六百三十九話 地獄の事件
──"地獄・某所"。
此処は地獄。いや、この次元では全てが地獄だろう。炎。氷。針。血。飢餓。そんな様々な地獄を抜けた、地獄の更に深い深層。闇の中にて、異形な姿をした悪魔と人間や魔族と変わらぬ姿をした者が向き合っていた。
異形な姿をした悪魔は見て分かる程に弱っており、現在は再生する途中らしい。そんな話す事も出来ない悪魔を見下すような目で見る者は口を開いた。
「成る程……生者というのは、一部だけが生き返った存在でも良いのか。魔法魔術は得意じゃないが、回復の魔術で片手に命を吹き込んだら一瞬だけ生き返った。まあ、直ぐに朽ちたけど、悪魔の力を取り入れる事は出来たみたいだ」
『……ッ。何者だ、貴様……! 見たところ大した奴では無い……ただの亡者風情が魔王の私に何をした……!』
その悪魔、色欲の魔王アスモデウス。そしてその力を奪った亡者。
アスモデウスはその男に力を奪われたが話す事は出来るようになったらしく、射殺すような鋭い目付きで睨み付ける。しかし亡者はアスモデウスを無視し、不敵に笑って言葉を綴る。
「ちょっとした情報を掴んでな。どうやらお前達悪魔の力は、他の人に比べて魔力の少ない方の人間の俺でも使えるらしい……。生前にちょっと犯罪を犯しただけで地獄に落ちるなんて理不尽だと思わないか? ルールなんてものは勝手に決められたもの。何であの世にまでそのルールが伝わってんだよ。変だろ」
アスモデウスの質問に答えつつ、聞いてもいない事をベラベラと話す亡者。自分がこの世の全てであると言わしめるような態度に、アスモデウスは言葉を吐き捨てる。
『そんな事は興味ない。だが、まさか生きているならば力を奪えるとはな……!』
悪魔の力を奪えると知ったアスモデウスは立ち上がり、亡者を睨み付けたまま構えた。どうやら身体の再生は終えたらしい。槍も再生しており、その槍を構え直す。
そんなアスモデウスに向け、亡者は小首を傾げて訊ねた。
「……? 何をするつもりだ?」
『ただの亡者に此処まで虚仮にされたら魔王としての示しが付かないんでな……それに、その事を知った貴様は危険だ。故に、此処で始末する……!』
相手は所詮亡者。力を奪われたとは言え、その力を自由に使える訳も無いだろう。そしてこの亡者の力は少々危険。なので力を奪われた責任を取り、この場でこの亡者を討ち仕留めるつもりらしい。
「あ、そう。けど、力を半分以上奪われたアンタにそれが出来るのか?」
しかしそれを聞いた亡者は依然として余裕の態度で見ており、アスモデウスに向き直っていた。
『やってみるさ。亡者程度、私の敵では無い!』
「へえ、そう」
アスモデウスは完全ではないが再生させた槍を携え、亡者に向けて駆け出した。対する亡者も魔力から槍を作り出し、アスモデウスに向けて肉迫した。
互いに薙ぎ、木と木がぶつかるような小気味良い音が鳴り響く。刹那に槍を引き、円状に振るって相手を弾く。そして突きを放ち、槍の先端が衝突して金属音が鳴り響いた。
「やっぱり、力が劣っているみたいだな」
『……ッ。フッ……大した差ではない!』
アスモデウスは魔力を込め、炎魔法を放つ。それに合わせるよう、亡者も炎魔法を放った。二つの轟炎が衝突して火柱が立ち上ぼり、アスモデウスは龍に跨がって空から攻め込む。
「龍は元々アンタのペットか何かか。それなら俺には操れないな」
『消え去るが良い。案ずるな、暫く経てば大きな罰は受けるだろうが復活出来る……!』
音速を超え、第五宇宙速度からかなり落ちた第一宇宙速度で槍を突くアスモデウス。亡者はフッと笑い、アスモデウスに言葉を投げ掛けた。
「それは此方の台詞だ」
『……ッ!』
通り過ぎ様に、槍で貫く亡者。アスモデウスの槍は粉々に砕け、三つの頭が朽ち果てた。龍も貫かれて落下し、最後に亡者は魔力を込める。
「終わりだ」
槍を触媒として炎魔法を放ち、アスモデウスと龍の落下地点に放火する。炎は燃え広がって爆発を起こし、再び大きな火柱と黒煙が周囲に広がった。
「これで終了……ハハ、良い力だな。色欲の魔王の力……。主に槍や炎の力だけど、前の俺より遥かに強い」
使った力を実感し、楽しそうに笑う亡者。その態度から地獄に来てまだ日は浅そうだが、確かな野望は持っている様子だった。
しかし天界からの罰などが下らないのを見ると、地獄でのルール違反はしていないらしい。生者が地獄に来た例が少ないからかどうか分からないが、それはつまり地獄がこの亡者の自由になってしまうという事。地獄の戦争が続いている現状からするに、とてつもない厄介者が加わってしまったと見て良いだろう。
確かな情報と力を得た亡者は、闇の中に消えて行くのだった。
*****
──"地獄・バアルの城"。
アスモデウス達の侵略から、早くも一ヵ月が過ぎていた。
と言っても地獄での一ヵ月は現世での数分程度だが、侵略以降特に何事もなく日々が過ぎていた。これは少しおかしいのかもしれない。
「なあ、おかしいよな? 今の状況。何で何も起きないんだ?」
【さあな。だが確かに、お前と居れば何か面倒事に巻き込まれるかと思ったが……何も起きねェのは変だな】
「うむ。この城の悪魔らとは溶け込めたが、退屈は苦痛だな」
一ヵ月。何事も無く過ぎた一ヵ月。ライ、エラトマ、テュポーンは共に過ごしていたが、何も起きずにこの様な時間が経過してしまった。
地獄の住人では無いので罰などは受けないが、城の探索も既に終えているのでやる事も無くなっているのだ。
だが、一ヵ月の滞在もあって城の悪魔たちとは馴染めたらしい。何れ現世に帰る事にはなるのだろうが、親睦を深める事が出来たのは結果オーライというやつだろう。
「今はおかしな状態だけど、敵がそろそろ攻めてきても別におかしくないよな。悪魔の回復力は分からないけど、一ヵ月もあれば死なない悪魔達なら回復しそうなものだ」
【前のアスモデウスは粉々にしても即座に回復したからな。ま、雑魚悪魔達は回復も遅いかも知れねェけど】
「どちらにせよ、退屈なのは変わらんな」
コクリ。と、ライ、エラトマ、テュポーンの三人が頷く。敵が来ないならそれで良いが、流石のライも暇しているようだ。
そして三人は一ヵ月前より少し仲良くなっているのかもしれない。エラトマとテュポーンが普通に会話しているのがその証拠である。
「ライさん。エラトマさん。テュポーンさん。バアル様がお呼びです。着いてきて下さい」
ノックの音と共にドアが開き、水色の髪をした女性──フルーレティがバアルの命でライたちを迎えに来た。
バアルの側近や部下たちとはこの一ヵ月で知り合った。なのでフルーレティを始めとした主軸の事は知っているのだ。時折色々と話し合いを行う為、今のように部下を遣わせてライたちを談義室などに向かわせているのである。
「ああ、分かった」
【あァ、いいぜ。丁度退屈していた所だからな】
「そうだな。大した事の無い話し合いが多いが……退屈凌ぎにはなるだろう」
恐らく大きな話題ではないだろう。そう思いながらも退屈していたライたちはそこへと向かう事にした。
最近行われていた話し合いと言えば"今後"、"もしも"、"その時は"など可能性についての事だけ。なので大きな情報は無いだろうと理解しているのだ。
しかし何度も述べるようにライたちは退屈している。話し合いだけでも時間は潰せるので軽い気持ちへそこへと向かって行くのだった。
*****
──"地獄・バアルの城・談義室"。
フルーレティに案内されたライたちは、バアルの待つという談義室に来ていた。
そこには長机が置いてあり、その長机が四角形を造っている。その周りを椅子が囲んでおり、何時でも話し合いが出来る状態になっていた。
ライたちとフルーレティ。バアル以外にも主力の悪魔達が来ており、いつもの様子に比べて少し不穏な雰囲気だった。
「……。今日はなんだか重苦しいな。何かあったのか?」
「ああ。まあな。少し厄介な情報が入ってきた……。地獄全域に関係しそうな事柄だ」
神妙な表情で話すバアル。入った瞬間にいつもとは違うと分かったライたちは、バアルの顔が見える位置にある椅子に座った。
ライ、エラトマ、テュポーンの三人が座ったのを確認したバアルは言葉を発する。
「実は、幾つかの大罪の悪魔達が消えたらしい」
「なにっ?」
その言葉は唐突で、信じ難い事だった。
七人居る地獄の支配者、七つの大罪の魔王。そんな大物かつかなりの実力者が謎の失踪を遂げたとの事。アスモデウスとしか戦っていないが、疲弊した状態でエラトマにダメージを与える程の存在。エラトマが両手を使わなかったとしても、そんな存在は限られている。
それ程の者やバアルに匹敵するような魔王が失踪するなど、殆どあり得ない事だからだ。
ライの反応を余所に、バアルは言葉と説明を続けて話す。
「失踪が確認されているのは"色欲"を司る"アスモデウス"。"強欲"を司る"マモン"。"怠惰"を司る"ベルフェゴール"だ。後はまあ、失踪とは違くて今回は関係無いが……ライとエラトマが倒した"嫉妬"を司る"レヴィアタン"も姿が見えないままだな」
──"マモン"とは、七つの大罪の悪魔にして強欲を司る魔王である。
その罪を示すように金貨などの金銭に目が無く、人を貶める事も厭わないと謂われている。
その強欲さは地獄に落ちても変わらず、地獄ですら金貨や力、名声など自分の欲しい物を集め続けている。
神話によっては神や天使として扱われる事もあり、人々に金貨を与えて堕落させる事もあると謂われている。
金に目が無く己の欲望に正直であらゆる物を欲する悪魔、それがマモンだ。
──そして"ベルフェゴール"とは、七つの大罪の悪魔にして怠惰を司る魔王である。
その見た目は牛の尾を持ち、捻れた角。顎に髭を蓄えた不気味なものとされている。
女性を苦手としている悪魔であり、人に不純な感情を植え付ける事が出来ると謂われている。
普段はあまり動かないが外の世界、人間の結婚生活などを覗き見る事が出来、それを見て結婚に幸福など存在しないと結論付けたと謂われている。
怠け癖があり女性に不信感を抱き、結婚という事を嫌っている悪魔、それがベルフェゴールだ。
性格は様々で基本的に人間とは相容れないものだが、何れにしても魔王と言われている以上、相応の力を秘めている事に変わりはない。自分の意思ならばおかしくないが、そんな者達が自分の意思関係無く失踪するなど異常な事である。
バアルの言葉を聞いたライは質問するように口を開いた。
「アスモデウス……最後に会ったのは俺とテュポーンが目覚めた一ヵ月前……じゃあ、この一ヵ月の間に三つの悪魔が消えたという事か……?」
ライは一ヵ月前、アスモデウスと会っている。そしてその時点ではマモンやベルフェゴールも居たと考えられるので、この一ヵ月の間に起こった事柄なのかと疑問に思っていた。
バアルは頷き、ライの投げ掛けた疑問に答える。
「ああ。恐らくな。そしてこの一ヵ月、他の魔王やモートに動きが無かったのはその大罪の魔王達を消し去ったのがお前たちと思われているからだろう」
「……! そんな……!」
「案ずるな。我らはお前たちを疑ってはいない。他の悪魔たちは分からないがな」
失踪したのはこの一ヵ月の間で間違い無い。そして敵が来なかったのは、現世からの来訪者であるライたちがそれを実行した犯人ではないのかと疑われているからのようだ。
勿論ライにそんな心当たりは無く、怪しいエラトマやテュポーンも本当に分かっていない様子。バアルを始めとした他の主力たちもライと過ごした一ヵ月間からしてそんな事をする訳がないと確信してくれているようだ。しかし他の悪魔たち。つまりバアルの部下である悪魔たちはどうか分からないのでまだまだ問題は残っていそうな様子だ。
「……。成る程な。だったら、俺たちにはのんびりしている暇が無くなったって考えても良さそうだな……」
「そうだな。今のところ他の悪魔は狙われていない……手っ取り早く力を手に入れられるから大罪の魔王を狙っているのだろう。確かにそれは合理的だ。だから、我らは我らで調査してみる必要がありそうだ」
「分かった。じゃあ、当然俺たちも手伝う。その真意を突き止めなくちゃならないからな」
「ああ。此方からもよろしく頼む」
何があったのかは分からないが、それを実行している者が居るのなら狙いは決まっている。証拠を残している事も踏まえ、大罪の悪魔から力を得ようとしているのは明白だろう。
今は戦闘向きではない魔王達の力しか狙っていないが、バアル。つまりベルゼブブを始めとした力の強い魔王が狙われては大変だ。犯人が居るのならその目的は不明だが、敵対する者が減る事によって他の魔王が名乗り出てくる事だろう。
何はともあれ、結果的にエラトマやテュポーンが望む事となる。大罪の悪魔やモートとの戦闘は終わらないが、新しい問題が起こりその調査を行う為に地獄全域を調べ始めるのだった。




