四百十七話 草原の戦闘
満月の輝く草原にて恐ろしい形相である九尾の狐が妖力の塊である球体を九つ放った。
レイはそれを躱して九尾の狐との距離を詰め、勇者の剣を振るう。対してフォンセは魔力を込め、サポートに徹する形で九尾の狐へと四大エレメントの何れかを放つ。
妖力の塊と勇者の剣。そして四大エレメントが激突して周囲を吹き飛ばし、輝く満月の照らす深い闇に包まれた夜の草原が一瞬の瞬きと共に大きく揺れた。
『妾の傷は疾うに癒えた。じゃが、傷を付けられた事実は変わらぬ。この屈辱を晴らす為、其方を葬ってしんぜよう……!!』
九つの尾を逆立て、眉間に皺を寄せた状態で憤る九尾の狐。生まれついて宿す強力な妖力によって傷は癒えたようだが、傷付けられたという事実に怒りが収まらないようである。
憤怒の色を見せる九尾の狐に対し、レイは勇者の剣を構えて挑発するような口調で告げる。
「良いよ……! それくらいの意気込みじゃなけりゃ、簡単に終わっちゃうからね!」
『生意気な小娘じゃな……。良かろう、ならばその心意気に免じて全力で相手をしようぞ……!』
逆立てた尾を地に叩き付け、砂埃を舞い上げる九尾の狐。周囲に莫大な妖力を放ち、再び壁を展開する。
その壁に込められた妖力の量から、先程とは比にならない程の強度を誇っている事だろう。恐らく、山河では無く大陸を破壊する程の力を有さなければ砕けない壁であった。
「さっきよりも強そうだね……」
「ああ。これ程の空間を創る奴だ。その気になれば惑星破壊の力を使わなければ砕けぬ壁を創造する事も可能だろうな」
常に放出され続ける妖力の壁。レイとフォンセは息を飲み、冷や汗を流しながら九尾の狐に視線を向ける。
フォンセがその気になれば惑星や恒星、銀河系を砕く事も可能だがフォンセに掛かる負担が尋常なものではなく、身体が動かなくなってしまう可能性すらあった。故に、自由に使えるという訳では無いのだ。
前に使ったのがほんの数週間前。あと数週間経てば数時間ならば問題無く扱えるだろうが、使ったばかりの時に使用すれば先程述べた通りの事になり兼ねない。出きるだけ抑えた状態で戦わなければならなそうである。
『消え失せよ、小娘!!』
「「…………!!」」
展開した強力な壁。その壁から九つの塊が飛び出し、刹那に加速してレイとフォンセに迫り来る。
レイとフォンセはそれを躱し、フォンセに連れられレイが空を飛んで避難する。地に着いた塊は先程のような爆発が起こり、先程の数百倍はあろう大地を消し飛ばした。
あれを受けては、今のままのレイとフォンセなど容易く消滅してしまう事だろう。
そしてそれが、『九つのうちの、たった一つの塊』という事が更に問題だった。
先程の九尾の狐が放ったものは九つの塊を合わせる事で数十キロを吹き飛ばす威力を秘めていた。しかし、今放った塊はたった一つで先程と同等、もしくはそれ以上の威力を秘めている。
考えるまでも無く、九尾の狐は先程よりも圧倒的に手強く面倒。厄介な存在へと昇格したという事だ。
『空に逃げようと無駄じゃッ!! 妾の妖力が尽きるまで、無限に放出する事が出来るのじゃからなッ!! 絶望し、後悔しながら死に逝くが良い!!』
残り八つの塊を巧みに操り、空へと避難しているレイ、フォンセを狙う九尾の狐。
その一つ一つに先程の威力が秘められているとなると、半永久的に広がり続ける空ですら逃げ場が少なくなるだろう。
一瞬にして数十、数百、数千キロの距離を進めるだけで攻撃を躱し続ける事は出来るが、今のフォンセではレイを連れていなくとも音速程度が関の山である。到底逃げ切れる速度では無かった。
「……。……フォンセ、降ろして。あのくらいの塊なら、私一人で十分に対応出来るから……!!」
「……レイ!? しかし、今のレイは勇者の力を使えない。勇者の剣が特別製だとしても、防げる範囲、威力は……!」
「大丈夫、任せて。私は勇者の子孫。偉大なる英雄の血を受け継いでいるの……! その気になれば、あれを壊せる……!!」
「……っ」
力強く、フォンセに向けて話すレイ。確信は無いようだが、自信はあるようだ。
しかしフォンセは不安である。仮にレイが殺られてしまった場合、自分自身を抑えられる自信がなかった。最悪、新たな魔王がこの場に生誕してしまう可能性すらあるだろう。
フォンセの返す間からそれを悟ったレイは真剣な表情を一変させてニコッと笑い、
「フォンセ。大丈夫だよ、大丈夫。この剣が私を護ってくれるもの……!」
「……っ。ああ、分かった。仲間だからな。仲間であるレイを信じよう……!」
レイの意地に言い負かされ、渋々レイから手を話すフォンセ。
離されたレイは勇者の剣を片手に持ち、もう片手に孫悟空から預かっている天叢雲剣を持つ。
その二つを構え、空中で体勢を立て直して迫り来る八つの塊に斬り掛かった。
「やあ━━ッ!!」
叫び、二つの剣を振るうレイ。
広範囲に及ぶ剣からは剣とは思えぬ衝撃が放たれ、レイよりも巨大な八つの塊を全て巻き込む。
──そして、全てを斬り捨てた。
切断され、細かく別れた妖力の塊。それはレイを通り抜け、遠方にまで吹き飛んで数十キロを粉砕させた。
砕けた大地の欠片が粉々になって舞い上がり、岩石と粉塵が空中を漂う。それによって周囲が薄暗くなり、レイ、フォンセ、九尾の狐の姿が各々の視界から消え去る。
『まさか切断するとはのう……。あの状態で。勇者の子孫、予想以上の早さで成長しておる。やはり血は健在か』
視界が悪く染まる中、悠然とした態度を崩さぬ九尾の狐が妖力の壁の内側から外の様子を見ていた。
怒りに任せて行動していたように見える九尾の狐だが、気品のある佇まいで構えていた事に変わりはない。その形相は雅なものとは程遠かったが、態度は威厳が漂うものだった。
「やあ!!」
『なんと……!?』
レイの事を思考していた時、いつの間にか距離を詰めていたレイによって勇者の剣と天叢雲剣が振り下ろされた。
それによって妖力の壁が大きく振動し、内部に居る九尾の狐にまで衝撃が伝わった。
今のレイでは大陸を破壊出来る力は備えていないと分かるが、それでも驚嘆してしまった理由は九尾の狐が妖怪ながらも獣であり、その気迫が正しく勇者。力のある人間という事を彷彿とさせるものだったからだろう。
『若い芽を摘むという所業は大天狗に叱られるからあまり行いたく無いが……やむを得ぬ。その青き芽、刈り取らせて貰おう』
「……!」
爆発音のような音と共に、妖怪の壁から九つの球体が再び放たれる。それはレイを狙っており、慌てて飛び退くようにそれを躱す。
塊はレイの背後にある妖力の壁にぶつかり、爆発はせず吸収された。
「……?」
『ホホ、爆発が起こらぬのは何故かと考えておるな? 妾の妖力から創り出された妖力の塊じゃ。池から掬った水を池に戻せばその池へと帰るように、妖力の放出源に戻ればその一部になるに過ぎん』
コロコロと、透き通るような声で笑う九尾の狐。周囲を大きく粉砕した事で多少はスッキリしたのか、始めの時のように余裕のある態度となっていた。
そして、妖力の壁から放たれる妖力の塊を壁にぶつけたとしても壁にダメージを与える事はなく吸収されて壁に戻ってしまうようだ。
『して、先程述べたように妾の妖力が続く限り、数十キロ程の範囲を吹き飛ばす塊は無限に放出できる。其方が何時まで逃げられるか、楽しみじゃのう……』
「……っ」
ニヤリと、不気味に顔を歪ませて笑う九尾の狐。
妖怪は人間を脅かす者。人に害を成す者。違う者も居るが、基本的に相容れる事は無い。故に、九尾の狐の顔は恐怖対象となりうるものだった。
『消えよ。この世からの?』
「……!」
同時に放たれる、九つの塊。レイはそれを見切って躱し、妖力の壁にぶつけて無効化する。
壁にダメージを与える事は無いが、無効化出来るだけでこの戦闘では敵の壁が重宝される。躱したとしても、数十キロを巻き込む爆発など受けてしまうに決まっているからだ。
「"炎の龍"!!」
『……!』
「フォンセ!」
遠方から、魔術によって創られた炎の龍がうねりながら妖力の壁に激突した。そこを中心に炎が広がり、周囲の草を焼き払う。
九尾の狐がピクリと反応を示し、それを放った者の名を呼ぶレイ。
放った者、フォンセは空中にて移動しつつ再び魔力を込め次なる魔術を使用しようとしていた。
「サポートだけではない! レイ、当然私も戦うぞ!! "土人形"!!」
『……!!』
そして、その魔力を用いて大量の土を生み出し、そこから自立型の巨大な人形──ゴーレムを創造する。
魔法使い・魔術師によって動き続ける人形、ゴーレム。しかしこのゴーレムには"emeth"と書かれた金属片・羊皮紙の何れも使われておらず、フォンセの魔力を核として動いていた。
五〇メートルはあろうかというゴーレムは九尾の狐が展開する壁に近付き、己の腕力を持ってして殴り付ける。
一挙一動で地震を彷彿とさせる振動を起こすゴーレムは、山河をも砕けそうな力で壁を襲う。
「初めてだが、成功したか。これならば九尾の狐のみならず、今後現れるかもしれぬ軍隊にも一人で立ち向かえる……!!」
このゴーレムはフォンセが初めて造り出した魔物。一度成功したのでそれが自信となり、フォンセは再び魔力を込めて行く。
「"十体の土人形"」
『『『…………!!』』』
『『『…………!!』』』
『『『…………!!』』』
次々とゴーレムを生み出し、九尾の狐へと嗾ける。初めて造ったゴーレムを含めて計十体。
ゴーレムたちは大地を踏み砕き、十体全てが九尾の狐の壁に拳や足、身体をぶつけていた。
『……ッ。ほう……中々やりおるな、あの娘も。流石は魔王の子孫といったところか……』
「フォンセ……凄い……!」
ゴーレムたちを見、驚きの色を見せる九尾の狐とレイ。十体のゴーレムが仕掛けてもまだ壁は砕けぬが、心強さはあった。
それに便乗するよう二つの剣を握り締め、九尾の狐の壁に向けてレイも斬り掛かる。
ゴーレムの力とレイの剣が九尾の狐の壁にぶつかり、更に大きな振動を引き起こす。これならば破れるかもしれないが、大陸一つを粉砕するにはまだ力が足りない。
九尾の狐も負けじと応戦し、妖力の塊をゴーレムたちに向けて放つ。数十キロを消し飛ばす塊ならば五〇メートル程のゴーレムなど砕けてしまいそうだが、フォンセの魔力によって強化されているのでそんじょそこらの土や岩とは違う。受けても尚止まらず、壁に向けて身体を使った攻撃を放ち続けていた。
『フム、強度な身体じゃの。逞しい身体の持ち主は好きじゃが、少々ゴツ過ぎよ。そして土は範囲外じゃ』
九つの尾を揺らし、九つの球体をゴーレムたちとレイ、フォンセに放つ九尾の狐。ゴーレムを止める術が無いのなら、ゴーレムを操っている者を倒そうという考えなのだろう。
レイを狙ったのにも理由があり、成長し続けるレイが素のままで妖力の壁を切断してしまうかもしれない懸念があったのかもしれない。
「壁なら私も造れるぞ……! "山の壁"……!」
放たれた妖力の塊に向け、土魔術で山のような壁を造り出して防ぐフォンセ。魔王の力を使えば本物の山。もしくは大陸、惑星を土魔術で創造出来るが、今のままでは精々数百メートルが関の山だった。
しかし魔力が込められているので数十キロを砕く塊も多少は抑えられそうである。無論、全てを防ぐのは到底無理なので幾らかは巻き添えを食らってしまうのだろうが。
『多少は防げたか。しかし、その被弾率では時間の問題じゃの。顔を傷付けられた怨みはまだ忘れておらぬ。休まずに攻め続けるぞ……?』
「だったら私が……防ぐ!!」
『……ほう?』
次いで放たれた妖力の塊。レイが先程のように斬り捨て、周囲にて爆裂させる。
勇者の剣の持つ力かは分からないが、それによって威力が落ち精々数百メートルを粉砕する程度に抑えられた。
『やはり一番危険なのは勇者の子孫かの。魔王の力を使えぬのなら、狙いはその娘だけじゃ……!』
「させるか! "火の鳥"!!」
妖力の塊を放とうとする九尾の狐。フォンセは出現地点を読み、そこに鳥の形をした炎魔術をぶつけて出現するよりも早く抑える。完全に妖力の込められていない状態なので今のフォンセの魔術でも抑えられたのだろう。
『『『…………!!』』』
次いで防いだのを確認したゴーレムが壁を殴り、強い衝撃によって大きく揺れる。壁を囲む周囲の大地が陥落し、辺りに小さな土煙を舞い上げた。
もう一押しで小さな傷くらいならば作れそうな壁。それを見たフォンセは何かを思い付き、レイに向けて叫ぶように話す。
「レイ! 何とか隙間だけでも作ってくれ! もしかすれば、あの壁を破れるかもしれない!」
「……フォンセ? うん、分かった!!」
突然の言葉。一瞬困惑したレイだがフォンセならば何かの考えがあると即座に理解し、力強く頷いて返した。
そのやり取りを壁の内側から見ていた九尾の狐は小首を傾げながら不敵に笑う。
『……? 何かしてくるつもりのようじゃな。あまり気にせずとも良さそうじゃがしかし、先程の例もあるからの。油断はしないでおこう……』
壁の内側でも外の会話は聞こえる。そうでなくては話せないので当然だ。
幾ら九尾の狐と言えど思考が読める訳ではないので何をしてくるのかは知られていないのだろうが、先程の前列もあり警戒はしているようだ。
レイとフォンセの行動に警戒しつつ妖力の塊を放ち続ける九尾の狐。
「……」
対するは、壁の前にて二つの剣を構えて集中力を高めるレイ。その隙を逃さず妖力の塊は近付くがゴーレムとフォンセがそれを防ぎ、レイの集中力は研ぎ澄まされ、より洗礼されて行く。
二つの剣を持ったまま隙を窺う。展開されている妖力の壁。しかしそれは完全防御という訳では無い。これ程の力。必ず妖力が薄くなる場所はあるという事だ。
「……。…………。……! やあ!!」
間を置き、力を込めて一歩踏み出す。同時に身体の全体重と運動エネルギーを両手に集中させ、駆けると同時に二つの宝刀を振り抜いた。
『……! なんと……!』
「今だ……!!」
それによって生まれる、小さな隙間。完全に砕くには大陸を粉砕する力が必要だが、傷付けるだけで山河を砕く力を要するそれ。亀裂を生み出しただけでかなりのものだろう。
フォンセはその隙間が作られた瞬間を見逃さず、レイに向かう妖力の塊を破壊しつつ込めていた魔力を解放してその場から消え去る。
そして、
「隙間があれば……空間から空間へと跳躍出来る……!」
『……ッ!』
"空間移動"の魔術を使い、九尾の狐の背後に姿を現した。
この壁の内側には、別次元の空間を通っても入れる壁がある。故に従来の"空間移動"では行けぬ。しかし小さくとも隙間が生まれるだけでその壁が緩み、"空間移動"の魔術を使用すれば侵入出来るようになるのだ。
フォンセはそれに気付き、利用して九尾の狐の背後に姿を現したという事だ。
「近付けば、攻撃が出来る……!」
『クッ……! "狐の──』
「遅い! "爆発"!!」
轟音と共に、強い熱と衝撃がフォンセと九尾の狐を巻き込んだ。
内側から放たれた大きな爆発によって壁が一気に乱れ、外から仕掛けるレイとゴーレムたちによって崩壊した。
始めから侵入される事には配慮していない妖力の壁。故に、大陸破壊クラスの攻撃で無くとも外と内から強力な一撃が放たれれば崩壊するのだ。
それによって広がった黒煙と粉塵。その中から二つの影が姿を現し、距離を置いて睨み合う。
『怨めしやぁ……怨めしやぁ……! よくも一度ならず二度三度と傷を付けてくれたものよのぅ……! この怨み、晴らさずして置くべきか……!』
「怨むなら怨め。狐に怨念は付き物だからな。いや、憑き物か? ふふ、狐のみならず、野生の動物が化け物と化した者は呪いなども扱うと聞く」
余裕だった態度がもう一度崩れ、怨めしい目付きでレイ、フォンセを睨み付ける。
狐は昔から妖力の高い生き物として神仏や悪魔と同列に語られる事もある。故に、今の九尾はとてつもなく危険という事だ。
『ならば呪ってやる……! 呪ってやる……! 貴様ら全員、地獄よりも苦しき祟りを与えようぞ……!!』
「ふふ、そうか。楽しみにしているよ」
鬼の形相よりも遥かに恐ろしい形相で告げる九尾の狐。フォンセは挑発するような口調で言い、再び魔力を込めた。
レイとゴーレムたちも九尾の狐との距離を詰め、その近くへと迫る。
二度目の壁が崩壊した今、九尾の狐は守護するものが何も無い状態。もう一度厄介な壁を創られるよりも前に、二人と数体は嗾ける。
レイ、フォンセ、ゴーレムたちと九尾の狐が織り成す満月の草原の戦いは、中盤戦へと向かっていた。




