六百四十六話 城への敵襲
──"地獄・バアルの城"。
ライとエラトマがレクスと相対していた頃、バアルの城ではちょっとした問題が起こっていた。
城壁に大砲が撃ち込まれて周囲が大きく振動しており、空気の通り道。吹き抜けなどから矢が入り込み、城の中を的確に狙う。
──そう、モート軍が城に攻め込んできていたのだ。悪魔たちは忙しなく迎撃の準備に入り、外から侵入を試みるモートの部下達を阻む。剣戟が行われて金属音が響き渡り、砲弾の爆音と弦の引く音が周囲を駆け抜ける。不意を突かれた侵入に、バアルの部下である悪魔たちは防戦一方の不利な状況に陥っていた。
「城には入れるな!」
「迎え撃て!」
「狭い入り口で塞き止めるんだ!」
「砕け!」
「滅ぼせ!」
「攻め落とせ!」
悪魔たちがモート軍を牽制し、モート軍の者達が構わず突破を試みる。狭い出入口の穴ではモート軍が不利な筈だが、その命を投げ出す進行にバアルの部下は押されていた。
既に城内にも火の手が回っており、味方の悪魔たちが複数やられている。主力たちも何人か居るが、他の場所からも敵が攻めて来ているので駆け付けるのに時間が掛かっているのだろう。
「一気に放て!」
「「「おおおおぉぉぉッ!!」」」
一人の指揮によって雪崩れ込み、より戦況が不利になる。もう駄目かと半ば悪魔たちが諦め掛けたその時、突如として天井が崩れて石の瓦礫が降り注ぐ。それによって周囲に土煙が立ち込めり、何事かと悪魔たちが視線を向けた先には、
「「「…………」」」
「……ッ! 敵軍の兵士だ……!」
「くっ、上階から乗り込まれたか……!」
「外から来る者を相手取りつつやるしかないという事か……!」
複数の敵兵が立っていた。無言で得物の武器類を構えており、その武器類が鮮血で真っ赤に濡れている。それからするに、上階の吹き抜けなどから侵入されたと考えるのが普通だろう。
悪魔たちは絶望を感じつつも構え直し、上階から落ちてきた兵士達と大砲や槌によって砕かれた出入口から入ってくる兵士達を迎え撃つ体勢に移行する。前後に挟まれた形となった今、戦況は最悪だろう。
「案ずるな。余じゃ。この者達が余の部屋に乗り込んで来たのでな。ついでにこの者達の武器で意識を奪っておいた」
「「「……かは……」」」
「「「……なっ!?」」」
「ま、まさか……! 我が軍が……!?」
──そして上階から落ちてきた兵士は短く呼吸をするように息を吐き、同時に血反吐を吐いて地面に落とされる。その身体を踏みつけて潰し、兵士達の武器を片手に、ついでに倒れる兵士達を串刺しにしたテュポーンが姿を現した。貫かれた敵の兵士はテュポーンによってゴミのように投げ捨てられ、城の外に飛ばされる。
その光景に敵のみならず味方も驚愕の表情を浮かべ、畏怖してテュポーンの姿を見ていた。
「……? 何を驚いておる。敵兵を数十人仕留めただけではないか。此処では死ぬ事も無い。故に串刺しにでもして動きを封じれば良かろう」
「え? あ、はい。そうですね……テュポーン様……」
「さ、流石です……」
「お、お見事……」
呆気からん表情で小首を傾げて味方の悪魔たちに話すテュポーン。確かにテュポーンの言い分は最もである。倒せぬなら封じてしまえば良い。そして封じている間にも苦痛を与える事が出来ていれば上々だ。
しかし、悪魔と呼ばれている者たちですら引く程に残忍な行い。"悪"の"魔"では無く、"魔"の"物"であるテュポーンらしいと言えばそうだった。
「さて、一先ず愚かにも"余の城"へ侵入しようとしている無法者共を消し去れば良いのだな?」
「え?」
悪魔が言葉を続けるよりも前に、テュポーンの片腕が巨大化して巨腕となり、それを軽く薙ぎ払った。
──それによって、この出入口から入り込もうとしていた全ての敵兵士達が跡形も無く消し飛んだ。一瞬遅れて爆発的な暴風が吹き荒れ、瓦礫も何人かの味方も吹き飛ばす。同時に巨腕を再び薙ぎ、その暴風を塞き止めるテュポーン。
そして出入口付近には敵の兵士が一人も残っていなかった。
「…………。テュポーン様。此処はバアル様の城です」
「む? そう言えばそうだったな」
あまりの光景を前に何も言う言葉が思い付かず、一先ずテュポーンの城では無いと訂正だけを加える。テュポーンもそれを聞いて納得し、辺りには閑散とした空気が立ち込めていた。
*****
「はあ!」
「ガハッ……!」
テュポーンと悪魔たちのやり取りの一方にて、別の上階の吹き抜け付近ではアナトが長い槍を振るって敵の兵士達を相手取っていた。
既に周りは真っ赤な鮮血の海となっており、切り刻まれ貫かれた兵士達の肉片が転がっている。その肉片を気にせず踏みつけて駆け出し、既に侵入している何人かを切り伏せる。アナトの通った跡に人の形を保っている兵士はおらず、武器が槍であるにも拘わらず全てが細切れにされていた。
「兄様のお城を滅茶苦茶にして……! 許せないわ、モート! 前みたいに切り刻んで畑の肥やしにしてやろうかしら……!」
「「「ヒイィィィ……!」」」
バアルの城を崩され、苛立ち心の底から憤るアナト。その威圧に敵の兵士達は情けない声を上げて戦線を離脱する。そして次の瞬間、一瞬にして追い付いたアナトがその身体を貫き続いて粉微塵に切り捨てた。
怒りのままに槍を振るい、城内を駆け抜けて美しい黒髪と端正な顔。その身体を血で濡らして次々と打ち仕留めるアナト。その進行は、
「そこまでにして貰おうか、アナトよ。此処まで我が軍の兵士を消されては、私が出ざるを得なくなる」
「……っ。出てきたわね……モート!」
──敵の主格であるモートによって阻まれた。
槍はモートが作り出したであろう炎の壁によって止められており、周囲に居た味方の悪魔たちはその肉体が乾き切ってミイラと化していた。
「"死"と"乾季"……そして"炎"を司る死神……悪魔たちは死んでしまったようね。次に生き返るのは何年後かしら……」
「余裕があるな。まあ、私は一度お前に殺されている。その余裕も納得だ」
モートは"死"と"乾季"の神である。しかしそれと同時に炎の神でもあるのだ。なので炎を操り、アナトの槍を受け止めるくらいならば造作もない作業なのだろう。
炎の壁に捕らわれた槍を抜き、アナトは飛び退いて距離を置く。そして警戒を高め、モートに構え直した。
「なら、もう一度殺して差し上げましょうか? モート……!」
「いや、遠慮しておく。幾ら死んでも生き返るが、蘇るのには七年掛かるからな。地獄が混乱している現状、今から七年も待っている暇はない」
踏み込み、床を砕く勢いで加速してモートに槍を突き刺すアナト。それをモートは予め予知していたかのように炎の小さな壁で防ぎ、炎で槍を創り出して牽制する。その槍をアナトは華麗な動きで全て躱し、徐々に距離を詰めて槍を連続で突き刺した。
「城の破壊を怒りながら、自ら城の床を砕くか。矛盾しているな」
「私はいいの。貴方のような余所者が兄様の城を破壊するのが許せないだけよ……!」
「自分勝手な妹君だ」
連続の突きを躱し、左右から炎で襲うモート。アナトは跳躍してそれを避け、縦に回転しながら距離を置く。そこに乾きと死を与える何かの力が攻め入り、アナトは熟練の身の塾しで全て避け切った。
「相変わらず変な力ね。乾きを与えるって、身体の水分でも奪っているのかしら。脱水症状になるよりも前に干からびるものね。というか乾季とは違う気もするし」
「乾きも炎も死に繋がる事柄。変と言われても私が使えるのだから仕方無いだろう。気にしない事だ」
高速の槍捌きで嗾け、その言葉を気にしないモートが炎と乾きを操って防御と共に攻め行く。それらを躱し、モートの眼前に迫った槍が空を切った。
「外した……! けど、まだまだよ!」
「やはり速さも力もあるな。攻撃が当たらぬ」
蛇のように蠢く炎と乾き。乾きというのは概念なので姿形はないが、風のように見えない力が城内。主にアナトの居る近隣を埋め尽くしていた。
しかしその二つは掠りもせず、流すように避け切って槍の剣尖を突き立てる。
「攻撃が当たらないのは貴方も同じようね。悉く防がれるのは少々嫌な気分だわ」
「ならば、互いに一撃ずつ受けるというのはどうだろうか。それならストレス無く事が済む」
「それ、殆ど即死の攻撃を放てる貴方が圧倒的に有利じゃない」
「バレたか」
槍を横に薙ぎ、モートはしゃがんで躱す。次の瞬間に床下から複数の火柱と乾きの風が立ち上ぼり、身体を捻って紙一重で躱し切った。
その間に目にも止まらぬ速度の突きを放つが、それを全て避けられる。一瞬のうちに幾千もの鬩ぎ合いが織り成され、モートの身体に槍が突き刺さってアナトの片腕を炎が焼く。互いに負傷し、二人は次の行動に移った。
「あれだけ攻撃をしてたった一撃。しかも致命傷に程遠いダメージが関の山か。やはり手強いな、アナト」
「それは此方の台詞でもあるわね。前は簡単ではないにせよ的確なダメージは与えられていた。けれど今回は全く当たらないわ」
「以前はバアルを討ち仕留めた後だったからな。怒りでお前の力も増加していたのだろう。まあ、私自身以前よりも力が上がっているのもあるのだろうからな」
アナトはモートを殺し、切って焼いて潰して粉々にして畑の肥料にした事がある。つまり一度は倒した相手という事だが、どうやらモートも力を上げているらしく苦戦を強いられているようだ。
元々神と謂われる者が弱いという事は無いが、少々想定外の強さであるという事だろう。
「それなら、尚更自由にさせる訳にはいかないわね。何とかして止めるか殺害するしかないわ」
「また物騒な事を。生き返るとしても痛みを感じるのだぞ」
炎を嗾け、アナトが槍を回して起こした旋風でその炎を消し去る。先程から剣尖のみで剣のような戦い方をしていたアナトだが、その実力がハッキリと分かったので槍本来の動きに移行したのだ。
最も、槍本来の動きには炎を旋風で消し去る事が入っているか分からないが。
「一気に仕掛ける……!」
「……!」
炎と乾きを生み出し、蛇行するようにそれらがアナトを狙った。それをアナトは踊るような、流れるような動きで躱して行き、槍を回しながらモートに肉迫する。
「はあ!」
「……!」
一気に詰め寄り、長槍を大きく横に薙ぐ。モートは躱したがそれによって空気が切り裂き、真空が生まれて周りの空気がそれを補う為に吸い込まれる。一迅の風が吹き抜けた。
モートは一旦距離を置いて床に片手を着け、再び床下から上昇する炎と乾きを放つ。それをバックステップで避け、駆け出すと同時に左右の壁を蹴って空中を移動しながら前に進む。槍を回し、再びそれを大きく薙いだ。
「そこだ……!」
「……ッ!」
それを躱され、隙を突かれたアナトはモートの掌底打ちを腹部に受けて吐血する。
そのまま連続で腹部や胸、顔面に拳が打ち付けられ、アナトの身体は空中に舞い上がった。そこの下からサマーソルトキックを入れられて吹き飛び、天井に激突してその天井を砕く。瞬間、上階から炎が放たれ、アナトの身体を熱で焼いて衝撃でモートの居る階の床に叩き付けられた。
「まさか……! これ程までとは……!」
「悪いが、チャンス時に無駄話はしない。一気にトドメを刺してくれよう!」
衣類と共に肉体が焼け、内臓の負傷と共に大火傷を負ったうつ伏せのアナトがモートを睨むが、チャンスに余計は話をしないモートが死を与える乾きの風を周囲に漂わせた。
やはりアナトの存在は警戒しているらしく、早めにトドメを刺そうと考えているようだ。
「はっ!」
刹那、その風が間を置かずに放たれた。
蛇行し、上下左右と逃げ場の無い風が突き進む。アナトは全身火傷の大怪我を負いつつも槍を用いていなし、自分に近付く風は逆に掻き消す。しかしこのダメージで持つ筈もなく、風が片手を通り過ぎ乾きを与えて手が落ち槍も落ちる。
「……ッ! 腕が……!」
「逃げ場は無い!」
乾いてミイラになった腕が落ち、激痛で身体の自由も利かなくなったアナトに向け、最後に全方位から乾きを与える風が吹き抜ける。これを受けてしまえば、確実に死する事だろう。
アナトは反射的に残った片手で顔を覆い、朽ち果てる覚悟を決めた。
「「「ガハッ……!!」」」
「「……!?」」
──その刹那、石造りの床が大きく砕け、モート軍の複数の兵士達が下から舞い上がってきた。二人の動きは止まり、モートの乾きはモート軍の味方の兵士に与える。そのまま連鎖するように周囲の床が粉々になり、一つの巨腕が姿を現した。
「これは……!」
「誰だ!?」
巨腕を見、何か心当たりがあるアナトと何が起きたか分からず、巨腕の主が居ないにも拘わらず訊ねるように声を上げるモート。当然持ち主の姿は見えないが、声が聞こえてきた。
「フム、ちとやり過ぎてしまったか。城の一部が砕けてしまった。まあいいかすぐに直るだろうからな」
「テュポーンさん……!」
その声から、アナトは誰か理解した。巨腕が床下に沈み、次いで人形のテュポーンが跳躍して姿を見せる。
「……? 取り込み中のようだな。すまない。城を一部砕いてしまった」
「あ、いえ。大丈夫です」
「テュポーンとな……! 成る程、大物が此処に居たようだ。というか、仲間なら城を破壊しても良いのか」
石造りの道に立ち、二人の姿を確認したテュポーンはモート軍の兵士達への追撃を止めて珍しく謝罪する。それに返すアナトと対応の違いに疑問を浮かべるモート。そしてそのテュポーンはモートの方を一瞥した。
「ほう? それなりにやりそうな者だ。お主がモートか?」
「ああそうだ。それで、何の用だ?」
「見たところアナトは既に満身創痍……暇潰しに余が相手取ってしんぜよう」
「そうか。簡単な話で良かった」
巨腕は使わず力を込め、モートに構えるテュポーン。恐らくアナトが万全の状態でも勝負を挑んでいたのだろうが、それは捨て置く。モートもモートで炎と乾きを生み出し、テュポーンに向けて構えた。
モート軍に攻め込められているバアルの城。リーダーのモートとバアルの城に居る恐らく最強のテュポーンが向き直る。ライたちがレクスを連れてバアルの元に向かっている中、別の戦いが進むのだった。




