四百八十五話 マルスの戦闘
マルスが剣を振るい、死んでいる方の腕でそれを受け止めるヘル。切れ味の良い剣の刃が容易く止められ、もう片方の腕がマルスに迫っていた。
マルスは身を捻って躱し、躱すと共にヘルの頭へ銃を放つ。それは命中するがヘルは動じず、軽く踏み込んで近寄り手刀を振り落とす。対するマルスは何とか見切って避け、続けて三発銃弾を放った。
『フフ、銃弾なんか効かないわ』
軽く手を薙ぎ、瘴気を含んだ風が周囲に吹き抜ける。その風は勢いを増し、それによって三発の銃弾が煽られてヘルの横を逸れる。
流石に音速で進む鉛弾を吹き飛ばす程の強風は出さなかったみたいだが、逸らすだけで十分だと判断したのだろう。
「そうですか……!」
ならばとマルスは踏み込み、体勢を低くして敵に狙いを定められぬよう照準をずらしながら加速した。
風は周囲を吹き抜けるので殆どの確率で当たってしまうが、それによって生じる有害な瘴気が全身に巡るのにも少し時間が掛かる。基本的な攻撃方法は物理的なものなので、当たりにくい場所をキープしていれば確実に一撃を入れられるかもしれないのだ。
「ハッ!」
『あら、少し速くなった?』
更に加速し、剣を薙ぐ。ヘルはそれも簡単に見切って避けるが、マルスの速度変化に少しの違和感を覚えていた。
先程のままでも常人よりはかなりの速度が出ているが、今はそれよりも速くなっているのだ。元々本気では無かったのか現在進行形で成長しているのかは定かでは無いが、先程までよりも速いという事は事実である。
しかし、主力のヘルには少し速くなった程度何でもない。少しの驚きはあれど冷静に判断し、適切な対処を取れるからだ。肉迫するマルスに脚を掛け、バランスを崩させた後で手刀を首元に放つ。
体勢の崩れたマルスは何とか一瞬だけ堪え、倒れ込むと同時に片手を付いて前転の要領で立ち上がった。それによってヘルの手刀は空を切る。そのまま背後に回り込み、自分の持つ剣を横に振るってヘルに斬り付けた。次いで流れるような動作で剣の突きを放つ。それはヘルによって抑えられるが弾かれ、銃を構えて弾丸を数弾放った。それをヘルは数発受けて後退りする。外した方の弾は空に向かい、小さな破裂が起こった。それを見つつ、弾丸を受けたヘルは小首を傾げながら疑問を浮かべていた。
『あら? その銃……さっきと同じよね? そう何発も弾を撃てるのかしら? それに、さっきの爆発……普通銃弾は爆発しないものね』
その疑問は、マルスの持つ銃が弾を撃った事。そして銃弾が破裂した事だ。先程と合わせても十弾以上は放っている弾丸。無限に放てる銃ならばまだしも、マルスの持っているものは威力を上げるなどの改造は施されているものの無限に放てるという感じはなかった。そして爆薬などを仕込んだ形跡も無い。全くの不明である。
それを聞き、警戒を解かぬマルスはヘルに向けて言葉を続ける。
「ええ、当然弾に制限はありますよ。それに普通ならば爆発はしない。戦闘に置いて本当ならその種を明かさない方が良いのですが、どうせ直ぐに気付かれると思うので時間稼ぎも兼ねて教えます」
『言うじゃない。その齢にして、自身も理解している格上の相手にそこまで叩けたら上々よ。なら、何もしないから教えて下さる?』
「ええ、分かりました」
マルスの隠すつもりがない言葉を聞いたヘルは笑みを浮かべる。確かに謎や種は敵へ簡単に明かさぬ方が良いが、時間を稼ぐ為だけにそれを明かそうとするマルスの覚悟が気に入ったのだろう。
時間を稼ぐ事についての意味はよく分かっていない様子だが、何はともあれ相手がその気ならば女神の慈悲として大人しく聞いてくれるみたいだ。
「単刀直入に言えば、僕の魔力を銃弾として使っているという事ですね。銃には通常、弾丸が必要でしょう。しかし僕の場合、銃を撃つ前に魔力を込めて魔力の結晶を弾丸てして放っているのです。魔力ならば多少は自由に扱える。それもあって、爆発する弾丸も出来ました。武術は鍛えていますが、魔法・魔術はまだまだ使えない。なので銃などを触媒代わりとして使い、貴女に仕掛けているのです」
『成る程ね。元々弾は必要無い、自分の魔力だけが銃弾か。ありがと。これで疑問が晴れたわ。心置き無く貴方を打ち倒せる』
マルスのやり方。それは、どちらかと言えば多種多様の武器を扱うヴァイスに近いものがあった。
根本的な物や大まかな武器の種類に差違点はあるが、魔力を魔法・魔術では無く武器を生かす為に使っているという点が近いのだ。
ヴァイスの再生は戦闘に置ける攻撃に用いるのでは無く、武器を再生させて増やしたり自身のダメージを癒す為に使っている。マルスの場合は銃弾にしたり、それを爆発させるよう魔力を操ったりと、武器を生かす為に使う。どちらも武器類を巧みに扱いながら戦闘を行っているのでその点が似ているのだ。
そして、説明のお陰で数分時間を稼げたマルスは今一度改めてヘルに構える。
「そういう事です。さて、これで説明も終わり。ある程度の時間は稼げたので、再び行かせて貰います。貴女は僕を倒すつもりはあっても殺すつもりはない。つまり、チャンスはまだあるという事。死んでしまわなければやり方はありますので」
『良い覚悟ね。死ななければ何でも出来るって事。なら、少しやり過ぎるかもしれないけど、死なない程度にやって上げるわ』
片手を薙ぎ、再び瘴気の含んだ風を生み出すヘル。それによって周囲の木々は枯れ果て、その命が没するように風に巻かれて消え去る。
木が砂塵と化したのだ。即死の風は使っていないみたいだが、一呼吸で身体の機能を止め、二呼吸で蝕む。そして三呼吸で死に至る風だった。
しかし木が枯れた事から、その風に触れるだけでも多少の影響が及ぶらしい。本気になれば触れるだけで即死の風も放出出来るであろう死者の国の女神ヘル。死なない程度の手加減だとしても、それによって生じる影響はただならぬものがあるだろう。
「構いません」
『良い度胸ね』
瘴気の含んだ風を纏い、マルスに向けて駆け出すヘル。マルスは正面から横に移動し、ヘルを翻弄するように駆け抜ける。その時も銃を放ち、ヘルを牽制するが大したダメージにはならず弾かれてしまう。
だがそれは想定の範囲内。先程も効かなかった攻撃が突然通用するようになる事などある筈も無い。マルスは悪魔で、何かの時間稼ぎが目的なのだから。
『何を狙っているのかしら……。果敢に攻めて来てはいるけど、イマイチ攻め切っていないような……』
その動きから、マルスが何かを狙っているのは明白。しかしヘルは分からなかった。先程言われた時間稼ぎという言葉もあるが、何の為に時間を稼ぐのか不明である。
ヴィネラを逃がす為ならば既にヴィネラは居ない筈。しかしマルスに言われた通り、比較的安全な場所で待っているだけ。ならば何かの技を仕掛けるという線だが、何かを仕組んだりなどの行為は見えない。
つまるところ、マルスの狙いが全てに置いて不明なのだ。
『……。……なら、何かされる前に倒した方が良いかしら』
分からない事を考えても意味が無い。ならばマルスを打ち倒す事に集中した方が良いという結論に至るヘル。
これは元々その為の戦闘だ。相手が何かしてくるのならば、それを待つ程お人好しという訳でも無いのである。なので片手を薙ぎ、風を操る。そしてそれをマルスに向けて放った。
「来ましたか……!」
速度を落とさず駆け抜け、木々を壁に風を防ぐマルス。遠距離から果敢に銃で撃ち続けるが、それはダメージにならない。ならばと木の幹を狙い、ヘルの方へ倒すように木を撃ち抜く。魔力の込めたマルスの銃は、爆発させる事も可能。ちょっとした大木ならば簡単に倒せるのだ。
『この程度? 木なんかじゃダメージは受けないわよ』
倒れる木に片手を翳し、生気を奪って消滅させるヘル。木や草も生きている。つまり、殺す事が可能という事に変わり無し。一瞬にして木を消し去る事も容易いのだ。
「ハッ!」
その砂塵から、マルスは爆発する弾丸を放つ。ヘルに当たった瞬間爆発して爆風が周囲に広がり、周りの木々を焼いて真っ赤な炎を引き起こした。
銃弾が駄目なら爆発。爆発が駄目なら蒸し焼きという事だろう。燃え盛る炎は更に広がり、見る見るうちに酸素と木々を飲み込んで轟々と燃える灼熱の業火となる。
その炎が更に包み、ヘルの身体を焼き尽くす。
『あら、結構熱いじゃない』
そして、自分を中心に轟風を巻き起こして全ての炎を消し去るヘル。
風が炎を扇げば、その勢いが増して更に燃え盛るか全てを空中に散らされて消え去るかの二つ。
ヘルは森の大きな火事を一瞬にして消し去れる風を生み出したのだ。その威力は台風や嵐を超越したものだろう。
『それで、次は何をしてくるのかしら? 斬撃、銃弾、爆発、炎。色々な技を二つの武器だけで仕掛けて来たけど、そろそろネタ切れではなくて?』
「正直のところ、そうですね。僕に四大エレメントの一つでも使えれば他にもやり方はあったのですけど……基本的に魔力を伝う触媒となる剣や銃に移して爆発させるのが関の山です。悪魔で魔力の暴発みたいなものなので本来の爆発魔法・魔術よりも力は劣りますし、炎剣や水剣みたいに剣に纏わせる事も不可能です。万事休すというやつでしょうか」
『随分と正直ね。嘘の一つでも吐いて足掻いてみるだけ足掻いても良さそうなのに』
次は何かと促すヘルに対し、万策尽きたと正直に話すマルス。それを聞いたヘルは眉を顰め、小首を傾げながら訊ねた。
確かに本人の言うように、ハッタリでも噛ませばマルスの言う時間稼ぎにも持ち込めるかもしれない。対してマルスは言葉を続ける。
「僕が一人の将なら、引き際を見定めなければ国の崩壊に直結してしまいます。恐らくハッタリを言おうと貴女は即座に見破り、そのまま攻撃に移行する事でしょう。なので正直に言ったのです。その方が時間も稼げますから」
王足るもの、場の見極めは何よりも優先すべき事である。それによって国や民の命を左右すると言っても過言ではない。
なのでマルスは冷静に力の差を見極め、ヘルの前で通じる策は消えたと述べたのだ。
『へえ? 分かっているじゃない。確かに貴方の動作や言葉を綴る早さから何を隠しているのかなどは見抜けるわ。けど、やるだけやってみるのが戦闘好きの魔族じゃなくて?』
「皆が皆そういう訳にもいきません故に。大口を叩く相応の力があればまだしも、僕は明らかな力不足。力無き者は自分のやれる事を見極めなくてはなりません。やるべき事が戦闘しかないのならば僕は死ぬ気でやりましょう。しかし、今回は違います。万策尽きたと言いましたがそれは悪魔で僕自身だけの話。他の事柄を選択肢に入れるのなら、僕の策は尽きていません」
『……。それはどういう──……!?』
──ヘルがマルスの言い放った言葉の意図を訊ねようとした時、周囲から足音のような音が響き渡った。それを聞いたヘルは思わずそちらに耳を貸し、辺りを見渡しながら警戒を高める。
味方の足音か敵の足音かは分からないが、感じる気配の強さからある程度の事は推測出来た。
『どうやら気配は隠すつもりもないみたいね。お兄ちゃん?』
『爆発と炎を見て此処に来たら……ヘルと、魔族の国にある街の王が居るではないか。何があったのかは分からぬが、穏やかな事では無さそうだ』
──その者、フェンリル。
今の姿は人化したリルフェンのものでは無く、本来の姿である巨狼のもの。その言葉からするに、マルスの猛攻によって生じた爆発と炎に誘われて此処まで来たみたいだ。
フェンリルだけが来ており、他の幻獣たちは居ない。周囲から聞こえた足音はフェンリルの駆け抜ける音が反響して全方位から届いたものという事だろう。
そんなフェンリルを前に、ヘルは肩を竦めて言葉を続ける。
『成る程ね。全ては貴方の目論み通りっていう事……若い王様? 貴方の策が無くなっても、フェンリルお兄ちゃんが来てくれると考えていたから時間稼ぎをメインにしていたのね』
「はい。嗅覚の優れたフェンリルさんなら森の焼ける匂いを辿れたり、視力も良いので小さな爆発や大きな火事を理解すると思った次第です」
『イマイチ状況を理解し兼ねるが……まあ一つだけ分かる事がある。妹よ。敵対する者として今からお前を倒す』
『妹には優しくしてよね、お兄ちゃん♪』
『お前……そんな性格だったか?』
マルスが構え直し、フェンリルがヘルの方を見る。敵対している相手に妹であるヘルが居る事は知っていたので、今戦うべき相手が誰かも理解しているのだ。
対するヘルはフェンリルが来ても余裕は崩さない態度で迎える。
マルスとヴィネラが相対していたヘル。二人と一人の戦いは、間接的にだがマルスが呼んだフェンリルも加わって激しさを増していた。




