四百三十三話 砂漠地帯と極寒地帯
──灼熱の砂漠地帯で二つの砂柱が舞い上がった。それによって大地が大きく抉れ、剥き出しとなった岩石が空中に舞い上がる。その岩石が吹き飛び、岩の欠片の中から二つの影が姿を現した。
『伸びろ、如意棒!』
『相変わらず、芸の無い技だ』
如意金箍棒が亜光速で伸び、牛魔王がそれを容易く弾く。弾かれた孫悟空は仰け反り、その隙を突いた牛魔王が踏み込みに合わせて迫り行き、孫悟空の頬へと混鉄木を叩き込んだ。
それを受けた孫悟空は吹き飛び、砂の地を何度もバウンドしながら遠方にあった岩に激突して砂を盛り上げる。その砂の中から孫悟空は姿を見せ、觔斗雲に乗って如意金箍棒を携える。
『伸びろ如意棒!!』
『それはさっきも見た』
亜光速で伸びる神珍鉄。それを己の武器で弾き飛ばし、先端を掴んで自分の方へ引き寄せる。その瞬間に混鉄木で孫悟空の顔面を殴り付け、砂漠の大地に叩き付けて粉砕した。
そして粉塵と共に、孫悟空の姿がさながら煙のように消失する。
『成る程、分身の術か……』
『ああ』
牛魔王の背後から掛かる声。牛魔王がそちらを見ると、如意金箍棒を振るう体勢となっている孫悟空が姿を現した。それが振るわれ、片手で受け止める牛魔王。
『だが、それも読めている』
『……ッ!』
その時に如意金箍棒を孫悟空の腹部に押し込み、その如意金箍棒ごと投げ飛ばした。投げられた孫悟空は空を舞い、次の刹那には牛魔王の混鉄木が迫っていた。
『ハァッ!』
気付いた瞬間に打ち抜かれ、直径数百メートルの視界が消え去る程の砂埃が舞い上がって周囲を飲み込んだ。その砂埃から分身によって数人に増えた孫悟空が飛び掛かる。
『『『まだだッ!』』』
『面倒だな』
分身で掛かる孫悟空に対し、一言で切り捨て正面から迎え撃つ牛魔王。目の前の孫悟空に拳を叩き付けて消し去り、背後から来る者には蹴りで打ち消す。左右から攻める孫悟空には混鉄木を振り回して纏めて消し飛ばし、そのまま流れるように上から攻め来る孫悟空を弾き飛ばす。最後に砂漠の地に叩き付け、地震を彷彿とさせる振動を起こして砂を利用し、波のような砂で孫悟空たちを飲み込んだ。
それらは全て一瞬で行われた事柄。孫悟空たちが牛魔王から離れると同時にボンッ。という軽快な音と共に元の髪の毛となった。
『"妖術・巨人の術"!』
だが、その分身は全て囮。重い一撃を叩き込む為だけに用意したものだ。髪の毛は数十万本あるので、数人から数十、数百人程度ならば捨て駒として扱えるのである。
そして、巨大化した腕が下方に居る牛魔王へと叩き付けられた。それによって先程舞い上がった砂埃を全て消し去る程の衝撃が生まれ、視界が良好になる。孫悟空の放った拳の下には、数キロ程の大きさはあるであろうクレーターが造られていた。
『相変わらず重い拳だ。いやいや、下が柔らかい砂で良かった。全ての衝撃はそこへ逃げたからな』
『んな訳あるか。だが、全ての衝撃を逃がすとはな。最近見てなかったが、相変わらずそれなりに強いじゃねえか』
『義理でも兄だからな。威厳を見せなくてはならないだろう』
片手で孫悟空の巨大化した腕を受け止める牛魔王が、今さっき造られたばかりのクレーターの中心に立って話す。巨大化し、隕石並みの破壊力となった拳はそれ程までに容易く受け止められてしまったのだ。
『兄なら兄らしく、弟の顔を立ててはくれないもんかね』
『そんな訳にも行かないだろう。私情で相手に勝利を譲るのは兄弟以前の問題だ。元より顔を立てるつもりは無いがな』
『随分とお堅いもので。いや、既に兄弟じゃないし、敵となった相手を前にして顔を立たせるのは無理な話か』
『理解しているならそれで良い。続きと行こうか』
孫悟空の巨腕を弾き、混鉄木を構え直す牛魔王。衝撃によって舞い上がった砂埃を全て晴らし、再び舞い上がり掛けた砂粒を全て叩き落とす。砂埃程度ならば戦闘に置いて何ら支障は無いが、何となく煩わしかったので叩き落としたのだ。
『弟なら弟らしく、兄の足元にひれ伏して己の敗北を認めて永遠に動くな』
『そんなのは兄弟云々の問題じゃねえだろ。つか、兄弟ですら無いだろ』
牛魔王の言葉に思わずツッコミを入れる孫悟空。
牛魔王の言い分では兄弟以前の問題だからだ。牛魔王の言葉を要約すれば死ねと言っているようなもの。天界を拠点とする孫悟空なので多分死ぬ事は無いと思われるが、長い眠りに就く事はある。つまり、牛魔王の言葉の意味はそう言うことである。
『流石に長い眠りに就く訳には行かねえな。俺は地上の情勢を整理する為に天界から降りて来ているんだ。牛魔王、お前も知っているだろ。俺が手を組んでいる者たちは世界征服を目論んでいるってな。上位の神仏は地上世界に基本的に関わらないが、全ての支配者を倒す程の力となれば放って置く訳にも行かない。天界も滅ぼされ兼ねないからな。だから見張り役として仲間になっているんだ。今のところ信頼出来る相手だがな』
そもそも、天界を拠点としている孫悟空が態々地上世界に来た理由はライ。即ち魔王の監視を兼ねてである。
本人にその気が無くとも、惑星、恒星、宇宙、天界、地獄、多元宇宙。そんな全ての世界を一瞬にして滅ぼしてしまうかもしれない力を持つ者。監視出来る範囲下に置かなくては危険なので地上世界にも馴染みのある孫悟空、沙悟浄、猪八戒が派遣された。
地上世界が滅ぼうと上位の神々には全く関係無い事柄だが、天界にも危機が迫る可能性を懸念しての事なのだ。
その様に告げる孫悟空の言葉を聞き、牛魔王は表情を変えずに返す。
『ああ、知っている。かく言う俺も下界の様子が気になったから魔物の国に入ったんだからな。だが、それは関係無い。争いの絶えない世界で争わない事を考えるのは無駄でしかないからな。特に、魔物の国は同じ国の者達が毎日のように争っている。退屈にならない良い国だ』
『そうかい。俺は一応仕事なんで、今のうちだけはライたちに協力してやっている。上の方々は地上の争いなどちょっとした小競り合いにしか思っていないだろうけどな』
『それも関係の無い事だ』
『ああ、一理あるな』
クレーターの中心にて、如意金箍棒と混鉄木が振るわれる。その一撃は砂漠の大地を割り、数十キロに及ぶ大きな谷が形成された。
天界も下界も関係無い。方や仕事。方やただの暇潰し。それらの理由によって行われている戦闘は、まだ始まったばかりだ。
*****
空気が凍り、吐いた息が体外に放出された瞬間に氷塊となる程の極寒の地にて、花の香りと死臭が混ざり合った匂いを生み出す。それはとてつもない程の悪臭で、常人でなくとも息をしたくないと思うであろう程のものだった。
事実、元より息をせずとも生きて行けるエマと、死者の国を収めるヘル以外の一人は悪臭に美しい顔を歪めながら戦闘を行っていた。
「嫌な匂いですね、死臭というものは。花の香りでも相殺出来ないなんて……」
『フフ、益々悪化してしまったわね。けど、何も匂いだけが私の戦い方では無くてよ? 匂いだけでは相手を倒せませんからね』
「……!」
腐った腕を振るい、何かの合図をするヘル。それと同時に凍り付いた地面を突き破り、何処からともなく複数の手が生えてきた。
その手は地に触れ、何かを引き上げるように力を込める。手の本体が露になり、そこには脳や臓物がはみ出し目玉がデロンと垂れた顔を持つ者。片腕が無く、衣類も身に付けておらず筋肉の繊維が剥き出しになった者。骨まで見え、腐った肉を身に付ける者など、その他にも見るも無惨な姿の人が出てきた。
「ゾンビ……!」
『フフ、そうよ。死者の国を支配する私ですもの。死者からなるアンデッド系の魔物はある程度操れるわ。ま、リッチやヴァンパイアのように位が高いのはほぼ無理だけれどもね』
「ほう? 成る程な。それならばこの世界に兵士達を連れて来た方が良いのでは? と思ったが、この寒さには生物兵器くらいしか自由に動けぬ。だから魔物兵士や妖怪達は連れて来なかったのだな」
『ええ、そうよ。まあ、まだ生物兵器の兵士達も来ていないけどね』
ヘルが地から出現させたもの、それは死して尚生き続けるゾンビ達。血肉を貪る事しか考えていないゾンビだが、死者の国を支配する女神であるヘルならば意思のままに操る事も可能なのだろう。
そして、"まだ生物兵器の兵士達も来ていない"という言葉が意味する事は、生物兵器の兵士達は何人か用意しているという事だろう。考える間もなく面倒臭いという事は理解出来る。
「で、貴様自身は戦わないのか? 正直言って、私たちからすれば数の不利などあってないようなものなんだが……」
『理解しているわ。けど、ヴァンパイアは分からないけどエルフは疲れちゃうでしょ? 当然よね、寒さに凍えないよう常に熱魔法を使っているんだもの。少しの間、高みの見物でも決めさせて貰うわ』
「随分と良い性格をしているのだな」
『よく言われる。けど、貴女達も比毛を取らない筈よ?』
「女神にそう言われるとはな。先程の挑発はかなり効いていたらしい」
『ええ、かなりね。だから私は安全地帯に居るわよ』
瞬間、寒風に煽られながらヘルの姿がエマ、ニュンフェの前から消え去った。それと同時に全て這い出たゾンビがエマ、ニュンフェを捉えて駆け出して来る。その動きは常人よりも遅いが、エマは兎も角ニュンフェが噛まれればゾンビになり兼ねない。さっさと倒すに越した事は無いだろう。
エマ、ニュンフェとヘル達の戦闘は、まだ始まって居なかった。
*****
──魔物の国・支配者の街。
「珍しいものだね。グラオが参加しないなんて。ライたちと戦う事をあれ程楽しみにしていたのに」
寒い秋の風が流れる魔物の国にて、とある部屋でヴァイスがグラオに向けて質問をしていた。
グラオが幹部達が織り成す最後の戦いに参加しない事は戻ってきた時に知ったもの。それが珍しくて訊ねたのだろう。
「またその話? ヴァイスも理解しているじゃないか。戦う事は確かに楽しみだったけど、僕以外負けても構わないと思っている戦いが嫌でね。そんなものに参加してもつまらないだけさ。それなら一噌の事、僕も魔物の国に仕掛ける方が面白いよ」
「ああ、理解しているよ。理解した上で珍しいと思っているのさ。グラオに戦闘以外の楽しみが無いと思っていたからね」
「それって酷くない? 僕にも戦い以外の楽しみが無いとは言い切れないけど、あるとも言い切れなくて……まあ、つまりそういう事さ」
「ああそうかい」
軽く流すヴァイス。
グラオの言葉からヴァイスもある程度は理解する。つまりヴァイスの言っている事は正しかったようで、グラオには楽しみという楽しみが少ないようだ。
最も、全てを創り出した原初の神なので楽しみが少ないというのは至極当然の事なのかもしれない。
「ま、要するに魔物の国が本気になるであろう"終末の日"。それが後ほんの僅かの時間で起こるなら、それを待った方が良いと思った次第だね。"終末の日"には本気の戦いが起こるんだ。それを楽しみに待っているよ」
「ふうん。今回向かった主力は二人と一匹か。何時も通り部下兵士は多いけど、彼らの強さからすれば基本的に部下の数は有利に運べる目安にならないからね。アジ・ダハーカと牛魔王とヘル。何れも強者揃いだけど、勝つ気の無い魔物の国側がどう転ぶかは分からない。近いうちに"終末の日"が起こるとしても、何時になるかも分からない」
グラオは近い日に行われるであろう"終末の日"を心待にしている。
しかし、今回の戦闘で魔物の国側とライたちがどれ程の負傷を負うのかは分からないので、近い日に行われるという事以外何も分からないのだ。
そんなヴァイスの言葉を聞いたグラオはフッと小さく息を吐くように笑って言葉を続ける。
「良いさ。基本的にヴァイスやマギアが居れば傷は直ぐに癒せる。アジ・ダハーカの使用する千の魔法の中にも回復魔法はあるだろうからね。僕はただのんびりと、ライたちとアジ・ダハーカたちの戦闘が終わるのを待つよ。長い時を生きる僕からすれば、数百、数千、数万年も同じだからね」
「まあ、数百億年も生きているグラオなら関係無いか。たった数日、数週間、数ヵ月なんて短い時間はね」
これにてグラオとヴァイスの会話が終了する。部屋に付いた窓の外を見、秋晴れとなっている空を見上げるグラオ。"終末の日"が何時起こるとしても、グラオは気儘に待てるだろう。
ライたちと魔物の国の主力達が戦闘を織り成す中、支配者の街に残ったヴァイス達はその時をのんびりと待つのだった。




