六百十七話 ユグドラシルの戦い・ライと魔物の国の支配者
──小さな光が瞬き。一つの爆発が起こった。
その小さな光の範囲は惑星一つ分。此処は、"世界樹"の外にある"無"の空間。つい数分前まで、青々と生い茂る緑。緩やかに流れる川があった場所だ。
つまり現在、"世界樹"は想像を絶する凄まじい速度で崩壊しているという事である。遠方に見える小さな光。そこにはライを始めとした全主力が集っている。先程の爆発は、その主力による余波だろう。
そう、一挙一動で世界を崩壊させる力を宿した魔王や支配者の余波が。
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小さい漆黒の何かが光速を超えて通り過ぎ、山よりも巨大な何かに当たって惑星破壊規模の衝撃を散らす。それらの衝撃に伴って数光年に鼓膜を砕き兼ねない轟音が響き渡り、その轟音の中で叫び声が上がっていた。
「オラァ!!」
『ハァッ!!』
ライとテュポーンのその一人と一匹のものが。
魔王の八割を用いて殴り付け、更に巨大化したテュポーンが正面から受けて防ぐ。先程まで居たオーディンと魔物の国の幹部や側近は別の場所で戦っており、ライとテュポーン。テュポーンが望んだ一対一の形が作られていた。
魔王の拳が放たれ、それをテュポーンは防いで止める。尾を一周させて背後から攻め、それを躱したライに二つの巨腕が突き刺さる。
一本だけで連なる山並みの大きさを誇る巨腕は光速を超えた速度で山がぶつかるようなもの。惑星や恒星も容易く破壊され兼ねない威力の巨腕を受けたライは吹き飛び、追撃するようにその方向へ炎を吐き付ける。
「邪魔だ!」
その炎を掌の一振りで防ぎ、大地を踏み砕いて加速する。移動による衝撃で数キロに及ぶクレーターが造り出されたが、そのクレーターが完成するよりも前にテュポーンの元へ舞い戻ったライは回し蹴りを放った。
それによって大地に叩き付けられ、先程のクレーターが完成する前に更に巨大なクレーターが形成された。
『フッ、まだまだこの程度ではないだろう。侵略者よ。全力で掛かって来るが良い! 余が許可してやる』
「ハッ。御生憎様、全力を出せばこの世界が先に崩壊してしまう。そうなったら元も子も無いからな。何も無い空間でも動ける俺達なら、全員が帰還した後でも良いだろ」
『そうなれば、元の世界へ帰れなくなるかもしれぬぞ?』
クレーターから起き上がり、巨大な土塊を払いながらライの方を見下ろして話す。
確かに全員が帰ってから戦った場合、それによってこの"世界樹"が消え去ったとしても、逆に思う存分戦えるようになるかもしれない。だが、テュポーンの言うようにこの世界が消えれば出口となる穴が消え去る可能性もあるのだ。
しかしライは慌てた態度を見せずに笑って返した。
「大丈夫だ。魔王ってのは自分の都合が悪くなるような事は受け付けないらしいからな。運命すらも操る存在だ」
『成る程、それはかなり信頼出来るのう』
それは、魔王(元)の存在があるから。
自負に不都合な事を消し去り、都合の良いように改変する事の出来る力。異能を無効化する力とは違い、生まれついての力だ。
それがあれば、元の世界に帰る方法も何らかの事が起こって見つかるかもしれない。しかし、それが何かは分からない。何が起ころうと、自分にとって都合の良いように事が運ぶ形振り構わぬ傍若無人な魔王らしい力である。
そんな理不尽な存在を前にしても尚、テュポーンは笑っていた。シヴァと言いテュポーンと言い、絶対的な力を持つ支配者だからこその余裕なのだろう。
「まあ、色々話したけど要するに。今はまだ全力を出せねえって事だ」
『そうか。残念じゃな』
力を込め直し、構えを取るライと肩を落とすテュポーン。機嫌が良くなければ他の者たちを消し去ってまで戦おうとしたのだろうが、今のテュポーンならばそんな事はしない。無の空間でも生存可能なので、気長に待つようだ。
しかしのんびりと待つ訳ではない。身体を慣らす事も踏まえ、戦闘は続けるつもりである。
『ならば、この程度でやられぬように気を付けよ……!』
「ああ。無論だ」
光の速度を超え、放たれた巨腕を最小の動きで躱す。そのまま巨腕に乗り、ライ自身も光を超えて加速した。
踏み込みの衝撃によってテュポーンの巨腕が大地に叩き付けられ、ライが眼前に迫る。
『フッ……!』
「……!」
迫るライへもう片方の巨腕を放ち、それも避けたライが空気を蹴ってテュポーンの眼前に迫る。
そんなライに向けて尾を放ち、叩き落とす。落下した瞬間に猛毒と炎が放たれたが、ライは即座に起き上がってそれらを打ち破り、更に加速して拳を放った。
『フム、上方向へならばそれなりの力を放てるか』
「ああ。まあ見たところ、アンタはあまりダメージを受けてないみたいだけどな」
『当然じゃろう。お主は全力では無いのだからな』
拳の風圧は空を突き抜け、雲を消し去り天空を割って遥か上空で消え去る。テュポーンにも直撃したが、テュポーン自身は大したダメージを負っていない。多少は身体が浮いたようだが、ただそれだけだ。
『次は余から行くぞ……!』
浮かせた身体をそのままに、滞空して巨腕を放つ。その巨腕は空気を切り裂き、時空を歪めて真空を生み出しながら加速した。
ライはその巨腕を片手で受け止め、横へといなして直撃を避ける。これ程の速度とパワーならば風圧だけで山河が消し飛ぶ程の破壊力を秘めているが、その程度ならば今のライには大した事はない。いなした瞬間に空気を蹴り、加速して肉迫した。
「次は俺だ!」
『受けて立つ』
握り締めた拳を打ち付け、それをテュポーンは正面から受ける。山よりも巨大な大陸に匹敵する今の身体はそれによって大きく下がり、蛇の下半身に擦れる地面を進む。数百キロに及ぶ粉塵と砂埃が舞い上がり、辺りは何も見えなくなった。
「『次は……!』」
『「俺(余)だ!」』
粉塵を切り裂き、拳と巨腕の衝突で全ての視界が開ける。次いで炎が放たれ、それを回し蹴りで掻き消した瞬間に巨腕と尾。三つの鞭のような身体の一部が迫る。それを見切って躱し、躱した瞬間に肩の蛇から猛毒が吐き付けられた。
それを持ち前の肺活量で吹き飛ばし、付け焼き刃の魔術を用いて肩の蛇達を消滅させた。
だがこれくらいで一人と一匹の動きは止まらない。ライとテュポーンは再び激突しようと──
『ガハッ……!』
『くっ……!』
『……』
『「……?」』
──した瞬間、遠方から三つの影が吹き飛んできた。
ライとテュポーンは動きを停止させ、吹き飛んだ衝突によって舞い上がった粉塵に視線を向ける。
『ハッ、やっぱ強ェな……あれが主神か……!』
『よく笑っていられるわね……! かなりキツいわよ、これ……!』
『口が砕けて話せなかった。再生したが、これも天命か。主神が相手なら本当の意味での天命だな』
晴れた視界。そこに映し出されたのはニーズヘッグ。ヘル。ブラッドの二人と一匹だった。
その言葉からするにどうやらオーディンに吹き飛ばされたようだ。他の主力達のはいない事から、吹き飛ばされたのはこの二人と一匹だけだろうか。しかし別方向に飛ばされている可能性もある。何はともあれ、決着が付いてオーディンが来るのも時間の問題かもしれない。
『どうした? 者達。無理が祟るならば元の世界に戻っても良いぞ? 悪戯に戦力を削る訳にもいかないからの』
『『『…………!?』』』
ニーズヘッグ、ヘル、ブラッドは絶句した。まさかテュポーンからその様な言葉を掛けられるとは思わなかったのだろう。
ニーズヘッグ達の知るテュポーンは、役立たずは直ぐに切り捨てる性格。逆に、使えないとなれば自ら手を下して事を片付けるモノだろう。
本来はそんな性格のテュポーンから与えられた労いの言葉。二人と一匹が言葉を失うのは必然だった。
『んな……ッ! テュポーンさんがそんな事を……!?』
『あ、あり得ないわ……! 私は夢でも見てるのかしら……!? ……け、けど……確かに聞いたわ……!!』
『俺はオーディンに耳まで砕かれたか? まだ再生し終えていないらしい。魔物の国についたのは最近だが、そんな言葉天地がひっくり返っても聞ける訳が無いと思っていた……天命? いや、それにしても……』
「……。アンタ、普段どんな行いをしているんだよ……」
『フム、そんなに珍しかったかの。まあ、確かに普段から他人には興味も無く、邪魔者は目に映り次第消し去っていたがの』
信じられないという面持ちで話し合うニーズヘッグ、ヘル、ブラッドを見、呆れたように苦笑を浮かべてテュポーンに訊ねるライ。
当のテュポーンは意外そうな顔付きで呟いていた。自覚は無かったようだが、それはある意味質が悪いだろう。
『まあいい。一先ず邪魔よ。主ら。さっさと引け』
『……! う、ウス!』
『は、はい!』
『はっ!』
テュポーンのテュポーンらしい態度に、一先ず安堵して返事を返す二人と一匹。やはり慣れた態度の方がやりやすいのだろう。
一度だけライの方を訝しげな表情で一瞥した二人と一匹はオーディンの元に戻る。まだ元の世界に帰るつもりはないようだ。ライを見たのは、警戒しての行動だろう。
しかしテュポーンとの会話からそう警戒せずとも良いという判断になったようだ。
『さて、主も気付いておろう。余の部下たちとオーディンの戦い。それは今のところオーディンが優先しているようじゃ』
「みたいだな。見たところ、アイツらはかなりのダメージを負っていた。殺生をするかどうかは分からないけど、そのうち終わるだろう」
二人と一匹が去り、その様子からライとテュポーンはオーディンが勝利すると踏んでいた。元々、魔物の幹部達とオーディンはそれ程の実力差があるのだ。
支配者クラスの実力があるといっても力は限られている。本当の支配者と同じ強さならば、もう既に魔物の国が天下を取っている筈からだ。
野心がある魔物の国の者達に現在、それがないという事は匹敵すると言っても本当の支配者よりは多少なりとも劣るのだろう。
それでも脅威的だが、本気を出せば自分達の首を締める結果になるかもしれない崩壊途中の"世界樹"。本気が出せない事も相まり最小の破壊でとてつもない威力の攻撃を行えるオーディンが有利という事である。
しかしそんな事より今は目の前の敵を相手にするのが優先。オーディンと魔物達がどうなるかは関係無い。ライとテュポーンは体勢を整え、相手に構えた。
「俺とアンタの戦いもそのうち終わるんだろうけどな……!」
『そうじゃな。早いところ全力で戦り合ってみたいものよ』
力を込めるライと更に身体を巨大化させるテュポーン。大陸の大きさも越え、今は惑星の半分程の大きさとなった。
とてつもなく巨大でライの位置からは顔も見えないが、魔王の力で上乗せされている五感を用いれば同じ大きさで正面から向き合っているかのように見渡す事も出来る。つまり、攻撃が当たりにくくなるという意味ではライの方がテュポーンよりも有利なのかもしれない。
「悪魔でこれは時間稼ぎだ。テュポーン!」
『フッ、知っておるわ。しかし、その小ささで余に声を届かせるとはのう。そこまで大きな声で叫んでいる様子でもない不思議じゃ』
光の速度を更に超え、惑星を破壊する力の拳を放つ。それを片手で受け止め、尾を放って吹き飛ばし大地に叩き付けた。即座にライは起き上がり、起き上がった瞬間に加速して迫りながら力を込め直して恒星を砕く力の拳を放つ。そしてそれを、テュポーンは両手で受け止めた。
それによって凄まじい余波が広がり、銀河系よりも一回り小さくなった"世界樹"の世界へ大きな震動を迸らせる。
ライとテュポーン。此方の戦いは、まだ始まったばかりだ。




