六百四十話 飢餓地獄
話し合いが終わって談義室から外に出たライたちは、早速行動に移る事にした。
そのまま城の外に出て、地獄の熱く重苦しい空気を味わう。中々不味く気分の悪くなる空気だ。言い付けを守る事とは別に、それもあるのであまり城の外には出ていなかったライたち。だが今回ばかりはバアルの城に住む主力たちが動き出している。
「皆ー! 気を付けてねー!」
だが、バアルの城に誰も残らないのはそれはそれで問題がある。故に、バアルの妹であるアナトが残っていた。
戦闘の女神でもあるアナトならばライたちやバアルが居ない城の方もほぼ安全が確保される事だろう。他の主力も一部が城に残っているので、城の方は問題無さそうだ。
「さて、先ずは何処から探してみるか……」
一先ず地獄の探索は手懸かりを掴む為の一歩となる。なのでライは辺りを見渡し、何処から当たるか考えていた。
そこに、同じく考えるエラトマが提案した。
【そうだな。大罪の悪魔が狙われているから……んじゃ、他の魔王の城を先に攻め落としちまおうか】
「それは良い。たまには良い事を言うではないか、お主」
「そうか。却下だ」
即答だった。
エラトマの提案とテュポーンの同調。それに対するライの返答である。
確かに混乱に乗じて、今のうちに魔王達の城を襲撃するのもバアルの目的を達成する事に近付く一歩となるかも知れない。だが、エラトマの言うように過激な案はリーダー格のライが即答で却下する。現世の時から恒例な、もはや見慣れた光景だ。
「ツレぬな。もう少し過激派になったらどうだ? その方が事は早く進むだろう」
「不特定多数から恨みを買われるような事は駄目だろ……。それに、地獄は征服対象じゃない。流石に罪人達の管理は大変だからな」
つまらなそうに吐き捨てるテュポーン。ライは基本的に穏便派なので、過激なのはNGという事だろう。
それなのに世界征服を目的とするのは少々矛盾しているが、地獄と現世は違う。地獄よりまともな者が多い現世ですら征服した後は苦労しそうなものなので、流石に地獄までは手が回らないようだ。
「先程から征服がどうとか物騒だな。まあいい。我は灼熱地獄と極寒地獄の辺りを探してみる。お前たちは飢餓地獄を調べてみてくれ。他の主力は血の池や針山などの他の地獄を頼む」
「ああ、分かった」
「了解」
世界征服の事はさておき、ライと主力たちに指示を出すバアル。手懸かりは他の地獄にありそうなのでそちらの捜査を頼んだ。
それにライと他の部下たちが頷いて返し、地獄の捜査が始まった。
*****
「さて、俺たち三人は飢餓地獄か。確か此処は生前に欲深くあらゆる物を必要以上に欲したり他人に食料とかを分け与えない者が落ちる地獄だったか」
【物を欲しがったり他人を陥れるだけでこんな地獄に落ちるなんて変な話だな。俺様なら即座に破壊するぜ】
「全くだ。物を欲しがるのは当たり前だろうに。まあ、余は退屈凌ぎが出来れば良いのだがな」
「お前たちみたいな奴らが落ちるんだな。納得だ」
飢餓地獄に到達したライ、エラトマ、テュポーンの三人は、他愛のない会話をしながら進んでいた。
此処はその名の示すように食料なども無く、喉を潤すような水も無い。砂漠地帯に近い感覚があった。しかし砂も死んでおり、色の抜け落ちた小さな欠片でしかない。枯れた木々が寂しく迎え、飢えた亡者達が水と食料を求めて彷徨う。
だが、当然そんな物は存在する訳も無い。いや、あるにはあるのだが、それは幻覚。目の前に喉から手が出る程欲する食べ物の幻影が映り、亡者が近付いた瞬間に消え去る。食べ物を求めて動く事で更に空腹が増しているようだ。減るのに増すとは中々の皮肉である。
死者に感覚は無い筈だが、敢えて空腹という感覚だけを呼び起こしているのだろう。生前にあらゆる物を欲し過ぎた罰なので当然と言えば当然だ。
「此処では話を聞けなさそうだな。逆に俺たちが食われちゃいそうだ」
【骨と皮しか残っていねェ亡者と違って、俺たちには肉も水分も豊富だからな】
「人間や魔族の肉など高が知れているというのに。惨めだな」
「いや、お前も今は人間の姿だろ。テュポーン」
フラフラと彷徨う亡者を見やり、警戒するライと苦しむ様を楽しむエラトマ。テュポーンは魔物目線で話しており、ライはそれを指摘していた。
ともあれ、罰を受けている最中の亡者達に関わっている暇は無い。例え襲われてもライたちならば片手を動かすだけでバラバラに出来るので気にせず奥の方へと進んでいった。
「手懸かりは特に無いな。亡者の中に犯人が居るかもと思ったけど亡者達は常に罰を受けているから日に日に増えたり減ったりするらしいし、誰にも可能性はある。てか、兆を超える数の人間や魔族、その他の種族が居るから犯人が居たとして、一人の犯行にしても組織単位の犯行にしても探し出すのは大変だ」
【あァ。一生掛かっても無理かも知れねェな。まあ、地獄では生きているお前たちの身体すら成長しねェらしいし、一生なんてものは存在してねェかも知れねェけど】
掴めた手懸かりはゼロ。それも当然だろう。今の世界が形成された時、死者の行く末として創り出されたあの世。その一つである地獄。数百億年間に増え続けた悪人が居るので、その数からして宇宙に顕在する様々な惑星に存在する砂漠の砂から一粒の砂を見つけるような難易度なのだ。
兆、京、垓を遥かに超越する砂の中から砂粒を見つけるなど全知の者か余程の幸運の持ち主。もしくは捜索対象の本人でない限りは不可能である。
「そう言や、エラトマ。お前って魔術にも長けていたよな? まだ誰の仕業かは分からないし、犯人が居るのかも分からないけど、何か捜索する魔術とか無いか?」
ふとライは、エラトマは様々な魔術を使っていた事を思い出して訊ねるように話した。魔術によって全能を謳われる神々も多い。なので何かを探す魔術が無いか気になったのだろう。
その質問に対し、周りを眺めていたエラトマは返答する。
【まあ、無くは無いな。肉体のあるこの姿なら、全盛期には遥かに劣るが出来ない事もねェ。誰を探すのか分からねェと厄介だがな】
「じゃあ頼む。試しに消えた大罪の悪魔達を探してみてくれ。強い気配なら鮮明に探れる筈だ」
【分かったぜ。だが、此処まで気配が無いって事は感覚を研ぎ澄ましても簡単には見つからない場所に居るのは確か……少し時間が掛かるぜ?】
「ああ。大丈夫だ。闇雲に動くより良い」
魔力を込め、感覚を研ぎ澄ませるエラトマ。ライとテュポーンはエラトマを囲むように立ち止まり、エラトマが気配を掴むのを待つ。
そんな三人の元へ、近付いてくる人影達があった。
「……!」
「生き物……人間だ……」
「に、肉だ……血だ……」
「あ……アアウ……ァ……」
それは、飢えに耐え切れなくなった飢餓地獄の亡者達。ライの事を肉として見ており、内部に宿っているであろう血液を水としながらフラフラと寄ってきた。
人間。ライは魔族だが、そんな見た目であり人という事は分かっているらしいが分かった上で己の空腹を満たしたい感覚なのだろう。
見れば片手や片足。両手足の無い者もおり、その者が他人によって食われた後。もしくは自分で食った後があった。地獄では肉体が再生するものだが、手足を無くす事で更なる罰を与える為に敢えて再生させず彷徨わせているようだ。
「人間? 余を人間如きと一緒にするでない……地獄でもう一度殺すぞ……!」
「俺も魔族だが……まあ見た目だけなら人間と一緒か」
四肢の欠損した無数の亡者達を前に、人間として見られた事に腹立たせるテュポーンと人間ではないと一応訂正を加えるライ。
二人は余裕のある態度で亡者達を見ており、構わず亡者は歩み寄る。
「これは……エラトマの邪魔になりそうだし不本意ながら追い払わなきゃ駄目っぽいな……」
「フフ、良かろう。最近身体を動かしていなかったからの。良い準備運動だ」
【ハッ、羨ましいな。お前ら】
エラトマには時間が必要。そしてこの亡者達は恐らく、ライたちの血肉から骨を食らい尽くすまで止まらないだろう。故に、少々手荒だが亡者達を一度打ちのめす事にした。
恐らくもう痛覚などの感覚も殆ど残っておらず、僅かな視力で目の前のライたちを襲う筈だ。だからこそ、相手の状態はどうあれ慈悲は無用だった。
「……。おい、アンタら。聞きたい事があるんだけど……」
「オォオアァァァ!!」
まともな意識のある者は居ないか、もしも残っているのを打ちのめしたら寝覚めが悪いので念の為に話を聞くだけ聞いてみようとしたがやはり不発。ならば致し方なさそうである。
「仕方無いか……!」
「……!」
軽く跳躍し、空中回し蹴りを放つライは自分に襲い掛かる亡者を吹き飛ばした。それと同時にいつの間にか数百人集まっていた亡者の中に飛び込む。
「悪いが、暫く消滅するか離れていてくれ」
「「「……ッ!」」」
飛び込んだ瞬間、片足を軸に両腕と片足を突き出して周りの亡者を他の亡者にぶつけて吹き飛ばす。その直後片足で跳躍し、空から亡者達を次々と薙ぎ払った。
そして着地し、大地を踏み砕く勢いで加速して飢餓地獄の枯れた山河ごと亡者達を遠方に殴り飛ばす。今のライは魔王の三割に匹敵する力。ほぼ確実に肉体はバラバラだ。例え身体が残っていたとしても、これ程の距離ならば時間は稼げるだろう。
「食わせろ……!」
「温かく……柔らかい肉を……!」
「「食わせろォ!!」」
ライの一方で、テュポーンにも複数の亡者達が迫り来ていた。食に飢えており、殆ど意識の無い亡者達には何がなんでも食そうという意思が感じられる。
迫る亡者を見たテュポーンは一言。
「余を食そうなど、身の程を知るが良い、地獄の亡者共……!」
「「「…………!」」」
片手だけ巨腕となり、周囲の亡者を薙ぎ払う。力はまだ戻り切っていないみたいだが、地獄にとっての一ヵ月が経過しているので少しは力が戻ったらしい。
巨腕に薙ぎ払われた亡者達はバラバラになって砕け散り、人間の身体で炎を吐き付けて残骸を焼き捨てる。地獄では殺しても殺した者が生き返る。故に、手加減はしていなかった。
最も、此処が仮に現世でもテュポーンは手加減などする器では無い。特に自身を食おうと襲い来る者など、手加減する筋合いは無いという事だ。
「そらよっと!」
「「……ッ!」」
前蹴りを放ち、前方の亡者を吹き飛ばすライ。次いで放った回し蹴りで周囲の亡者を払い除け、周りの亡者を弾丸のように飛ばして更なる広範囲の亡者達を打ちのめす。
「邪魔だ……!」
「「……ッ!」」
そしてライよりも容赦なく、瞬く間に亡者達を消滅させるテュポーン。この間ほんの数秒だが、一瞬にして周りの亡者達を大多数消し去った。
その横で行っていたエラトマの探知魔術も既に終えており、ライとテュポーンの様子を見ていたエラトマは不敵で軽薄な笑みを浮かべながら口を開いた。
【オイ、お前ら。大罪の悪魔達の大体の位置は掴んだぜ。だが少し変だな……あり得ねェ話じゃねェが】
「「……?」」
大罪の悪魔の居場所。そこを掴んだと述べるエラトマ。しかし何やら含みのある言い方をしており、ある程度の亡者達を押し退けたライとテュポーンはライの土魔術で簡易的な壁を造って亡者達の侵入を阻みつつエラトマの側に寄る。
二人の姿を確認したエラトマは言葉を続けた。
【ただ単に悪魔同士で手を組んでいるだけかも知れねェんだが、消えたっ言ー奴らの気配が一ヶ所に纏まってんだよな。アスモデウスの気配は分かる。で、同じような気配が二つ……考えられる線は悪魔共が同じ場所に居るって事だ】
「なんだって?」
エラトマの口から出た言葉は、意外なものだった。
確かに魔王同士で協力する事もあるだろう。だが、失踪を遂げたと言われている魔王達。仮に三人が内密に手を組み合っていたとしても何らかの情報は入ってくる筈。何も情報が無く、突如として消えたと言われている三人が本当に手を組んでいるのだろうか。
「部下達の気配は?」
【特にねェな。三人だけ、全く同じ場所で纏まっているぜ】
「……」
「ふむ……」
自分の質問に答えたエラトマの言葉を聞き、思考するように無言になるライ。テュポーンはただ静聴しており、小さく相槌を打っていた。
何はともあれ、行ってみない事には何も分からないだろう。
「場所は?」
【クク、勿論知ってるぜ】
「なら行こう。三人が何をしているかは分からないけど、行ってみた方が良さそうだ」
即答だった。
場所が分かればそこに行くという選択肢以外は無い。元々消失した魔王達を探すのが目的だからだ。
ライの返答を聞いたエラトマとテュポーンはニヤリと笑い、エラトマが言葉を続ける。
【ハッハ! そう言うと思ったぜ。この退屈な一ヵ月間に比べて、随分忙しくなりそうだ】
「フッ、ついでにその者達を纏めて消し去れば事は早く済む……」
「……。今回の目的は一応調査なんだから、敵が居てもやり過ぎるなよ……」
やる気の漲る二人を見、呆れたように肩を落とすライ。しかし目的地は決まったので、後はそこに行くだけだ。
地獄に来てから一ヵ月。ライたちは行方不明の大罪の悪魔達を探す為、エラトマの見つけた場所に向かうのだった。




