五百十五話 "ギンヌンガガプ"
──"九つの世界・世界樹・第三層・氷の国・ニヴルヘイム"。
極寒地帯の氷の国"ニヴルヘイム"を駆け抜けるドラゴンたちは、更にその速度を上げていた。
速度が速ければ速い程に体感温度は下がるのだろうが、既に場所は分かっているのでほんの数分の辛抱だ。最も、気温に適応してたドラゴン、ワイバーンと身体が炎のフェニックスは体感温度など関係無いので問題無く進めている。
『少々冷えるが、お前たち、着いてこれているか?』
『はっ! 問題ありませぬ!』
『こちらも!』
『ええ!』
加速し、極寒の国を駆け抜けるドラゴンたち一行。速度は音速に満たない程にそこそこだが、それでも数十分程度で到達する距離だろう。
だが、前述したように元々マイナス数十度の世界に速度が相まり体感温度が更に下がるので、ドラゴンたちは問題無くとも口で平気と言っていている兵士たちは寒さによってかなりの苦痛を覚えている筈である。
『見えて来たぞ! 彼処が恐らく炎の国だ!』
『『『…………!』』』
暫く進む事二、三十分。全体が青く薄暗い国の遠方に赤く輝く光が映り込んだ。
それと共に熱気が伝わり、程好い温もりを感じる。遠方からの熱量なので大した温度では無いが、体感温度がかなり下がっているのでほんの少しの温もりでも暖かく感じているのだろう。
『さて、残る問題は飛べぬ者たちがどのような方法でこの亀裂を渡るかだな』
そして到達した場所。そこには巨大な亀裂。即ち裂け目があった。
──その名を、"ギンヌンガガプ"。
熱気と冷気がその"巨大な裂け目"内で激しく衝突し、毒気のある霜からなる水滴が周囲に散っていた。
それらによって生じた水蒸気も毒気を含んでおり、その距離も去る事ながら熱気と冷気の衝突によって裂け目に生じる暴風。風と共に辺りへ広がる毒気の含んだ水蒸気。この裂け目の先はかなり過酷環境となっている事だろう。
『"ギンヌンガガプ"。俺たち主力は大丈夫だろうが、あの暴風と毒気。兵士たちにとってはかなり有害だ。毒は本来、巨人になって消えているのだが……此処の"世界樹"では巨人にならなかった毒が滞在し続けている』
『ええ……そうですね。かなりの悪環境。これでは兵士たちの多くが不調を来してしまうかもしれません』
『ああ。全ての毒を払うという事も考えられるが、風を起こしても周囲の暴風に消されてしまうから不可能。焼き払っても可燃性の毒だった場合爆発が起こり兵士たちに被害が及ぶ。我やドラゴンが本気ならば風でも消せるが、相応の力を有するが故にやはり兵士たちへ被害が及んでしまうな』
『ブヒ。そもそも僕みたいに飛べない者も居るからね。普通に越すだけでも一苦労だよ』
"ギンヌンガガプ"を前に立ち竦むドラゴン、ワイバーン、フェニックス、猪八戒と兵士たち。この裂け目では様々な悪条件が複雑に絡み合っているので、イマイチ打開策を見出だせずに居るのだ。
無理矢理実行するならばやり方は多数では無いにしても存在するが、その殆どが兵士たちに影響を及ぼしてしまう。なので少々動き辛い状態が持続しているのである。
『まあ、裂け目に底が無い訳では無い。というより、裂け目の下は赤い湖となっている。しかし、本来はこの湖は毒から生まれる巨人の血液からなる湖だが……毒が残り続けているというのに血の湖も顕在するとは如何程の事か……』
底があるのかすら分からない程に深い"ギンヌンガガプ"。しかしほんのりと赤い水が見えたので伝承のように巨人の血が溜まっていると窺えた。だが、それ故に新たな疑問が生まれるドラゴン。
その湖は毒から生まれた巨人が"世界樹"の主神に殺された時に生じた血液。しかし巨人が生まれた形跡は無く、空中には暴風に煽られながらも確かな毒気が含まれている。それがおかしいのだ。
既に巨人が生まれて死しているのなら空気に毒が混ざる筈が無い。生まれておらず死していないのなら赤い水が溜まる筈も無い。
ありとあらゆる疑問や謎が深まり、益々分からなくなるドラゴンたち。そもそも巨人が死ななければ"ニヴルヘイム"やこの先に広がる炎の国。その他、"世界樹"にある九つの世界も生まれていないので、それがある時点で死んだ過去が残るという、矛盾点を探せば探す程に見つかってしまう。
『……。となると、一番考えられるのはカオスの遊び心か。そもそもこの世界を創造したのがカオス。全てを再現するもしないも奴の自由だからな。本来なら底では無く"ギンヌンガガプ"が溢れる程に赤い水が溜まっている筈。悪魔で遊びだからこそ、敢えて不完全に再現したのだろう。お陰で泳いで渡るにもかなりの労力を要する事となりそうだ』
『フム、ならば……カオスは本当に厄介な事をしてくれたものだ。打開策が永遠に見つからないかもしれない程に面倒だからな。兵士たちを見つける事はおろか、帰る事すら不可能だ』
考えた末、矛盾の正体を混沌の神カオス。──ヴァイス達の仲間、グラオ・カオスの遊び心と解釈するドラゴン。その憶測を聞き、ワイバーンは然も面倒臭そうに話す。
"ギンヌンガガプ"の底に広がる赤い湖の正体は分かったが、根本的な解決には至らないので悩みが消えた訳では無いのだ。
『まあ、普通に選ぶべき道を考えれば目の前にある"ギンヌンガガプ"を諦め、遠回りをする他無いが……如何せんあれ程の距離。再び"ニヴルヘイム"を抜け、我らが来た場所を戻らなければならない。確実に今日中には不可能だ』
『なら、どうする?』
『……』
策を講じ、考えるドラゴン。
ワイバーンはそんなドラゴンへ疑問をぶつけ、ドラゴンは少しばかり黙り込む。その一、二 分後、ドラゴンは思い付いたように話した。
『うむ。それならば"ニヴルヘイム"にある氷の建物を使うか。炎の国に入れば溶けてしまうかもしれないが、一つの建物に皆を乗せ、向こう岸まで我らが全力で運べば溶け切り誰かが落ちるよりも前に到達するかもしれない。我ら龍族が常に氷を生み出し続ければ更に時間を稼げる。一か八か、賭けに出よう』
『まあ、否定はしないな。本当に策が思い付かん。神や悪魔として称えられる我ら龍だが、数百匹の兵士たちを護りながら進むというのは神や悪魔からしても難しい事柄だろう』
『ええ。私も構いませんよ。時間が惜しいのでそうと決まれば全員が乗れそうな建物を一つ根刮ぎ使いましょう』
『ブヒ、そうだね。僕も同じさ。熔解を阻止する程の妖術は使えないけど、微力だとしても時間稼ぎくらいは出来そうだ』
ドラゴンの提案。それは博打にも等しい提案だったが、ワイバーン、フェニックス、猪八戒はそれに便乗した。そして当然、他の兵士たちからも異論は上がらない。
色々と思うところはあるが、それが手っ取り早いのならそうしようという魂胆なのだろう。
そして決まった瞬間にドラゴンたちと兵士たちは手頃な建物を探し、兵士たち全員が乗れる分を赤い湖に浮かべた。そのまま即座にその氷へ乗り、準備を終える兵士たち。
ドラゴンたちは遠方に見える炎の国を目指す為、準備が終えたと同時に音速を超えて加速した。
*****
──"九つの世界・世界樹・第三層・炎の国・ムスペルヘイムの入り口付近"。
氷の国"ニヴルヘイム"から二つの国の間にある巨大な裂け目、"ギンヌンガガプ"を抜けたドラゴンたちは、前方にあった炎の国──"ムスペルヘイム"。その入り口付近に到達していた。
かなりの遠さで熱気もあり氷の建物。もとい、乗り物。そんな乗り物が溶けてしまうよりも速く進む事を優先していたドラゴンたちは音速を超えたので物の数分で着いたのだ。
しかし音速を超えても数分掛かってしまった氷の国"ニヴルヘイム"から巨大な裂け目"ギンヌンガガプ"を挟んだ炎の国"ムスペルヘイム"までの距離。それはかなりのものだろう。
到達した瞬間に氷の乗り物は溶けて赤い湖の底に消えたので影も形も残っていないが、兵士たちは全員が無事に"ムスペルヘイム"へと入る事が出来たのだった。
そして、そんな"ムスペルヘイム"の入り口付近はというと──
『むぅ……。かなりの暑さだな……。先程まで居た"ニヴルヘイム"と打って変わり、とてつもない高温だ……!』
『うむ……。まだ適応していないから我ですらかなりの苦痛だ……!』
『私は炎なのであまり感じませんが……確かに先程よりも気温が上がっていますね』
『ブ、ブヒ……。呑気だねフェニックスは……不死鳥だから大抵の事は平気なんだ……。僕は暑過ぎてこんがり焼けちゃいそうだよ……』
──体感温度マイナス数十度の"ニヴルヘイム"からかなり変わり、体感温度四〇数度から百数度の高温となっていた。
今はまだ入り口付近なので全体的な気温も五〇度前後しかないが、周囲の景観から実質的な気温よりも高い温度と勘違いしてしまうのだろう。
そんな周囲は轟々と燃え盛る炎があり、地面すら熱く石畳の道が溶けていた。周囲には当然の事ながら木々や草花なども無く、熱いだけの世界が広がっていた。
しかし、これでもまだ建物なども無いので此処は街では無いのだろう。悪魔で"ムスペルヘイム"の入り口付近である。"ギンヌンガガプ"も見えているので、厳密に言えばただ燃え盛っているだけの場所という感覚かもしれない。
『此処はまだ"ギンヌンガガプ"の方が近い。炎の国へと続く入り口付近と言ったところか……この暑さでも背後から来る冷気のお陰で涼める分、まだマシな部類なのかもしれぬな』
『ああ、そうだな。ドラゴン。だが、先に進まなくては始まらない。果たして兵士たちが来ているとしてもこの過酷な環境の国に入ったのか、それは定かでは無いが行ってみるに越した事は無いな』
『ええ、そうですね。もしかすればこの国に入った兵士たちが真っ直ぐ抜けた可能性もあります。一応国なので二、三日では完全に抜け出す事は出来ないでしょうけど、暑さの届かない場所に居る可能性もありますからね』
『ブヒ……。だけど此処がまだマシっていうのは少し気が引けるね……。過去は砂漠も旅していたけど、そことは比にならない暑さだもん……』
各々の意見が飛び交うドラゴンたち幻獣の国の主力たち。
入る事以外の選択肢はないが、やはり過酷な環境は好きでは無いのだろう。特に豚の妖怪である猪八戒は種族上、火という物が最も苦手なのだ。
『文句を言うな、天蓬元帥殿。仮に焼け死んでも無駄にはならぬ。食料は幾らあっても腐らなければ問題無いからな。さあ、行こうぞ』
『ブヒ!? それを言われて"さあ行こう!"とはならないよ! まあ行くしか無いけどさ!』
『ワイバーンさんって、基本は真面目ですけどたまにふざけますよね……』
『気にするな。真面目過ぎるのも問題という事だろう。さて、行くぞ』
『『『はっ!!』』』
ワイバーンと猪八戒のやり取りを流し、炎の国"ムスペルヘイム"の入り口付近から遠方に続く道を見やるドラゴンたち。
此処に居てももう戻る為の氷も溶けて無くなったので、猪八戒も渋々それを受け入れた。そして兵士たちはドラゴンの指示に従う。
氷の国"ニヴルヘイム"を抜け、巨大な裂け目"ギンヌンガガプ"を通ったドラゴンたちは、炎の国"ムスペルヘイム"の入り口付近にて"ムスペルヘイム"の内部へと進むのだった。




