四百三十一話 魔物の国・六匹目の幹部
姿を現した魔物の国、本当の幹部。見ればその幹部の他に二つ程の人影があった。恐らくこの者達が今回相手にすべき主力だろう。
そう、その主力の一匹である幹部。
『名乗ろう、我が名は"アジ・ダハーカ"。あらゆる"悪"の根源だ』
──"アジ・ダハーカ"とは、とある悪神によって生み出された悪の蛇だ。
その容姿は三つの頭に六つの眼、三つの口を持つ巨躯の身体である。
アジ・ダハーカの持つ三つの頭。それはそれぞれ"苦痛"・"苦悩"・"死"を現している。
巨躯に相応の翼がある蛇で、その翼を広げると天を全て覆い尽くす程の大きさと謂われている。
戦闘の時アジ・ダハーカは千の魔法を駆使して戦闘を行い、様々な神々を苦しめたという。
様々な英雄がこのアジ・ダハーカを討伐すべく名乗り出したが何れも殺す事が出来ず、封印しかする術が無かったと謂われている。
世界が終わりに近付く時、活発に動き出し世界の全ての人間と動物を三分の一を貪るとされている。
悪神によって生まれた全ての悪の根源にして三分の一の生物を貪る三つ頭の蛇。それがアジ・ダハーカだ。
「アジ・ダハーカ……! 成る程な。確かにアンタなら魔物の国最強の幹部って言われている事にも納得が出来る」
『まあ、それは他の者達に勝手に言われているだけだがな。それなりの力があると理解しているが、今更世界中の生き物を貪ろうとは考えん。今回は侵略者と戦う為に赴いたがな』
「へえ。さっきはあらゆる悪の根源って言っていた気がするけどな?」
『事実だからな。今では支配者殿に仕えているが、かつての主は"絶対悪"の異名を持つ悪神だ。悪神の生み出した生物は生まれながらに悪なのさ』
「ふうん?」
その姿と威圧感とは裏腹に、落ち着いた口調で話をするアジ・ダハーカ。それは本人の性格からか、余裕からなるものかは分からない。しかし、ある意味では大物という雰囲気があった。
『さて、私の事は別に良いだろう。態々己の過去を話す必要もない。これから戦闘を行うのだからな』
「一理あるな。確かに他人の過去に興味は無いや。けどまあ、アンタがそう思っていなくても俺から見れば確実に強敵って事に変わりはない」
『フッ、魔王を宿す少年にそう言われるとはな。私も捨てたものでは無いらしい』
「どの口が言うんだよ。魔王を差し置いて悪の根源って言われているだろ、アンタ」
『言われているだけだ』
ライのツッコミを気にせず、依然として悠然な態度で返すアジ・ダハーカ。その余裕は何処から来るのか分からないが、余裕が余裕であり続けられるだけの力を有しているからこそだろう。
『話は終わったかしら? 貴方以外にも魔物の国の主力は居るのだけれど……?』
その話の最中、ライとアジ・ダハーカに話し掛けてくる女性の声。その声は生きているようで死んでいる、不協和音を彷彿とさせる不思議な声だった。
生きているような声は透き通るように美しく、鈴のような声音。しかし、死んでいるような方の声は枯れ果てており掠れたような声音だった。
そう、その不思議な声の持ち主、
『む? ああ、すまないな。"ヘル"』
──"ヘル"とは、老衰や病死によって死した者が集まる死者の国の女神だ。
その見た目は半分が青く、もう半分が通常の肌色だ。
何故半分が青いのかというと、ヘルは半分が死者である故に腐敗し、緑掛かった黒へと変色しているので青く見えると謂われている。
死者の国に集まる者を生き返らせ、蘇生する力を持ち合わせており、時折悲願してくる者を生き返らせると謂われている。
かつては"終末の日"の起こった地に居たが、参加はしておらずスルトの炎によって消滅したかは不明である。
死者の国を支配する半分死者の女神。それがヘルだ。
『む? 先に名前を言われてしまったわね。まあいいわ。私がヘル。魔物の国、支配者の側近よ。よろしく、侵略者さん』
アジ・ダハーカに先に名前を言われ、少しムッとするヘルだが流石は女神。細かい事は気にせず、目の前に居るライたちへと視線を向けて話した。
そんなヘルを見、ライは訝しげな表情で訊ねる。
「女神だって? 何で女神が魔物の国に仕えているんだ? まあ、確かに魔物の中にも神を謳われる者が居るけど、何か接点があるのか?」
それは、死者の国を収めるという女神のヘルが何故魔物の国で支配者の側近を勤めているのかについて。
ライの言うように、魔物の中にも神などは居る。だが、自分の国があるのならば何故この国に留まるのか気になったのだ。
その質問に対し、ヘルは目をスッと細めて言葉を続ける。
『あら、そんな事。そうね、教えても私の不利になる訳じゃないし教えても良さそう。簡単に言うわ。私の故郷、死者の国"ヘルヘイム"は世界樹にあったんだけど、スルトによって焼き払われたわ』
「……。つまり、アンタは今、その故郷を焼き払った張本人と共に魔物の国に居るって事か……?」
『ええ。一応兄もこの世界に居るわよ。多分、貴方達も兄に会っていると思うわ』
「……」
ライたちは言葉を失った。ヘルの兄に会っているという事はさておき、自分の故郷を滅ぼした者と共に魔物の国の主力を勤めている事柄にだ。
そんなライたちの様子を気にせず、ヘルは続けて兄とやらについての事を話す。
『そうね、兄の一匹は幻獣の国で幹部を勤めているフェンリルお兄ちゃん。そして、もう一匹は魔物の国に居るヨルムンガントお兄ちゃんよ。私はまあ、死者の国の支配者だし、どちらかと言えば魔物の国かなー? ってこの国の支配者さんの側近を勤めているの』
「フェンリルにヨルムンガント……成る程な。アンタら兄妹は故郷の仇と共に魔物の国に居るって事」
『ええ。フェンリルお兄ちゃんは違うけど』
九つの世界を滅ぼしたスルト。そのうちの何れかに住んでいた者と魔物の国の主力を勤めている。それは驚きがあったが、そこまで不仲では無さそうなので特に気にせずにいたいところだ。だがしかし、やはりそれは難しい。
「てか、フェンリルやヨルムンガントの事をお兄ちゃんって呼んでいるんだな。まあ、他人の呼び方に突っ込むのは野暮だけど」
『…………』
なので、話を変えた。高圧的なヘルの口調からお兄ちゃんという言葉が出るという事が気になったので、取り敢えずそこを指摘して難しそうな話題はさておくという事だ。
その質問を聞いたヘルは一瞬止まり、
『フェンリル兄さんとヨルムンガント兄さん呼びだったわ、そう言えば。たまには慣れない呼び方をするのも中々乙なものでは無くて? そうでしょう、侵略者さん? ふふ、私は少し気が抜けているところが問題点ね。次からは気を付けましょう』
やや早口で訂正を加えた。
本人も呼び方を気にしていたのか不明だが、指摘されてそれを変えるという事からつまりそういう事なのだろう。なのでライは気にしない。
「何だ、別に呼び方を変えずとも良かったのに。妹なのだろう? お兄ちゃんでも別に良いでは無いか。なあ、ライお兄ちゃん?」
「え、お兄ちゃん……? 俺が? 俺はエマよりかなーり年下だぞ……」
「エマ……何かそれ、変だよ……」
そう、ライは。つまり、揶揄い甲斐のあるものを見つけた基本的に退屈しているエマにとっては、格好の暇潰し相手となるのだ。
隣ではレイが苦笑を浮かべて話、ヘルは生きている方の顔と死んでいる方の顔。両方を紅潮させる。
『失礼ね! 人の呼び方に口を出さないで下さる? 兄をどう呼ぼうが別に良いでしょ!?』
「ふふ、すまないな。死者の国を支配する女神と言っても、精神的にはまだ幼さが残っているらしい」
『フン、死して尚生き続け、死者の国にも呼ばれぬ吸血鬼風情が生意気ね』
「残念、私は生まれついてのヴァンパイア。元より死者の国になど立ち寄った事は無い」
『口だけは達者じゃない……!』
歯を食い縛り、エマを睨み付けるヘル。エマは涼しい顔でヘルを見ており、悠然とした佇まいを消さない。数千年生きて経験豊富なエマだからこそ、この手の相手には余裕のある態度で接せられるのだろう。
逆に、ブラッドのような歳が近く一方的に話し掛けてくる者は苦手らしい。
「そう言や、さっきは気配がアジ・ダハーカ以外に二つあったけど……一つはヘルとしてもう一つは消えたな。別の場所に移動したのか?」
ふとライは気配が一つ消えている事に気付く。主力の気配はアジ・ダハーカを含めて三つあったのだが、それが今はアジ・ダハーカとヘルの二つしか無いのだ。それを聞き、アジ・ダハーカも周りを見渡して返す。
『そう言えばそうだな。まあ、もう一人の主力は元々自由な奴。あまり気にする事でも無い』
「それで良いのかよ、アンタら主力は……」
『ま、基本的に魔物の国は自由だからな。良く言えば縛るものが無い。悪く言えば無法地帯。それが魔物の国の在り方よ』
曰く、その者が自由人であって魔物の国自体が自由の国なので気にしないとの事。確かに魔物の国は他の国に比べて野生色が強く、今までの道中では街という街も見当たらない。始めに立ち寄った街を除くとして強いて言えば、スルトの故郷を再現した紅い街くらいである。それ程までに街が少ないのだ。
その言葉を聞き、ライは苦笑を浮かべながらアジ・ダハーカへと言葉を発する。
「本当に自由なんだな。ある意味羨ましい国だ。まあ、弱者は切り捨てるという形だから俺の望む理想郷には程遠いがな」
『平和など退屈なだけだ。私は神話程荒んでいないが、やはり生き物である以上退屈はつまらぬものよ。退屈がつまらないという言い回しに少し違和感はあるがな』
「ああそうかい。俺は別に気にしないぜ? 話している時、言っている事が自分でも良く分からなくなるのはたまにあるからな」
『ふむ。しかし、今回の場合はそう言う意味では無い気がするがな』
「気にするな」
軽く流し、アジ・ダハーカへと構え直すライ。今のところ特に重要ではない歓談をしているだけだが、一応魔物の国に置いて最強を謳われる幹部のアジ・ダハーカ。常に警戒はしているが、その警戒を最大限に高めて体勢を整えていた。
『俺の事も忘れるなよ。ザッハークは当て馬だった。なら、アジ・ダハーカ。お前が俺の本当の相手という事になる』
『まあそうなるな。俺はお前達全員の情報を集めに来ている。ある程度は集まったが、後は"終末の日"で生き残る力があるかどうかって事を調べなくてはならない』
『望むところだ。お前達の目的は知っている。仮にこの世界で"終末の日"が起こり、そこに新たな歴史が刻まれようとも……お前達の思い通りにさせる訳が無い。お前達が異世界に行くよりも前に、我らが討ち滅ぼしてくれよう……!』
魔物達の目的、"終末の日"をこの世に起こす事。ライとドレイク。他の者たちも魔物の国の本当の目的である異世界征服事を知っている。しかし、だからと言ってこの世界で"終末の日"という大規模な戦争を起こさせる訳にも行かない。多くの命が消え去り、幾多の悲しみを生み出す結果になるという事は分かっているからだ。
そんな悲しみを止める為に争い、戦闘を行うという事は矛盾しているようにも見えなくは無い。だがこれは、その矛盾を実行してまで止めなくてはならないという程の事なのだ。
それを聞いたアジ・ダハーカはスッと六つの眼を細め、先程までの気の抜けたような声音を一変させた。
『フフ、面白い。やはりこうでなくてはならないな。退屈な世程つまらなく、下らないものは無い。主力の一人は何処かへと行ったが、それは大した問題では無い。あるのは一つ、勝つか負けるかだ……! 見せてみよ、侵略者! "魔王"は"絶対悪"によって生み出された"悪の根源"を打ち倒す英雄となれるか、その力を振るうが良い!!』
「……!!」
──瞬間、世界が流転した。
この世界と共に太陽と月が目まぐるしく回り、朝と夜が同時に訪れて同時に消え去る。灼熱の砂漠と白銀の雪山が周囲に顕現され、ライたちを飲み込むと同時に空間その物が変化する。次いで周囲に水が溜まり海が形成され、それが太陽によって蒸発した。
一瞬にして巻き起こったそれらの事柄。目がおかしくなりそうな程の光と色合いに気圧されつつ、一迅の風と共にライたち全員が場所を移動していた。
『ようこそ、我が世界へ。幾多の"正義"が消え去ったこの世界に招待されたお前達が"英傑"となるか"敗者"となるかはお前達次第だ。さあ、その力を特と見せてみよ!』
千の魔法を操り、今まで自身に迫り来る敵──即ち"正義"を討ち滅ぼしてきたアジ・ダハーカ。世界を創り変え、ライたち全員を相手取るなど容易い所業。
だが、仲間への配慮も忘れずヘルともう一人の主力にも相応の舞台を与えている。なのでこの場に居るのはライ、レイ、フォンセ、リヤン、ドレイクだけである。
エマとニュンフェはヘルの元へ。孫悟空はまだ名も知らぬもう一人の主力の元へと送ったようだ。ライたちの方に一般兵士の姿は無く、悪魔で一匹。たった一匹でライたちを相手にするらしい。
「ハッ、良いぜ。アジ・ダハーカ……! この世で正義が滅ぶなら、悪が正義を担ってやるよ……! 正義と悪は表裏一体だ!」
『それで良い! 巨大過ぎる悪には正義なんかでは事足りぬ……悪には、悪を持って制する他あるまい!』
漆黒の渦がライを取り巻き、周囲の雰囲気が重くなる。その力、実に六割。ライの力も上乗せされ、今まで幾多の幹部を打ち倒して来たものと同等まで引き上がった魔王の力である。常人ならば息をするのも躊躇ってしまう程に魔王の支配する空間へと変化する。
「私たちも……負けない!」
「この相手……私の身を滅ぼす程でなければならなそうだ……!」
「うん、最初から全力だね……!」
『見せてやろう、神であり悪である龍の底力を……!』
勇者の子孫は二つの剣を構え、魔王の子孫は魔王の力を解放し、神の子孫も神の力を解放した。龍の血縁は力を込め、周囲の天候を変化させる。全員、負担の事は考えず始めから全力を持って"悪の根源"へと挑む。アジ・ダハーカが相手では、それ程の力を持ってしてようやく対等へとなれるのだ。
『来るが良い、かつての英雄の子孫。世界を支配した者の子孫。世界を創造した者の子孫。そして今を収める支配者の息子よ! 私は退かぬ、全力でお前達を相手取ってやろう……!』
アジ・ダハーカが翼を広げ、ドレイクが変化させた天を覆う。高々と咆哮を上げ、それだけで全ての雲を吹き飛ばした。自分の世界の天候は自分が決める。そう言い示すかのような行動。
ライたちと魔物の国幹部が織り成す最後の戦闘は、今この時を持ってして幕が上がった。




