四百五十五話 逆さの世界樹
──"九つの世界・世界樹・第二層"。
グラオとヨルムンガンドを欺き、戦線を離脱したドラゴンを率いる幻獣の国の者たち。ドラゴンたちがあの場を離れてから数時間は経過していた。
幸い幻獣の国の者たちは数人と数匹しかいない。なのでこの広い"世界樹"の内部ならば簡単に見つからず行けるだろう。
『居たぞ! 幻獣達だ……! ──ッ!?』
一匹の魔物兵士がドラゴンたちを見つけ、仲間にそれを伝えようとしたその瞬間、魔物兵士から意識というものが消え失せた。魔物の国側の主力達とは簡単に見つからず進めるだろうが、至る所に配置されているという兵士達が相手ではそうもいかない。
数はどれ程居るのか分からないが、数百万は軽く越えている筈だ。なので主力達から離れたとしても警戒をし続けなければならないので少々面倒なものだろう。
『この世界に居る以上、絶対の安全地帯は存在せず、何れは魔物の国の主力達との戦闘は避けられないだろう。よって、慎重に行動しつつも敵と相対した場合の戦略を考えておく必要があると、俺は思っている。お前たちは?』
『当然。ドラゴンさんの考えに賛成だよ。上を目指すのも優先だけど、逃げられない戦いが起こった時に何も出来なくちゃ意味が無いからね』
なるべく戦闘は避けたいが、全ての戦闘を避けられる訳では無い。なのでその時の為に色々と手を打っていた方が良いと提案するドラゴン。それに対してジルニトラが同意し、他の者たちもその言葉に頷いていた。
『だがドラゴン。此処が何処かは分からぬままだ。それについてはどうする? ただひたすら上を目指しているが、上を目指しているようで実は全く違う方向を進んでいた。なんて事にならなければ良いが……』
そんなドラゴンの言葉には同意しているが、ある可能性を懸念しているのはワイバーン。
再現とはいえ、"世界樹"と九つの世界を創造する程の力を有した者達が敵に居る。方向感覚を狂わせ、全ての方向を真逆に向かわせる事も可能かもしれないのでそれを懸念しているのだ。
もう少し簡単に述べるのならば、ドラゴンたち幻獣の国の者たちを迷わせる事も出来るという事である。
『無論、その可能性やその他の可能性を考慮し、対処している。慎重に進みつつ、何かしらの術が掛かっているかどうかを暴く魔法・魔術を用いてな。今のところ、幻覚や洗脳によってあらぬ方向へ向かっているという線は無いだろう』
『そうか。それならば良いんだが……』
対し、その点についてもしかと考えているというドラゴン。グラオ達から離れて数時間。此処に来るまで、何時の間にか検証する為の魔法・魔術を使っていたらしい。
それを使った結果、此処までで騙されている可能性は無く順調な道のりを進めているとの事。それならばと、ワイバーンも納得した。
『……む? 此処まで暗い道中だったが……何やら光が見えてきたぞ』
その横で、遠方を見つめて話すフェンリル。
此処、第二層は全体的に暗くこじんまりとした雰囲気が漂っていた。しかしその暗さを照らすような光が遠方に見えているのだ。
『確かに光が見えて来ているが……何とも不気味な光だな。青白く赤紫。そして黒い光だ。闇を照らす黒い光とはこれ如何に……』
だが、口を濁らせるように続くガルダ。
そう、幻獣の国の者たちが見た光は道中の闇に比べれば明るい。しかし、その色合いがとても暗いのだ。
例えようは無いが、妖しい光である事に違いない。青白く、赤紫にして黒い。ガルダの言った色が光として遠方に広がっていた。
『フム……。如何にも何かあるという色合いだな。この世界にも国があるという。フェンリル。何の国か教えてくれないか?』
その光を見、訝しんだドラゴンがフェンリルに訊ねる。九つの世界が出身であるフェンリル。この世界の街について詳しいと考えた上での事だろう。
本来の世界とは些か差違点もあるらしいが、そこ世界を再現しているのならば国の名前やその国に住んでいた筈の種族の名前は同じ筈と見込んで訊ねたのだろう。
ドラゴンの言葉に耳を貸し、遠方の街を真っ直ぐな眼で見ながらフェンリルは言葉を続ける。
『此処の層にある国は四つ。二つは一つとして纏められている事もあるが、敢えて四つ全ての国を言おう。先ずは小人の国、"ニダヴェリール"。黒い妖精の国、"スヴァルトアールヴヘイム"。人間の国、"ミズガルズ"。巨人の国、"ヨトゥンヘイム"。その四つの国がある。遠方に見える国の妖しい雰囲気からするに、恐らく彼処は黒い妖精の国である"スヴァルトアールヴヘイム"だろう。この世界では小人の国と黒い妖精の国が同一視されているのか分からないが、先ず間違いない』
『"スヴァルトアールヴヘイム"……成る程。黒い妖精の国だから異様な雰囲気を醸し出しているという事か』
黒い妖精の国、"スヴァルトアールヴヘイム"。その国の名を言ったフェンリルは少々苦虫を噛み潰したような顔をしていた。その様子を見るに、かつて黒い妖精の国で何か苦い思い出があったのだろう。気になっている様子のドラゴンだが、私情に口を挟む程無粋ではない。なので何も言わず、言葉を続ける。
『さて、どうする。行ってみるか、"スヴァルトアールヴヘイム"へ。無理強いはしない。一人一人。一匹一匹の意見を取り入れ、それを聞いた上で最善の行動を行おう』
そして、行くか行かないかの選択を他の者たちに促した。行きたい者が居ればそれに伴った選択をする。行きたくない者が居れば、これにも伴った選択をする。全ての意見を取り入れ、最善の策を実行してこそ国を統べる支配者。即ちリーダーのあるべき形である。
それに対し、ワイバーン、フェニックス、ガルダ、フェンリル、ユニコーン。そしてジルニトラ、沙悟浄、猪八戒の幹部と側近たちが暫し思考する。最初に名乗り出た者は、意外にもフェンリルだった。
『俺は行こう。このまま宛も無く上を目指して彷徨うのならば、何かがありそうな国に向かった方が良いからな。それに、もしかすればこの世界の地図などが手に入るかも知れぬ。第一層から第二層ならば虹の橋という橋があるからそれを探せば良いが、第二層から第三層へは行けないからな……まあ最も第三層は地下に…………』
その理由は、このまま彷徨い続ける事に対してそれでは埒が明かないと考えたからだ。そこまで言い、フェンリルは一つの事を思い出した。
『……!? いや、おかしいぞ。かなりおかしな事に、今気付いた……』
『『『…………?』』』
それは、何かがおかしいという事。他の者たちは"?"を浮かべ、訝しげな表情でフェンリルを見やる。
途中まで平然と綴っていたフェンリルだが、何かに気付いたという事は見て分かる。その何かを聞く為、ドラゴンたちは次の言葉を待った。
『そうだ。そうだった。本来は上から第一層、第二層、第三層と続いているんだ。俺たちが上を目指すなら、第一層へ行く必要がある……。だが、何故かこの世界では第三層が最上層になっているんだ……!』
『……! どういう事だ、フェンリル? 俺たちが目指していたのは最上層の第三層……それが間違っていたと言うのか?』
フェンリルが言った言葉。それを聞く限り、ドラゴンたちはとんでもない間違いを犯してしまったのかもしれない。ドラゴンを始めとし、幹部と側近全員が驚愕の表情を浮かべていた。
そう、本来"世界樹"は最上層から第一層、第二層、第三層と続いているものである。にも拘わらず、この世界では第一層と第三層が逆なのだ。それならば、そもそも逆である事自体がおかしい筈。上から数えて第一層、第二層、第三層と続くならば、始めから目指すのが第一層の筈。だが幻獣の国の者たちは、最下層の第三層を目指していた。それにたった今気付いたのだ。
『まさか……既に何かしらの術に……?』
『いや、それは違うだろう。ただ純粋に、この九つの世界と"世界樹"の方向は俺の知る世界とは逆であるというだけだ。根が上から下に続いているのだろう。簡単に言えば、"世界樹"の立ち位置が逆さまだったんだ。此処に見える根は上に生えているもの。しかし、俺たちが第三層を目指す事に変わりはない。第三層が上ならば、そこを目指して駆け上がるだけだ』
この"世界樹"は上下が逆だったというフェンリルの言葉を聞き、驚嘆の表情をしつつも頷いて返す他の主力。
しかし目指す階層は逆だったが、それが第三層を目指さない理由ではない。逆ならば逆を目指して進む他ないからだ。
そしてその様子を見るに、皆黒い妖精の国である"スヴァルトアールヴヘイム"に向かう事に賛成のようだ。
"世界樹"が逆さまだったという事実はさておき、黒い妖精の国を目指す幻獣の国の者たちだった。
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──"九つの世界・世界樹・最下層・根元付近"。
シュヴァルツから離れたライたちは、依然として最下層である根元付近を進んでいた。しかし根元は最下層ではなく最上層に存在する。つまり此処から見える根元は上下が逆さまになった事で上から垂れている根という事だろう。最上層に行けば、更に根が増えるかもしれない。
それはさておき、そこを進むライたちの前には延々と続く道だけが存在している。
「オラァ!」
なので横にある壁を砕き、大穴を開けて先を進んだ。道がある以上、そこに敵の主力達が居る可能性は高い。なので道という道を進むだけでは無く、道なき道を切り開く必要があるのだ。
それもあって敵にはあまり出会わないが、遠回りとなってしまう。此処に呼ばれてから数時間は経つが、まだ最下層から抜け出せていなかった。しかし遠回りをしているので、支配者に会っていないのも事実だ。
「……けど、そろそろ本気で最上層を目指した方が良さそうだな……。考えてみれば、"世界樹"って第一層が最上層だ。俺たちは第三層が最終目標だが、この"世界樹"……もしかして逆さまなのかもしれない」
「ああ。本や伝承では度々目にする"世界樹"だが、私たちが始めに呼ばれた三つの湖がある地帯。本来ならはわそこから第三層には近い筈。だが、そうではない。意図的に創り出された物だからか、私たちの知る"世界樹"とは少々違うようだな」
ライとエマ。そして他の者たち。彼らは全員、この"世界樹"に違和感のある事に気付いた。
逆さまの"世界樹"。なんとも奇妙なものだが、全宇宙を創造した原初にして混沌の神であるカオスの実力ならば創れる筈。"世界樹"を反転させる事で混乱と混沌を起こすなど容易い所業だからだ。ライたちは皆がそれを理解した。
「そう言えばライ。本気で目指すってどういう事?」
そして、先程ライが述べた本気で最上層を目指すという言葉の意味を問うレイ。最上層を目指すというそのままの意味は分かるが、"本気で"という言葉の意味が分からなかった。
「それは当然、こういう事だ」
「まさか……」
「そ。全員抱いて走る」
『やっぱりな』
『次は遅れを取らんぞ……!』
刹那、ライはレイ、エマ、フォンセ、リヤンを抱えた。孫悟空はいち早くそれに気付いてライから離れており、もう一度首を絞められるのが嫌なドレイクは翼を広げて距離を置いていた。
「じゃあ、行くか」
捕まえたレイたちに有無を言わせず、大地を踏み込むライ。そこから一気に加速し、光の領域に到達して進む。レイたちは摩擦で凄まじい事になりそうなものではあるが、どうやら空気圧で苦しむ以外は何事も無いみたいだ。空気圧ですら即死レベルの威力は伴っているが、それも何でもないらしい。恐らく魔王の作用がレイたちにも働いているのだろう。
──"逆さまの世界樹"。それは奇っ怪にして奇妙で謎めいたものだが、先を進むライたちとドラゴンたちが歩みを止める理由にはならない。
"世界樹"の最上層を目指すライたちは、少し本気を出して駆け上がるのだった。




