三百四十六話 月夜の戦闘・中断
「何だか、下の方が騒がしいな」
「ああ、しかし俺は貴女と出会った時から胸が騒がしいぜ……」
「五月蝿い、喧しい、そして死ね。貴様などに騒がれても嬉しくない」
「死ねってなぁ……もう何度も致命傷になるダメージを受けているだろ?」
下の音を聞き、誰に言う訳でも無く呟くように話すエマ。
しかしそれを聞いていたブラッドが茶化すような事を言い、苛立つエマは罵倒する。
それに返しつつ、裂けた肉体を見せるブラッド。
そう、エマもブラッドも再生しているがそれなりのダメージは互いに受けていた。
一応真剣な戦いとなり両者の肉体を傷付け腕や脚が吹き飛んだりしたのだが、ヴァンパイアだからこそ再生力が高く必然的にあまりダメージを受けていないように錯覚するのだ。
「まあ、それがヴァンパイアの在り方だならな。幾ら攻めようと再生し、敵の命を奪い取る魔物。人や魔族の天敵と謂われる所以だよ」
「フッフ……ごもっとも。やはり気が合うな。このままじゃ決着は付かぬ。このまま俺と結ば……」
「断る」
断り、蝙蝠のような翼を羽ばたかせ、一気に加速するエマ。
瞬く間にブラッドとの距離を詰め、腕を振りかぶる。
次の瞬間に握った拳が放たれ、ブラッドの身体を弾き飛ばす。
殴られたブラッドは空中を吹き飛び、木や地に着く前に停止した。
その視界には鬼の形相をしたエマが映り込み、停止した刹那に再び拳が放たれる。
遂には地に落ち、粉塵を巻き上げて森が土煙に包まれた。
「ヴァンパイア地に落ちる……か。フッフ、これも天命か。ならばそれを受け入れよう」
粉塵の中から起き上がり、月の覗く空を見上げてフッと笑うブラッド。
身体は再生し、木で切った傷や地に落ちた時の打撲も治る。
そんな、闇夜を好むヴァンパイア。それは夜ならば天も地も関係無い。
しかし今回、ブラッドは自ら天へと上った。それを意図せずとも落ちてしまったという事柄は、正しく天命かもしれない。
「天命なんて大層なものじゃない。私の仕業だからな。……まあ、別の言い方は思い付かんがな」
「そうか」
ブラッドが立ち上がると同時に、地に降りていたエマがフッと笑うように話す。
エマが言うに天などの仕業では無く、ブラッドはエマ自身によって無理矢理落とされただけに過ぎないとの事。
天が決める天命では無く、エマの匙加減によるものだったのでそう言ったのだろう。
それを聞いたブラッドは先程までの軽い態度を一変させ、静かにその場へ佇んでいた。
「急に静まり返ったな。そのまま黙り続けていろ。直ぐ楽にしてやる」
「フフ、貴女に楽にされるのは本望。天がそれを望むのならありのままに受け入れよう。……しかし、向こうで何かの問題が生じたようだ。貴女にとっては良い事態かもひれないが、俺には少々……いや、あまり良くない事態だ」
「ふむ、興味深いな。しかし、面倒だ。私に都合の良い事態ならばそれで良い」
静かになったブラッドを指摘し、それに返すブラッド。
エマはそれが気になるが、自分にとって都合の良い事態ならばそれ以上の情報は要らないだろう。
なので気に留めず、真っ直ぐな紅い目でブラッドを睨み付けた。
「俺は一度貴女をバラバラにする。自分たちの問題が解決したその時、改めて相手をしよう」
「ふん。私が貴様をバラバラにする。それも"天命"……だからな?」
「初めて利害が一致した。嬉しい事だが、それは俺の天命じゃない」
──二人の身体に影が掛かった。
互いに言葉を交わしていたエマとブラッド。その二人に影が掛かったような錯覚が生じ、ザァと春夜の涼しい風が吹き抜けて二人の服と髪を揺らす。
同時に月へ雲が覆い、光を当てていたエマの金髪とブラッドの黒髪から光が消える。
徐々に二人の姿は見えなくなり、四つの紅い目と一つの金髪、一つの黒髪も消え去った。
その場には今、全ての光が消えた闇が覆い尽くしていた。その闇は更に深まり、また一つ、ザァと風が吹き抜ける。
「「…………!!」」
そして、次に現れた光は柑子色の火花だった。
何も見えぬ闇にて金属同士のぶつかるような音が響き、その音が響く度に火花が散る。
次いで脚がぶつかったような音が響き、それが聞こえた刹那に衝撃のような風が吹き抜ける。そのまま上空の雲が不自然に晴れゆき、闇夜の月が再び地を照らした。
そこに映るシルエットは二つの脚を交差させた影。
ヒュウと風が吹き抜け、その脚はゆっくりと離された。
「力はほぼ互角。確実にこのままじゃ決着が付かないな」
「ああ、先程までの貴様ならば確実に討ち滅ぼせたが、今の貴様は隙が無い」
距離を置き、互いに互いを睨み合うエマとブラッド。
ブラッドは先程までの軽さが嘘だったかのように消えており、正しく"ヴァンパイア"に相応しい気品と雰囲気だった。
それに対するエマだが、大人の見た目だからかより美しさや気品という"ヴァンパイア"らしさに磨きが掛かっている。
そこに居る者たちは、古来より生き続ける魔物──"吸血鬼"。
日常に慣れた姿では無く、人間・魔族の天敵としてのヴァンパイアがそこに居た。
そして大地が大きく陥落する。先程放ったであろう蹴りの衝撃が今伝わったのだろう。
「お褒めに預り光栄だ。天が愛するものからの称賛の言葉を贈ってくれたのだろう」
「しかしながら、その面倒な性格はどうにかならないものか」
その言葉を聞いたブラッドは喜びを言葉に表し、エマは「またか」と面倒臭そうに頭を抱える。
真面目に戦闘を行うとしても、根本的な性格が変わるという訳では無い。
ブラッドの性格はこのままなので、戦闘を行うに当たって中々面倒である。
「どうにもならないな。結局は天が全てを示すんだ。つまり、この戦いの行方は天にのみ分かるという事だ」
「ふん、下らんな。本当に天が全てを決めていたとしても、結果はその時にしか分からぬだろうからな」
陥落した大地にて、ザッと構えるエマとブラッド。
ブラッドは既に結果は決まっており、天が示す結果に従うと告げる。
対するエマは天が決めるとしても、最終判断は自分次第との事。
また一つ風が吹き抜け、エマとブラッドは互いに向けて一気に駆け出した。
「ハァ!」
「ハッ!」
エマは拳、ブラッドは脚。その二つが激突し、辺りに衝撃を散らそうとしていた──その刹那、
「……」
「……?」
ブラッドが薙ごうとしていた脚を下ろし、蝙蝠のような翼を広げて天へと舞い上がった。
それを見たエマは"?"を浮かべつつ拳を収め、訝しげな表情でブラッドに紅い視線を向ける。
「どうやら今回の戦いは決着が付かないという結果になったらしい。天はまだ、俺たちが争うべきでは無いと告げたのだな」
「何を言っている? 先に脚を下ろしたのは貴様。貴様の匙加減による問題じゃないのか? 悪魔で天に全てを委ねるのだな」
月を正面にエマへ背を向けるブラッドは淡々と言葉を綴り、今回は決着を付けないと言う。恐らく何かを感じたのだろう。その何かが何かは分からないエマだが、ため息を吐いてそれには天命など関係無いのではと小首を傾げる。
何故ならブラッドが途中で止めなければそのまま戦闘は持続していた筈だからだ。
「フッ、貴女も気配くらいならば感じているだろう。今この国に居るのは世界を大きく変化させている者たちという事をね……」
「ああ、そのうちの二人と一匹は知り合いだ。最も、一匹の方はこの国に来た時に出会ったばかりだからな……」
それに対し、エマに気付いているのだろうと話すブラッド。
エマは頷いて返し、その者たちには知り合いが多いと告げる。
考えると、知り合いには世界の主力が中々多いライたち。
世界征服を行うに当たって、必然的に知り合いが増えるのだろう。
「魔族の国の支配者、幻獣の国の支配者、魔物の国の支配者。そしてこの国にはいない人間の国の支配者。その全てに捕らわれぬ一人。世界が何処に向かうのか、それを知るのも天。俺たちは世界の行方を知る事も無い。ただ自分の主に仕えるだけだ。俺は主の元へ戻る。貴女も自分の大切な者の元に戻ると良い」
「ふん、長々と語ってくれるな。貴様のポエムなどに興味は無い。世界が何処に向かったとしても、永劫を生きるヴァンパイアには関係の無い事だからな」
淡々と綴り、エマに背を向けたまま飛び立つ体勢のブラッド。
エマはブラッドの言葉へ返し、ふと夜空の星を見上げた。
星の寿命は数億年。ヴァンパイアに寿命は無く、弱点を突かれず栄養を補給出来るのなら半永久的に生きる事が可能だ。
エマはその星と自分を見比べ、何かを思っているのだろう。
「永劫にも終わりはある。死から拒絶された我らヴァンパイアだが、事実同族の数は激減している。繁殖力が少なかったのもあるが、繁殖しようとしていない者が多かったのだろう。傲慢は時に破滅を齎す。だからこそ種族繁栄の為、貴女と俺で子を創ろうと言ったのさ」
「何度も言わせるな、断る。確かに純血のヴァンパイアは少なくなったが、同族と子を作る以外にも方法はあるだろう。種族を繁栄させたいのなら、その方法だけで良いんじゃないか? 滅びる時は滅びる。それも"天命"……だろ?」
「……フッ、また誘う。一先ず今日は諦めよう。俺がこれから支配者さんたちに合流したとして、俺たちはまだ数時間程この国に留まるだろうが求愛は申さぬ」
翼を羽ばたかせ、闇に消えるブラッド。
ヒュウとまた吹き抜けた風と共に消え行き、空を覗く大きな月と小さな星々がその場に残った。
「……行くか」
それを確認し、フォンセたちの元へ向かうエマ。
ライたちが来た事は気配で分かるが、急ぐに越した事は無いだろう。
ブラッドに続き、エマも闇に紛れフッとその場から消え去った。
*****
「フム、戦いも良いが……少しばかり話を聞いてくれないかな。主ら。無論、魔物の国の者達も含めてだ」
シヴァたちが到着した幻獣の国、とある森にてぬらりひょんがライたちとシヴァたち。そして魔物の国の支配者達に向けて言葉を発した。
そこに居た全員はそちらに視線を向けるが、話を聞かない様子が窺えられた。
それを見たぬらりひょんはため息を吐き、そこに居る者たちへ言葉を発する。
「話を聞くつもりは無さそうだな。ならば、単刀直入に申そう。支配者殿。ライを潰したいのならこの案に乗るのも悪くないと思いますがな。出来る事なら一vs一の方が良いでしょう?」
「……」
その内容は主に魔物の国の支配者に向けた事。ぬらりひょんは魔物の国の支配者の性格を理解した上で、支配者を誘えるような事を考えている事が雰囲気だけで窺える。
そんな風に話す二人に向け、ライとシヴァは今此処で仕掛けても良いが、敵の出方が分からない以上下手に動くのは得策ではない。
「ならば一度、幻獣の国支配者の拠点へ行こう。そこで宣戦布告をし、我らが行おうとしている事を改めて伝えるのだ。恐らくヴァイス殿達が既に目的は伝えているだろうからな」
「ふん、仕方あるまい。……シヴァ、そしてそこの童! この戦闘の続きはドラゴンの拠点にて行う! 先に行かなければ我々が弱り切った幻獣の国を落としてしんぜよう!!」
魔物の国の支配者は、弱り切った国を落とすのはつまらないと前に言った。
しかし、今目の前にあるのはライとの決着を付ける事のみ。
ライとの対決に比べれば、小さなプライドなど関係無いのだろう。
それだけ告げ、魔物の国の支配者とぬらりひょん。そしてその一行達が闇の中に消えて行った。
途中で空から何かが加わったように見えたが、どうやらそれは関係無いようだ。
「……取り敢えず、急いだ方が良さそうだな。このままじゃ幻獣の国の本元が危険だ」
「ああ、そうだな。俺たちも気になったから幻獣の国に来たが……どうやら思ったよりも厄介な事になっているようだ」
消え去ったぬらりひょん達を見、呟くように話すライとそれに同意するシヴァ。
幻獣の国は、今大きな問題を抱えている。というより、ヴァイス達が攻めて来た事で大きな問題を抱えてしまった。が正しいだろう。
それについて二人はしっかりと考えている様子だった。今重要なのは、敵が向かった場所へ行く事だからだ。
「ライ、レイ、リヤン。そしてシヴァたちか。お前たちも辿り着いたのだな」
「エマ! ……珍しく大人の姿だな」
「ああ、相手が相手だったからな。……私の事より、フォンセは無事なのか」
そこに姿を見せるエマ。
エマはライたちの姿とシヴァたちの姿を確認し、その名を呼んで着地した。
それに返すライはエマの姿を見て変化を言い、エマは頷いて返しつつフォンセの事を心配している様子だ。
そしてゆっくりとフォンセの元に近付き、その顔を覗く。
「大丈夫だ。傷は深かったけど、リヤンが治療してくれた。……まあそれでも今は意識を失っているけど、呼吸も落ち着いているしそのうち目覚めると思う」
「そうか、良かった。予想以上に敵が面倒で手間を取ってしまったからな……取り敢えず無事で良かった」
心配そうなエマに対し、フォンセは問題無いと声を掛けるライ。
エマは安堵の息を吐き、ホッと胸を撫で下ろしつつ身体を小さくし本来の姿へ戻してゆく。
「けど、さっきも言ったように敵は大樹の方に向かった筈……フォンセは俺が背負うから、早く向かおう」
「「うん」」
「ああ」
「ああ」
「はい」
「おう」
「オーケー」
「うん」
フォンセを背負いつつ行くと告げ、それに返事を返すレイたちとシヴァたち。
本来の目的だったリヤンを見つけるという事柄は既に解決している。
たまたま魔物の国の支配者にぬらりひょんと会ったが、その結果は勝ち負け付かず引き分けともいえないものとなった。
一先ず森を抜け、それから幻獣の国へ戻るライたちだった。




