五百三十八話 戦線離脱
──"九つの世界・世界樹・第三層・氷の国・ニヴルヘイム"。
青く美しく輝いているも全てが凍り漬く程に極寒の過酷な環境を宿す氷の国、"ニヴルヘイム"。
そこを今、フェンリルたち第二陣が駆け抜けていた。
氷の建物と氷の道を駆け抜け、真っ直ぐに進むフェンリルたち。それなりの速度で進んでいるフェンリルたちだが、それもあって冷気に風を感じ体感温度は更に下がっている状態だ。
当然の事ながら熱の魔法や魔術で身体を温めてはいるが、温めた状態ですら身体が冷える程の環境があるこの国。やはりかなりキツイものがあるだろう。
「見るだけならば美しい国ですが、草一本も生えない程の環境ですね。この様な所に住んでいる方々など居たのでしょうか……」
『うむ。居るには居たな。過酷な環境にも住む生き物は居る。だからこそ国が成り立っていたのだからな。敵だが、ニーズヘッグとかは此処の近くにある泉"フヴェルゲルミル"を拠点にして"世界樹"の根を齧っていた』
吐いた息すら凍る程の環境にて、本来の"ニヴルヘイム"の生き物の有無が気に掛かるアスワド。対し、それを聞いていたフェンリルが答えた。
一つの国である以上生き物は存在している。なので当然本来の"ニヴルヘイム"にも生物は居たらしい。
「しかし、それは悪魔で泉地帯の話ですよね……では、この建物は何なのでしょうか……何か知っていますか、フェンリルさん」
周囲に視線を向け、凍り漬けである建物を見て呟く。
青い凍り漬けの建物は、凍っているが明らかに人工物である。なのでその建物は誰が造ったのか気になっているのだろう。
この世界はグラオの再現した物だが、此処にあるという事は先ず間違いなく本来の"ニヴルヘイム"にもあった建物という事。何となく造った線もあるが、恐らくそれは無いだろう。
それを聞いたフェンリルは全員を乗せつつ、同じく周囲を見渡して返す。
『いや、俺も詳しくは知らないな。この世界は……いや、この世界は別物。その言い方には差違があるな。この世界の元となった"世界樹"も数億年以上の歴史があるからな。精々数百年から千年に掛けて生きてきた俺には知らない事の方が多いな』
「成る程……。謎は多いのですね。ありがとうございました。私たちの世界では"終末の日"が起こりませんでしたけど、それが起こった世界は消え去りそれを確かめる方法ももう無い。永遠の謎ですね」
詳しく知らないと告げるフェンリルに、返してくれた礼を言うアスワド。
確かめようにもその"世界樹"は既に無くなっている。
何はともあれ、結局のところ当時を知る者は原初の神であるグラオくらいのものだろう。そんなグラオが再現した世界。逆さまという事を除けば信憑性は高い筈である。
「しかしながら、敵の気配などもありませんね。不気味な程に順調です。まるで、まだ戦争が始まっていないかのような……。既に始まっていると言うのに……」
「確かにそうだな。アスワドさん。しかし、嵐の前の静けさという事もある。警戒は常にしていた方が良さそうだ」
「ええ。勿論です、ルミエさん。常に周囲は警戒していますよ。また、来ないならば来ない事が良いですけどね」
敵の姿はまだ見えない。このまま来ない可能性もあるが、一応警戒はしている第二陣の主力たち。
そしてその後、第二陣は氷の国と炎の国を隔てる巨大な亀裂──"ギンヌンガガプ"に到達した。
背後に広がる"ニヴルヘイム"からの冷気と向こうから来る"ムスペルヘイム"の熱気がぶつかり合って暴風を起こし、深く広い亀裂の間で吹き荒れる。この場所もかなり過酷な環境のようだ。
『さて、流石に此処は俺だけでは行けぬ。魔法・魔術に任せたぞ、アスワド殿。ジルニトラ、ルミエ殿』
「ええ。分かりました」
『うん、任せて♪』
「ああ。そのつもりだ」
『ラビア殿とシター殿には警戒を任せるつもりだ。俺は空を護る。水を進むに当たってしかと頼んだ』
「オーケー♪」
「ええ、了解」
"ギンヌンガガプ"に着き、各々で指示を出すフェンリルとドレイク。サポートに使える種類の多い魔法・魔術を扱う主力たちは、この様な場面に適しているのだ。
当然フェンリルやドレイクも相応の働きを見せるつもりだが、今はこの亀裂を越える事が最優先だろう。
それから物の数分にて、フェンリルたちも氷の国"ニヴルヘイム"を抜け、炎の国"ムスペルヘイム"へと到達したのであった。
*****
──"九つの世界・世界樹・第三層・洞窟近くの森の中"。
フェンリルたちが氷の国"ニヴルヘイム"と"ギンヌンガガプ"を越えて炎の国"ムスペルヘイム"に到達した頃。その先にてライたちは依然として激しい戦闘を行っていた。
ライが光の領域を越え、更に加速してグラオに迫る。対し、グラオもそれに合わせて力を上げた。
魔王の三割とライの力が合わさり、実質六割の力となっていた現在。埒が明かないと更に力を引き上げたのだろう。
しかしまだ互いに余裕が見える。やはり周りに人や幻獣が多いので力を出し切れていないのだろう。グラオはそれらを気にしないが、ライは気に掛ける。なので力を抑え余計な破壊を生まずに攻撃しているのだ。
「全く。周りの心配なんかしなくても良いと言うのに。護るべきモノがあるのかどうか分からないけど、周りを巻き込む程に力の強い者が護る為に戦うと少し弱くなっちゃうんじゃないかな。護る戦いをする者はそこまで力が強くないんだからね。だって一挙一動で星を砕く力を持つ者が護るような戦いをすると仲間を護る為、本領発揮が出来ないんだから」
「いちいち一言が長いな。ヴァイスと言いアンタと言い、長々と語りたい者が多いんじゃないか?」
光を越えた領域にて行われる攻防。鬩ぎ合い。その間にもグラオは言葉を続けてライに応戦するが、ライはその言葉の長さに呆れていた。
というのも、戦闘を楽しみたいと言う割りにグラオは戦いに集中せず言葉を続けているなど矛盾しているのだ。
ライはいちいち会話などせず、目の前の事に集中したらどうだと遠回しに告げた。対し、グラオはフッと笑って返す。
「ハハ。君的には隙を作りたいんだろう? なら、僕が会話をする事で生まれる隙も増えるんじゃないかな?」
「それもそうかもな。けど、アンタがその程度で隙を見せる事は無いって事は分かっているさ。だから吹き飛ばして完全なる隙を作り出したいんだ。その為にも余計な会話は無くても良いだろう?」
「そうかい。だけど、護る事を気にし過ぎて力を出し切れていないのは事実。護るべき者を戦場に連れて来るのはあまり良くないね」
「それは俺が決める事だ」
会話を終わらせ、互いに拳を打ち付ける。本来ならばそれだけで惑星が複数消滅し兼ねない衝撃を生み出すが、ライに合わせるグラオも余計な破壊は起こさぬように抑えている。なので周囲が少し吹き飛ぶ程度の被害で済んだ。
ギリギリまで抑えても山河を破壊する程の力。それを半径数百メートル程度の破壊という何兆分の一に抑えられるのは二人の実力だからこそだろう。
「元より、アンタとは真剣勝負じゃない。悪魔で逃げ場を見つける為の時間稼ぎでしかないからな。それなら護りながら戦うという事も簡単に済む」
「なら、それを実行してみな!」
「現在進行形だ……!」
駆け出し、ライに蹴りを放つグラオ。ライは紙一重でそれを躱し、回し蹴りの要領でカウンターを狙う。しかしグラオはそれを見抜いて避け、ライの足を捕まえた。そのまま片手で持ち上げ、大地へと叩き付ける。
それによって大地が大きく割れ、数百メートルのクレーターが造り出される。それを受けても大した傷は負わないライが片手で大地を弾いて起き上がり、グラオの手から抜け出すと同時に空気を蹴って隕石の如く拳を突き出した。
グラオはそれを片手で受け止め、足元に放射状の巨大な亀裂が生まれる。その亀裂が更に広がり、土塊を周囲に巻き上げた。その土塊を消し去り、拳を打ち合う二人が垣間見える。
「オラァ!」
「そら!」
その拳を引き、ライが空中で。グラオが大地で回転して蹴りを放つ。その衝突によって森が更に吹き飛び、ライとグラオが離された。
次の瞬間にライは土塊を拾い、それを光を越えた速度で放つ。それ程の速度となれば形を保つのも一瞬だが、その一瞬だけでも隙を作り出せればそれで良い。
「レイ! エマ! フォンセ! リヤン! キュリテ! ニュンフェ! 兵士たち! 行くぞ!」
「「「…………!」」」
「「「…………!」」」
「「「…………!」」」
『『『…………!』』』
わざと聞こえる音量で言い、レイたちに指示を出すライ。
それを聞いたレイたちは目の前の敵へ向けて牽制のように各々で嗾ける。
「やあ!」
「……! なんだ?」
一方ではシュヴァルツと向き合うレイが大地を切り裂き、自分たちの足場を崩す。
そこから大地が浮き上がり、レイとシュヴァルツの視界から一瞬相手が消え失せた。
「ふっ……!」
「"霧"!」
「うん……!」
「行きます!」
「皆、飛ぶよ!」
「おや?」
「あら?」
「あァ?」
「フム?」
もう一方ではエマが霧となって戦線を離脱し、フォンセとリヤンが水魔術の応用で霧を生み出す。そしてニュンフェが風魔法でそれを周囲に広げる。
次いでキュリテがライたちと兵士たち全員に言い、周囲に莫大な念力を放った。
ライとの会話からするにこれらの行動は何らかの下準備。ヴァイス達は怪訝そうにそれを窺う。
──その刹那、
「じゃあね!」
「「……!」」
「「……!」」
「……。ああ、成る程ね」
──ライ、レイ、エマ、フォンセ、リヤン、キュリテ、ニュンフェと複数の魔族兵士、幻獣兵士たち。そして森が──『消え去った』。
ヴァイス、シュヴァルツ、マギア、ゾフル、ハリーフがそれに気を取られ、何かを納得したように遠くを見つめるグラオ。
そう、たった今ライたちは──
「超能力者の"テレポート"か。かなりの広範囲だけど、僕たち以外の半径数百メートル全てを移動させたんだね」
──キュリテの使った"テレポート"により、ヴァイス達のみを残して移動したのだ。
周囲から森や一部の大地や瓦礫が消え去り、ヴァイス達と虚空のみがこの場に残る。その結果、ライたち全員は離れる事が出来たのだ。
「あの女剣士、逃げやがったな!」
「クソ! 全員に逃げられたか!」
「あーあ、皆居なくなっちゃった……」
「成る程……してやられましたね……」
グラオに続いてシュヴァルツ達も逃げられたと気付き、各々の反応を示す。一方では怒り、一方では感心するように諦めている。
そして、その中でも反応を示さなかったヴァイスが全員を集め言葉を発した。
「"テレポート"使ったのなら、この地の利に詳しくない彼らがそう遠くには行けないだろう。数キロ程の範囲にはなるだろうけど、探せばまだ見つかるかもしれないよ?」
「本当か!?」
「上等だ! 見つけ出してやらァ!」
「ハハ。確かに逃げられるのは悲しいね。気配を集中すれば見つけられるかな……」
「あらら。下手したら"ヘルヘイム"に行っちゃってるかもね」
「逃げられるというのは我ながらかなりの失態ですね……」
それはライたちの移動距離について。
"テレポート"を使うに当たって、ヴァイス達の隙を突いた一瞬しか時間が無ければ脳内に思い浮かべる事の出来る場所は限られている。"テレポート"は脳内に映像を浮かべ、その指定場所に行く超能力なのでその様なデメリットがあるのだ。
なので冷静に思考すれば、ライたちの行った場所は近隣であると考えられるだろう。此処から見えている景色は精々数百メートル。"ニヴルヘイム"や"ムスペルヘイム"に戻った可能性もあるが、基本的に不可視の移動術で移動出来るヴァイス達にはあまり関係の無い事だろう。
「なら、さっさと行こうか。ライとの決着が付いた事はまだ無いからね……。強いて言えば先日の第一層がそうかな?」
「そうだな。さっさと行った方が良さそうだ。かく言う俺も女剣士と決着を付けてみてェからな」
「俺は思い付かねェが、一先ずやるだけやってやらァ!」
「私も、エマ達を追おうっと♪」
「……。私も一応その案に乗って置くとしましょうか」
それを聞き、やる気を見せるグラオ達。
自分達は戦線離脱する事も多いが、今の"世界樹"に置ける"終末の日"では逃げられてばかり。なのでそういうのは性に合わないようだ。
キュリテの超能力でその場から離れたライたちと、その後を追うヴァイス達。結果として、一時的に戦闘は終了したのだった。




