三百八十六話 神器の刀
──八岐大蛇の身体・動物達の森。
「まるで迷路だ、八岐大蛇の身体は……。フフ、しかしお陰で奴らは撒けそうですね……一旦態勢を立て直し、生物兵器達を集めて出方を窺いますか……」
フラフラと、身体中に大怪我や大火傷を負い、今にも倒れそうな足取りで八岐大蛇の身体を歩くハリーフ。
痛みを誤魔化す為か、今のハリーフには独り言が多くブツブツと今後の作戦を考えていた。一先ずは見つからぬうちに八岐大蛇の身体を進み、兵士達を揃えて状態改めるらしい。何という執念だろうか。これ程の傷を負っても尚、レイたちや孫悟空たちを相手取るつもりなのだから。
幾ら地獄で修行を積んだからとはいえ、この世界にあった肉体が修行した訳では無い。感覚や戦闘方法は増えただろうが、肉体的な進歩はある筈が無かった。此方の世界では身体が死んでいるままなのだから当然だろう。
精神的に強くなったので鋭い激痛は堪えられている様子だが、身体が言う事を聞かない。その証拠が、フラ付いた覚束無い足取りの現在だ。
少し進んだところで歩みが止まり、ハリーフは膝を着いた。同時に吐血し、八岐大蛇の身体を血で濡らす。
「生憎、回復魔術は使えませんからね……出血の量を抑えるのが精一杯ですね……」
魔術師である以上、その形は様々だが魔力のコントロールは出来るという事。
回復の魔術は魔力を込め、自身の細胞を活性化させて治癒力を高めるものなのだ。
しかし、魔力は鍛えなくては形にならない。普通の魔術師や魔法使いが四大エレメントを全ては使えないのと同じように、回復魔術も完全では無いのだ。
鍛え抜けば様々な怪我を治せるようになるが、鍛えてなければ止血で手一杯。いや、止血すら儘ならない程である。
「こんな事なら、槍魔術と共に少なからず回復魔術も鍛えて置くんだったな」
回復に力を入れていなかった過去の自分を悔やみ、フラ付きながら歩くハリーフ。多少の出血は抑えたが、それでも血が足りなくなっているのだ。
当然だろう、孫悟空の如意金箍棒に貫かれ、吹き飛ばされた挙げ句ドレイクに焼かれたのだから。生きているのが不思議な程だった。
「練習するが良いさ。この世界の牢獄、もしくはあの世の地獄でな?」
「この世界の牢獄は分かりますが、地獄で魔術の練習しても身体が無いんで意味も無いんですよね……?」
「そうか、それは残念だ」
フラ付くハリーフの前に姿を現した、ショートの黒髪を持つ不敵な笑みを浮かべている女性──フォンセ。
フォンセは八岐大蛇の治療を終えるや否や、即座にハリーフを見つけ出し此処に来たという事だ。
「そう、残念。もう少し休んでから出向くつもりでしたが、そういう訳にはいかなそうだ」
「悪いな。さっさとお前という不安の種を除き、八岐大蛇を落ち着かせるんだ。暴れている理由の大部分は私たちにあったからな」
「それはそれは。ならば八岐大蛇に免じ、見逃して貰うという選択は」
「無いな」
「残念だ」
刹那、フォンセは風魔術をハリーフに放ち、ハリーフは槍魔術でそれを迎え撃つ。
炎や水、土では八岐大蛇に棲み着いている野生の動物達を傷付けてしまうだろう。なので風魔術を使ったのだ。
魔力の風と槍はぶつかり合い、風魔術が槍魔術を吹き飛ばした。それによって周囲の木々は揺れ、葉を巻き上げて竜巻を起こす。次の瞬間にそれは消え去り、フォンセとハリーフが睨み合う。
「取り敢えず、時間稼ぎ。あわよくばこの場でお前を始末するか」
「やれやれ、私は怪我人ですよ? 労るという心意気をですね……」
「断る。そんな暇は無いからな」
「そうですか」
魔力を込め、互いを狙う二人。会話をしているうちにも相手の隙を狙っており、互いに油断出来ぬ空間が仕上がっていた。
区切りの良いところで踏み込み、槍を放つハリーフ。フォンセは正面から風で受け止め、槍魔術を弾く。
「"風の蛇"!!」
「そんな魔術もあるんですね。"無数の槍"」
生き物のようにうねり、上下左右斜め問わず突き進む風魔術と、全方位から放たれる無数に突き進む槍が衝突した。それは衝撃を周囲に散らし、八岐大蛇の背中にある森を大きく揺らす。
「森が危険だな……"土の舞台"!」
このまま森で戦闘を行えば野生の動物達に危険が生じると考えたフォンセは土魔術を広範囲に広げ、八岐大蛇とはまた違う場所を造り出した。
八岐大蛇の背部に変わりは無いが、特定の場所に閉じ込める事で森への被害を減らそうと考えているのだらう。
その空間は目立った特徴や飾り気も無く、ただただ広々としていた。
全方位は壁に囲まれており、一見は地味。しかし装飾などを付け加える事が可能ならば城のような空間に変える事も可能だろう。
だが実際は無骨で無機質。それは最早土というより岩だが、基本的に鉱物ならば大体造れるのでフォンセがあまり気にする必要は無さそうだ。
「場所を変えた……いや、造りましたか。無駄な事を。こんな場所、さっさと破壊して見せますよ?」
「やれるものならやってみな。その物音で他の者たちに気付かれたら厄介だろう?」
「全く、性格の悪い人だ。同じ魔族として恥ずかしい」
「自国を裏切ったお前が言うな。魔族の国でそれなりの地位に築きながら、何故そんな事をしたのか理解に苦しむな」
「フフ、人には人の事情があるのですよ。まあ最も、私は大した理由ではありませんけどね」
フォンセの土魔術によって、野生の動物達を気にせず自由に戦えるようになった。即席なのでどれ程の強度を誇っているかは謎だが、気を使うよりは確実に遠慮無く片付けられるだろう。
仮にこの土の舞台が崩れ落ちたとしたら、その粉塵によって孫悟空たちやレイたちも存在に気付けるのでフォンセから見れば追い込み、ハリーフから見れば追い詰められた状況と化す。だがハリーフは、依然として悠然と構えていた。
「"貫通槍"!」
この空間が崩れようと気にしない雰囲気のハリーフが次の瞬間に貫通力の高い槍を放ち、フォンセの元へ槍が真っ直ぐに進む。空気を切り裂く槍を躱すが、その槍は空間を意図も容易く貫いて天空へと舞った。
「成る程。仲間を呼ばれても問題無い、と」
「いや、多少はあるんですけどね。どの道力では遥かに劣る私。一矢ぐらいは報いようと思った次第です」
「そうか。……"風の矢"!」
一矢報いるという言葉に対し、ならばと言わんばかりに風の一矢を放つフォンセ。風の矢は鈍色の風景に溶け込んで見えなくなり、ハリーフの身体を貫いた。
「やれやれ、死にかけの身体にこれ程まで容赦しないとは、貴女も鬼ですね?」
「ふっ、鬼では無い、魔王だ」
笑うハリーフ、返すフォンセ。フォンセの周りには魔力の塊が形成され、その全てに計り知れない力が宿っていた。
「おやおや、その姿……いや、そのオーラ。コントロール出来るのですか?」
「やってみなくちゃ分からないだろう? 後にも先にも、この力を使い切れなくてはこの先ライたちに着いて行く事は出来ないからな」
魔力の塊よりも強い力を放っていたのは、闇より深い漆黒のオーラを纏ったフォンセ。
その眼には慈悲の欠片も無く、邪悪に揺らいでいた。しかし今回は自我を保っている。前も自我はあったが、前はそれを踏まえても壊れていた。
今回のフォンセは、しかとその瞳でハリーフを見つめていたのだ。
「おお怖い。"破壊の三本槍"」
対するハリーフは苦笑を浮かべ、フォンセに向けて三本の槍を構えた。その槍は一本で星の表面を抉る代物。三本となれば、八岐大蛇への負担も多く掛かってしまうだろう。
「"魔王の元素"!」
「行きますよ……!」
魔力の塊が混ざり合い、融合して様々な属性魔術を放つ一つの塊となった。ハリーフは既に全ての槍を投射しており、瞬く間にフォンセとの距離を詰めていた。
「ハァ!!」
同時に放つ、魔王の四大エレメント。一つ一つに恒星を破壊する威力を秘めているので、食らえば八岐大蛇のみならずこの星すら危ういだろう。
それは二つはぶつかり合い、
「……なっ!?」
ハリーフの槍魔術は──意図も簡単に掻き消された。
驚愕の声を上げるハリーフ。仮にも星の表面を抉る代物。恒星とは何千万倍の差がある範囲だが、幾らなんでも簡単に消え過ぎた。
「……! この星が無くなれば……他の者達も消えますよ……?」
慌てふためき、苦笑を浮かべながら問うハリーフ。これによって魔術を消してくれれば、隙を見て逃げる事も出来るからだろう。
返すフォンセは、またもや不敵な笑みを浮かべていた。
「ああ。だから今回、殺さない程度の威力に抑えてある」
「それは……!」
ハリーフが返した瞬間、漆黒の四大エレメントに飲み込まれた。それと同時に辺りは闇に包まれ、フォンセの視界も黒く染まる。
*****
「──って事で、コイツの意識は闇に閉じ込めた。後は煮るなり焼くなり、どうとでも出来る」
『成る程な。初撃は敵の攻撃を消し去る為、敵の攻撃を消滅させた瞬間に睡眠の魔術を放ったって訳か』
「魔王の力となると、既に放った攻撃を即座に消し去る事も出来るのか。便利なものだな」
ハリーフを打ち倒し、この場には一人を除いた捜索組み全員が集合した。
確かにフォンセは魔王のエレメントを放ったが、それはハリーフの槍魔術を消し去った瞬間に自力で消滅させた。そして見た目はそのまま、対象の意識を刈り取るだけの魔術に変更したのだ。
この自由の利き様、常軌を逸した魔王の魔術らしいと言えばそうだ。全てを自分の思い通りに描ける、理不尽の化身。
「そう言えば、リヤンはどうしたんだ? さっきから姿が見えないが……」
フッと思い出し、唯一この場に居合わせていないリヤンの存在が気に掛かるフォンセ。
全員が揃っているのに、一人だけ来ていないとは迷子にでもなったのだろうかと心配になる。
「ああ、リヤンなら……"私だったら八岐大蛇と仲良くなれる!"って意気込んで八岐大蛇の頭に向かったよ」
「頭に……? 八岐大蛇は話せない。魔族の国に居たフェンリル、ユニコーンと話せなかったように会話は出来ないんじゃないか?」
「うーん、どうだろう。自信満々ではあったけどね」
腕を組み、考えるレイ。リヤンは八岐大蛇と和解する為、山よりも巨大な八岐大蛇の頭に向かったらしい。
しかし言葉の話せる幻獣・魔物と違い、八岐大蛇は会話しない。開いた口から放たれるのは咆哮か水だけだ。
『ギャアアアァァァァァッ!!!』
『グルアアアァァァァァッ!!!』
『グルギャアアアァァァッ!!!』
『グルオオオォォォォッッ!!!』
『ギィャアアァァァッッッ!!!』
『グオオオォォォォォッッ!!!』
『グルルアアアァァァァッ!!!』
「「「「…………!」」」」
『『…………!』』
次の瞬間、大きな咆哮が耳を劈く。レイたちはまさかと慌て、八岐大蛇の頭へ駆け出そうと──
「皆……大丈夫。八岐大蛇は分かってくれた……」
「「「リヤン!」」」
「リヤンさん!」
『どうやら、無事だったみたいだな』
『ああ。龍族の言葉は国によってニュアンスは違えど、世界を旅した俺なら大体分かる。あの声は怒りの声じゃねえ』
──した時、リヤンが八岐大蛇の一本の頭に乗り、姿を現した。その様子は敵対しているように見えず、一先ず安堵するレイ、エマ、フォンセ、ニュンフェ。孫悟空とドレイクはある程度声で分かっていたようだ。
「和解……したの?」
「うん、やっぱり八岐大蛇も苦しんでた。けど、身体の痛みは収まったのにまだ痛む所があるみたい」
「言葉が分かるのか?」
「うん、何となくだけどね。皆、私に着いてきて。尾に向かうから」
リヤンの言葉に唖然とするレイたち。喋れない筈の八岐大蛇の言葉が分かったのもあるが、まるで八岐大蛇自身のように動いている事が不思議だった。
リヤンの言葉の意味は分からないが、一先ず着いて行く。数分進み、数キロ。八岐大蛇の尾まで到達する。
「此処に何かあるの?」
「うん。レイ。その剣で八岐大蛇の尻尾を斬って」
「え!?」
驚きを隠せないレイ。リヤンに質問をしたら尾を斬れと言われたのだ。驚くのも仕方無い。
だが、それを告げるリヤンの表情から何かを読み取り、恐る恐るレイは勇者の剣を尾に構えた。
「や、やるよ……!」
「うん、お願い」
身を静める。呼吸を整え、なるべく痛みの少なそうな場所を探すレイ。
集中力を高めると、尾の一部に違和感を覚える。形は他の尾と同じ。色も、肌触りもだ。
しかし何かの違和感。レイは目を綴じ、カッと開いて勇者の剣を八岐大蛇の尾に振り下ろした。
「やあ!」
斬ると同時に、何処からか辺りに響く金属音。尾は輝き出し、八岐大蛇はシーンと静まり返っていた。
全員がそれを気に掛け、ゆっくりと警戒しながら八岐大蛇の尾に近付く。
切断された尾の中には、燦然と光輝く一つの剣。いや、刀があった。レイたちは訝しげな表情をするが、孫悟空とドレイクの変化は劇的だった。
『まさか、"天叢雲剣"か……!?』
『神造の刀……。やはりこの八岐大蛇、神話で殺された八岐大蛇とは別の……?』
「神造の天叢雲剣? 聞いた事があるな。一人の英雄が上の神に貢献した剣」
──"天叢雲剣"とは、三種の神器と謂われる武器の一つだ。
草薙剣や草那藝之大刀という別名もあり、一振りで草原を更地にしてしまう威力がある。
神器と謂われる極めて稀少な刀、それが天叢雲剣だ。
『おかしいな。確かにあの方も天叢雲剣を持っていた。となるとこの刀は世界に複数あるのか?』
「……? そうなの、孫悟空さん?」
『ああ。俺は色んな天界を行き来するからな。その時三種の神器は全て見た事がある』
本来ならばこの刀は上層の神に貢献されており、この世界にある筈が無い代物。それがこの八岐大蛇から出てきた、孫悟空はその事が気掛かりなのだろう。
『様々な神々や悪魔、幻獣に魔物が居るこの世界だが……それでも気に掛かるな』
「数千年生きていると神造の武器や道具は何度か見た事がある。だが、偽物も多かった。これはレプリカとかでは無いのか?」
『さあな、剣の類いは俺の専門外だ。俺の居る神群とは違う所だからな。何はともあれ、調べてみるに越した事は無い』
ハリーフを倒し、八岐大蛇とも和解した。
しかしそれにより、新たな謎が生まれたレイたちと孫悟空たち。
腑に落ちないが、先程出てきた天叢雲剣は詳しく調べてみるらしい。
残る戦闘はライとヨルムンガンド。魔物の国、幹部との三回目の戦いは終わりが近付いていた。




