二百六十一話 vsキマイラ
『ガギャアアアァァァァッ!!』
──その刹那、キマイラは高く吠え、目にも止まらぬ速度で駆け出した。
その速度は凄まじく、風を切りゆく音が耳まで届く程だ。
しかしその目にも止まらぬ速度というものは、『悪魔で常人にとっては』であるが。
「リヤンちゃん!」
「うん! ニュンフェさん!」
それを確認した二人はキマイラの速度を見切り、その場から立ち退いて二手に別れた。
「「……はあ!!」」
『……!?』
二人は離れると同時に炎魔法・炎魔術を放ち、直進するキマイラに向けて炎を浴びせた。
真っ直ぐ進むキマイラがそれを避けられる筈も無く、その炎が直撃する。炎へ突っ込む形となったキマイラは焼け、燃えながらもなお加速している。
『アアアァァッ……!!』
そしてその速度によってキマイラを包み込んだ炎は消え去り、火傷のような痕が作られたキマイラが姿を現す。
姿を現すや否や、リヤンとニュンフェの方向を見やるキマイラ。確かにダメージは受けている筈なのだが、如何せんキマイラはしぶとい。
元々耐久力の高い魔物であるキマイラだが、このキマイラは恐らくヴァイス達が意図的に生み出したモノ。
不死身兵士を創り出す実験から、このキマイラ自体が不死身では無いにせよ自然治癒力を上げた怪物なのだろう。なのでちょっとした攻撃には怯む程度であり、即座に傷が癒えて立ち直され、目の前の自分たちに向かって来るのだ。
「厄介ですね……!」
「うん……!」
『ガアアアァァァァッ!!』
次の瞬間、キマイラは再び口から炎を吐いた。
その炎は空気を焦がし、真っ直ぐにリヤン、ニュンフェの元へと放たれる。
「「はっ!」」
そしてその炎に水魔法・水魔術を放ち消化させるリヤンとニュンフェ。ジュウという音と共にその炎と水はぶつかり合い、次の瞬間にはそれによって生じた水蒸気がキマイラの炎に引火して大爆発を起こす。爆発は辺りを揺らし、新たな水蒸気と共に粉塵を巻き上げて二人と一匹の視界が悪い状態となった。
「……!」
それと同時にリヤンは駆け出し、キマイラの居場所を鼻で探って接近を試みる。
その速度はフェンリルやブラックドッグのモノであり、キマイラが相手でも引けを取らぬモノであろう。
「やあ!」
『……!』
そしてキマイラの死角に回り込み、キマイラの首元へと蹴りを放つリヤン。
その蹴りによってキマイラは怯み、水蒸気の一部が晴れる。
そしてリヤンは、そのままキマイラの身体を吹き飛ばした。
そう、キマイラは頑丈な生き物であり今戦闘を行っている個体は改造を施されて更に耐久力があるが、体重は普通の獅子や山羊と変わらないのだ。
つまり、リヤンがヴァンパイアやフェンリルの力を纏った場合、容易くは無いにせよキマイラを吹き飛ばす事は可能なのである。
「ニュンフェさん!」
「分かりました!」
吹き飛ばし、瓦礫の方にキマイラを吹き飛ばすや否や、リヤンはニュンフェの名を呼び追撃を促す。
それにニュンフェは反応し、エルフ族の雷魔法を放った。
『ギャアアアァァァ!!』
それを受けたキマイラは苦痛に悲鳴を上げ、その場で暴れるように藻掻く。その雷撃は辺りを巻き込み、キマイラの身体と地面を焼き尽くす。
「電気には……水!!」
そしてリヤンは、『水妖術を放った』。
「……え!?」
それを見たニュンフェは気が反れ、思わずリヤンの方を振り向く。そう、水魔術ならば先程まで使っていたのだが、今回は水の妖術を使ったのだ。驚くのも無理は無いだろう。
その水妖術は威力が高く、先日まで居た沙悟浄のモノを彷彿とさせる妖術だった。
ニュンフェは知らぬ、リヤンの力。一度見た幻獣・魔物・妖怪の技や術を己のモノとするモノ。一見は普通の少女であるリヤンが沙悟浄のような妖術を使ったのだ、なのでニュンフェは驚愕したのである。
『……!!』
しかし、それを受けても尚、キマイラは暴れ続ける。
幾ら改造を施されているからとは言え、あまりにも丈夫過ぎるだろう。
「……ッ、気にしている場合ではありませんね……!」
それを見たニュンフェは魔力を高め、雷魔法の出力を上げる。
数千万から数億ボルトの電流だが、キマイラを止めるまではいかない状態だ。
『ガギャアァァァァ!!!』
「……なっ!?」
刹那、キマイラは立ち上がり、高く吠えて雷魔法を放つニュンフェへと駆け出した。
その速度は先程よりも速く一瞬にしてニュンフェとの距離を詰め、次の瞬間にはニュンフェの喉元へと鋭い牙が刺さり込もうとしていた。
「……ニュンフェさん!」
「……!? え、リヤンちゃん……!? (嘘……どうやって彼処から此処まで……!?)」
その刹那、ニュンフェの近くにはいつの間にかリヤンの姿があった。
リヤンはニュンフェを突き飛ばし、キマイラの前に自分が躍り出る。ニュンフェの雷魔法を背後に駆けるリヤンの姿はさながら、人の形をした閃光のよう。
しかし、本当に閃光と見紛う程の速度で現れたのだから強ち間違っていないのかもしれない。
何故ならそう、数十メートル離れた場所から秒も掛からずに目の前に現れたのだから。
『……!』
「……!」
「……! リヤンちゃ……!」
そしてニュンフェは、リヤンがキマイラに噛み付かれるのを目撃してしまう。
名前を呼ぼうにももう遅く、言い切る前に地面へと擦った。
*****
「……ッ!」
『……!』
「……! リヤンちゃん!」
そして次の瞬間視界に映ったモノは、 キマイラの牙を片手で受けているリヤン。
ニュンフェは思わず目を見張り、急いで立ち上がりながらリヤンへ──
「……ッ! 大丈……夫……ニュンフェさん……! 少し痛いけど……どうやら耐えられるみたい……!」
「……え!?」
──近付くよりも早く、リヤンの言った言葉に立ち止まる。
少しは痛いらしいが、よく見ればリヤンの腕はそれ程ダメージを受けていなかった。あの威力であれば、多少丈夫なくらいでは腕が千切れていてもおかしくない。しかし、リヤンはあまり堪えた様子が無かったからだ。
「……リヤンちゃん……貴女……」
それを見たニュンフェは再び畏怖を感じるような表情となり、冷や汗を流す。
沙悟浄が使ったような水妖術と言い、今目の前で起こっているキマイラの牙を受けても少し出血するだけの頑丈さと言い、全く思いよらない事柄が次々と連続して起こっているのだ。そのような表情になるのも無理は無い。
「大丈夫……キマイラの固さは……もう覚えた……!」
「……! まさか……キマイラの固さはって……貴女……!」
腕を食われるリヤンは言い、その言葉に返すニュンフェ。
そう、"キマイラの固さを覚えた"という事は、リヤンはキマイラの頑丈さを使えるようになったのだ。
数々の魔法・魔術やレイピアにヴァンパイア、フェンリルレベルの打撃。それを受けても尚、立ち上がり続けるキマイラの固さを。
「そして、腕が口の中なら……内部から破壊出来る……!!」
『……!?』
その刹那、リヤンはキマイラの口の中にて、腕から沙悟浄の水妖術を放った。
それを受けたキマイラは一瞬にして巨大化し、次の瞬間には破裂する。破裂すると同時に赤黒い水が流れ、リヤンとニュンフェの周りを文字通り血の海に変えた。
「ごめんね、キマイラ。私にはアナタを救えなかったみたい……」
恐らくキマイラは不死身では無い。しかし、その思考は不死身の兵士と同じく目の前の敵を殲滅する事ばかりを考えている事だろう。
なので殺すしか無かった。不本意だが、改造を施されたキマイラを救う方法はそれだけなのだ。
恐らくもう、精神的に干渉する魔法・魔術を使ったとしても、キマイラの脳に必要以上の部位は無いので如何なる手法を施そうと止まる事は無かった。
この日リヤンは、生まれて初めて幻獣・魔物を殺した。実験によって生まれた怪物なので厳密に言えば幻獣・魔物とは当て嵌まらないが、目の前に居た生物は、確かにキマイラだった。
「……」
「リヤンちゃん……いえ、リヤンさん……」
リヤンはその場に立ち竦み、一筋の涙が瞳から零れる。その涙は頬を伝い、足元へ広がる血の海にピチャッと落ちた。
ニュンフェは何と話し掛ければ良いのか分からず、リヤンの名を呼ぶ事しか出来ない。
「ニュンフェさん……住民たちを助けに行こ……」
「……。ええ、そうしましょう……」
そんなニュンフェに向け、住民の救助へ向かうと告げるリヤン。
ニュンフェはそれに同意し、先程飛び出した建物へと再び戻った。
そんなリヤンが去った後、リヤンの滴が落ちた血の海には一つの小さな芽が生えていた。
これはそう、かつて世界を創造し、破壊しようとした神の持つ力。無から有を生み出すモノ。リヤンは意識せず、その力を使った。風に揺れる赤い水と一本の芽は、ただ静かにそこへと佇んでいた。
*****
「「……」」
その刹那、リヤンとニュンフェは細めた炎魔法・炎魔術を放ち、住民が閉じ込められている檻の鉄を焼き切った。
威力はそれなりだが、かなり細めて住民には当たらぬ方向へ向けたので住民たちは無事だろう。
「ああ、有難う御座います、幹部様!」
「お陰で助かりました!」
「そちらの貴女も有難う御座います!」
「見ず知らずの方が我々を助けてくれるとは……!」
「ありがとう、ニュンフェさん!」
「有難う御座います、ナトゥーラ様!」
「君もありがとう!」
「私たちを助けてくれてありがとう!」
そして二つの檻を破り、男性と女性のエルフ族を救出したリヤンとニュンフェ。
その者たちの笑顔とは裏腹に、二人の心情はあまり良いモノとは言えぬモノがあった。
「お、居た。……おーい! リヤン! ニュンフェ!」
「「……!」」
そんな中、二人に向けて話し掛ける一つの影。言わずもがな、ライである。
ライは建物の奥から現れ、リヤンとニュンフェへ手を振っていた。
「……ライ……」
「ライさん……良かった、御無事でしたのね」
そんなライを見、一安心のリヤンとニュンフェ。
無論ライがこんな場所で殺られる訳無いと理解しているのだが、やはり仲間として不安になってしまうモノなのだ。
そんなライの後ろには、多くの影があった。
「……ライ……その動物たちは……?」
その影、動物。恐らく幻獣の国にある別の街から連れ去られていた者だろう。
その数は一〇〇を超えており、全員がライの後ろに着いて来ていた。
「ああ、知っていると思うけど……ニュンフェの街以外にも多くの幻獣が攫われていたんだ。だから俺が檻を破って助けたって事。……それを見るに、リヤンとニュンフェも救出に成功したんだな」
「……うん……」
「はい、その通りです。少々苦戦致しましたが、リヤンさんが倒してくれました」
「……へえ……リヤンが……」
ライは明るく言うが、何やらリヤンとニュンフェの様子がおかしい。
それに気付いたライは、リヤンが敵を倒したという言葉からそれを考える。敵を倒したのに嬉しそうでは無く、逆に暗い雰囲気のリヤン。それを踏まえ、思考しているのだ。
「リヤン、敵は何時もの不死身兵士じゃなかった……って事だな……?」
「……うん……」
それからリヤンの性格やリヤンの好きなモノを思い浮かべ、一つの結論に辿り着いたライは事を察する。
何時もの不死身兵士では無かったという結論に至ったのだ。
何時もの不死身兵士なら厄介ではあるがリヤンとニュンフェが苦戦する事も無い。
つまり、何かしらの幻獣・魔物が相手だったという答えに辿り着くのである。
「そうか、お疲れ様。リヤン」
「……うん……」
そんなリヤンの心情を理解するライはそっと肩を叩き、リヤンに言葉を掛けた。
リヤンはそれに頷いて返し、ライとリヤンの会話が終わる。
何はともあれ、腑に落ちない形ではあったが住民を救出すると言う本来の目的は達成出来た。
「ライさん。ライさんが連れて来た者たちが捕らえられていた全ての幻獣でしょうか……?」
そして頃合いを見、ニュンフェがライに向けて尋ねるように質問した。
その内容は、今ライが連れて来た者たちで捕らえられていた者は全てなのかという事。
幻獣の国がヴァイス達に襲撃されてから数日、多くの幻獣たちが攫われた。
その全てを救出する事は既に実験などに使われている幻獣も居るという事から不可能だろうが、まだ実験や選別を受けていない幻獣を踏まえて無事な幻獣は全員救出したのかと尋ねたのだ。
「ああ。多分だけど、無事な幻獣は此処に居る者が全ての筈だ。五感や気配に集中して床を這う虫すら見落とさないように助け出したからな。もう気配は感じない」
尋ねられたライは自分が連れて来た幻獣を見、ニュンフェに向けて頷きながら返した。
ライは今までに無い程集中して幻獣たちを捜索していた。この場所に辿り着くのが少し遅かった理由は一匹一匹を確実に助け出していたからだろう。
ライの表情を見るに、口では多分と言っているが先ず間違いは無い筈だ。
「そうですか……良かった。……なら、私たちも早く此処を抜け出した方が良いでしょう。運良く幹部やボスに出会わなかったものの、此処に来ていない可能性は分かりませんからね!」
ライの報告を聞いたニュンフェはホッと胸を撫で下ろし、再び真剣な表情となってライ、リヤン、そして助け出した住民へ向けて話した。
そう、今回はヴァイス達の誰とも出会わなかったが、何時来るか分からないのが現状。ならば、助け出したと同時にこの建物を脱出する事が最善の策なのである。
「ああ、分かった」
「……うん……了解」
「「「分かりました」」」
そんなニュンフェの提案を飲み、頷いて返すライ、リヤンと住民たち。
その事は無論理解しているライとリヤンであり、ヴァイス達の強さは野生の勘で知っているのが住民たちだ。
返事を返すと同時に三人と数十人、数百匹はその建物を抜け出した。
兵士は既にライが全滅させている為、逃げ出すだけならば容易い事だろう。そして今回の目的を達成したライ、リヤン、ニュンフェの三人は助け出した住民を連れ、支配者の街へと先を急ぐ。
街についたらその時、愈々重要な話し合いが行われる筈だ。
昼までに戻るというユニコーンとの約束を守る為、ライたちは早足で街へと向かうのだった。




