二百九十六話 月夜の鍛練
大樹の窓枠から入り込む月の明かり。その光は太陽程激しく無く、落ち着いた光を醸し出していた。
『月見酒……中々に乙なもんだな。何時も以上に酒が進むぜ……』
その光を眺め、片手に持った小皿で酒を嗜む神に等しき妖怪の姿があった。
妖怪の口調は穏やかであり、小皿──酒器を持ちながらまた一口含む。
『やれやれ、お前は場所や風景を限らず何時も飲んでいるだろ。まあ、風情があるというのはその通りだけどな悟空?』
その者──斉天大聖・孫悟空。
美酒を飲み込む孫悟空に向けて呆れたように姿を現す沙悟浄。
沙悟浄は近くの柱に寄り掛かり、孫悟空の方を一瞥するように眺めていた。
『ハッ、そうだろ? どうだお前たちもよ? 酒はまだあるぜ』
『フッ、やはりもう一人の存在に気付いていたか……頂くとしよう』
『ブヒッ、まあ隠れていたつもりは無いんだけどね』
続き孫悟空は沙悟浄。そして来ていた猪八戒に酒を勧める。
二人は互いの顔を見合せ、孫悟空の元へと向かった。
『その様子じゃ……敵の幹部はかなり強かったと見受けられるな。……なんせお前が好きな酒も、あまり美味そうに飲んでいないからな?』
『ブヒ。幾ら美味しそうに見せても長い付き合いの僕たちは簡単に分かるよ悟空』
孫悟空から酒を注がれつつ、フッと薄く笑いながら話す沙悟浄。と、それに同意するよう頷きながら話す猪八戒。
二人と孫悟空は数千年の付き合い。ある程度の心境など、容易く分かってしまうのだろう。
『ハハ、二人にゃ敵わねェな。戦闘じゃ勝てるが、心境を読み解く読心術は……な』
注ぎ終え、片手の酒器を見つめながら一笑する孫悟空。
そしてクッと酒を飲み込み、喉元を潤しながら酒器をそっと置く。
『ああ、そうだ。敵の幹部はかなり強かったぜ二人とも。挙げ句の果てにまた如意棒を取られちまった。その重さから主力以外に行き渡る事は無えと思うが、数を増やせたり神珍鉄を取れるってのが厄介だな。……神珍鉄がありゃ、敵も色々な兵器を作成出来るだろうしな。俗に言う"オリハルコン"や"ミスリル"と肩を並べる程の金属だからな』
『成る程な。懸念はそこにあったか』
『ブヒ、確かに神珍鉄は中々の代物だからね。貴重だし』
孫悟空が気にしていた事、それは己の武器である如意金箍棒を敵の主力である二人の手に渡らせてしまった事について。
一つはヴァイス。もう一つはグラオ。
完全に扱い切るという事は出来ないだろうが、その如意金箍棒に付く神珍鉄が問題だった。
神珍鉄があれば伸縮自在の様々な鉄兵器を作成する事も可能で、売り払えばかなりの高額となるので資金的にも困らなくなる。
それに加え、如意金箍棒に付いていた神珍鉄ならば言葉一つでその数を半ば無限に増やせる。
様々な活用方法がある神珍鉄。それを敵に渡すと、資金や鉄を提供するよりも不利な事が起こってしまう筈だ。
『……なら、それを取り返すまでがお前の仕事だな悟空。落とし前はきっちりと付けろよ。私たちも出来る限りは手伝うさ』
『ブヒッ、数千年の仲間だからね。頼ってくれて良いよ』
『ハッ、あんがとさん。……だが、必ずしも俺とソイツらがぶつかる訳じゃねぇ。後は天命に任せるしか無い。斉天大聖と謳われて神に等しくても全てを思い通りに起こせる訳じゃねえしな。ま、無論何とかするつもりだけどな』
孫悟空の懸念を理解した沙悟浄と猪八戒。二人は孫悟空を励ましつつ、力になると告げた。
そんな二人を見て頼もしそうにフッと笑う孫悟空だが、天命に任せるしか無い事へ少し不安気だった。
その不安は表情に出さないが、スッと細めて夜空を眺める目から推測するのは容易い。しかし本人のやる気は漲っているようである。
『今宵は満月……風情のあるもんだな……』
『ハッハ……さっきも聞いたぞ』
『ブヒッ』
空を眺めてフッと笑う孫悟空と、軽く笑ってツッコミを入れる沙悟浄と猪八戒。
三人は片手に酒の入った酒器を持ち、同時にクッとその酒を飲み干した。
*****
月が動き、星の方向も変わった。
空には依然として小さな光が浮かんでているが、徐々に灰色の雲も増えておりその雲が小さな細い光を飲み込む。
飲み込まれても尚光の大半を占める月明かりは消えず、灰色の雲の隙間から覗いていた。
「やっ! はっ! やあ!」
そんな月光の下にて、ブンッと空気を切り裂く音と共に銀色の刃が反射して輝く。
キラリとその剣を振るう者から汗が飛び、月の明かりに反射して汗は煌めき、その者は一歩下がって前に出る。
踏み出すと同時に剣を振るい、その刃で空気を再び切り裂いた。
「ふう……これなら余計な破壊を生まずに斬れるかも……」
汗を流しつつ笑顔を作り、その刃を眺める──レイ。
レイは剣による無駄な破壊を生まぬように馴らしていたのだ。周りを見れば、それによって生じたであろう斬撃で切り倒された木々の残骸があった。
レイの持つ剣は代々受け継ぐ由緒正しき勇者の剣。その破壊力は凄まじく、一刀で森を切り裂き薙ぎ払う程の威力を秘めている。
敵に大打撃を与えると言う意味ならばそれで良いが抑えなければ仲間にまで斬撃が飛び、肉体的苦痛を与えてしまうかもしれない。
つまり、それを阻止する為に隠れながら鍛練を積んでいたのだ。
「けど、まだ力を制御し切れていない……まだまだ……まだまだ練習しなきゃ……ライたちの力になる為にも……!」
レイの手にはマメが出来ており、剣の柄を握り締める度に痛みが奔っている事だろう。その証拠に柄の部分は少し赤黒く変色していた。
だが、その程度の痛みは堪え再び柄を握り締めるレイ。血が滲み、歯を食い縛るが練習は止めないようだ。
「ふふ、随分な特訓をしているな……文字通り血の滲むような努力って訳か……その手は私が治療してやろうかレイ? ライに心配を掛けたくないから隠れて努力していたのだろう?」
「……!」
その様に鍛練を積んでいるレイに向け、話し掛ける一つの影。
その影は残っている木の一つに座っており、片方の脚を木の枝から垂らしつつもう片方の脚を枝の上で折り曲げ、前腕を膝に付けてレイを見ていた。
その表情は不敵な笑みを浮かべており、月明かりに照らされてその素顔が明らかとなる。
「フォンセ……何時から見ていたの?」
「ふふ、さっきから……と言うのはおかしいな……本当につい先程だ。夜風に当たる為外を散歩していたら剣の風を切る音が耳に入ってな。もしやと思ったら見事的中。そこに居たのは大切な仲間でした! ……ってな?」
「アハハ……フォンセってそういう事も言うんだね……何か意外だなぁ……」
その影の正体であるフォンセの名を呼び、本人に尋ねるレイ。
それに返答するフォンセが言うに、散歩ついでに剣の音が聞こえたから此処へ来たとの事。確かに夜の散歩は静かであり騒音も少ないので良いかもしれない。フォンセは両脚を垂らし、木の枝に手を付き直す。
そして、フォンセの言い回しが何時もより軽い雰囲気だった事へ返すレイは苦笑を浮かべていた。
「ふふ、私だってたまには茶目っ気を出すさ……何時も何時でも堅苦しい事なんて、逆に私が疲れてしまうからな」
「ハハハ……茶目っ気って……フォンセっぽくない気もする……」
「それは完全なイメージだろう。私だってその気になれば何かしらの一発ギャグが出来るぞ? 見てみるか?」
「ううん、遠慮しとく」
即答だった。
それはさておき、フォンセは常に気を張っている訳では無いとの事。
レイのイメージでは真面目で無愛想、そこが良いところでもあるが堅い雰囲気というものを勝手に刷り込んでしまっていたようだ。
「まあそれは兎も角、散歩の道付近にレイが居たのは本当にただの偶然だな。私も剣の音が聞こえなければ此処に来ていなかったさ」
そして一発ギャグの件は置いておき、此処を通ったのは偶然でしか無いと言う。
たまたまフォンセの耳にレイの振るっていた剣音が聞こえたのでやって来たに過ぎず、それ以上でもそれ以下でも無いらしい。
「へえ。静かな夜道だったから私の剣音が響いちゃったのか……。それで……。ハハ、隠れながら特訓してても意味無かったかな……」
フォンセの口述を耳にし、その表情から乾いた笑みを溢すレイ。
剣の音が大きかったと言うのなら、フォンセ以外にも気付かれているかもしれない。
そうなると、隠れながらの特訓も隠れる必要の無いものとなってしまうのだ。
「フッ、意味無い訳が無いだろう。さっきも言ったように、ライに心配掛けたくなかったからこその隠れ特訓。何時から特訓していたのかは分からないが……その気持ちはよく分かる。私もライの役に立ちたいと思うからな」
そんなレイを前に、意味があったものだと告げるフォンセ。
何時から特訓していたのかはフォンセにも分からない。それに加え、フォンセがたまたま通り掛からなければ気付く事も無かったレイの隠れ特訓。
迷惑を掛けぬようこの場で行っていたのならば、確かに意味があった特訓だろう。
そもそも、フォンセ以外に気付いている者は居なさそうな雰囲気というのが一番の理由だ。
「私がライに言わなければ隠れ特訓のままだ。それに、努力するのは悪い事じゃない、当然だ。その努力の矛先によっては悪どい事となるかもしれないが、少なくとも私にとっては悪い事じゃないと思っているぞ」
曰く、隠れているとはいえ努力するのは良き結果に繋がるという事。
その努力が多くの者に反感を買う事だったりすればそれは悪だが、今回は悪意しかない敵を討伐する為の努力。敵からすれば迷惑な事だが、フォンセからすれば頼もしい限りである。
元々の目的がライの世界征服を手伝う事なので見ようによっては悪かもしれないが、救われる者が多く現れるであろうライの世界征服。その手助けは悪と言い切れないだろう。
「そ、そう? ……アハハ、ありがとねフォンセ。フォンセたちの中じゃ、私が一番足手纏いな気がして……だからこうして特訓していたんだ」
「……!」
銀色の刃を見せ、月明かりに照らして光らせるレイ。
それと同時に風が通り抜け、それはさながらその剣が発した旋風のよう。
その美しき銀色の刃に反応を示すフォンセはピクリと方眉を動かした。
「……。……ふふ、考えてみれば……かつて鎬を削り合った魔王と勇者。その子孫である私たちがこの様に仲間になっているというのは……運命の巡り合わせか悪戯か定かでは無いが中々に面白いものだな。かつての憎き敵も時を経ればこれ以上に無い親しき友となれる」
そしておどけるように笑い、木の枝から軽く飛び降りるフォンセ。
スタッと地に着き、軽い土煙を上げる。そこから歩み、レイの近くまで寄った。
「……。アハハ、確かにそうかも。御伽噺や神話にもなってる勇者と魔王の血縁……その二人が今じゃ友達だもんね」
近寄り迫ったフォンセを前に、此方もおどけるように笑って返すレイ。
レイは剣を鞘に納め、その剣を腰に携えて仕舞い込む。
「ん? 鍛練はもう終わらせるのか?」
「うん。少しは力を制御出来るようになったから……まあ、抑えるんじゃなくて強い力を身に付けた方がライたちの役に立つと思うけど……」
そんなレイを見たフォンセは少し反応する。
フォンセが此処に来て数分だが、十分も経過していない。しかしレイはずっと鍛練を積んでいたので切り上げるつもりなのだろう。
「強い力か……」
強い力と聞き、何かを思うような表情のフォンセ。
フォンセは強い力を二度使っている。
一つは"タウィーザ・バラド"にて貰った禁断の魔法・魔術が書かれたという作者不明出所不明の本。
そしてもう一つは、その血筋からなる魔王の魔術。四大エレメントの威力を極限まで上昇させ、ライのように魔法・魔術などの全異能を無効化させる身体となるモノ。
それらのような凄まじき力を持っているフォンセだが、禁断の魔法・魔術は扱えるが魔王の魔術は全く扱えない。それ故に力という言葉が気になったのだろう。
力が宿っているのに扱えない、そんな自分がもどかしいのだ。
「……? ……あ、そっか……フォンセって一回だけ魔王の力を使った事あるんだっけ……それ以降は使えないとか……」
「ああ、あれから何度も使おうと試みているんだがな……」
そんなフォンセの表情から何かを読み取ったレイはその何かが何かを理解する。
一応フォンセは、自分が魔王の子孫と知っている者には一度だけ魔王の力を使えたと教えていた。
なのでレイは"強い力"から連想するフォンセの思考を理解したのだ。
「……私と似てるね……フォンセ」
「……?」
少し間が空き、フォンセの言葉に己の言葉を投げるレイ。
それを耳にしたフォンセは"?"を浮かべて小首を傾げる。似てるという言葉の意図が理解出来なかったからだ。
「似ている……? 私とレイがか?」
「うん、似ていると思うよ。私たちって、私たちが思うよりもね♪」
「そうか? うーん……髪の色も目の色も種族も……何もかも違うが……」
それをフォンセは質問するが、レイは即答で返す。
先程から即答の返答が多いが、それ程までに自信のある返しなのだろう。
しかし、それを聞くフォンセは腕を組みながら疑問が晴れないようだ。
「うん、何もかも違うね。けど、私は似ていると思うな。私だってこの剣の力を完全に使えれば……」
「……。成る程、力を欲している所が似ていると……」
「違うよ」
「……そうか……」
剣の話を聞き、力を求める所が似ていると告げそうになったフォンセだが、その言葉を遮るようにレイが返す。
フォンセは言葉を止め、レイの話に耳を貸した。
「私たちって、どっちも先祖が有名でしょ? それに、その先祖の力を形は違くても受け継いでいるところとかさ。あと、どっちもライたちの事が心配だったりね」
「……」
似ているという言葉は、何も見た目や性格のみを指す言葉では無い。
境遇、意思、気持ちなど共通する点があればそれは似ていると言えよう。
レイは勇者の剣。フォンセは魔王の魔術。受け継ぐ力も共通点と言える事柄。
姿形のみならず、あらゆる点にて似ているという意味なのだ。
「ふふ、そういう意味の似てるか……確かにそうかもしれないな。私たちは似てる。似た者同士だ……。うん、ならばレイも少し散歩をしよう。夜の道も中々良いぞ。空気が澄んで星が虚ろう。闇を嫌う人間という種族でも興味を引かれる者が多いモノだからな」
「うん、良いかもね。私も綺麗な景色は好きだし、疲れもあまり無いから歩けるよ」
会話を終え、フォンセがレイを夜の散歩に誘う。
フォンセは元々散歩の為に大樹の外へと出た。だからついでにレイも誘うようである。
その誘いを受け、心身休める為にレイは快く了承した。
勇者の子孫と魔王の子孫。明日の戦いに備え、休息も兼ねて二人は散歩へと赴く。
月夜の下にて各々の取る休息は、それぞれが違っておりそれぞれがその思いを漆黒の天空に馳せていた。




