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四百十五話 吸血鬼と吸血鬼

 ──深い宵闇に包まれた静かな森の中。草を踏む二つの足音のみが木霊こだましていた。

 そのうちの一つからは荒い息遣いが聞こえ、小刻みに呼吸をする。足を止める事無く進み、必死に何かから逃げていた。


「はっ……はっ……! ま、まだ……まだ来てるの……?」


「……」


 恐怖に歪んだ顔で背後を見る女性と、その女性に抱えられて安らかに眠る幼い子供。何から逃げているのか、追う者の姿は映らない。聞こえるのは足音だけ。

 透明になっているという訳では無いが、闇に紛れているのだろう。そして次の瞬間、足音が突如として止んだ。


「……? 逃げ切れた……の?」


 足は止めず、速度を少しだけ緩めて背後を確認する女性。気配は無く、足音も無い。あるのは自分の吐く荒い息の音と森を駆ける自分の足音。そして森を包む静寂だけ。

 一見すれば何も無い。数メートル先すら見えない闇は少々恐怖対象ではあるが、先程起こっていた恐怖に比べればまだまだ軽い。ようやく一息吐き、駆け足を緩めて歩みに変えた。


「ごめんね……直ぐお家に帰るから……早く帰って、ゆっくり休みましょう……」

「……」


 すぅすぅと寝息を立てる幼い子供の頭を撫で、涙を流す女性。恐怖から解放された事によって溢れたのか、静かに涙が伝っていた。


「すまないな。その子供はもう死んでいる」


「……!?」


 気付いた時、両肩に何かが乗っているかのような重みを感じた。言葉に促されるがまま子供を見ると、そこには青く冷たくなっている子供が居た。


「そして貴様も、後僅かの命だ」

「……あっ……ああ……っ!」


 瞬間、何かが首元に突き刺さった。その首から何かに血液、生命を吸われる感覚が走る。

 横目で見れば、微かな明かりですら反射する程に美しい金髪が揺れており、宵闇でも判断出来る純白の牙が深々と首に突き刺さりながら真っ赤な鮮血をすすっていた。


「直ぐに終わる。貴様もその子も、次に生まれ変わる時は幸福な人生を送れる事を心から祈っている」


「ぁあ……あっ……あ……っ……。…………」


 徐々に遠退く意識。女性は自分が今、死へと向かっていると理解した。

 しかし苦痛は無く、身体を走るのは今までに感じた事の無い快感。死にそうだというのに、ずっとこの時間が続けば良いと頭の中で思考してしまう程の快楽だった。


「去らばだ、名も知らぬ母と子よ。怨むならば私と出会った不幸。そして私を怨んでくれ」


「…………。────────」


 力無く項垂れ、既に死した子供を地に落とす女性。膝から崩れ落ちるように、そして子を覆うように倒れ、辺りには本当の静寂が訪れる。

 鮮血よりも真っ赤な、深紅の目を持つ金髪の者は暫し目を瞑り黙祷を捧げる。たった今二つの命を奪った。隷属させ、永遠の命を与える事も出来るが、人のまま亡くなった者をどうこうしたくないのか二人をかかえ深い闇に包まれた森の奥へと歩みを進める。


「今日は良い月が出ているな、私の為に死したこの者達を始めとし、今までに死した十万を超える数の者達へ幸福の時を祈り続けよう」


 スッと目を細める、森に棲む魔物──吸血鬼ヴァンパイア

 幼くも美しさと恐ろしさを感じさせる色白の顔が月光に照らされて明かになり、共に照らされる金髪を靡かせ、宝石のように輝き紅い目で空を見上げてため息を吐く。知能があり、言葉を交わす事の出来る人間を殺す事は躊躇ためらわないが、思うところはあるようだ。

 同じような事が永遠に続くのはと思ってしまう程に長い時の中、今日も暇潰しに森を歩く。



*****



「ハァ!!」


 大地を踏み締め、加速して拳を放つエマ。速度に加えて全体重が拳に乗せられ、ブラッドの頬を打ち抜いた。

 ブラッドの顎がそれによって砕かれ、首があらぬ方向に捻られて出血する。それと同時に踏み込み、膝蹴りをブラッドの腹部に叩き付ける。それによって距離が離れ、もう一度勢いよく踏み込んであらぬ方向を向いたままの首を殴り付けて吹き飛ばした。

 首の無くなった身体は力無く項垂れ、直ぐに立ち上がってヨロヨロと頭を探る。そんな頭だけのブラッドが口角を吊り上げて尋ねる。


「荒々しい攻撃だな、同士よ。何をそんなに焦る? 先程までは余裕だったというのに」


「フッ、何でもない。退屈だった日々の記憶を思い出しただけだ。考えれば、数千年で多くの生き物を殺した。罪を犯したとは思わぬが、少し感傷に浸っただけだ」


「ハッハ……矢張優しさもあるんだな、同士よ。生きる為に生き物を殺すのは普通だ。しかしそれを気にするとはな」


 頭が無かったブラッドの身体が自分の頭を拾い、くっ付けながら話す。エマとブラッドは生まれつきの不死者。生物の死について、特に考えた事は無い。

 だからこそ、それを気にするエマが珍しく見えるのだろう。


「まあ、気にしても仕方無いだろう。過去の事は過去の事。私自身が生きる為に必要だった事だからな。今はただ純粋に、貴様を打ち倒すだけだ」


 話が大分逸れたので一区切り打ち、改めて構え直すエマ。

 命乞いをされようと、相手が女子供だろうと容赦せずに殺害してきた思い出がある。しかしそれは等の昔に過ぎ去った事。死者も自分なりに片付けているので、今更気にしても何も得るものはない。

 ブラッドに視線を向けて踏み出し、大地を蹴って加速した。


「ハッ!」

「おっと、また頭が取れたら大変だ。そう受ける訳にも行かねえな」


 駆け出すと同時に拳を放ち、首をくっ付けたばかりのブラッドを狙う。しかし、流石に不死身のブラッドでも何度も攻撃を受けるというのは嫌らしく、その拳を紙一重でかわした。


「同士。俺たちは高貴なヴァンパイアの純血だ。そんな力業では無く、優雅で美しい戦闘を行うべきだと俺は思うんだが」


「生憎、上品とは掛け離れたものが戦闘だ。魅せる戦いというのもあるが、残念ながら私が行うのは敵を倒す事にのみ集中した野蛮な戦闘だ」


 回し蹴りを放ち、空を切る。エマの脚にブラッドが乗り、しゃがむように小首を傾げていた。


「まあ、それもそうだが……一応残り僅かな生き残りのヴァンパイアなんだ。少しくらい手加減しようって気はねえのか?」


「ある訳が無かろう。同じ種族だとしても今は敵。他の種族と同じよう、障害となりうる同種族は排除しなくてはな」


「そりゃ偏見……って訳じゃ無いな。同種族同士の戦争ならしょっちゅう起こってる」


 エマは勢いよく脚を上げ、ブラッドを天へと浮かせる。一瞥しながら跳躍し、再び握り拳を作って跳躍した勢いのままブラッドへ殴り掛かる。

 まだまだ余裕の表情を見せるブラッドは空中にて蝙蝠コウモリのような翼を広げ、空で方向転換した。

 それを追うようにエマも翼を広げる。一度の羽ばたきで上昇し、新月の空に二人のヴァンパイアが向かい合う。


「美しい翼だ。天は美しい者には相応のものを授けるようだな。嗚呼、風に靡く毛先まで全てが好きだ! 愛しき同士!」


「気色悪いぞ貴様」


 エマを見て身体を震わせるブラッド。エマは一言で切り捨て、もう一度翼を羽ばたかせる。

 巧みに翼を使ってゆらゆらと揺れ、ブラッドととの距離を測っているのだ。大凡おおよその推測で相手が行う次の行動や諸々の動きは分かるが、それだけではジリ貧の戦闘が長引くだけ。

 それならばと、様子を窺って隙を見出だしけしかけようと目論んでいるのだろう。


「ハァッ!!」


 そして、もう一度の羽ばたきで加速するエマ。音とまでは行かないがそれなりの速度を出し、ブラッドとの距離が縮まる。空には暗雲が立ち込めり、エマとブラッドの周りに稲光がほとばしる。

 光と闇に姿を眩ましたエマは加速して拳を放ち、速度に重さが上乗せされた拳はブラッドに直撃し、ブラッドは空中を吹き飛んだ。


「ハッハ、相手が此方を窺う時、此方も相手を窺っている。同士よ。お前の動きは見切ったぞ」


「そうか、ならば死ね」


 刹那、複数のいかづちがブラッド目掛けて降り注ぎ、直撃して感電させる。

 エマが、ヴァンパイアが操れる天候の中でも上位に食い込む威力を秘める雷。常人ならばほぼ確実に意識を失い最悪死に至る自然現象だが、


「この程度で死ぬかよ。お前も分かっているんだろ?」


「ああ、知っている」


 食らった瞬間に再生するブラッドが相手では意味が無かった。当然、その事はエマも理解している。

 数億ボルトや電力によって焼けただれたブラッドの骨肉や細胞は再生し、血液が逆再生のようにブラッドの体内へと戻る。蝙蝠のような翼を開き、空気を揺らして無傷のブラッドが姿を現した。


「だから死ぬまで殺すのさ」


「ハッハ、死ななきゃ死なねえだろうよ。俺は再生しているが、一度死んでいるという訳でもないからな。死ぬまで殺すでは無く、死ぬまで攻撃し続ける。が正しいな」


 加速して拳を放つエマと、それをてのひらで受け止めるブラッド。衝撃が小さな風となって二人の髪と翼を撫で、近距離で互いを見やる。


「嗚呼、エマがこんなに近くに居るなんて……さあ今すぐ俺の、」

「ハッ!!」


 何かを言おうとしたブラッドを無視し、顔面に容赦なく拳を叩き付ける。殴られたブラッドは落下するように吹き飛ばされ、草原に激突して粉塵を巻き上げた。

 エマはその粉塵目掛けて狙いを定め、周囲にある雲を集めて空を操る。そして粉塵が消え掛けた瞬間、集めた雲を風雨と共に一斉に放った。

 爆発的に広がった雲から突風が吹き抜け、大地ごとブラッドを吹き飛ばす。大量の風が数トン以上の重さとなって打ち付けられ、ブラッドの居た場所を陥落させる。

 風が止むと同時に姿を現したのは、肉塊となったブラッドだった。


「最後まで言わせてくれないとは。無視すると言ったのは本当だったか」


 風によって造り出されたクレーターの中心にあった肉塊。それは細胞を再構成し、ブラッドを元の姿に戻す。戻ったブラッドは不敵な笑みを浮かべており、汚れた服の土を払う。

 本人は真面目なつもりなのかもしれないが、その素振りからそんな様子は分からなかった。常に不敵で軽薄。エマへの下心を隠すつもりなど毛頭無い。

 結果として相手のペースに持っていかれる。何ともやりにくい相手だろうか。


「ふぅ……。心底面倒臭いな。私が一方的に攻撃をしているが、コイツの性格を含め、全てがかなり面倒臭い。この苛立ちを晴らそうにも常に再生するからな……早く終わらせたいものだ」


「オイオイ、本人の前で愚痴を吐くのはどうだ同士? 俺は構わないが、俺的には暫く共に過ごしたいんだが……」


「もう何度言ったか忘れたが、断る。私は貴様を仕留める為にこの場に来ているのだからな。さっさと終わらせ、旅に戻るのが目的だ」


 依然として軽薄な態度を変えないブラッド。

 エマからすれば面倒臭い限りなのだが、相手がこんな様子ではエマの望みは叶わなさそうである。肩を竦め、改めてブラッドに視線を向き直した。


「ふぅ……そろそろ真面目に戦闘を行ってくれぬか? 生憎、私には不死身を殺す術が無いからな。貴様を見極め、的確に仕留める方が良い」


 ヴァンパイアの弱点は多々ある。しかし、同じヴァンパイアであるエマはそれを使う事が出来ない。当然だろう。相手の弱点を突く為に自分の弱点を使えば、高確率で不利益な事しか起こらないからだ。


 例えば、最もメジャーなヴァンパイアの弱点、太陽。

 それを利用する為に誘えば、エマ自身が苦痛を感じ最悪消滅してしまう。


 次に、心臓へと杭を突き刺す。

 これならば自由に扱える。常に動き続けるブラッドを捉え、高い能力を誇るブラッドへ的確に心臓に突き刺せれば、だ。つまり、かなり難しいという事だ。


 次いで聖なる力を秘めた十字架。

 それに触れた瞬間、エマが苦痛を味わう事となるだろう。それに加え、こんなところに十字架がある訳が無い。


 そして銀。

 同上、触れればエマが苦痛を味わう事となる。そして同上、こんなところに銀がある訳が無い。


 その他にも弱点は色々あるが、最もポピュラーなそれらを踏まえた結果、この場にあるものでヴァンパイアにダメージを与えるという事柄を実行するには、かなり高難易度な方法──"杭を作りそれをブラッドの心臓に突き刺す"。という事くらいしかない。

 正直に言って、ほぼ不可能だ。なので相手にもある程度動いて貰い、癖を見抜く必要があった。


「はあ、面倒臭い種族だな、ヴァンパイアは。今まで私の相手をしていた敵の主力に心底同情する」


「……?」


 深くため息を吐き、頭を抱えるエマ。先程とはまた別の意味でおかしな雰囲気のエマに小首を傾げるブラッドだが、苦い記憶などは関係無さそうなので取り敢えずエマが放つ次の言葉を待っていた。

 頭から手を離し、意を決した様子のエマは苦々しい表情を浮かべながらもブラッドの方へ視線を向ける。


「何を言いたいかは大凡おおよその推測は出来る筈だ。これが最初で最後の頼みとなりそうだが、真面目に戦闘を行ってくれぬか?」


「……。ハッ、愛しき同士の最初で最後の頼みとあっちゃ断る訳にはいかねえな。まだ同士との婚約を諦めた訳じゃないが、良いだろう。"真面目に戦闘を行ってやる"」


 エマを見下すような、おこなってやるという言葉。これを聞く限り、どうやらブラッドはようやくその気になってくれたらしい。

 挑発を交えられた言葉だったがエマは直接的な反応はせず、フッと笑ってブラッドへ返す。


「ようやくか、木っ端吸血鬼(ヴァンパイア)。貴様程度に頼みを申してしまうとは末代までの恥。その恥を拭う為、貴様を葬ってやろう……」


「良かろう。高貴なるヴァンパイア。名を──エマ・ルージュ。主の戦闘を受け入れ、全力を持ってして相手取る」


 先程までとは、口調も、雰囲気も、様子も、何もかもが違うブラッド。

 元々ヴァンパイアは高貴なる一族。生前は貴族・王族だった者が多い。これがブラッド、本来の話し方なのだろう。

 対し、生まれついてのヴァンパイアであるエマは生前も何も無い。しかしその言葉は威圧するような、ハッキリとした口調だった。

 エマとブラッド。二人のヴァンパイアが本気になった事で、新月の草原にて心地好い強風が吹き荒れる。

 本当の意味で行われる二人の戦闘は、ようやくスタート地点に立ったと見て良いだろう。

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