六百十六話 逃げの戦い・モバーレズと酒呑童子・孫悟空とぬらりひょん
「周りは盛り上がっているみてェだな。その余波がなンの能力も無い俺達に及ばなきゃいいが」
『そうだな。そうなっては大変だ。最も、我らならば多少の流れ弾や余波など刀の一振りで抑えられると思うがな』
「ああ。そうかもしれねェな」
他の戦闘が続く中、モバーレズと酒呑童子の二人が刀を振るい、勢いよくそれら同士が衝突して空気が揺れた。片手の刀で抑えたモバーレズはもう片方の手に握る刀を用いて仕掛け、酒呑童子は片方の刀を弾いて距離を置く。
それと同時に二人は一歩踏み込み、二つの刀と一つの刀が激突した。再び空気が揺らいで空気が切断される。それによって真空が生まれ、周りの砂と大気を吸い込む空気の穴が形成された。
しかし二人はそれだけで止まらず、一回弾いた瞬間に次の行動へと身体を動かしていた。
「ダラァ!」
『フンッ!』
二つの刀がぶつかり、甲高い金属音が響き渡る。二刀流であるモバーレズは死角からもう一本の刀を振り上げるが、当然それは躱された。
躱した瞬間に駆け出し、腕の外側に刀身が来るように持ち直したモバーレズが殴り付ける要領で刀を薙いだ。酒呑童子はそれを刀で防ぎ、もう片方の刀が来る前に蹴りを腹部に放って吹き飛ばす。次の瞬間に駆け出し、刀による突きを繰り出した。
『ハッ!』
「っとォ……!」
その刀を避け、転がって立ち上がる。次に横から斬り込まれたがそれも躱し、跳躍して二刀流を酒呑童子に構えて斬り伏せた。
しかし刀は弾かれ、一瞬だけ滞空したモバーレズの腹部に拳が放たれる。それによってモバーレズは数十メートル吹き飛び、追い付いた酒呑童子に踏みつけられて吐血する。その衝撃は小さなクレーターを造り出した。
『ハァ!』
「……っ危ねェ!」
踏みつけ、動きを封じられたモバーレズに刀が突き下ろされる。しかしモバーレズは身を翻して防ぎ、刀で酒呑童子の腹部を斬って距離を置く。だが傷は浅く、少量出血しただけに留まる。
それでも隙を作れたのでそのうちに離れて体勢を立て直し、先程までモバーレズが居た大地を突き刺した状態の酒呑童子がそちらに視線を向けた。
『フム、やはり一筋縄ではいかないな。今回は割りと有利に戦えているが、流石の実力だ』
「ハッ、ありがとよ。押され気味で言われても皮肉にしか聞こえねェけどな。つか、皮肉が本心だろ」
『そうだな』
二本の刀を携え、駆け出して高速で斬りつける。それを躱され、一本の刀が眼前を横切る。鼻先が少し掠ったが今更この程度の傷は問題無い。軽く仰け反って避け、そのまま倒れるように回転斬りを放つ。
それを受けた酒呑童子は、持ち前の身体能力があったので直撃は避けたようだが今の攻撃で怯んだ。
「そこォ!」
『違うな!』
怯んだ隙を突いて刀を振り下ろすが、酒呑童子はそれも防ぐ。やはり簡単な隙では確実な一撃を入れる事は出来ないらしい。
モバーレズは防がれた瞬間に追撃を避けるように距離を置き、建物の上へと跳躍して乗る。正面に構えれば即座に攻め入られるのは目に見えている事。なので建物の上のように、なるべく時間を稼げる場所が良いのだ。
それは相手の動きにもよるが、一対一で戦う事に拘っている酒呑童子。というより、モバーレズの持つ魔族としての本能と酒呑童子の性格から図らずもこの様な戦いになるのである。なので高所に登れ直線的な戦いにはならずに済むという事だ。相手が登り終える時間もあるので、数秒でも策を張れるのも一つの利点である。
その分相手が考える時間もあるので、絶対に有利という訳では無いが。
「さて、逃げに徹する時間稼ぎの戦い……別に勝たなくてもいいンだよな……どちらかと言えば勝ちてェが。……まあそれはさておき……となると……頃合いを見て……逃走……姿を隠す……粉塵……爆炎による煙……駄目だ。イマイチ上手くいきそうにねェ。不可視の移動術って便利だな……」
建物に上がって数秒。モバーレズら高速で思考を巡らせ、口にも出して思案する。
今回は勝利が目的の戦闘では無い。勝つに越した事はないが、勝たずとも良いのだ。兵士や他の主力も含めて、悪魔で逃げ切る事が最終目標。勝利条件を挙げるのなら、その"逃げ切る"という事柄についてだろう。
しかしそう簡単に逃がしてくれないのが主力という存在。ヴァイス達のような不可視の移動術は便利だなと、関係無い事を考えていた。
『フン。それで隠れたつもりか。いや、安全を確保したつもりか……が正しかったな』
「っとと……!」
次の瞬間、モバーレズの立つ建物が酒呑童子の一閃の横薙ぎによって切り崩れた。バランスを崩したモバーレズはフラつきつつ耐え、二本の刀を持ち直して体勢を立て直す。
その間にも建物は崩れ落ちており、結局二撃目を待たずして建物が崩落した。しかし酒呑童子がたった一撃で建物を切り崩すのは想定内。ある程度の思考は巡り、数呼吸分の落ち着きも取り戻せたのでじんわりと残る微量なダメージを除けばほぼ万全である。まだ骨が折れていないのは幸いだろう。
「やっぱ簡単にゃいかねェか。ある程度は考える事も出来たが、まだ打開策は浮かンでねェや」
『そうか。だが、それなりの考えはあるのだろう。時間稼ぎが目的なら、まともに戦り合う必要も無いからな』
「そうだな。やるだけやってやらァ」
崩れ落ちた建物の瓦礫から立ち上がり、土汚れなどを払いながら酒呑童子に視線を向けて話すモバーレズ。完全な突破口は見つからなかったが、まずまず考えられたので良いらしい。
酒呑童子は相変わらずの態度で構えており、刀を振るってその風圧のみで一際大きな瓦礫を切り落とした。これで互いの視界が開け、相手を窺いやすくなる。
モバーレズと酒呑童子。数度目となる両者の戦闘は、まだ続く。
*****
『"妖術・火炎の術"!』
「炎か」
彼方此方で戦闘が行われている最中、斉天大聖孫悟空が炎妖術を用いてぬらりひょんを始めとした周囲を焼き払った。
それをぬらりひょんは刀一つで防ぎ、炎を切り裂いて孫悟空に向き直る。孫悟空は片手に如意金箍棒を携え、妖力を込めながらぬらりひょんに向けて駆け出した。
『"妖術・雷纏"。伸びろ如意棒!』
「合わせ技か。それでも問題無く防げるがな」
次いで如意金箍棒に雷の妖術を纏い、貫通力を高めた亜光速の神珍鉄を放つ。ぬらりひょんはそれもいなし、刀を肉迫する孫悟空に突き刺した。
それによって孫悟空は頭を貫かれるが、そのまま煙のように消え去る。次の瞬間にぬらりひょんの背後から一つの影が姿を現した。
「分身か」
『……!』
その影に向け、後ろ回し斬りで切り捨てるぬらりひょん。上半身と下半身が切断された孫悟空は煙のように消え去り、次いで三人の孫悟空がぬらりひょんに向けて迫っていた。
「フム……如意棒がありながら真っ直ぐに攻めてくるのはおかしいと思ったが……成る程。複数の分身を使って死角から攻めるのが狙いじゃった訳か。面倒なやり方じゃのう」
三人の孫悟空へ刀を振るい、一瞬にして全てを消し去る。しかし一人だけ消えずに躱し、妖力の込められた拳が振り上げられていた。
「主が本物か?」
『さあな!』
刀を横に薙ぎ、それを躱す。それと同時にぬらりひょんの腹部にその拳を放ち、ぬらりひょんの身体を浮き上がらせた。
そのぬらりひょん目掛けて跳躍し、踵落としを長い頭に叩き付ける。それによって落下し、轟音と共に大地へ激突して粉塵が舞い上がり小さなクレーターを造り出した。
「動きが鋭い……どうやら主は本物のようじゃな……!」
『……!』
本物と確信したぬらりひょんがその粉塵から抜け出し、刀の切っ先を正面に弾丸の如く速度で突き刺した。が、それを孫悟空は避け、如意金箍棒を構えてぬらりひょんの眼前へ平らな先端を向けていた。
『伸びろ如意棒!』
「……ッ!」
流石のぬらりひょんも超至近距離から放たれる亜光速の如意金箍棒は躱し切れず、直撃して再び落下した。
しかし落下途中に刀を抜群のコントロールで放り、的確に孫悟空の胸を貫く。
『……ッ!』
そしてそれを受けた孫悟空は──煙のように消え去った。
「なにっ!? あれも分身じゃと……!」
思わず声が漏れ、そのまま大地に叩き付けられるよう落下する。
しかし、そう思うのも仕方無いかもしれない。先程の動きは到底分身とは思えない程のキレがあり、速度もパワーもかなりあったのだから。
事実、ぬらりひょんはその分身によって数撃のダメージを受けた。大地に叩き付けられてから即座に起き上がったが、亜光速の鉄を受けたのだ。口を切ったのか、それによって生じた血の塊を吐き出した。
そしてそのまま周りを見渡し、気配を探る。
『別に、俺は分身を操れねえとは言ってないぜ。百鬼夜行の総大将。テメェが勝手に勘違いしただけだ。俺の分身は俺の匙加減次第だからな』
「成る程の。年寄りを騙すとは戯け者が。年寄りは労らなくてはならんじゃろうに」
『年齢は同じくらいだろって言っただろ。テメェがな。……あと、普通の年寄りを騙すのは問題あるが……テメェのような化け物ジジイは話が別だろ』
種を明かす孫悟空と、それに反応して返すぬらりひょん。
そう。孫悟空は、敢えて始めの分身たちを弱く演じていたのだ。その気になれば先程ぬらりひょんに一撃を加えた分身のように操る事も可能だった。しかし油断させ、確実な一撃を入れる為に一芝居打ったという事だろう。
簡単に種を明かすのは問題があるかもしれないが、相手にまだ他の手があるのではと思わせる事で手の内を要らぬ所まで推測させて隙を多くするという狙いもある。
敵が自分の力で種を明かせば、それによって自信を付けてしまうかもしれない。そうなれば直ぐ様見抜く力も上がってしまい、折角隠しておいた他の手まで読まれ兼ねない。
しかし孫悟空が自ら明かす事で、先程の手はほんの氷山の一角。まだまだ無限に手はあると思わせる事が出来る。
つまり要するに、不安を残させた状態で戦い続ければ敵に確実な一撃を入れられる可能性がグッと高まるという事だ。
「妖怪じゃろうと、年寄りは大切にせんとな。敬意を払うんじゃ」
『敬意を払えるような事をしていればな。殺人とか人攫いを平然とやるクソジジイには払う敬意もねえよ』
「何を言う。儂は要らぬ殺人や無闇な殺生などはせぬ。全て理由あっての事じゃ」
駆け出し、二人の間で如意金箍棒と刀がぶつかり合う。その反動で二人は弾かれ、妖力を込めた孫悟空が妖力の衝撃波を放った。
その衝撃波を避け、斬り込むように懐へ攻め入るぬらりひょん。それも如意金箍棒で受け止め、弾き飛ばして跳躍する。
『"仙術・觔斗雲の術"! 来い、觔斗雲!』
跳躍と同時に雲形の乗り物である觔斗雲を呼び、その雲に両足で乗る。同時に光に近い速度で飛び回り、ぬらりひょんを翻弄していた。
『テメェも空には行けないだろ? 悪いが、時間を稼ぐ為だ。空から狙わせて貰う……!』
「構わんよ。命懸けの戦闘に反則も何も無い。空を飛べぬ儂が悪いんじゃからな。あまり高過ぎなければ跳躍でも届く。ハンデにはならんさ」
今の逃げの戦いに、反則など無い。空を飛べないならば飛べない方が悪い。死んだのならば死んだ方が悪いというのが主力たちの戦いで一番の常識である。
つまり、例え孫悟空が觔斗雲に乗って空から遠距離の妖術や如意金箍棒を放つだけでも何ら悪くはない。ぬらりひょんはそれを承知しているので構わずに刀を構えて向き直った。
『ハッ! そう言って貰えると助かるぜ。俺は一応、仏に仕える者。卑怯な手は使いたくないからな……!』
「フム、かつて暴虐の限りを尽くし、天にも唾を吐いて天界へ戦争を吹っ掛けた"美猴王"とは思えぬ発言じゃな。生き物はこうも変わるのか」
獰猛に笑って言い放ち、如意金箍棒を振り回しながら觔斗雲で迫る孫悟空。この様子だけではとても天に仕える斉天大聖には見えないが、かつて美猴王と呼ばれていた時の血が騒いでいるのだろう。それでも変わり様には少々驚いているぬらりひょんだが、そんな孫悟空を迎え撃つ体勢に移行する。
ブラックと大天狗。フェンリルと九尾の狐。モバーレズと酒呑童子。孫悟空とぬらりひょん。彼らの行う逃げの戦いは、兵士たちの移動が完了すれば自然に終了する事だろう。
まだもう暫く、出口に向かう途中の主力たちは時間を稼ぐ為に戦闘を続けるのだった。




