四百六十四話 一日の終わり
──"九つの世界・世界樹・最下層・泉地帯"。
ゾフル、ハリーフ、酒呑童子を打ち倒したライたちは"ウルズの泉"から更に進み、複数の木々が立ち並ぶ並木道に出ていた。
他の場所ど同じく淡い柑子色の木漏れ日が木々の隙間から覗き、周囲を照らす。その日差しはそれなりの強さと明るさを誇る日光なのでヴァンパイアであり太陽の日差しが弱点であるエマが心配だが、果たしてこの世界の太陽とライたちの世界の太陽が同じなのかという事が分からない。
今まで戦闘を行っていた泉地帯は生い茂る木々によって日光が遮られており、この様な強い日光は差し込んで来なかったのだが、そこを抜けた今はどうなるか分からない。そんなエマはというと、
「ふふ……た……大した事の無い日光よの……もう既に弱りかけているではないか……」
無論、駄目だった。どうやらこの世界に広がり光を届ける恒星もライたちの普段の世界と同じようにヴァンパイアにとっては天敵となりうる存在らしい。
見て分かる程に青白い顔。額からは本来のヴァンパイアからは出ない筈の多大な量の汗が吹き出しており、青白くも頬などが紅潮して一部が赤い。息も荒く、今にも倒れそうな程フラフラだった。死者が動いている存在のヴァンパイアは元々青白い顔付きだが、それよりも更に青いのだ。血よりも赤い真紅の瞳には生気が無く、歩いているだけで死にそうだった。
「だ、大丈夫か……? エマ。見ての通りヤバそうな状況だけど……」
「うん。今にも倒れそう……」
「夕刻だから日差しが弱まっているのは当たり前だが……今のエマにはそれを認知出来ない程らしい……」
「どうしよう……。私の癒しで何とかなるかな……?」
沈み行く太陽を前に弱り切ったエマ。ライたちは不安そうにエマを見やり、左右からライとレイがエマの両肩を支える。
そして背後ではフォンセがエマに傘を差しており、その横でリヤンが癒しているが夕方特有の全方位から差し込む日の光によって焼け石に水の状態だった。
しかしリヤンの癒しの力ですら抑えきれないとは、自然の力というものはかなり脅威的だと実感するライたち。
「ええと……。私も何か手伝った方が良いのでしょうか……」
『ウム……。何なら、俺の背に乗るか? 人数は軽く数十人乗っても大丈夫だが……』
『中々レアだな。普段は冷静なヴァンパイアがこんなに弱るとは……。太陽を隠せば敵に居場所がバレる可能性があるから出来ねえが……取り敢えず妖力を分けておこう』
当然、ニュンフェ、ドレイク、孫悟空の三人も心配している。
何をすれば良いのか分からずに困惑するニュンフェと、楽にさせる為己の背を差し出すドレイク。エマの弱り具合を物珍しそうに見つつ、ほんのりと妖力を分ける孫悟空。
対応は様々だが、皆がエマの心配をしている事に変わりは無かった。生まれつき太陽に弱く、かなり鍛えてなければほんの少し日に当たるだけで消滅してしまう可能性があるヴァンパイア。性質や体質の問題なのだが、かなり大変そうなのは遠目から見ても分かる程だろう。
「ふ、ふふ……。案ずるでない……。ライたちの支え……。そしてリヤンと斉天大聖が行う回復のお陰で少しばかり楽になった……。完全回復する為に遠方に見える血の池に行ってくる……」
「いや、行くな! 何もないから! 完全に幻覚を見ているぞ!」
『大丈夫だ。そん時は俺なら連れ戻せる』
エマの身体に走るのは、不死身の肉体が細胞一つ残らず消滅しそうな程の熱さ。常人からすれば適温なのだが、ヴァンパイアのエマからすれば仮に冬だろうと太陽光に当たるだけで身体が焼けてしまう。
そんな光が全方位から差し込んでいる現在は、幻覚まで見えてしまっている始末。しかも見えているのは血の池。それは世間的に言う地獄の光景だった。ヴァンパイアのエマからすれば天国かもしれないが、地獄の血の池は健康的では無いので満たされないだろう。
ライは必死にエマを揺すって止め、隣では孫悟空が呑気な事を言っている。敵の主力や兵士達が見えない今、多少の気が抜けているライたちはエマによってある意味の警戒体制に戻っていた。
*****
「ふう……。落ち着いた……」
手で汗を拭い、木陰に隠れて一息吐くエマ。未だに汗は消えないが、土魔術で造られた日光を防ぐ壁のお陰で多少はマシになっていた。
夕刻の中でも最も日差しの強い時間帯は過ぎ去り、後は月が昇るのを待つだけとなっている。一先ずこれ以上は進めず、ライたちは此処で休息を取る事にしたようだ。何より、元々拠点を探していたので広いながらも木々によって隠れる事の出来るこの場所は拠点に丁度良かった。
「どうだ? 少しは落ち着いたかエマ?」
「大丈夫? 汗はまだ止まらないみたいだね」
「そろそろ日も完全に落ちる。夜が来れば普段通りになるだろう」
「エマのダメージが傷じゃないから私の癒しも効かなかったみたいだね……」
そんな壁の内側へ入るライ、レイ、フォンセ、リヤンの四人。四人がエマを囲みつつレイが濡らしてきた布を持っており、エマの汗を拭いていた。
普段ならば少し日に当たったくらいでこれ程の疲労やダメージは残らないのだが、今回は全方位から浴びた事と、此処が九つの世界。そして"世界樹"である事が大きな問題だった。
太陽というものは、古来より神と崇められ、全ての生き物に恩恵を与える重要なものだった。しかし、それは悪魔で"生き物"のみ。"生きているモノ"にしか与えられない恩恵なのだ。
故に、アンデッド系列の魔物や幽霊、妖怪と言った既に死している者。生まれつき死んでいる者には太陽を苦手とする者が多いのである。中でもヴァンパイアは光の反射による鏡にすら映らず、太陽という存在から完全に否定された存在。故に死ぬかも知れぬ程の影響が生じるのだ。
そんな神聖な星──太陽。神々の楽園。聖地。聖域、神域。全てを支える"世界樹"はそれらの影響が特に大きく出ているのだろう。再現された世界とは言え、相応の力が秘められている。なのでエマがこれ程までに苦しんでいるのだ。
ただでさえ苦手な太陽が更に強化されているのだから。
だが当然、ヴァンパイアに与えられる影響は悪いものばかりではないのも事実。太陽が強ければ、他の事柄も相応の強化を施されているという事である。
「ふっ。心配するな皆。この世界にあるかは分からぬが、仮にあるのならば夜になれば私の力が膨れ上がる。昼間の力が強いならば、夜も強いという事だからな」
それは"夜"。
世界が闇に包まれ、特定の光しか差し込まぬ真っ暗な世界。そこに存在するものは"月"。朝も昼も夕方も月は存在しているが、月も神聖なものである事に変わりない。
昼間は強過ぎる太陽に消されているが、確かに存在し、太陽の力を受けつつヴァンパイアなどのようなアンデッド系列の魔物に良き影響を与える存在。
それも強化されているのならば確実に、エマにとってもかなり良い状況という訳だ。日光によって受けたダメージも、夜を過ごせば完治するだろう。
「まあ、最も適切なのは新月だがな。贅沢は言えん。夜に行動をするのが危険なのは理解している。どうせ昼間に行動するのなら、夜のうちに一日を生き延びる力を蓄えているとするさ」
時期に日も暮れる。既に半分以上暮れた太陽。そうなれば自然とエマの時間が来るという事。
ライたちが夜に行動しないのは理解しており、敵に居る妖怪達も強くなる世界で動くのは得策ではないという事も理解しているエマ。
自分だけの能力が上がったとしても、一人で敵の主力を全て相手にするのは無謀としか言えないからだ。夜の世界でライや支配者クラスの力を得られるのならば問題無いが、そこまでは強くなれない。なので夜は休養に当て、昼間でもライたちの役に立つ事がエマの最も良い選択になっているのだ。
「ハハ。悪いな、エマ。日の光で苦痛を感じたというのに、此処まで気を使わせてしまって」
「気にするな。私が好きでやっている事。それがどちらに転ぶかは自分次第だ。上手く行かぬ事を他人の所為にしてはヴァンパイアの誇りに泥を塗ると同義。世界的に少ないヴァンパイアで、そんな事を仕出かしては末代までの恥よ」
軽く笑うライと、軽く笑うエマ。レイ、フォンセ、リヤンもその横でクスクスと品のある笑みを浮かべていた。
何はともあれ、エマのダメージも良くなったので今後の行動に支障は無さそうである。
「良いものですね。信頼出来る存在が近くに居るという事は。あの仲を見ていると、出会って数週間の私、少々ジェラシーを感じてしまいます」
『フッ。分からなくはないな。信頼があるのは良い事だが、やはり出会って数週間の俺たちとは差がある』
『ハッ。俺たち大人はあの様子に嫉妬するんじゃなく、微笑ましく見届けようじゃねえか。ま、ヴァンパイアはニュンフェとドレイクよりも年上だけどな』
土魔術の壁の外側にはニュンフェ、ドレイク、孫悟空がおり、エマを看病するライたちの様子を微笑ましく眺めていた。
看病といっても強い日光が原因なので日が暮れるにつれて数時間で治るものだが、それでもライたちが心の底からエマを心配している様子を見てフッと笑みを浮かべる二人と一匹。出会って数週間の仲だが、ニュンフェたちもそれなりに良好な関係を築けている。しかしやはり、数ヵ月とはいえ共に死線を潜り抜けて来たライたちの信頼関係には遠く及ばないのだろう。
「良し、もう大丈夫だ。大分日も落ちたからな。私の身体も問題無く動くぞ」
「そうか、良かった! 汗も引いたみたいだな。顔色も良くなっている。まあ顔色は元々白かったけどな」
「ふふ。言ってくれるな。しかしまあ、ヴァンパイアの私は確かに白い顔だな。これが健康の証だ」
軽く笑い、会話をするライとエマ。皮肉を交えた冗談を言えるまで回復したので、恐らくもう身体の方は大丈夫なのだろう。
レイ、フォンセ、リヤンも隣で笑っており、暫く談笑したあと調子を確認する為にエマが立ち上がった。そのまま土魔術の壁を抜け、外に出る。そんなエマに着いて行くライ、レイ、フォンセ、リヤン。
「すっかり夜だな。土魔術はテントみたいに全方位を囲んでいたからどれくらい経過していたのか分からなかったけど、数時間は弱っていたらしい」
「ああ。そうみたいだな。お陰で好調になったが、もう少し進めたかもしれないのにすまないな」
「おいおい。エマが謝る必要は無いだろ。エマからすれば、太陽の下で歩くだけで猛毒が含まれた業火に焼かれている様なものなんだ。それが本来の数倍以上の強さで全方位から突き刺さる。想像を絶する苦痛が身体中に走るってのはエマ程の精神力を持って無くちゃな」
「ふふ。御世辞を言っても何も出んぞ?」
「御世辞じゃないさ。俺はヴァンパイアじゃないから分からないけど、俺が思うよりもキツいんだろ?」
外に出て、木々の隙間から除く夜空を眺めるライたち。暗いながらも微かに分かる翠色の葉を空に広がる星達が覗き、天然の窓のようだった。
ヴァンパイアのエマからすれば昼間に歩くだけで拷問となりうる所業。それを受けながらも着いて来てくれるエマに、感謝こそはすれど文句を言う筈が無い。簡単な自虐的なものだとしても、ライたちはエマに感謝をしていた。
「もう良いのですか? エマさん」
「具合が悪そうでは無くなったな。まあ、先程までが苦しそうだったから良かった」
『敵は来なかったぜ。そちらも無事ならそれに越した事はねえな』
「ああ。心配掛けたな、ニュンフェ、ドレイク、斉天大聖」
外に出て数分。周囲を見張っていたニュンフェ、ドレイク、孫悟空の三人がライたちに近付く。ドレイクは目立たぬように人化しており、ニュンフェは安心した顔でエマを迎える。孫悟空も同じような感じだ。
その三人を前に、フッと笑って返すエマ。何はともあれ、これにてエマは復活した。
「さて、じゃあそろそろ夕飯の準備をしようか。風雨を凌ぐ建物なら土魔術から造れているし、明日に備えて力を付けなくちゃな」
「ああ。私も手伝おう」
「うん、私も手伝うよ」
一段落着き、本格的に休む為の準備に取り掛かるライたち八人。上を目指して進んでいるが、無理は出来ない。休む時はしっかりと休まなくては長旅には適さないからだ。
レイたちも各々で動き、これから行うキャンプの準備を整える。明日も早く、多くの戦闘が行われるのだろう。故に、休む為の準備が最後の大仕事である。
幻獣たちと魔族たち。そして敵の主力達も恐らく休みに入っている。そんな中、ライたちも休息に入る。
多くの強敵達と邂逅した波瀾に満ちた今日一日は、今終わりを告げる。今この時九つの世界と"世界樹"に集う全ての主力は身を休めるのだった。




