六百四十四話 黒縄地獄
──"地獄・バアルの城"。
昨日の調査から数時間。地獄に朝昼夕夜の概念は無く、何日経過したのかも感覚でしか分からないが、元の世界風に言えば恐らく夜が明けた時間帯。ライたちは談義室に集まっていた。
一ヵ月と三週間。そして一日。ライたちが地獄で過ごした時間だが、現世ではまだ数分程度だろう。何はともあれ、談義室で行われているのは今回の事件についての話し合いである。
「じゃあ、今日も変わらず地獄の探索を行うとする。新たに仲間……では無いが協定関係を結ぶ仲となったアマイモンは我と共に行こう。他の者たちは八大地獄と小地獄。そして城の警備を任せた。モート達はまだ行動を起こしていないが、それも時間の問題だろうからな。城の方も厳重でなくてはならない。探索組みは我とフルーレティ。ダンタリオン。ライとエラトマ。城の警備にはアナトとテュポーンを始めとした者たちが残っていてくれ」
今回の事件についての話し合いだが、その中でも主な話し合いの内容は今日の行動について。
アマイモンの率いる軍は現状敵対しない事となったが、他の大罪の悪魔達。そしてバアルの血縁者であるモートと敵は多い。なので捜査する者たちと城の護衛で分けたのだ。
しかしその事に納得し兼ねるテュポーンはつまらなそうに吐き捨てた。
「なんじゃ。余は城の護衛か。つまらんのう。聞いた話、昨日は特に何も起こらなかったと言うではないか。そんな退屈な城など護っても意味無かろうに」
理由は当然、暴れる事の出来る機会が少ないから。
身体の調子も戻りつつある現在、より身体を動かして早いところ調子を本来のものに戻したいのだろう。バアルは肩を落として言葉を返す。
「すまないな。だが、"もしも"は必ず起こる。何も起きないと楽観した挙げ句の果てに滅びたモノは多いからな。事実、大罪の悪魔達が失踪するという誰も予想だにしなかった事柄が起こっている現状、用心するに越した事はない」
バアルの示す"滅びたモノ"というのが何か分かり兼ねるが、単刀直入に言えば備えあれば憂い無しという事だった。
地獄で何年も何千年も過ごしているバアルはその様な事を幾度と無く目撃してきたのだろう。なのでアナトに加えてテュポーン程の実力者を城に置き、確実な安心と安全を得て行動しようという魂胆らしい。
捜査する者たちの戦力が不足していた訳では無いが、新たにアマイモン達が加わる事で城の方に警備を増やしたいという心境なのだろう。
「そう言う事らしい。テュポーン。お前は城を任せた」
「……。フム、アスモデウスが攻めて来た時も余は何もしなかった。今日敵が攻めてこなければ暴れるぞ?」
つまりOKという事だろう。
敵が来なければ本当に暴れるかもしれないが、少なくとも今日一日は留守を任せても良いらしい。仮にテュポーンが暴れてもエラトマが嬉々として止めに入るだろうし、バアルたちも居る。なのでライにそこまで不安はなかった。
「よし、そうと決まれば急ごう。こうしている間にも謎の気配は動いているかもしれないからな。アスモデウス達はまだしも、地獄の支配者を謳われる我以外の二人や他の大罪の悪魔達も気掛かり。もしもその者達が敵となれば到底対応し切れない。気を付けて行くように」
「「「はっ!」」」
「ああ!」
【クク……オーケー】
「今日だけぞよ」
バアルの言葉に悪魔達が返答し、ライ、エラトマ、テュポーンも続くように返す。これにて今日の日程は決まった。
バアルとアマイモン。フルーレティにライ、エラトマは城の外へと向かい、退屈を潰す為に城で行動を起こすテュポーンだった。
*****
──"地獄・某所"。
「この身体にも大分馴染んできたな……。やはり大罪の悪魔は凄まじい魔力を秘めた存在だ……魔法や魔術の威力も精度も……後なんか色々な力もかなり上がっている」
炎の燃え広がる地獄の一角にて、一人の亡者が複数の山と悪魔達を消し飛ばしてその力を実感していた。語彙力は足りないが、確かな力にはなっているらしい。
亡者は切り崩し消し飛ばした山の残骸に座り、周りの悪魔達にゆっくりと触れる。
「だが、この程度じゃ他の大罪の魔王やアスモデウスを吹き飛ばした謎の少年には勝てない……。強欲のマモンが作用しているのか、この身体は一部を生き返らせずとも吸収出来るようになったし、雑魚悪魔達を狩って力を溜めるとするか。その後他の魔王を狙う……!」
長い独り言を呟き、打ち倒したであろう悪魔を己が肉体に収める亡者。更に魔力が増強し、肉体的にも強化される。力を取り込む事で倍以上に増幅する力。この場にひれ伏して居る悪魔達を全て吸収した時、ただでさえ脅威的なその力は爆発的に増幅する事だろう。それはかなり恐ろしいものだ。
しかしまだまだ満足しておらず、次の狩り場へと向かう亡者。軽く跳躍し、空気を蹴って加速した。
「おお。元々は音の速さにもなれなかったのに、今じゃ何千倍だ?」
亡者も恐らく人間。それなりの力を秘めていたとしても、その速度は精々常人と同じく時速数十キロ。もしくは常人の二倍程度だった事だろう。世界最強と謂われている人間だが、常人と謂われている立場の者は大した力を秘めていないのだ。
しかしそんな者が三人の大罪の悪魔。数百の小悪魔を吸収しただけで雷速並みの速度となっていた。アスモデウスの第五宇宙速度にも遠く及ばない速さだが、それはかなりの進歩である。
「次に狙うのは誰にするか……暫く雑魚悪魔共を吸収するか……。ハハハ……! 楽しみだ。俺に苦痛を与えた地獄に、逆に地獄を見せてやるよ……!」
誰も聞いていない場所にて己の野望を声に出し、更に加速して地獄に広がる深紅の空を突き進む。大罪の悪魔とも、モート軍とも違う第三者。ただの亡者だった者。
今後始まる地獄を揺るがす大事件の引き金は、既に引かれていた。
*****
「エラトマ。気配は?」
【クク、あったぜ。だが、なんか変だな。前より気配が増えてるぜ】
「気配が?」
この場に兵士も連れず二人。エラトマに気配を探らせていたライは、エラトマの返答を聞いて疑問を浮かべる。
確かに気配はあったようだが、その気配が増えているとの事。エラトマは言葉を続ける。
【ああ。だが、どれも大した気配じゃねェ。大罪の悪魔三つの気配はあるが……小せェ気配が何百にも増えてやがるんだ】
「軍隊でも作ったのか? まあ、確かに三人の悪魔達が協力してるなら別におかしくない」
その言葉を聞き、軍隊を作っているのかという結論に至る。確かにそう考えるのが自然だろう。
そもそも、アスモデウス以外の悪魔や他の悪魔達を見た訳では無い。学者などにとっては見ていない事に推測を絡めて考えるのは普通の事だが、好奇心が旺盛で本をよく読んでいただけという、数ヵ月前まで普通の生活をしていたライに見てもいないモノを推測しろというのは少々大変だ。
【で、どうする? その場所に行くか?】
「当然だ」
返答の分かり切った事を訊ね、その予想通りに返すライ。エラトマはクッと笑って気配の感じた方向を向き、軽く踏み込んで加速する。それにライも続き、気配のあった場所へと向かう。
*****
──"地獄・針山地獄"。
「成る程。時既に遅しってやつか。此処は針山地獄だった。……筈なんだよな?」
【クク……ああ、そうだな。半分は残っているが、もう半分の針山は平らな山……いや、平地になっちまってる。周りに幾つも落ちている針の欠片と麓付近に残った針がその面影を映し出している感じだな】
平らになった針山地獄を見渡し、既に敵が居ない事を理解する二人。此処で罰を受けていた亡者達や罰を与えていた鬼も転がっているが、悪魔の姿はない。確かに必ず居るという訳では無いが、これ程の場所に一人も居ないのは少々気掛かりだ。
「悪魔達は居ないみたいだな……。そう言えば、等活地獄にも悪魔の姿は無かった」
【此処に居た悪魔は恐らくさっき掴んだ気配と関係しているぜ……。だが、等活地獄の悪魔は分からねェな】
悪魔達の存在。気にはなるが、何がどうなったかは分からない。なのでその事は一先ず置いておく事にした。
となると気掛かりは、やはりというべきか先程感じた大罪の悪魔達と複数の悪魔の気配だろう。もしも大罪の悪魔達が移動したのならば、もうかなりの距離が離れている筈。なのでライはエラトマに視線で指示を出した。
【クク、任せろ。さっき気配を感じた時から約二、三十分。誰かが居たならその移動距離からソイツ……もしくはソイツらの速さも分かってお得だ】
ライの意図を読み解き、気配を探るエラトマ。これによって先程感じた此処からの気配から、どれ程場所が離れたのかが分かれば相手の移動速度も大凡推測出来るようになる。なので敵を見つける事以外にやるべき事もある状態だ。
暫く辺りに集中し、何かを感じ取ったエラトマがライに向けて話す。
【見つけた。距離はそんなに離れていねェな。数万キロくらいだ。となると、速度は雷速から第四宇宙速度の間くらいだな。……クク、面白いのは小悪魔もその距離を離れているって事だがな】
「そうか。何万キロかは曖昧だけど……それが分かっただけで十分だな。おかしな点はどいう訳か悪魔も含めて全員がその場所に居るって事……。数百の小悪魔が雷速以上の速度で動ける程の実力者ならバアルたちの軍も危険な気がする……」
小悪魔に秘められた力。感じられる気配からしても第三者になりうる者は居ないとして、大罪の悪魔三人と複数の小悪魔がいる。つまり、ライとエラトマの推測通りならばその子悪魔達全員がライの力に匹敵するモノとなる可能性があるのだ。
爵位を持つ悪魔や名のある悪魔と違い、名も無き悪魔がそれ程の力を扱えて大罪の悪魔達が手を組んでいたらとてもじゃないがバアル軍の勝ち目は薄いだろう。
【俺的には面白くて良いがな。少なくとも主力クラスの実力者が多数居るって事だろ? 張り合いが無かったから好都合だ】
「お前はそうかもしれないけどな……いや、やっぱいいや。お前の性格からして何を言っても楽しむ事は止めないだろうし、今から俺たちが向かうからバアルたちへの進行を止められるかもしれない」
【ハッハ! 分かってるじゃねェか! 厄介な相手程良い! さっさと行こうぜ!】
気配を探知したライとエラトマはその場所へ向かう。先程から移動続きだが、災害が歩みを止める事が出来ないようにその移動を止める事はそう簡単に出来ないのだろう。特に敵を多数作るようなやり方をしている場合、安息が命取りになるからだ。
最も、今地獄に居る者はライたち以外全員命など持ち合わせていないが。ともあれ、場所が分かったのなら早く行かなければまたすれ違いが起こってしまう。なのでライとエラトマは雷速を超える速度を出し、気配の後を追うのだった。
*****
──"地獄・黒縄地獄"。
此処は、昨日の等活地獄の下部に位置しているという黒縄地獄。熱く焼け、赤く染まった鉄の地面が存在しており、熱い縄で罪人を打ち付け縄痕に沿って焼けた斧や鋸で罪人を切り刻む地獄である。
等活地獄の十倍の苦痛が伴うとされ、罪人は此処に数十兆年を過ごすと謂われている。そして地獄の世界に置いて二番目に優しい地獄だ。
「熱いな。等活地獄は見つからなければ比較的安全な場所だったけど、此処は居るだけで苦痛だぞ」
【そうだな。此処の小地獄は高いところから針の地面に落とされたり獣に肉を啄まれたりだったか。安全な場所なんか何処にもねェな】
黒縄地獄にて周りを見渡し、立つだけで苦痛が伴うと理解した二人。一応二番目に優しい地獄だが、こんなところを拠点にするのはおかしい気もしていた。
しかし等活地獄が昨日の騒動によって拠点に出来なくなったのならば、消去法で黒縄地獄を選ぶのも別におかしくないかもしれない。
「それで……気配はまだあるか?」
【ああ、あるな。更に気配が増えている気もするが……取り敢えず移動はしていない。結構近くに居るぜ】
そんな黒縄地獄にて、エラトマに再び気配を訊ねるライ。
どうやらまだ気配は残っているらしく、その気配は増加しているようだ。何故かは分からないままだが、その存在に近付いているのは確かだった。
「変だな……。そんな近くに気配があるなら此処に見張り役か何かが一人くらい居てもおかしくないのに……」
それを聞き、違和感を覚えて疑問を浮かべるライ。というのも、数百の気配があるのにこの場から誰一人見当たらないというのは明らかに変だからだ。
疑問を浮かべるライに向けて不敵に笑うエラトマは更に続けて話す。
【クク……その秘密も近付けば分かるって事だろ? 俺も理由は分からねェが、答えは近くにある。此処から南に数キロだ】
「ああ、そうだな。行った方が良さそうだ」
エラトマに場所を教えて貰い、念の為気配を消しつつその近くへと急ぐライ。音でバレぬように音速も出しておらず、数分掛けて言われた場所に向かう。
「……! あれか……! ……? あれ? たったの……一人?」
そして数分後、例の辿り着いた場所にて──たった一人しかいない気配の持ち主を視界に入れるライだった。




