三百十六話 原初の神と天に等しい大聖者
「……またね、ゾフル、ハリーフ。数百億年生きた中での数ヵ月、悪くない時を過ごせたよ」
──ヒュウ、と風が吹き抜ける大樹の内部。
そこは何も残っておらず、大樹の再生すら追い付かない程に粉砕していた。
その場所から天を見上げ、寂しそうな面持ちで眺めるのは混沌を司る原初の神。グラオ・カオス。
遠くで何かが起こった。そして、仲間が消え去った。
それを理解した上で目を瞑り、暫しの黙祷を捧げる。
そして自分が敵対する相手の方に視線を戻す。
『……』
『……』
『……』
そこに居たのは、大怪我を負いながら瓦礫に寝そべる三つの影。
その三つはズダボロの状態であり、今にも意識を失いそうな雰囲気だった。
『ハッ……仲間が死んだみたいだな……安心しろ、幾ら罪を犯そうと、その分地獄で罰を受けりゃまたこの世に転生できる。記憶は失うがな』
「……へえ? 敵の死を悪く言わないのか。それが仏の在り方ってものかな? 罪を憎んで人を憎まずとはよく言ったモノだよ。まあ、彼らは魔族だけどね」
ボロボロの状態で、グラオの言葉を聞いていた斉天大聖・孫悟空は誰かの死を悟りグラオに返す。
その言葉に対し、感心しながら話すグラオ。
死者を敬う心意気が孫悟空にあった事は素直に感心出来るのだろう。
そんな、孫悟空の言うような地獄をなどのように、この世界は主に三つの世界からなる。
一つは孫悟空たちの居る"天界"。
幸福であり、苦痛の無い世界として知られている。
二つはライたちの居る"下界"。
幸福も存在するが苦痛も存在するという、謂わば両立の立ち位置。
三つは"冥界"。
他にも"黄泉"や"天国"に"地獄"、"ヘルヘイム"などと様々な名で呼ばれるが、それは俗に言うあの世である。
死した者が行き着く場所であり、様々な形となりて次の生を待つ場所。
地獄では主にあらゆる苦痛を強いられるもの。
天国というのは孫悟空たちの居る天界と同義なので、特に説明の必要も無いだろう。
孫悟空曰く、生前に悪事を働いた者はそれに合わせた罰を地獄で与え、改心させて転生を行うらしい。
「へえ? まあそれは僕も知っているね……というか冥界の創造者だ……。まあそれはさて置いて……じゃ、君はかつて地獄に送られたの? 風の噂で聞いたよ、神や悪魔と言った様々な修羅神仏、悪鬼羅刹を連れて天界に喧嘩を売ったってね。そんな事をしたんじゃ……仮に僕なら簡単に天界を消せるけど君は敗北した。つまりそれなりの罰を受けたんでしょ?」
『……』
興味津々に、孫悟空へ向けて話すグラオ。
グラオは"天界"・"下界"・"冥界"の創造者である。なので気になったのだろう。
原初の神として気儘に宇宙を放浪していたグラオは、世界の事情など気に止めていなかったのだから。
『……ああ、まあ地獄には落とされなかったが、相応の罰は受けたな。力を吸いとられる大岩の下で数千年とある僧侶を待ち続けるって罰をな』
「玄奘三蔵……三蔵法師か」
『ああ、御師匠さんだ』
三蔵法師。有り難い経典を求め、数千年前に旅をしていた僧侶。
その道中にて三蔵法師を狙う妖怪から三蔵法師を護る為に、まだ普通の妖怪だった孫悟空、沙悟浄、猪八戒が同行して天竺へ向かう御伽噺。
「成る程ね。ある意味では地獄並みの苦痛って訳か。……まあ、地獄は罪によって数万年とか苦痛を強いられるらしいけど……それとこれは違うね。さておき、中々やるね。他の二人はもう限界が近いみたいだけど……君はまだ話す余裕もある。流石は"天に等しい大聖者"──"斉天大聖"を謳われる者だ。素直に感心するよ」
『ハッ、原初の神様に感心されるたあ、俺も昇格したな。怠惰な神仏に喧嘩を吹っ掛けた甲斐があったぜ』
グラオが告げ、孫悟空が如意金箍棒を構えた。
グラオは無傷に等しい状態で孫悟空を眺めており、孫悟空は肩で息をしつつ頭から流れる血が止まらない。
沙悟浄と猪八戒は少し動いているが、ほんの少しの間は目覚めなさそうである。
「改めると……君と相対するのは二度目か。そうなると感慨深いものもあるね」
『たった二度目で何を言ってんだか。宇宙その物みたいな存在のアンタからすりゃ、長い時の中で行われる一瞬の出来事だろ』
「ハハ、宇宙にとっての一瞬でも結果によっては最期の一瞬になる事も有り得る。貴重な一瞬に変わりは無いさ」
染々と話すグラオに、軽く笑いながら返す孫悟空。
しかしグラオ曰く、数百億年生きた今でも一瞬という時間を大切にしているとの事。
この世に永劫を生きる生物は居るかもしれないが、それですら何れ終わりが来る可能性もある。永遠に生き続けられる保証は無い。
不死身のヴァンパイアやレヴィアタンですら死する可能性があるのだ。グラオにとって小さく脆い世界など、いつ終焉の時が来てもおかしくないのだから。
『一瞬を全力で生きるか……。進行形で永遠を生き続けるカオスがそんな事を言うなんてな。意外だったぜ?』
「ハハ、永遠なんて無いさ。宇宙にも終わりがある。何が要因でそうなるのかは分からないけど、僕ですら死ぬ可能性があるんだよ。まあ最も……僕の場合は自分の創り出した天界や冥界に僕自身が行けるのか気になるけどね?」
グラオから出た予想だにしていなかった言葉に、クッと笑って話す孫悟空。
カオスはこの世の全てが生まれるよりも早くに誕生した全ての起源。無限に近い時を生きているので、一瞬という時間を大切にしているとは思わなかったのだろう。
対するグラオは、永遠という存在はこの世に無いと言い切っていた。全ての生物の生死を見てきたグラオだからこそ、永遠という存在は現れないと実感しているのだ。
「さて、また長々と語っちゃったね。そろそろ再戦と行こうよ……今回の戦いはおふざけ無しのつもりだからね?」
『ああ、分かってるぜ。カオス。だが、何でアンタ程の実力者が全生物の選別に協力してんのか気になるな。こんな事をしなくても……この世の全てを創ったアンタならある程度の事は思い通りに事が進む筈だぜ?』
戦いに集中する為、孫悟空へ先を促すグラオ。
それに対し、同調しつつも何故グラオがヴァイス達へ協力しているのか気になって止まない様子だ。
全ての起源であるカオスが、たかが星一つで行われる生物の選別に手を貸す理由が分からなかったのである。
「何だ、そんな事か。まあ、言うなれば単なる気紛れ、暇潰し……特に理由は無い。時と場合によってコロコロと変わるのさ、混沌はね」
『理由は無い……か。それで生物の命が奪われてたんじゃ、世話無ぇな』
「前述したように生き物は何時か死ぬ。僕はそれを早めただけさ」
『自由気儘だな、カオスさんよ……』
その理由は、何となく。グラオは何となくヴァイス達の目論む計画に手を貸しているとの事。
それを聞き、その何となくで死した幻獣たちを思いため息を吐きながら構え直す。
「自由の無い世界なんて……つまらないからね?」
『そうかい』
──刹那、会話が途絶えて孫悟空とグラオが互いの距離を一気に詰めた。
二人が踏み込むと同時に元々砕け、再生し掛けていた床が今一度粉砕する。
その欠片が浮き上がり、秒も掛からずに二人の顔が一気に寄った。
『オラァ!!』
「そら!」
次いで孫悟空の如意金箍棒とグラオの脚がぶつかり合い、浮き上がった大樹の欠片が全て吹き飛ぶ衝撃を生み出した。
その衝撃は周りにある瓦礫も吹き飛ばし、辺りには何も残らず虚無のみが佇む。
『"妖術・鎌鼬の術"!』
その虚無を切り裂く、孫悟空の風妖術。
風は妖力から押し出され、風の創り出す凶器の鎌鼬となってグラオを狙う。
「やるじゃん」
その鎌鼬を全て叩き落とし、一歩前進して孫悟空の懐に潜り込むグラオ。
「ほら!」
『……ッ!』
次の瞬間、グラオは腕を振り抜いて孫悟空を殴り飛ばした。
飛ばされた孫悟空は踏ん張りも効かず、大樹内にある幾つもの壁を砕きながら貫通痕を残してグラオの視界から消え去る。
その少し後に風が起こり、散った砂埃をこの場から消し去った。
『伸びろ、如意棒!!』
「へえ、まだ動けるのか」
そして、グラオの前方から来るのは如意金箍棒。
如意金箍棒は亜光速で進み、グラオはそれを紙一重で躱した。
例え星の裏側に居ようと、亜光速の如意金箍棒は即座に対象へ到達する。その距離も凄まじく、確実な距離は定かでは無いが数兆キロは容易く届くだろう。
なので孫悟空が何処まで吹き飛ばされていようと、この星に居るうちは方向さえ正しければグラオを狙えるのだ。
『まだまだァ!!』
次に孫悟空は如意金箍棒を縮め、亜光速でグラオの方へ近付く。
如意棒を使って移動した事もあるので扱いには長けているのだ。
「流石」
次いでグラオも如意金箍棒を取り出し、クルクルと回して孫悟空に構える。
その瞬間に近付いていた孫悟空との距離が僅か数センチ程となり、次の刹那には二つの如意金箍棒が激突した。
如意金箍棒の衝撃で二人は弾かれ、ザザッと地面を擦って向かい合う。
「そ──ら──!!」
『オ──ラ──!!』
それと同時に床を踏み蹴って加速し、身体を少し浮かせて二人の距離が一気に縮まる。
『「よっとォ!!」』
そして二人はぶつかった。
ぶつかると同時に如意金箍棒を振るい、互いの死角から互いを狙う。
その死角への攻撃を防ぎ、一瞬弾かれ距離を取り即座に詰める二人。
刹那の間に如意金箍棒を振るい、薙ぎ、突き、いなし、躱し、火花を散らして弾く。
孫悟空とグラオは目にも止まらぬ速度で鬩ぎ合いを交わし、如意金箍棒の衝撃だけで再生し続ける大樹を粉砕する。
次の瞬間に再び交え、浮き上がった粉塵を消して視界を良好にした。
『"妖術・倍増の術"!』
「また四本腕か」
次いで孫悟空が腕を増やし、四本の腕でグラオを狙う。
片手には如意金箍棒を、もう三つの腕には何も持たず。
一本の如意金箍棒を振るいながら残り三本の腕で拳を放つと言う、ラッシュのような形で仕掛ける。
「腕が増えて速度もある……うん、僕じゃなかったら何発か受けていたかな?」
『……ッ!』
次の瞬間、三本の腕と一本の腕に持たれた如意金箍棒を掻い潜ったグラオが孫悟空の腹部に足を入れ、孫悟空の身体を打ち抜く。
それを受けた孫悟空は内臓が傷付いたのか吐血した。
「そらっ!」
孫悟空がそれによって吹き飛ぶよりも早く、続け様に空中で孫悟空へ踵落としを食らわせるグラオ。
脳天を叩き付けられた孫悟空は頭から勢い良く大樹の床に激突して大樹の床を粉砕する。
『……ッ!』
「続けるよ……?」
踵落としを食らって叩き付けられ、そのままの衝撃で浮き上がり、頭から鮮血を流している孫悟空。
グラオはそれを見やり、スッと目を細めて口角を吊り上げた。
「そら──よっと!!」
『……ッガハ!』
浮き上がった孫悟空の腹部を再び蹴り抜き、続いて空中で体勢を立て直しながら回転蹴りを放つ。
その衝撃で孫悟空の身体が大きく揺らぎ、着地したグラオは顔を上げる。
「オラァ!!」
『やられっぱなしは……気に食わねェ……!』
次いで突きを放ち、二本の腕でそれを止める孫悟空。
即座に如意金箍棒を縮めて戻し、もう二本の腕を仕掛けようと動き出した──
「伸びろ如意棒!」
『……ッ!』
──刹那、片方に持ったままの如意金箍棒を放つグラオ。
それを受けた孫悟空は吹き飛び、体勢を粉砕して土煙を舞い上げる。
『伸びろ如意棒!』
「……へえ」
その土煙を切り裂き、仕舞った筈の如意金箍棒を伸ばしてグラオへ放つ孫悟空。
如意金箍棒はグラオの腹部に突き刺さり、吹き飛ばすまではいかないにしろ多少の嘔吐感がグラオに伝わった。
「やるね……一矢報いるか……」
受けたグラオは軽く笑い、飛び退くように後ろへ行き壁を蹴って跳躍する。
亜光速で進んでいた如意金箍棒はそのまま背後を打ち抜いた。
『一矢程度じゃねぇよ。天界に勤める者として、暇潰しで生き物を殺させる訳には行かねぇからな……カオス?』
「それも僕が創ったんだけど……まあ良いか。長い事天界にも下界にも冥界にも干渉していなかったし、そこに今居る者がルールを定めるのはおかしくない」
ゴキッ。と首を鳴らし、身体の調子を確かめるように動かす孫悟空。
孫悟空の言葉にグラオは自分の創った世界がちゃんと動いている事に対し、少し嬉しそうな様子だった。
しかしその嬉しさは、余裕の表れとも見て取れるだろう。
『ハッ、そこまで堕ちたカオスが相手なら……此方は天界を追放された仏の力でも見せてやろうか……? ──"妖術・阿修羅の術"……!!』
その瞬間、孫悟空の頭が三つに分裂し、腕が更に増えて六本になる。
俗に言う三面六臂の姿。正しくそれは、天界に居た。そして天界を終われた鬼神と同じ姿だった。
「へえ? 身体のパーツが一気に増えたね……阿修羅……昔、そんな善神が居たような居なかったような……」
『それは善神だった時に会ってたんだろうな。今は色々あって別の場所に居るぜ』
孫悟空の容姿を見、呟くように話すグラオ。
曰く、今の孫悟空。その姿をしている神仏に出会った事があると言う。
数千、数万年前はグラオも天界、下界、冥界を行き来していたので、阿修羅の容姿に見覚えがあるのだ。
「……じゃあ、早速……やろうか?」
『『『当然だ……!!』』』
グラオが促し、三つの頭を持つ孫悟空が其々の頭で返す。
沙悟浄と猪八戒は未だに倒れているが、そのうち目覚める事だろう。
そして今、斉天大聖・孫悟空と混沌を司る神──カオスの戦闘は終盤へと向かっていた。




