三百七十二話 自問自答
「ハァ!」
「やぁ!」
魔法・魔術の使えなくなった空間にて、エマとニュンフェはマギアの方へ前進した。
エマはヴァンパイアの怪力を。ニュンフェは携えたレイピアを。それらを使い、魔法・魔術の通じぬマギアへ物理的な攻撃を仕掛けたのだ。
「アハハ♪ フォンセちゃんは見学かな?」
「……っ。私は……」
近付くエマとニュンフェを軽くあしらい、フォンセの方を見て悪意無しに笑う。悪意が無く、馬鹿にしている訳では無いのだから質が悪い。
純粋な感想として、フォンセの力不足を訴えているのだから。
フォンセは悔しさで奥歯を噛み締めるが意味は無い。エマとニュンフェが戦っているというのに何も出来ない自分に腹が立った。
「案ずるなフォンセ。直ぐにこの空間を消し去って魔法・魔術の使える環境を作る!」
「ええ! 私たちの力より、フォンセさんの魔術の方が遥かに強いですからね!」
「エマ……。ニュンフェ……。すまない……」
フォンセの心情を悟ったのか、エマとニュンフェが笑い掛けるように話す。二人の気遣いにフォンセは目頭が熱くなったが堪え、二人の戦闘を見続ける。
拳や脚がマギアに向かい、横からはレイピアが突き刺される。しかしマギアはそれを避け、余裕の態度でいなしていた。
「ハハ、この空間を消せるかな? この空間で相手は魔法・魔術を使えないけど、私は一方的に魔法・魔術を使えるからね♪ いつまで持つのか、頑張って」
他人事のように笑うマギア。理不尽な空間であるが、この戦闘に置いて卑怯というものは無い。そもそもマギア自身の力が強いだけで、数ならば三vs一なのでエマたちの方が多く有利である。
それをカバーするだけの魔力を秘めているマギア。考えれば考える程驚異的な存在であろう。
「ああ、努力するとも」
「私もですね!」
刹那、マギアの顔へ拳を放つエマ。常人なら頭が砕けて吹き飛ぶ破壊力を秘めているが、常人よりは頑丈な肉体を持っているマギアはそれを意に介さない。
近くではニュンフェが幾つかの矢を放ち、その矢を追い越してレイピアをマギアの脳天へ突き刺す。次の瞬間に跳躍して躱し、遅れて来た数本の矢がマギアを射抜いた。
「良い連携だね。的確に私の死角を狙っているよ♪ まあ、エマ達の動きは文字通り、手に取るように分かるんだけど」
「「……ッ!」」
それらを受けて動じぬマギアは笑い、エマとニュンフェへ衝撃波の風魔術を放つ。風は二人を通り抜け、遅れて衝撃が伝わり二人は吹き飛ぶ。
ヴァンパイアのエマは即座に内部を再生させるだろうが、エルフ族のニュンフェはその点に関して難しかった。風が抜けると同時に膝を着き、地を赤く染める程吐血してしまったのだ。
覚束無い足取りで立ち上がり、フラフラしながらレイピアを構える。
「先ず一人♪」
「や、やめろ……!」
「おっと」
構えたニュンフェの頭に手を翳し吹き飛ばそうと試みたマギアだが、この空間ではまだ無傷であるフォンセが体当たりをしてマギアを離す。
常人よりも肉体的な力が強いフォンセだが、これでは力不足。ニュンフェへ放たれようとしていたトドメは防げたが、勢い余って倒れてしまった。
「無茶をするなフォンセ! 私たちが道を切り開く! フォンセはその時までに魔力を集中していてくれ!」
「だ、だが……!」
「ふふ、案ずるな。私は不死身だ。これ以上ニュンフェを傷付けぬように護りつつ戦闘を行うなど、容易い所業よ!」
「……!」
フォンセはエマの言葉が嘘だと悟った。三人でも敵わなかったマギアが相手では、不死身にしてかなりの怪力を持ち天候を操れるエマですら苦戦するだろう。最悪、死んでしまうかもしれない。
マギアはエマたちを殺すつもりが無いらしいが、殺す気では攻めている。生き返らせる事が可能とも言うが、目の前で誰かが死ぬのは耐えられなかった。
(……ッ? 何故私は、死に対してこれ程までの恐怖を……? 生まれつき戦闘の奴隷として闘技場で戦ってきた。死者も多く目撃した。なのに何故、何故エマや仲間たちが死するのはこれ程までに恐怖なんだ……!?)
フォンセは混乱していた。確かに仲間は大事で、死んで欲しくない。しかし、死を想像するだけで身体に拒絶反応が起き、嘔吐感が込み上げる。
──脳裏には薄暗い曇天の空の下、足元に広がる夥しい数の肉片と血に囲まれ誰かの死体を泣きながら見つめる幼い少女が映っていた。
それは、フォンセの記憶に無い光景。しかし他人事では無く、自分にとって大切な、全てに置いて理解出来ない妙な感情が溢れる。
思い出す度に気分が悪くなり、大きな傷を負っていないにも拘わらず膝を着く。その眼前にて踞るニュンフェと怪訝そうな表情をするエマ、マギアの姿はフォンセの視界に映っていなかった。
(何故……何故……? 何でだ? 何なんだこの気持ちは……嫌だ。忘れたい、この知らない記憶を忘れたい……!! 悲しい、苦しい、痛い、憎い……! 気分が悪い……吐き気と頭痛が収まらない……! 身体中がむず痒い……身体を掻き毟り、痛みで全てを消し去りたい……!!)
生まれて初めて感じた、"死"という一つの概念に対しての不安、焦燥、狂騒。それは収まらず、フォンセは自分の美麗な黒髪を思い切り引き千切る。続いて頬を掻き、爪痕から真っ赤な鮮血が噴き出した。自分の皮と肉の付いた爪を齧り、今度は爪から勢いよく出血する。
エマ、ニュンフェ、マギアは同時に反応を示した。
「オ、オイ……! 何をやっているフォンセ!? 止めろ!! 今すぐ自分を傷付けるのを止めるんだッ!!」
「フ……フォンセ……さん……!?」
「どうしちゃったの、フォンセちゃん? 突然自分を虐めちゃって……」
三人の反応を横に、自分の肉を引き裂く勢いで掻き続けるフォンセ。見れば、その傷は顔よりも頭付近に多くあった。
最初に頬を掻き毟った時生じた傷以外の痕は頬や顔に無く、フォンセは頭に刺激を与えて何かを忘れようとしている。そんな雰囲気だった。
「取り敢えず、危険だから止めて置こうかな……綺麗な身体が傷付くのは見たくないからね……」
「何をするつもりだ貴様!?」
「別に、これ以上は危険だから、フォンセちゃんを大人しくさせるの。大丈夫、もし死んじゃっても私の力で、」
「仲間を殺させる訳無いだろう!!」
両手に多くの魔力を込めるマギアを前に、近くのエマは駆け出した。ただの拳と星を砕ける魔力を纏った拳。その差は歴然だ。しかし生き返られるという理由だけで仲間を殺されるのは気分が悪い。確実に一度死んだ事実は変わらないからだ。
命というものは、簡単に治して良いモノではない。そんな簡単なものでは無いからこそ命なのだ。
数千年生きたヴァンパイアのエマだからこそ、生き物の命はどれ程重要なのか理解している。時折自身の糧として生き物を殺しているが、それは自然の摂理。生きる者が居れば死ぬ者も居るのだから仕方無い。
人間や魔族の間近で生気を吸い取っていたので、人よりも命との関わりが深かったのだ。
それ故に、ただの一度たりともフォンセを殺させる訳には行かないのである。
「もう、馬鹿だなぁ。全生物は一秒後に死んでもおかしくない世界に居るんだよ? 仮に手違いでフォンセちゃんを殺しちゃったとするでしょ。逆に言えばその時が来たにも拘わらず、私の力で生き返られるんだから良いじゃない?」
「私は良くない。お前は知らないだろうが、仲間というものは一度でも死ぬ姿は見たくないんだ!」
淡々と綴るマギアに対し、珍しく感情を剥き出しにし、憤りながら話すエマ。
そのタンカを聞いたマギアはスッと目を細め、エマとの鬩ぎ合いを収める。
「変わったね、エマ。昔の貴女はそんな性格じゃなかった。生き物の命なんて関係ない、その気儘加減にシンパシーを感じたのに」
「私は貴様にシンパシーなど感じていない。勝手にそう思い込んでいただけだろう」
「そう、ならエマ。──私は一時的に貴女を閉じ込めるよ。その性格も嫌いじゃないけど、フォンセちゃんを止める為に、一度エマ、フォンセちゃん、エルフちゃんを封印する……」
「……!?」
瞬間、周囲に不思議な感覚が訪れた。突如として冷え込み、冷気が全てを包む。
その変化にはエマと弱っているニュンフェが気付き、フォンセは依然として錯乱した状態だ。
マギアが言った、全てを一度封印するという言葉。それが意味する事は一つ。エマたち全員、今この場で殺さないにしても、死と等しき状況へ陥れられるという事だ。
それを可能にするマギアの魔術────
「"絶対零度"」
────絶対零度によって。
「……ッ!? か、身体が……!!」
「……ッ、寒……い……!」
いつぞやにシヴァが使った──-273.15℃の冷却空間。
そこに存在する全ての物質は動きを止め、自動的に凍ってゆく最強の氷魔術。この空間では全てを焼き尽くす炎や全てを沈める水。全てを吹き飛ばす風。全てを砕く土。四大エレメントを含め、世界が停止してしまう。
エマとニュンフェは見る見るうちに凍り付き、美しく透き通る二つの氷像が創り出された。二人の元の容姿が世界的に見ても上位の存在なので、そこには息を飲む美しさが存在する。
それを作り出している空間はこの世で最も恐ろしいものであるが。
「……! エマ……ニュンフェ……?」
凍り付く仲間を見、錯乱していたフォンセの中で何かが砕けた。
以前、リヤンがフォンセを庇って死にかけた時、フォンセに同じような事が起こった。今回はフォンセの脳裏に嫌な景色が映し出されており、一人の幼い少女──自分が彷徨い続けている映像が流れている。
それも相まり、仲間の停止と脳内の地獄絵図が融合してしまい、精神が徐々に徐々に削られる。
「「……………………」」
そして二人は凍り付いた。
「ま、待ってくれ……。私を一人にしないでくれ」
──お父さん、お母さん、何処に言っちゃったの……?──
「怖い……? 恐ろしい……? 何故私は怯えている?」
──ねえ、皆、何処に消えたの……私を一人にしないで!──
「私は一人……味方など誰も居ない」
──寂しいよ……怖いよ……──
「誰の所為で……?」
──この世界の所為?──
「何故、何故私ばかりこんな目に?」
──私の先祖が……魔王だから?──
凍り付き、反応を示さなくなった二人を見たフォンセの精神は最後には打ち砕かれる。脳裏の映像が掻き消され、フォンセの中で二人は死んでしまった。まだ生きていると理解しているのだが、混沌としているのだ。
脳裏の自分と共に自問自答を続け、最後には答えにならぬ答えを見出した。
「……そうだ……私は魔王……。何故怯える必要がある? 多元宇宙だろうが、何だろうが全てを消し去る事の出来る魔王じゃないか……」
「……? 凍らない……?」
その答えを見出し、ブツブツと呟きながら不敵に口角を吊り上げるフォンセ。マギアは凍り付かない事が気に掛かっていたが、フォンセはそんな事を気にせずゆっくりと口を開く。そこからは白い歯が見える。目はあらぬ方向を向いており、剥き出しの白い歯と焦点の合っていない目がギョロッとマギアの方を向いた。
目を凝らせば、フォンセの身体から闇よりも深く、黒い、漆黒のオーラが醸し出されていた。
「お前がエマ達を……? ふむ、凍ってしまっては数分でニュンフェは死んでしまうな……」
「……え? 何だろう……今までのフォンセちゃんと……違う?」
身体から黒い気配を放出しつつ、項垂れるような格好で不敵に笑いながらマギアを見るフォンセ。
それを目の当たりにしたマギアは流石に異常と気付き、フォンセへの警戒を最大限に高めた。
「──まあ、『そんな事』は『どうでも良い』。私は魔王らしく、目の前の敵を殲滅させるだけだ……」
ニュンフェが死ぬかもしれないという事柄に対し、それをどうでも良いと切り捨てるフォンセ。先程の様子から打って変わり、冷静になった──いや、狂った。
今朝見た夢の内容を思い出し、魔王の子孫というだけで迫害された幼少期。世界を呪い、神を呪い、全てを呪ったフォンセ。その記憶が蘇ったのだ。
まだ生きているであろうエマとニュンフェは一度フォンセの中で死んでしまった。だからこそ、死に対しての価値観が軽くなったのだろう。
「こんな世界……無くなってしまえば良いんだ」
「……。……………………え?」
次の刹那、一筋の風と共にマギアの創った空間が────『消え去った』。
素振りを見せず、マギアに向き直っただけで空間が消滅したのだ。驚くべき事はそこでは無い。全ての空間がマギアと感覚を共有する中、マギアが気付く事無く空間が消え去った事が問題だった。
少なくともこの空間は、銀河系を砕く力が無ければ脱出できない。そんな力をマギアに感じさせる事無く放出したフォンセ。その力は最早、マギアの想像範囲を絶していた。
「ふふ、何だか分からないが、気が楽になったよ。実に良い気分だ。そうか、エマとニュンフェはまだ生きていた。そうだな……まあ、後で戻せば良いかな」
「……。ねえ、一つ聞きたいんだけど」
「……?」
マギアの創った星にて、両手を広げて天を仰ぐフォンセ。深呼吸をし、楽しそうに且つ獰猛に笑う。狂っているが幾分冷静さを取り戻したのか、エマとニュンフェが生きているのは確信していた。
その激変振りに苦笑を浮かべるマギアは小首を傾げ、フォンセに向けて質問した。
「アナタ……────誰?」
「……!」
ピクリと反応を示すフォンセは、マギアに言われた質問の答えが出てこなかった。
先程の自問自答。それに自分の存在は出ていなかった。フォンセは自分より、他人がどうなのかという事しか考えていなかったのだ。
父親と母親。エマとニュンフェ。そして醜い大人共。それらの事を考え、世界が悪いと断言して闇に飲まれた。
だからこそ自分が何者なのか、その言葉が胸を抉り延々と耳に響き続ける。
「私……? 私は誰、だと……?」
質問を復唱するフォンセ。しかし依然として答えは出てこない。
頭を抑え、思考を続けるフォンセ。頭痛が激しくなり、再び嘔吐感を覚える。フォンセはマギアを睨み付け、
「知るか……!! そうか貴様か、貴様が私を苦しめる者だな!?」
「……本当におかしくなっちゃったね。グラオなら何とか出来るかな?」
「貴様を……!! 貴様を消し去れば私はこの苦痛から解放される!!」
自分に起こった嫌な事。それを全てマギアの所為にし、正気の失った目でマギアを睨む。両手に魔力を込め、その威圧だけで周囲の大地を粉砕した。
「全て私の所為か。フフ♪ やっぱ良いね、闇を抱える女の子って♪ これなら久々に……本気を出しても相手になりそうかな……」
「貴様を殺す!!」
フォンセの様子を見て不敵に笑うマギア。元がアンデッドで闇に生きるマギアにとっては、闇を抱える者が好きなようだ。
同じアンデッドとしてシンパシーを感じるエマに加え、たった今フォンセもマギアのお気に入りとなった。
無論、ニュンフェや此処に居ないライたち。全員がお気に入りである。
フォンセとマギアの戦闘は最終舞台へ上り詰めていた。




