五百三十九話 炎の国の敵
──"九つの世界・世界樹・第三層・炎の国・ムスペルヘイム"。
周囲が燃え盛り、息をするだけで喉が火傷しそうな程の熱気を放つ国"ムスペルヘイム"。そこに集ったフェンリルたちは、その国へと来ていた。
この"ムスペルヘイム"は氷の国"ニヴルヘイム"とはまた違った過酷な環境であり、寒暖の差で体調が崩れてしまいそうな感覚があった。
「此処が"ムスペルヘイム"ですか……。炎の国の名に恥じぬ熱気ですね……」
「うぅ……。暑い……これ程の暑さだと"暑い"じゃなくて"熱い"って表現の方が合っているかもしれないね……」
『この国に来た事は無いけど……確かにこの暑さは辛いものがあるね……。龍族の私やドレイクは直ぐに慣れるかもしれないけど、他の皆は大変そう……。今は一応冷気の魔法で周囲を囲んでいるけど……』
アスワド、ラビア、ジルニトラの順で話した内容は全てその暑さについて。
黒煙が立ち上ぼり、石の建物や道が溶ける程の高温。一部に触れるだけで火傷してもおかしくない程だった。
「皮膚がくっ付き、肉ごと剥がれそうな程に寒い極寒地帯。そして皮膚が溶け、気化するかもしれない程の高温を放つ極暑地帯か……。成る程な。確かに第三層の世界はかなり過酷だ」
高温の大地を見、熱さによるものではない冷や汗を流すルミエ。
炎の国に戦慄しているので多少は暑さも関係しているが、今までに通った二つの国の事も考え、改めて過酷な世界であると実感したのだ。
『ああ。此処はかなり過酷な国だ。それも踏まえて先を急ぐとするか。極寒地帯とはまた違った過酷な環境。暑さも寒さも、行き過ぎれば生き物にとって死する事のある事柄だ。此処が創られた世界とはいえ、本来の"世界樹"にある国もこんな感じだからな。自然は恩恵と死を生き物運ぶものである以上、早く抜け出した方が良いだろう』
この国には数分居るだけで火傷のような怪我を負ってしまうだろう。今は一部の主力を除いてフェンリルの背に居るので大丈夫だが、それも時間の問題である。
何故なら、呼吸によって体内へ熱が入り込むからだ。それによって喉が焼ける事もある。なので地に着いていなくとも油断なら無いのだ。
だからこそフェンリルは降りている主力たちにも指示を出し、先に行く事を促す。
主力たちからそれに反対の意見は出ず、先を急いだ方が良いというのも理解しているので了承してフェンリルに乗った。
『そんなに急いで何処へ行く? 折角の炎の国……もう少しゆっくりして行ってはどうだろうか?』
『『『……!』』』
「「「「……!」」」」
フェンリルに乗った主力たちに向け、突如として掛かった声。それに対し、フェンリル、ドレイク、ジルニトラ。アスワド、ラビア、シター、ルミエ・アステリの三匹と四人が反応を示した。
声の方向へ視線を向ければそこに、風に髪を靡かせながら口元に不敵な笑みを浮かべた者が立っていた。
見てみれば身体が陽炎のように揺らぎ、周囲の炎と同化しているようにも見える。それは、決して周囲の炎によって錯覚が起こり揺れているように見えるという事では無く、本当に身体が炎となって揺れているのだろう。
そう、その"炎の悪神"──
『久しいのう、フェンリル。大きくなったな。それはそれは文字通り……。これならば伝承通り我が義兄弟のオーディンを食らう事も出来そうだ……』
『……。父上。久方振りだな』
──ロキ。
人を誑かし、平然と嘘を吐く悪神。炎の化身であり、己が炎ともなれる存在にして"世界樹"の主神オーディンの義兄弟である神。
そんなロキがこの国へと辿り着いて居たようだ。
周りが目を見開き怪訝そうに見る中、実の子であるフェンリルは周りに比べて普通に返す。しかし、その心境は穏やかとは程遠いものだった。
というのも、
『……。昨晩、何者かによって味方の兵士が殺害された。久方振りに再会してなんだが、一つ……単刀直入に問いたい事がある。その犯人はお前か?』
昨晩、幻獣兵士が殺された事柄についての犯人はロキであるという推測が出ていたからだ。
一兵士も国にとっては重要な民。その兵士が殺されたとあれば、犯人の可能性がある者に穏やかな心境で話せる筈が無いだろう。
その問いに対してロキは、少し長めの一言で返した。
『いいや、違うな。私は犯人では無い。幻獣兵士など知る由も無いからな。焼き殺されようと、それだけで犯人を私と断定しないでくれ。いい迷惑だ』
『……。そうか』
それは、自分は幻獣兵士に何の関与もしていないとの事。
例え殺害方法が焼殺だろうと、炎を扱える者が存在するこの世界。相応の炎を操れる者は多数では無いにしてもそれなりに居る。なので風評被害は止めて欲しいのだろう。
『よく分かった』
それを聞いたフェンリルはため息を吐き、ロキの言葉に頷いて返す。
そして一時的に主力や兵士たちを己の背から降ろし、言葉を続けた。
『やはり犯人は貴様か……ロキ!』
『……?』
その瞬間、牙を剥き出しにして低く唸り声を上げ、全身の筋肉に力を込めた後一気に加速した。
フェンリルは一瞬にして音の領域を超越し、第四宇宙速度並みの速さとなりて駆け寄る。口からは炎を溢しており、天に届く程の大口を開けてロキを食い千切った。上半身と下半身が切断され、真っ赤なモノが身体から燃え上がっている。
『いきなり何をする、フェンリル。実の父親に向けて牙を突き立て捕食しようとするなど。まあそれは良い。自然にも自分の子を食う親は居るからな。それはさておき、親を呼び捨てにし、貴様呼ばわりとは何だ。知能のある生き物である以上、口の利き方はもう少し正しいものを使え。犬は忠実な筈だが、私は育成に失敗でもしたのか?』
身体を真っ赤な炎に変え、容易くフェンリルの口から抜け出したロキは、溶けた石畳の道に降り立ち牙を向けた事では無く口の利き方について叱っていた。
曰く、己の血縁だろうが容赦なく捕食する生き物は居るが、言葉を話せて知能のある生き物が目上の者に対して礼儀を弁えない事が気に掛かったらしい。
その言葉を無視し、フェンリルはロキに睨みを利かせて言葉を更に続ける。
『減らず口を……! 先程の質問で貴様が嘘を吐いているとハッキリ分かった。故に、兵士の無念は俺が晴らす……!』
『嘘? 何を言っている。私は嘘など吐いた事は無い。口の利き方と言い親を嘘吐き呼ばわりと言い、たった数百年でとんだ親不孝に成長を遂げたようだ』
それは、ロキが嘘を吐いている事に対しての指摘。
その言葉からするにフェンリルは既に先程、ロキへ質問すると同時に鎌をかけていたようだ。それによってロキの嘘を暴き、怒りを覚えて飛び掛かったという事。
対するロキは白を切っており、何を言っているのか分からないという──演技をしていた。悪魔で知らないフリをし続けるロキにフェンリルは痺れを切らした。
『その根拠は先程の質問に二つ隠れている!』
『ほう?』
毛皮に覆われた巨腕を振るい、ロキへ爪を振り下ろすフェンリル。
ロキは余裕の態度を取ったまま身体を炎に変えて躱し、別の場所に姿を現しながらフェンリルに視線を向けていた。
『一つ、俺は"味方の兵士"としか言っていない。にも拘わらず貴様は幻獣兵士と殺された兵士を言い当てた!』
『フム……』
フェンリルの巨腕が溶けた石畳の道に叩き付けられ、巨大な亀裂が生まれると同時に陥落して欠片を宙に舞い上げる。
ロキは跳躍して石造りの建物に上り、フェンリルに近い目線で納得すしていた。対し、次いでフェンリルはその建物目掛けて突進の形で飛び掛かる。
『二つ、俺は兵士が殺害されたとしか言っていない。だが貴様は焼殺と死因も言い当てた。今朝あの場に居なかった貴様に何故分かる!』
『成る程』
身体を炎に変えて突進をすり抜け、更に納得するロキ。
フェンリルのかけた鎌は二つ。兵士の種族と死因についてである。それらを敢えて濁らせた事でロキが嘘を吐いていると暴いたのだ。
元より大嘘吐きのロキ。それに対する策というものは、存在を確認した時点で複数用意する必要があるのだろう。
それに対してロキは相変わらず不敵な笑みを浮かべながら言葉を返した。
『フム、その通りだ。まんまと策に嵌まってしまった。見事だ、フェンリル。成長したな、我が息子よ』
『下らぬ世辞はよせ、ロキ。貴様の事だ。直ぐに肯定した事から、鎌をかけられていると知っていたのだろう。それに敢えて乗った。こんな子供騙しの言葉に引っ掛かる馬鹿は少ないからな……!』
ロキの行動は称賛。そして、フェンリルの行動は攻撃。躱したロキへ炎を吐き付け、炎の国を更に炎上させた。
鎌をかけられていると知り、敢えて乗ったと推測するフェンリル。その根拠には言い訳せず嘘を嘘だと直ぐに認め、わざとらしい褒め言葉を使っている事から。
その様な態度を見せられれば、大抵の者は嘘に嘘を重ね揶揄っていると分かるだろう。
『折角父親らしく私が褒めてやったというのに、素直に受け止めても良いんだがな』
『その様な褒め方で喜ぶ者は純粋過ぎるか馬鹿な者だけだ。俺はお前を葬り、兵士の無念を晴らすだけだ!』
炎の中から無傷のロキが現れ、やれやれと呆れたような態度で話す。そこにフェンリルが飛び出し、体重を乗せてロキを押し潰した。
それによって崩壊しかけていた"ムスペルヘイム"の街が大きく揺れ、周囲の炎を消して瓦礫を巻き上げる。そのまま大地が陥没し、巨大な砂塵が舞い上がった。
『無茶をする。他の者達も巻き込んでしまうのではないか?』
『その心配は無用だ。皆も主力クラス。防ぐ術も持ち合わせているだろう』
陥没した大地の近くにある建物の瓦礫に座り、身体の一部を炎へと変えて話し掛けるロキ。
フェンリルは主力の者たちなら心配する必要も無いと理解しており、改めてロキへと構えた。
『フェンリル殿。幻獣の国の兵士ならば俺も関係している。一人だけで暴れないで貰おうか』
『うん。私も国の主力として、敵は取らなきゃね。当然、前の戦争で戦死した兵士たちの分も、後々は敵の主力と戦って敵を取るよ……!』
そのロキを囲むよう、空からドレイクとジルニトラが覗いていた。ロキは空へと視線を向けており、フェンリルは『そういえばそれもそうだな』と呟き、フッと笑って冷静さを取り戻す。
元々冷静に怒っていたが、少し我を忘れ掛けていた。恐らくそれは実の父親が他の者たちへ迷惑を掛けた事が原因だろう。身内の事は身内で解決する事を優先にしてしまったみたいだ。
「同盟を結んでいる者同士、当然私たちも力を貸しますよ。フェンリルさん。ドレイクさん。ジルニトラさん……!」
「ああ、そうだな。同盟国の敵は私たちの敵だ。力を貸さなくては魔族の名が廃る」
「当然。私も力を貸すよ!」
「ええそうね。それが通すべき筋ってモノだわ」
そのやり取りの横で、アスワド、ルミエ、ラビア、シターが順に言葉を続ける。
今は魔族の国も幻獣の国と同盟を結んでいる仲。ほぼ関係無い一般兵士のものと言えど、敵討ちに参戦しなくては誇りが許さないのだろう。それは当然、以前の戦争を引き起こしたヴァイス達にも言える事である。
『一vs七とその他兵士が数百か。兵士共は別に放って置いても良いとして、主力の相手が少々面倒なところだな』
フェンリル、ドレイク、ジルニトラ。
アスワド、ラビア、シター、ルミエ。
この計七人のチーム。三匹は幻獣なので七人という呼び方には些か差違点もあるが、それは置いておく。今の敵は悪魔で悪神ロキである。
そんなロキは七人。もとい三匹と四人に囲まれていても尚、余裕の表情を崩さずに向き合っていた。余程の自信があるのか、何を考えているのかは分からないが不気味なものだろう。
『実の父親だろうと関係無い。育てられた記憶も恩も無いからな。とっとと貴様を葬り、敵討ちの一つ目を終わらせるとしよう』
『やれやれ。何処の誰に教えられたのだ、そんな汚い言葉。お父さんは心配だ……』
『戯れ言を……。揶揄うのが好きな性格というのは普通の親ならばユニークだが、この場合は怒りしか沸いて来ないな……!』
三匹と四人でロキを囲み、その外側には数百の兵士たちが武器を取っている。この状況で揶揄う事を忘れないのはある意味強いメンタルだろう。
九つの世界の一つである炎の国"ムスペルヘイム"にて、炎の悪神ロキと相対したフェンリルたち第二陣。
既に何度か仕掛けたが、今改めるとしよう。その、此処に居る三匹と四人の主力。
フェンリル、ドレイク、ジルニトラ。
アスワド、ラビア、シター、ルミエ。
彼ら彼女らによって形成される第二陣メンバーとロキの戦闘が、この瞬間から改めて始まろうとしていた。




