六百二十八話 決着の後
──身体には何の感覚も無く、生きているのか死んでいるのかも分からない状態でライは微睡みから目覚めた。
いや、もしかしたらまだ目覚めていないのかもしれない。目を開けたかと思いきや、目の前に映っていた光景はただひたすら何処までも何処までも続く深い闇だったのだから。
(……俺は……確か……)
朦朧とした意識の中、何が起こってこうなったのかを朧気な記憶から探る。
記憶の筋を辿り、起こった事柄が駆け巡る。頭もあるかないか分からない感覚。果たして本当に考える事が出来ているのか、ライ自身でも分からなかった。
(……ああ……そうだ……テュポーンとの戦いで最後に拳を放って……)
感覚の無い、言葉に表せぬ感覚の中、辿り辿った記憶から直前の出来事を思い出す。
互いに放った、多元宇宙を巻き込む一撃。それによって"無"の世界は消え去り、現在に至る。
(……じゃあ……此処は……? あの状態から"世界樹"に帰れる訳も無い……。怪我は酷い筈だけど……痛みも何も感じない……声も聞こえない……俺は……死んだのか……? ……ん? ……あれは……)
身体に痛みは無いが、此処は死した事によって訪れる世界。俗に言うあの世なのだろうかと言う疑問が脳裏を過った時、突如として目映い光が感覚の無いライの身体を包み込んだ。
*****
「……!」
ライは柔らかなベッドの上にて微睡みからもう一度目覚めた。そしてその時、無の空間とは違う確かな重力を身体で感じる事が出来た。
勢いよく状態を起こし、辺りを見渡す。そこは無機質な平らな岩からなる石造りの部屋だった。
あるのは現在自分が寝ているベッドに幾つかの本棚。中心近くに小さなテーブルがあり、二つの椅子が存在している。
現在位置。つまりベッドの場所は横に窓のような物が接している端。もう片方の横にランプ。目の前に本棚。ドアはランプの方向から奥の方。テーブルと椅子が扉の正面という構造の落ち着きのある小さな部屋だ。
(……。あれ? 俺、生きてるのか? 痛みは感じないな……。シヴァの時みたいにレイたちが助けてくれたのか?)
重力は感じ、視界も良好。痛みは無く、また以前のようにレイたちがその空間から助け出してくれたのかという疑問が脳内を駆け巡る。この感覚は、確かに生きていると実感出来る感覚だった。
だがこの石造りの部屋に見覚えは無い。シヴァの時に寝ていた部屋も見覚えは無かったが、魔族の国であるという事は何となく理解出来た。
しかし現在、寝ているベッドにも周りの景色にも気配にも身に覚えは何もないのだ。
(俺は確かに生きている……。となると傷は治療済み……。ベッドは明らかな人工物……この部屋も……何処かの文明を持った場所である事は確かだな……)
"世界樹"の何処かなのだろうか。魔物の国の何処かなのだろうか。それとも無の空間から離れた、何処かの世界なのだろうか。様々な思考から可能性を引き出し答えを導き出そうとしたその時、ノックと共にドアが開き一つの声がライに掛かる。
「あ、起きたの? えーと……僕?」
「え? ああ。はい。俺はライ・セイブルと言います」
そこに立っていたのは、見た事のない女性だった。
印象的だったのは艶のある美麗な黒の長髪。そして大きな瞳。色白の肌に理想的な女性らしい体型をしており、優しそうな人である。
他人よりも大きく少し邪魔そうな胸を持っているが、本人は気にしていないようだ。
特に怪しくはないのでライは自分の名を名乗り、そのまま訊ねるように質問する。
「ええと……つかぬ事をお聞きしますけど……此処は?」
「地獄よ」
「……え?」
──ライは絶句した。
当然だろう。自分の居場所を聞いた返答が"地獄"だったのだから。
唖然とするライを前に、その女性はカラコロと鈴のように笑って透き通るような声で言葉を続ける。
「ふふ、大丈夫よ。貴方は死んでいない。ライ君って言うんだっけ。貴方は別の世界の何もない空間を死にかけて漂っていたの。それを私が回収したのよ」
「……!」
その説明を聞き、ライは納得したように反応を示す。
確かに地獄はこの世のありとあらゆる所と繋がっている。ライとテュポーンの攻撃によって大きな爆発が起きたのならば、別の世界を観測している者がそれに気付いてもおかしくないだろう。そして無の空間という場所からして、生き物はライたち以外に存在していなかった。
つまり、爆発地点から生き物の気配を探ったとすれば、複数の宇宙程の範囲だとしても存在する異物がライとテュポーンだけなので一人と一匹が見つかる可能性は高いのだ。最も、テュポーンの安否は定かでは無いが。
そして次にライは、気になった事を訊ねた。
「成る程……。……ええと、もう一つ良いですか? 質問ばかりで恐縮ですけど、俺が来てから何日くらい経過していますか?」
それは、ライが地獄に来てからの日数。
"世界樹"の戦いの後、ライは意識を失った。シヴァの時も何日が意識を失っていたので、シヴァの時以上の衝撃を受けた今はかなりの時間が経過していると考えたのだ。
そしてその女性は、迷惑そうな顔を一つもせずに答える。
「ええと、三週間くらいね。本来なら数年間目覚めなくてもおかしくない怪我だったけど、もう殆ど完治したみたい。治療の力を使ったとしても、凄い回復力よ」
笑いながら話す女性。ライの回復力に感心していたが、その女性の言葉にライは焦りの色を見せていた。
「三週間……それはマズイ……。レイたちは無事なのか……」
「……? なにか訳ありみたいね。良かったら聞かせてくれる?」
そんなライの反応を見、女性は小首を傾げて訪ねる。
ライは頷いて返し、自分の置かれた状況を説明する。
「ええ。俺の仲間が待っているんです。多分もう元の世界……ああ、俺は俺の住んでいる世界とは違う別の世界に行って居たのでそう言っておきます。仲間たちがその違う世界から元の世界に戻っていると思うのでなるべく早く合流したいと言う訳です」
「別の世界から元の世界……。成る程。貴方は彼処の宇宙出身では無いという事ね。何らかの影響でその世界に連れていかれて、死闘の末に死にかけた……それを治療する為に私が貴方をこの地獄に連れてきた。だから貴方は待っている仲間の元に早く帰りたい。そんなところかしら」
「ええ。大体合っています」
要点のみを掻い摘まんで説明し、元の世界に仲間が待っていると告げた。
地獄もある意味別の世界のような場所なので、前提が通りこの女性はライの状況を理解してくれたようだ。
「ならその点は大丈夫よ。貴方の居た世界が何処かは分からないけど、地獄の時間の進みと貴方の世界の時間の進みは大きく違うから」
「そうなのか? ……いや、そうなんですか?」
「ええ。地獄での数日は貴方たちの世界ではほんの数十秒。長くて数分くらい。罪人の体感時間は数百から数万と様々だけど、時間という意味で元の世界への影響は少ないの」
地獄での時間。それは、ライたちの世界にはあまり影響が及ばないらしい。
元の世界の数日は、地獄にしたら何百何千何万年。なのでライの寝ていた三週間など、元の世界では歌を一つ歌い終えるよりも短い時間しか経過していないとの事。
「成る程……なら元の世界に戻れれば大丈夫か……」
女性の説明を聞いたライは一先ず安堵する。それならば例え今から元の世界に戻ったとしてもレイたちが無事ならば合流出来る筈だからだ。
次に、その様に納得するライを見ていた女性がライへと逆に質問をした。
「ねえ、ライ君。私からも聞きたい事があるんだけどいい?」
「え? あ、はい。構いません。俺の答えられる範囲なら」
話を聞いて暫しボーッとしていたライはハッとし、女性の目を見つめる。
自分だけが分からない事を質問していたので、答えられる事ならば真剣に答えようという表情で言葉を待つ。
「貴方と一緒に漂っていた人も居るんだけど……知り合い?」
「……。……人?」
それは、ライと共に人が居たという事。
ライに人という存在に思い当たる節は無い。共に居たとなれば、それはテュポーンなのだろうがテュポーンの見た目からとても人という雰囲気では無いだろう。
上半身は人だが、見た目と大きさからして人外という事は明らかだ。
「うん。隣の部屋で寝ているから、動いて大丈夫なら見てみる?」
「ああ……。あ、ええ。お願いします」
兎も角、知り合いの可能性は高い。なのでライは頷いて返し、ベッドから立ち上がって女性の後を追うように隣の部屋へと向かうのだった。
*****
隣の部屋。それは近いものかと思っていたが、そこそこの距離があった。
数百メートルの距離はあり、話す事も思い付かないライはふと建物の外を見る。空は血のように赤く染まっており、遠方に複数の針で覆われた山が見えた。
赤い血の池があり、葉のつかぬ裸の枯れ木が周りの炎によって焼かれている。所変われば火の海とは真逆の青黒い極寒の空が見え、地獄の番人らしき者達が武器を掲げながら地を這う亡者を追い回していた。
拷問を受けている亡者もおり、拷問によって千切れた身体や切られた肉は風と共に再生する。千切れては再生し、臓物や骨を生きたまま抉り取られそれも再生。その破壊と再生を繰り返す。中々キツそうな拷問だ。
「うーん……。結構辛そうだな……」
誰にも聞こえないような声音で呟き、視線を前に行く女性の方に戻す。
この様な拷問などを見るのは常人よりは慣れている方だが、やはり十四、五歳のライには少し辛いようだ。
「この部屋よ。ライ君」
そんな光景を暫く横に、数分で例の誰かが寝ているという部屋に到着した。
それを言われ、思考を先程の光景から部屋の方に移す。ライの様子を確認し、その女性はドアを開ける。
ライは開いたドアを見、その者を確認した。
「どう? 知り合い?」
「……。いや……」
その者は、二メートルを超える人間や魔族からすれば高い身長を持ち、筋肉質で体格も良い。髪は黒の長髪であり、褐色に近い肌をしていた。
しかし、やはりライからしたら見覚えは無い。何処かで見たような気もするが、それは思い出せなかった。
「……。む……?」
「「……!」」
そして、その者が意識を取り戻した。
いや、厳密に言えば呻き声のように小さな言葉を聞いただけなので本当に意識を取り戻したのかは分からないが、確かに生きているようだ。
ライと女性はゆっくり近付き、その者の顔を窺った。
「……!」
「「……!?」」
次の瞬間、眠っていた者は勢いよく起き上がる。
ライと女性は思わず後退りし、顔色を窺うかのようにその者を覗き込んだ。
「えーと……目、覚めました?」
「……」
「主ら……。いや、一人は見覚えがある。侵略者……いや、ライか」
「……! アンタは……!」
「……? お知り合いですか?」
そしてその者の第一声が、その正体を明かす事となった。
女性はその者には敬語を使っているが、ライはその者の口調に聞き覚えがある。女性は思わずライにも敬語を使って訊ね、ライは頷いて返した。
「ええ。というか、俺の怪我と彼の怪我は自分たちの戦いによって受けたものです」
「え!? じゃあ、敵同士という事ですか!?」
「まあ、多分。そんなところでしょう」
「主ら、一体なんの話をしているんだ?」
知り合いは知り合いでも、敵という意味での知り合い。女性は驚愕して話、ライはそれに頷く。その横でライの知り合いは小首を傾げていた。
その言葉を聞き、逆に小首を傾げてライが訊ね返す。
「え? だって俺とアンタは国を懸けて争った仲。決着はまだ付いていないんだろ。……テュポーン」
そう、ライとその者──人化したテュポーンの決着はまだ付いていない。そう思っているライからすれば当然の疑問だった。
そんなライの思考を読み取ったのか、人化した状態のテュポーンは言葉を続ける。
「いや、目覚めた順番的に余はお主より後に目覚めたのだろう。それならば、余は主に敗北したという事と同義だ。認めたくはないが、あれは最後の一撃として全力で放ったもの。それを防がれ、現在に至っている。恐らく余の部下たちも既に状況を理解している事だろう。今の余の見た目……それが全ての結果だ。力を殆ど使い果たし、怪我は治れど本来の力よりも遥かに劣っている」
「……。そうか。なら、ありがたく勝利を貰っておくよ。またアンタと戦り合うのはキツいからな」
目覚めた順番。そして防がれた全力を超えた一撃。それによって己の敗北を認めるテュポーン。厳密に言えば認めたくないらしいが、力を使い果たした事で人化したままという結果が現在なので諦めるようだ。
どういう理屈で疲労によって人化した状態なのかは分からないが、一応ライは勝利を受け取っておく。ライ自身もこの女性に助けられなくては致命傷だった。必ず勝てる相手ではないので連戦はあまりしたくないのだろう。
「えーと。よく分かりませんけど解決はしたのですか?」
「ええ。まあ俺の問題は取り敢えず解決しました。今から敵では無く味方? ……的な立ち位置になるかと」
「まあそうだな。敗北したならば致し方無い」
力こそ正義。弱肉強食。それが魔物の国の指針。なので敗北したその瞬間、ライに従い手下となる心意気らしい。
ライからすれば手下とは思っていないが、本人の意思を尊重しておく事にする。最も、元より自由な性格のテュポーン。いつ関係が切れるかも分からないままだ。
何はともあれ、ライと共に居たもう一人はテュポーンだったらしい。それが分かったので、一先ず一段落と言ったところだろう。
そして次に、女性はこの部屋の出入口のドアを再び開けて軽く笑って一言。
「じゃあ──もう一人の元に案内しますね?」
「「…………。……え?」」
部屋のドアに立ち、ライとテュポーンの疑問を聞かずに外へ行く。
一人と一匹。もとい二人。此処が地獄である事は理解したライだが、新たな疑問を残しつつ、その疑問を解消する為にもう一人居るという部屋の場所へと向かうのだった。




