流
乾きを与える風が再び放たれ、周囲を乾季が覆い尽くす。闇雲ではないにせよ、半ば自棄ではあるようだ。全てを躱されるのならば周りを削って行くという考えなのだろう。
「退屈な攻めじゃ。この程度、目を瞑っても防げるぞ」
「避ける必要すら無いという事か。面倒だな」
吹き荒れる乾きの風を、自身の動きによって生み出される爆風で防ぐテュポーン。モートは果敢に攻めるが全て防がれ、カウンターのように放たれたテュポーンの拳に腹部を打ち抜かれる。
「カハッ……!」
「風に集中し過ぎているようだな。まあ、主は元々余の動きには着いて行けてなかった。追い付けぬ相手に一つの事を集中して攻めなくてはならないのだ。当然と言えば当然よの」
打ち抜かれたモートは小さく息を吐き、そのまま後方へと飛ばされるが途中で堪えてテュポーンの方を向いた。しかし既にテュポーンの姿は無く、何かを悟ったモートは咄嗟に反応して側頭部を両腕で覆った。
「フム、中々の反応速度だ。しかし、やはり実力者だな。それなりの強さなら反応速度が良くとも今の一撃でバラバラだった」
「何て重い蹴りだ……!」
覆った瞬間に放たれた蹴り。それを防いだが腕の骨が折れたのか一部が赤く晴れ上がっていた。
本気ではないにせよ今放たれたテュポーンの蹴り。普通ならばバラバラになっていたというのは嘘や脅しでは無く事実なのでモートにツゥと冷や汗が流れる。
「だが、近距離ならば不利にもなるが此方のやり方も増える」
腕を解いてテュポーンの足を掴み、背後から乾きを与える風を放つモート。動きを封じられるのは力の差から一瞬だとしても、その隙を突けば的確な一撃を与えられるかもしれないと判断したのだろう。
テュポーンは即座に腕の拘束を解き、背後に注意を向ける。目の前ではモートが新たな風を生み出しており、上下前後左右から挟み込むように放たれた。
「ほう? これは確かに確実な一撃が入りそうだ」
考える時間は無い。拘束は解いたが既に乾きを与える風は数十センチの距離にまで近付いてきていた。つまり、後一秒にも満たない数秒で取れる行動の範囲でどうにかするしか無いという事。とてもじゃないが、高い確率で当たってしまう事だろう。
なのでテュポーンは、
「うむ、ならば空気を揺らすか」
──軽く腕を薙ぎ、引き起こした爆風でそれらを防いだ。
先程から何度か実行していた防御方法。なのでこのくらいの作業は簡単に済む事柄なのだろう。
「それで良い。狙いはこれだからな……!」
「……?」
爆風に煽られつつ、片手に込めた乾きの風を球体にした物質をテュポーンの腹部に向かわせる。
そう、近距離からの乾きの風はただのカモフラージュ。本当の目的は更なる近距離。ゼロ距離からテュポーンの身体に乾きを与える事。それを察したテュポーンは飛び退こうと試みるが、既に腹部へとモートの掌が触れていた。
「これで終わらせる……!」
「やるのう。これはちと不味いかもしれぬ」
刹那、風がテュポーンの身体を貫いて見る見るうちにその身体から水分を奪い去る。流石のテュポーンも余裕が薄れており、成す術無く全身が干からびた。
最後にトドメと言わんばかりに全方位から乾きを与え、完全にテュポーンはミイラと化してその身体が全て消え去った。
*****
「ハァ……ハァ……。き、強敵だった……! 死んでも七年後に復活出来るが……それでも危ない事だった……!」
大きく息を荒らげ、先程まで人化した状態であるテュポーンが居た何もなくなった場所を見やるモート。その様子を見る限り、やはりかなり押されていたのだろう。純粋な実力では敵わない存在。それも当然かもしれない。
しかし事は済んだ。事実、テュポーンの姿は消え去ったのだから。モートは直ぐに立ち上がり、再びバアルの城へと攻め込む行動へと移る。
「……?」
そこに、一つの影がモートを見下ろしていた。それは巨大な建物のような影であり、かなり大きな建造物であるという事が窺える。バアルの城だろうか。
しかし、その影を見たモートの脳裏に一つの疑惑が過る。
「……こんなところに、建物なんぞあったか……?」
此処にある建物の有無。バアルの城とは数百メートル離れており、影がこの場所に伸びる事はない。
元々、常に黒煙が広がっており炎による赤い光に覆われた空。影など出来る訳が無いのだ。出来るとすれば灼熱地獄の炎によって建物が照らされた時である。かなり近くに建物が無ければこの様な光景は見れる筈が無い。
「ま、まさか……!」
疑惑を解く一つの考えを浮かべ、あり得ないと切り捨てる。しかし、次に掛かった声によってその答えが事実であると理解する事となった。
『危なかったのう。あの大きさのままならば死んでいたやも知れぬ。いやはや、命拾いした』
「……っ」
目の前に立っていた、バアルの城にも比毛を取らぬ巨大なテュポーンが。
見れば一部、人っ子一人程度の範囲だけ干からびているが、城並みの大きさを誇るテュポーンにとっては虫刺され程度にも思わない程だろう。そして次の瞬間、巨腕を掲げたテュポーンはモートに狙いを定めていた。
『まあ、中々面白い戦いだった。命の危機を感じたのは地獄に来る前、数ヵ月振りじゃ』
「……!」
それだけ言い、バアルの城並みの巨躯から放たれる巨大な腕。それだけでも通常の城や巨大建造物程はあるが、まだまだ本来の大きさではない。
モートは何を言えずに高速の巨腕を受けた。その衝撃で大地が大きく陥没してクレーターが造り出され、巨大地震のような揺れが地獄の広範囲を埋め尽くす。そして潰れたが死んではいないモートを見下ろし、テュポーンは人間程度の大きさに戻った。
「フム、まだまだ本調子ではないな。城程度の大きさを維持するのも数秒が限界……以前命の危機を感じたライとの戦い、予想以上の後遺症だ」
己の姿を確認し、早く本来の力を取り戻したいと切実に願うテュポーン。しかしこれでも十分に戦う事が出来たのでそれはそれで良いようだ。
そしてテュポーンは潰れて死ぬ直前にまでのダメージを受けたモートを回収し、バアルの城へと戻るのだった。
*****
──"地獄"。
テュポーンとモートの戦いに決着が付いた頃。レクスを倒し、黒縄地獄から数キロ進んだライとエラトマはバアルたちと合流していた。
流石に黒縄地獄で話し合うのは少々辛いものがある。なので近場の比較的安全な場所に来ていたのだ。
「バアル。コイツが多分、大罪の悪魔達失踪事件に関係している奴だ」
「コイツが? 白装束姿に洗われていないボサボサの髪。見たところ普通の亡者と何ら変わりは無さそうだが……確かに何らかの気配は感じるな」
気を失っているレクスを見やり、にわかには信じられない表情をするバアル。しかし、やはりと言うべきか大罪の悪魔達の気配は分かったらしく、確かにこの者が関係していると理解したようだ。
「だろ? まあ、此処で話しても良さそうだけど、一旦拠点に戻るか?」
「そうだな。此処で話すのは少し辛いものがある。環境が悪いからな」
バアルの他にフルーレティとダンタリオン、アマイモンもおり、調査隊の主力は全員が集まっている状態。なので詳しい事情聴取は城に帰ってからでも良さそうである。
一旦城に帰る事で話が纏まりそうな時、アマイモンが挙手してバアルたちに訊ねるように話した。
「待て。私が城に行っても良いのか? 少々気掛かりだ。それとも、また外で待機か?」
それはアマイモンの懸念だった。
昨日の事もあるように、バアルはアマイモンが城に上がる事を望んでいない。なのでそれが気に掛かったのだろう。
対し、バアルは言葉を続けてアマイモンの質問に返答する。
「ああ、そうだな。だが、昨日は分からぬ故に警戒もあった。よって、今回は城の外に椅子やテーブル、飲食物などを用意して少し丁重に迎え有意義な話し合いをするとしよう」
「ほう? 少々扱いが良くなったようだ。もしかすると、私が今回の事件に関係していたとでも思っていたのか?」
「まあ、そんなところだ」
昨日の扱いの悪さには、今回の大罪の悪魔失踪事件にアマイモンが関係していると思っていたから。確かに失踪した悪魔の中にはアスモデウスがおり、エラトマとテュポーンの間だけで密約が交わされていた。疑われるのも仕方無い事だった。
だがレクスの仕業である事が分かり、少なくとも犯人ではないという事が分かったので少しだけ扱いは良くなったのだろう。
「そうか。だが、その疑いが晴れたのは少々良い。余計な面倒やいざこざは起こらないという事だからな」
「そういう事だな。さて、城に戻るとするか」
その返答に納得し、会話を終える二人。これにてライとバアル、アマイモンたちは城に戻るのだった。
*****
──"地獄・バアルの城"。
それから数時間後、ライたちはバアルの城に戻ってきていた。時間という概念はあっても今が何時なのは分からないが、体感で今は夕刻くらいだろう。やるべき事がある日の時間経過は早いものだ。
そして城に着いた瞬間、ライたちにはテュポーンの捕らえたモートが目に映っていた。
「遅かったな。余はもう既に事を終わらせているぞ。……当然、主らも主らで事は済んだのだろうな?」
「ああ。それに関する者を連れてきた。まあ、数時間前に捕まえたからもう目が覚めているけどな」
「クソッ! 離せ! 俺は王になる男だぞ!!」
待ちくたびれた様子のテュポーンはやって来たライたちを見て訊ね、ライは頷いてレクスをテュポーンに見せた。
そのレクスはもう意識が戻っているが、相変わらず強気な態度は変わらない。エラトマに力を見せ付けられてこの態度を取れるのはある意味大物かもしれない。
「そちらでも誰かが捕まっているのか。それにしても久しいな、バアル。お前が居ないうちに拠点を攻め落とそうと考えていたが……上手く行かないものだ。いつからこんな傭兵を雇っていたんだ?」
「ああ、久し振りだな。モート。別に雇った訳じゃない。成り行きだ」
その一方では昔馴染みのバアルとモートが互いを睨み付け、敵意剥き出しで仲良く会話する。
確かにテュポーンが居なければ攻め落とされていたかもしれない現状、テュポーンの近くにて、朝着ていた服が違う物になっているアナトの姿を見てそれを実感する。何らかの理由で服が使い物にならなくなり、着替えたという事は分かる。そして捕らえられているモートの存在。理由は明白だろう。
「すみません。兄様。私の力が足りず、テュポーンさんが居なければこの城は落とされていました……!」
その事について震え、歯噛みして悔しそうに告げるアナト。城の警備を任されたのにこの始末。自分自身で情けないと思っているのだろう。
忠誠心と親愛の感情が他の者を遥かに凌駕する程高いアナト。だからこその震えだった。
「まあ、気にするな。モートの実力は幾度と無く殺し合いをしてきた我が一番知っている。今拘束されているのが信じられない程にな。現世のレベルが此処まで高くなっていたとはな」
「フッ。余に掛かれば簡単な作業よ」
バアルの言葉に胸を張るテュポーン。モートの実力を知っているからこその評価だが、それを凌駕するテュポーンの力。これには感嘆の意を示さ去るを得ない様子だ。
ともあれ、ライ、エラトマ、テュポーン、バアル、アマイモン。そしてレクスにモートと役者は揃った。後は尋問と情報収集。事情聴取を行うだけである。
「さて、お前達には色々と聞きたい事がある。まあ、モートの考えはもう知り尽くしている。一番聞きたいのはレクスとやらにだがな。素直に答えろよ」
「フン、王である俺の口を簡単に割れるものか。王は王でも神から成り下がった蝿の王の分際で生意気だ」
「その口の利き方、誰に言っているのかしら? 返答次第では許さないわよ……?」
「……ッ!」
「止めておけ、アナト」
話を聞こうとしたバアルと、大きな態度で返すレクス。しかしアナトの気に障ったのか槍を首筋に当てられ、つーッと鮮血がゆっくり流れる。
何はともあれ、二つの騒動が終わった。これからライたちと敵二人は簡潔に整えられたバアルの城の外にて話し合いを行うのだった。




