四百八十四話 マルスとヴィネラの冒険
──"九つの世界・世界樹・第二層・森の中"。
ドラゴンたちと別れたマルスとヴィネラは、人気や生き物の気配が少ない暗い森の中を進んでいた。
歩みと共に耳へ届くのは草を踏む音。薄暗い森の雰囲気から、そこに居るだけで不安や焦燥に駆られてしまいそうな程だった。
ヴィネラは依然として不安そうな表情のままであり、マルスも多少の不安は感じている様子だ。それなりの自信は身に付いたマルスだが、妹であるヴィネラの前なので強がっているという感覚に近いだろう。幹部や側近クラスは無いが、ブラックから直々に訓練を受けているので相応の実力は身に付いているがやはり一気に成長する事は無さそうだ。
「うぅ……。結構怖いね、お兄ち……兄上……兄様?」
「ハハ、心配しなくても良いよヴィネラ。僕が護る。民を護るのが王の勤めだけど、妹を護るのは兄の勤めだからね。余程相手が悪くなければ、ブラックさんから教えられた剣術や武術で勝てる。相手が主力級だったとしても、抗う事くらいは出来るからね」
怯えるヴィネラの頭をそっと優しく撫で、フッと笑うマルス。自分が不安そうな表情をしていては、妹であるヴィネラをより不安にさせてしまうかもしれない。なので笑顔を見せ、不安にさせぬよう気を使っているのだろう。
「うん。じゃあ信じる……」
「ありがとう、ヴィネラ。突然此処に呼ばれたのは疑問と不安が多いと思うけど、僕が居るから安心してくれ」
グッと力を込めて言い、歩を進めるマルス。ヴィネラの手を引き、深く暗い森の中を進んで行く。パキッと落ちていた木の枝を踏み、歩みを止めるマルス。風が吹き抜け、ザワザワと葉と葉が擦れる音が周囲を包み込んだ。
「お兄ちゃん……?」
「大丈夫。けど、少しだけ怪しいかな。どうやら敵が来たみたいだ。下がっててくれ、ヴィネラ」
マルスに言われ、ゆっくりと下がるヴィネラ。鍛練を積んだ事で、気配なども感じられるようになったマルス。
実力も伴い、一〇〇パーセント確実にという訳では無いが何処から敵が来るかなどは理解出来ている。なので分かったのだろう。
『ハッ! 餓鬼がたった二人だッ!』
『こんなもの、相手にすらならぬ!』
『退屈凌ぎ程度の強さはあるかッ!』
計三匹の魔物兵士。マルスとヴィネラが相手なので油断しており、相手の兵士達には確実に勝てるという自信が窺えた。
以前のマルスならば敵が来たというだけで慌てふためき、戦闘もままならなかっただろう。しかしライたちと出会ってから数ヵ月。幻獣の国の戦争に参加してから数週間から一、二ヵ月。マルスは着実に成長している。まだ年相応の不安感や怯えなども合間見えるが、それも何れ抑えられるかもしれない。
何はともあれ、敵が攻めてきたこの状況を前にしても全く慌てていないという事だ。
(自分でも驚く程に落ち着いている……。これなら、この三匹程度……簡単に勝てる)
一つ呼吸をし、腰に携えてある剣を触れるマルス。三匹の動きを確認し終え、的確な一撃を入れられる場所を窺う。
それは真正面に一匹。左側に一匹。右側やや上に一匹。全てを確認し、片足を体重移動で移してゆっくりと剣を抜く。既に何匹も敵を倒したというマルス。兵士達程度の相手ならば、ほぼ確実に勝てるだろう。
『『『ギャアアアアッッ!!』』』
「……」
劈くように吠え、牙や爪、巨腕などを振り翳して襲い掛かる魔物兵士達は剣や銃などの武器類は持っておらず、己の肉体のみで戦闘を行うようだ。
元々魔物の戦い方が古来からの伝統である野生的な物なので、それに特化しているのだろう。
本来武器や鎧というものは肉体だけでは足りぬ力を補う物である。魔物は素の肉体的な力が強靭にしてかなりの物であるからこそ、武器などを使う必要は無いのだ。
「……ハッ!」
『『『…………ッ!?』』』
──一閃。魔物兵士達が眼前に迫ると同時に剣の抜く速度を上げ、居合いの形となって切り伏せる。一瞬にして三匹を斬り、その意識を刈り取った。
一つの作業を終え、ゆっくりと鞘に納める。それと同時に魔物兵士達は地に着き動かなくなる。殺してはいないが、意識を取り戻すに数時間は掛かる事だろう。
「こんなものかな……。けど、ライさんは武器を使わずに圧勝するんだろうなぁ……。僕もまだまだ頑張らなくちゃ」
「お兄ちゃんすごい! 前よりも本当に強くなったよね!」
一息吐き、魔物兵士達を見るマルスは、確かな手応えを感じつつまだ力を付け足りないと呟く。その横で、ヴィネラがマルスに近寄り目を輝かせながら話し掛けてきた。頼れる兄というものが誇らしく、心の底から嬉しいのだろう。
その言葉にマルスはフッと笑い、再びヴィネラの頭を撫でて言葉を続ける。
「ハハ。確かにそうだね、ヴィネラ。けど、僕はまだ完全じゃない。完璧や完全を目指している訳じゃないけど、民を護る為にはもう少し力を付けなくちゃね」
「ううん。それでもすごいよ! お兄ちゃんが居ればブラックさんたちも見つけられそうだもん!」
マルスは、王という立場に居る以上称号的な立ち位置では上位に存在している。しかし、強さではまだ魔族の中でも中堅層だ。それでも普通の王ならば十分であるが、マルスの場合は民や家族を護れる王を目指している。なのでまだ強さの高みに行きたいのだろう。
「まだブラックさんたちが本当に来ているという確信は無いけど、可能性は高いからね。ドラゴンさんに貸して貰ったこの御守りがあれば、この層に居るっていう幻獣さんたちの力を借りる事も出来るかもしれない。探しやすさは普通よりもあるかな」
「そうだね。本当に会えるから分からないけど、もし会えたらやっぱり他の皆も来ているのかもしれないって事だもんね。皆が居たら頼もしいもん」
ドラゴンたちの存在。自分たち以外にも他の者が居た事で、マルスとヴィネラにとって頼もしい者たちの存在が脳裏に浮かぶ。王としての責任感はあるがまだまだ子供。修羅場を潜った回数も少なく、経験も少ない。なのでまだ頼りたい者も居るのだろう。
「さて、そうと決まれば捜索を続けよう。ヴィネラは僕が護るから」
「ありがとう。お兄ちゃん」
魔物兵士達をその場に残し、マルスとヴィネラは更なる歩みを進める。ゆっくりと進んでいるので全部を見て回るには何年掛かるか分からない。しかし、そう何年もという事は無いだろう。
幻獣たちや魔族たちなど、マルスとヴィネラが知らずとも第二層には味方が多い。数もあり、主力たちは気配を辿っているのですれ違いなども無く早くに会えるかもしれない。それが直ぐに会えるという根拠の一つだ。
『兄妹愛ねぇ。それは素晴らしいわね。好きよ、そう言うの』
「「…………!?」」
──その刹那、一つの声と共に腐敗した風が吹き抜けた。それを本能で不味いと悟ったマルスはヴィネラを抱き締め、一気に跳躍して風の当たらぬ茂みへと飛び込んだ。
その風が止むと同時に声の方を見るマルス。そこには一人の女性が立っていた。しかし、その女性には何やら奇妙な違和感を覚える。
「……半分……腐っている……?」
そう、その女性の身体の半分は緑がかった黒に変色しており、生き物の死臭が漂っているのだ。しかしもう半分は普通の身体。半分だけ。半分だけが死んでいるその女性──
『あら、名乗り遅れたわね。ごめんなさい。私の名前はヘル。第三層に居たけど、面白そうなものを見つけたから此処に来たわ。よろしくてよ、マルスさん。ヴィネラちゃん』
着ているスカートの両袖を軽く持ち上げ、小さくお辞儀をするヘル。
元は第三層にある死者の国を収める女神であり、半分死んでいる存在。彼女が丁寧な口調で話、顔を上げてマルスとヴィネラに視線を向けた。
「ヘル……! 聞いた事はありますね。かつて"世界樹"にある死者の国"ヘルヘイム"に住んでいた女神様でしたか……。此処に居るという事は、僕たちのように連れて来られたのか……もしくは僕たちの敵なのか……ですね? 此処が本物の"世界樹"ではない事も知っています。それなら、選択肢は必然的にその二択になりますから」
『ええ。そうね。答えるなら、私はアナタたちの敵よ。けど、命までは取らないから安心して。アナタ達はそこまで強いという訳では無さそうだけど、潜在能力はかなりの物ね。神としての慣性と直感で分かるわ。敵である以上倒す事は変わらない。降伏するなら優しくして上げても良いわよ』
マルスを前に、余裕の態度で話すヘル。
実際、主力であるヘルはマルスが大した相手にはならないだろう。しかしその潜在能力は実感しており、兄妹と言うものにはヘル自身も少々関わりがあるのでそこまで本気で倒すつもりが無いのだろう。
それに対するマルスの返答は、
「遠慮しておきます。確かに貴女は僕たちよりも遥かに格上。けど、自分の敗北を認めるという事はしません。一国の王である以上、降伏はその国の敗北を意味します。今回は僕の街は関係していなさそうですが、王足る者……そう簡単に負けるつもりはありません!」
『へえ、言うじゃない。生意気……けど、可愛いわね。貴方が死んだら死者の国へ是非招待したいわ』
力強く、キッパリと断るマルス。ヘルは一瞬眉を顰めて怪訝そうな表情をするが不敵に笑い直し、マルスの前に死臭と共に瘴気を展開させた。
この瘴気は触れたら即死という訳では無いが、様々な不調を来す謂わば毒。それを放ち、楽にマルスを仕留めようという魂胆なのだろう。
「ヴィネラ、離れているんだ。彼女は、かなり強い。僕よりもね。隠れてあの瘴気に触れないよう気を付けてくれ」
「う、うん。分かった、お兄ちゃん。気を付けて……」
ヴィネラに言い、ヘルに構えるマルス。腰から剣を抜き、剣尖を向けた。
銀色に輝く剣尖が隙間から入り込む微かな光に反射して更に瞬き、周囲に光を散らす。
「では、行きます……!」
『ええ、良いわよ』
次いで駆け、一気に詰め寄って剣を薙ぐ。ヘルはそれを殆ど動かずに避け、生きている方の腕で剣を持ったマルスの腕を掴む。そのまま軽く持ち上げ、生きている方の脚を放ちマルスの腹部を蹴り抜いた。
「カハッ……!」
それを受けたマルスは空気が漏れ、血液の味と共に不愉快な嘔吐感を催す。しかし堪える。が、勢いよく打ち付けられた事で少し噎せ、過呼吸に近い状態となる。その一瞬だけで息を吸い、剣を離してもう片方の手へ移した。
一歩間違えれば移す行為だけで腕その物を切断し兼ねない程だったが、刃はマルスの腕をすり抜け、柄の部分をしかと握り締める。そのまま斬り上げ、ヘルの腕に切り傷を付けながら脱出した。
投げ出されたように地に着くマルスは即座に起き上がり、脱兎の如く飛び退いてヘルから距離を置く。瘴気が入らぬよう気を付けながら新鮮な空気を肺に入れ、呼吸を整えていた。
「まさか、剣で斬っても切断されないとは……。やはり主力格となれば身体の強度が通常よりも高まるのですね……」
『ええ。そうね。けど、傷を付けただけでも上々だわ。主力格なら、身体の硬さだけで鉄の高度は等の昔に超越しているもの。鋼鉄よりも遥かに上の硬さよ。普通の剣や刀じゃ傷一つ付けられないけど、貴方には鉄くらい斬り捨てられるって事ね。まあ、私にダメージを与えたかったら山河や大陸、星を砕く力が無くちゃね。まだまだよ』
淡々と綴り、不敵な微笑を浮かべるヘル。マルスはまだまだ発展途上。これから更に力を付ければ星は無理でも山河や大陸を打ち砕けるようになるかもしれない。しかしそれは今じゃない。出来ぬ事を求めたところで無意味だろう。なので余計な事は考えず、改めてヘルに構えた。
「その領域にはまだ到達出来ませんけど、それなりにやってみようと思います」
『そう。なら来てみなさい。少し遊んで上げるわ』
構えた瞬間に駆け出し、剣から銃に持ち替えるマルス。どうやら腰に剣、懐には拳銃を携えていたらしい。
一瞬だけで二、三回発砲し、ヘルの身体を撃ち抜く。それによって鈍い音が周囲に響いたがヘルにダメージは無く生きている方の腕で腹部を殴り付けられる。次いで死んだ方の硬直した腕が放たれ、マルスは容易く弾き飛ばされてしまった。
『フフ、相手が悪ければ私の武術はあまり通じないけど、貴方みたいな普通の兵士並みの実力者なら通じるみたいね。まあ、武術って言っても、相手の動きを見切って躱して攻撃を与えるだけの単純な作業なんだけど』
「そうみたいですね。けど、僕にも僕なりにやるべき事と背負うべきものがありますから。簡単には負けませんよ」
『良いじゃない。嫌いでは無いわ、そういうの。けど、勝てる相手でも確実に勝たなきゃならないから手加減はそろそろ終わりよ』
銃を片手に移し、剣を再び取るマルス。絶対に勝てない相手の場合はさっさと逃げるのが吉だが、後ろにはヴィネラも居るので簡単に逃げる事は出来ないだろう。
九つの世界・"世界樹"の第二層にて進むマルスとヴィネラは、かなりの強敵を前にしてしまう。そこでは、そう簡単に突破出来ない戦闘が始まっていた。




