三百七十話 剣と刀・決着
「…………」
『…………』
辺りはシンと静まり返っていた。空気は重く、五月蝿い静寂が鼓膜を劈く。
キーンと響く耳鳴りを感じながら、レイと酒呑童子は睨み合っていた。
周囲に木や草は無く、あるのは切り倒された物のみ。森を断つ剣と刀が何度もぶつかった事によってこうなったのだろう。今は森を断つ程度の威力しか秘めていない剣と刀だが、その気になれば山河を切り裂き星を切断する事も可能な筈。周囲の形が残っているだけ、まだマシかのかもしれない。
『邪魔な木々は全て斬り倒した。これで我らを遮る物は何一つとして存在しない。それこそ、我らを止められるのは我らだけという事だ』
「……」
『フッ、話す気力も無いか? そんな訳無かろう。言うならば……余計な話はしなくても良いと考えているのか』
「……」
『相変わらず話さなくなったな。突然黙り込むとは退屈なものよ。戦闘に集中するのは良いが、一つ祭りとして楽しもうとは思わないのか?』
「話している暇があるなら攻めてくれば? 話しているうちに身体が鈍くなるよ」
構えつつ話す酒呑童子に対して冷めた目付きで話すレイ。今のレイは痛みを感じていない。感覚が研ぎ澄まされており、五感が全て極限状態となっている。
しかしこれは、謂わば諸刃の剣。生物の限界を超えた力を出せる変わりに時間制限がある。だからこそレイは、数秒でも無駄にしたくないのだ。
『そうか。なら、さっさと娘。お主を打ち倒そうではないか』
「うん、良いよ。負けないから」
──次の瞬間、大地を踏み砕く勢いで加速した酒呑童子は音速を超え、秒も掛からずにレイの元へと到達した。
レイはそれを見極めて躱し、握った剣を酒呑童子の脇へと放つ。無論それを受ける酒呑童子では無く、突き出した刀を一瞬で脇へ携え刀身でレイの剣を防ぐ。
それと同時に踏み込み、鞘に納めていないが居合い切りのように薙いだ。しかし研ぎ澄まされている今のレイにとっては遅い刀。抜かれると同時に仰け反って避け、片手を地に着けバク転の要領で後ろに下がる。
「……!」
『ヌゥ!』
下がった瞬間に踏み込み、力強く且つ繊細な目にも止まらぬ動きで酒呑童子へと迫った。予想外の速度に少しばかり慌てた酒呑童子だが直ぐに仕切り直し、音速を超越して放たれる剣技を刀一つでいなして行く。
二つの刃物は振るわれ、二つの刃物が火花を散らす。二つの刃物は突き、二つの刃物の先端がぶつかる。幅がほんの数ミリにも満たぬ先端同士がぶつかったのだ。同時に二人は迫り、人間の美少女と鬼の恐ろしき顔が近付く。二人の視界からそれが瞬時に消え去り、次に見えた景色は太陽の光を浴びて銀色に輝く美しくとも恐ろしい刃物だった。
「──はっ!」
『──フン!』
ぶつかった刃物からは橙色の火花が飛び散り、それが一瞬にて数百回放たれる。数秒間に渡って鬩ぎ合いが行われ、その鬩ぎ合いが終わりを告げたのは一瞬後だった。
「……あっ……!」
『……む?』
躓き、体勢が崩れるレイ。数秒間に渡って行われた神業染みた攻防はそれによって終わった。そう、レイの集中力が途切れたのだ。いや、厳密に言えば切れざるを得なかったが正しい。
身体が極限状態に陥る事で初めて全身の力が上昇し、常人の限界を超えた力を使えるようになったレイ。前述したよう、それには数分という時間制限がある。それが切れた今────今まで受けつつも感じていなかった激痛が全てレイの身体へ伝わってしまうという事だ。
「──ッッ!! ああッッ!!! 」
躓くと同時に倒れ込み、激痛による悲鳴を上げるレイ。ダメージが少しずつ来るのならば耐えられるのだが、全ての痛みが一気に襲い来る。
常人ならば屈強な身体と精神力を持つ者ですらショック死してしまうだろう。それ程の痛みが今、レイの身体を蝕んでいたのだ。
『…………。成る程、限界か。これからが楽しみだったが……そういう訳にいかぬのなら致し方あるまい。お主の命、今この場にて貰い受けしんぜよう』
レイの状態を見、全てを察する酒呑童子。その姿は何処か哀愁が漂っており、楽しそうだった酒呑童子の表情は曇っていた。
ようやく行えた強者との戦闘。それがこれからという時に崩れ去ったのだ。強者を求める酒呑童子からすれば、これ以上に悲しい事はあまり無いのかもしれない。
腑に落ちない形で決まってしまった強者との戦闘。その思いを噛み締め、酒呑童子はレイの首の真上に刀を振り翳した。
『去らば、若き強者である娘。お主の死を持ってこの決闘は雌雄を決する事となるだろう』
「ッ! ~~ッ! ──ッ!! ああっん!」
酒呑童子の言葉に耳を貸す余裕は残っていない。残っているのはただ一つ、今まで蓄積したダメージが一気に振り掛かる激痛のみ。
涙を流し、血を吐くレイ。ずっと握られていた剣は地に置かれており、激痛に藻掻き苦しむ。嗚咽し、踞る。見ている此方が精神的ダメージを受けてしまいそうな惨状。
『余計な言葉は要らなかったな。人間が苦しむ姿は鬼の喜びであるが、我は違う。侍が腹を切った時、介錯人が苦しまぬよう侍の首を切り落とすように、早く楽にしてやる』
苦しむレイを前に呟き、刀の刃をレイの首元へ近付ける。
「……!」
『無念』
刀が振り下ろされ、鮮血が辺りに飛び散る。レイから出ていた苦痛に苦しむ声が無くなり、辺りは再びシーンと静まり返った。
暫しその場には、静寂が鼓膜を劈く空間が広がっていた。
*****
『まさか。こうなってしまうとはな。我が生涯、様々な奇っ怪な事が起こり得るだろうが……我が今まで存在してきた生の中、一つ、二つを争う驚きだ』
「……」
『まさか、よもや……! ──弱り切った身体で我の腕を切り落とすとは!!』
「……ッ! ああ……!」
その空間にて飛び散った鮮血は地に落ち、小さな水溜まりを作る。その近くにあるのが──『酒呑童子の片腕』だ。
レイは弱った身体で剣を振るい、酒呑童子の腕を切り落としたのだ。しかし一挙一動によって生じる痛みは底知れず、直ぐに剣を落として痛みで喘ぐ。涙が止まる様子は無く、血と共に流れ地面を濡らしていた。
『我の国に窮鼠猫を噛むという言葉がある。窮地に陥った時、弱者が強者へ一矢報いるという意味の言葉だ。まあ、主は弱者では無いな。言うなれば火事場の馬鹿力か。その何れにしても、強い意思には敬意を表しよう。女では無く戦士として、その細い命。誠意を持って没させる』
「……」
落ちた腕を拾い、再びくっ付ける酒呑童子。肉同士が擦れ合う嫌な音が辺りに響き、酒呑童子が少し押さえ付けた後腕は完全に戻った。
軽く握り、その次に開いて手の感覚を確認する酒呑童子。それが終わり、刀を握り直してレイの方へ向き直る。
「……痛ッ。……う……腕が……!」
『随分と痛そうだな。我は痛くない。この腕はくっ付けた。鬼は元々再生力の高い生物だ。切断面がある程度整っているのならば容易く再生する。我は頭だけになろうと人を呪い、後世に渡って祟りに貶める事も可能だからな。しかし人間の底力は如何程のものか、少々気に掛かる。世界で一番強いと謳われる人間。その大多数は弱者と聞く。一部の者が全世界を敵に回しても戦闘を行える程の力を有していると言うが、娘。お主はどうだ?』
「……」
『沈黙。どうやら我と会話をする気は全く無いようだ。しかしそれも当然の事かもしれぬな。少しでも油断しようものならば我は即座に隙を見てお主を切り捨てる。常に警戒を解かないというのは難しそうだ』
腕の再生を見たレイは少々の驚きを見せる。腕その物が再生するのは何度か見た事があるが、切断された腕をその場で拾ってくっ付けたのは見た事が無かったからだ。
酒呑童子曰く、鬼の再生力は高い。なのでその場でくっ付ける事も容易いとの事。理屈は不明だが、この世界に置いて理屈の通じる事は無い。必ず別の答えがあり、概念ですら変化する事があるのだから。
得意気に話す酒呑童子を見、痛む身体で立ち上がりレイは口を開いた。
「……やるなら……さっさとやれば。私は逃げも隠れもしない……!!」
『見た目に比べて、口は達者だな。そんな傷を負っても尚、逃げ腰にならぬか。気に入った。ならば我もお主が弱っていようが関係無い。手加減せずに戦闘を行おう……!』
刀を鞘に納め、レイに視線を向ける酒呑童子。レイも剣を納め、激痛の走る身体で構え直して酒呑童子に向き直る。次の刹那に感覚が再び研ぎ澄まされ、風の吹き抜ける音すら耳に入ってくる。
(この感覚……痛みがまた消えた……!?)
風を感じ、一秒間が数分に感じる程感覚が冴え渡るレイは、身体がふと軽くなったのを感じていた。
手足や身体に多少の痺れと痛みはあるものの、先程よりは遥かに楽になっていた。しかし依然として視界は歪んでいる。恐らくこの時間もあまり長くは続かないだろう。この集中力が持続出来るうちに倒さなければ、確実に敗北する。
「行くよ……!!」
『……!』
瞬間、レイは一歩踏み込んだ。そして酒呑童子の元へ、一秒の一〇〇分の一秒も掛からずに到達した。
次の瞬間に鞘に納めた剣を抜き、酒呑童子に向けて斬り付けた。酒呑童子はそれを防ぐ。が、思わぬ速度に対処し切れず脇腹が決して浅くない傷を負う。
『娘! その力、その速度……! 成る程、面白い!!』
「……!」
それを受けて何かを悟った酒呑童子は刀を構え、近くに居るレイへ居合いと共に斬り付ける。
レイはそれを躱し、酒呑童子の死角へ移って即座に剣を斬り出す。切り出された剣は酒呑童子を掠めた。いや、酒呑童子がギリギリで避けたので当たらなかった。が正しいだろう。避けた酒呑童子は刀を薙ぎ、レイから距離を──
「はあ!」
『何っ?』
──取ったつもりだったが、その刀は空を斬り、レイには当たらずレイは剣を酒呑童子に仕掛ける。ほんの数ミリの距離、その距離にて音速を超える速度の刀を躱したという事だ。それは最早、人間の領域を超越した反射神経である。
(見える……全ての動きがゆっくりに……)
『やるでは無いか娘。それでこそやり甲斐のあるというものよ!!』
剣を躱した酒呑童子は再び刀を仕掛ける。それは目にも止まらぬ速度であり、常人ならば。いや、それを遥かに凌駕した達人クラスですら避け切れない速度であろう。
しかしレイの視界には、止まっているのではと錯覚する程ゆっくり映っていた。今のレイならば、仮だが限り無く光に近い亜光速で放たれた数万の銃弾ですら全て無傷で躱し切れるかもしれない。それ程までに研ぎ澄まされた神や魔王の領域にまで到達していた。
(これが……次の次元……?)
『……ッ!!』
一閃、何百分の一秒に満たぬ時間で酒呑童子を切り刻む。その攻撃に対し、辛うじてだが致命傷になりうる攻撃を防ぐ酒呑童子も流石だろう。しかし今のレイには酒呑童子の次の動き、刀の方向。相手の考え。全てが手に取るように窺えた。
(分かる……次の手、次の動き、次の考え、次の……次の……そのまた次の行動が……!)
全ての集中力が活性化し、自分でも驚く程の力を扱うレイ。何者よりも勝る破壊力と、それを上回る精密さ。今のレイは一挙一動で山河を粉砕し兼ねない移動速度。しかし、それ程の動きを見せても大地は砕けず砂の一粒すら舞い上がらない。
『動きが良い……いや、良過ぎる! 流石の我もこれには驚きを隠せぬな……お主、一体どういう?』
異常なまでに良過ぎる動き。それを見た酒呑童子は流石に驚愕し、刀を振るいながらもレイへ尋ねる。
「さあ? 私が何者でも、貴方に教える義理は無いよ……! 私は今、貴方を倒すのに集中するだけ……!!」
『そうか。ならばそれで良い。強者との戦闘に置いて、相手が何者か分かるかもしれぬからな。誠心誠意力強くお主に挑もう』
刹那、二つの刃物が弾かれた。
酒呑童子の知らぬレイの正体。それはかつて世界を救った勇者。
ただの人間が、何故多元宇宙を含めた全宇宙と異次元に存在する別の世界。そして次元の違う別の場所や概念ですら一瞬にして破壊出来る魔王を倒せたのか。
それは誰にも分からない。唯一分かるのは、今は聖域に居るという倒した本人くらいだろう。しかし、その勇者の血をレイは受け継いでいる。
この動きですらまだ序の口。可能性などを表す比喩表現では無く、文字通り無限の力を秘めているのだ。レイの力が覚醒した時、その時何が起こるのかは誰にも分からない。
「やああああ!!!」
『ヌラァァァ!!!』
鬩ぎ合う二人。確実にレイが押している。酒呑童子は何とか致命傷を避けるので手一杯。少しでも油断しようものなら、即座に切り捨てられるのを自覚していた。
(勝てる……! このままなら勝て……!)
『む?』
「…………。え?」
そして、レイの足が何も無いところに躓き、再び体勢が崩れ落ちた。まだ余力は残っているが、素の体力が限界を超えたのだ。もう既に死にかけだったレイ。かつて無い程の集中力を見せようと、まだ身体が追い付かない。
「……ッ、こんな……ところで……!!」
『ほう、まだ来るか。良かろう!!』
二つの刃物がもう一度ぶつかり合った。それにより、二つの刃物から小さな金属が飛び散る。魔力やその他の力で強化された剣と言えど、二人の攻防に堪え切れなくなっているのだ。
「はぁ……はぁ……!!」
『グ……ぬぬ……!!』
無論、剣のみならず二人も等の昔に限界地点を超越している。指先一つで押そうものなら、二人はバランスを崩して倒れ込むだろう。
『ど、どうやら……次の一撃で決まりそうだ……!!』
「……そう、だね。決める……!!」
今一度剣を鞘に納め、腰を低くする酒呑童子。レイも流れるように鞘に納め、改めて酒呑童子に向き直る。シーンと静まり返るこの空間。周りには何の生物もおらず、酒呑童子が連れて来たという妖怪達も安全地帯に避難している事だろう。承認はおらず、二人しか居ない物寂しい深閑とした虚無の空間。
渇き切っており、水分すら無い筈のレイよ頬から汗が伝った。そして落ち、虫の声よりも小さな音が二人の耳に響く。
「やあ────!」
『ぬら────!』
刹那の時に、レイは亜光速。酒呑童子は第三宇宙速度を超えた速度でぶつかった。
*****
「……ッ!」
『……』
互いの正面に居た敵が背後に回った時、始めにフラ付いたのは──レイ・ミール。
そのまま地に倒れ込み、動く事は無かった。
『……我の…………────負けだ』
次の瞬間、酒呑童子の手にある刀が根本から粉砕し、酒呑童子が膝を着く。対し、倒れたレイの剣は無傷。先程の欠片はレイの剣では無く、酒呑童子の刀から散った物だった。
しかし酒呑童子の力ならば、弱り切った娘を殺すなど容易い所業だろう。何故それをしないとかと疑問もあるが、それには答えもある。
『まさか……駆け出した瞬間に力尽きるとはな。死んではいないが……』
そう、レイは亜光速で駆け出した一瞬。刹那。瞬く間。その何れを用いても足りない程早くの時に力尽きたのだ。それでも酒呑童子は第三宇宙速度で刀を振るった。レイはそれを見抜き、的確に刀を打ち砕いたのだ。
そしてもう、酒呑童子にも動く気力は無い。疲労感と虚無感が酒呑童子の身体を襲った。仮にこの場へ森に棲む魔物が来れば、成す術無く食されてしまうだろう。それ程の疲労だった。
体力の限界と、限界を超えても剣を離さず酒呑童子の刀を砕いたレイ。敬意を表する意とこれ以上に無い敗北感から酒呑童子は己の敗北を悟ったのだ。
次の瞬間、酒呑童子もその場に倒れ伏せる。
『久方振りに楽しかったぞ……異国の……女剣士……』
そして、意識を失った。死んではいないのだろうが、暫くは動けない事だろう。
こうして勝利を収めたレイ。残る戦いはライたちとエマたち。魔物の国に置いて行われている二回目の戦闘は終わりに向かっていた。




