二百五十五話 黒髪の侵略者
──"トランシャン・コルヌ"、ユニコーンの社。
時刻は夜更け。草木も寝静まる夜中にして月が頭上から移動し、街の方からも喧騒のような音はすっかり消えていた。
森閑とした森の奥にある草原。そんな場所にある社の外では一人の少女が誰にも聞こえない程小さく、それでも儚くて美しい、そんな声で歌を歌っていた。
「~♪ ~♪」
『……』『……』『……』
その声の回りに人はおらず、四足歩行の獣達が静かに、そして穏やかな表情でその歌へ耳を傾けている。
その歌声は綺麗ではあるが、そのような獣達にもその感覚が分かるのだろうか。
肉食動物、草食動物、雑食動物、問わず。あらゆる動物達は気持ち良さそうな表情で夜更けに響く微かな歌を聞いていたのだ。
「良い歌ですね……夜中に行動する夜行性の中には危険な幻獣も多いのですが……貴女の歌はそのような幻獣達ですら大人しくさせてしまうようです……とても魅力的で美しく儚い……そんな歌……」
「ユニコーン……さん。眠れないの……?」
『……!』『……!』『……!』
歌を歌っていた少女──リヤン・フロマ。そんなリヤンを見兼ね、ユニコーンが己の社から外へと出てきた。
しかしユニコーンの姿は馬では無く、人化した為に人間の姿である。腰まで届いている白紫色の長髪と前髪に生えている癖毛、そして白で彩られた衣服を揺らし、ゆっくりとした余裕のある足取りでユニコーンが近付いて来たのだ。
それを見た幻獣たちは一瞬警戒するが、その者がユニコーンと分かった途端に再びリヤンの近くで身を丸める。
「ふふ、ユニコーンさん……という言い回しは少々違和感を覚えますね……通常の姿なら良いのですが……如何せん今の私は私の嫌う人間に近い姿……短く『ユニコ』とでも呼んでください。それに、眠れない訳では御座いません……まあ、美しい声に惹かれた……とでも言っておきましょうか。リヤンさん」
リヤンの言葉を聞き、軽く笑って返しつつリヤンの近くに座るユニコーン。もといユニコ。
ユニコは人間・魔族を好いていない。しかしライ、リヤン、ニュンフェを安全に見守る為には、人間のような姿を取らなくてはならないという皮肉。
ユニコーンは穏やかな幻獣。純潔の者以外には狂暴性を見せ付けるが、純潔であるライやリヤン相手には温厚なモノである。
そんなライとリヤンが宿を探していると言うのだから、純粋な生き物が好きなユニコーンが社を貸さない訳には行かないだろう。本人はあまり乗り気では無いが、ライとリヤンに嫌われたくないのだ。
「ユニコ……。なんだかその響き……懐かしいな……まだ数週間しか経っていないけど……」
「懐かしい? その言い回しにも違和感がありますね……前にも私のような者と?」
そのように話していたユニコへ対し、リヤンは住んでいた森に置いてきた友人を思って明るい月を見上げる。
そんなリヤンを疑問に思ったユニコは髪を揺らし、小首を傾げて質問した。響きが懐かしいと言う事はつまり、何処かで似たような者と会った事があるか、似たような名を持つ者に会った事があるという事。
「うん。私にもユニコーンの知り合いが居るの……名前はユニって私が勝手に呼んでいたんだけど……今はフェンリルのフェンと一緒に魔族の国の森に居るかな」
「ユニコーンの知り合いが……。……いえ、我らの仲間は世界中に居ます……別段おかしくはありませんね。しかし、フェンリルも居るのですか……中々に興味深い森です」
ユニコーンの知り合いと聞き、ピクリと反応を示すユニコ。
しかしユニコーンのみならず、幻獣自体が世界中に居るので違和感は無いと言う。
そしてユニコは、そんなユニコーンとフェンリルが居ると言うリヤンの言葉に興味を示す。
幻獣の国に置いて幹部を勤めるフェンリルとユニコーンだが、他の国の同じ場所に同種が居る事に対して気に掛かったのだ。
「アハハ……まあ、色々な動物が棲む森だったからね……他にも友達は沢山いたよ」
「ふふ、友達……ですか。貴女は自然や野生を愛する女性なのですね……貴女のような方にならば、私も力を貸したい限りです」
ユニコは笑い、リヤンに返す。
リヤンの種族は人間か、はたまた魔族か定かではない。しかし、自然を愛する心は本物であると言う事を理解したのだ。月が笑う星空の下、種族の違う二人は暫し談笑を続けるのだった。
*****
──同時刻"タウィーザ・バラド"。
時刻は夜更け。幻獣の国とは違う国──魔族の国でもそれは変わらず、魔族の国でも魔法が盛んな街"タウィーザ・バラド"でも皆が寝静まっていた。
空は暗く、朧気な月が不敵に笑う。
同じ月とはいえ、見える場所に置いて少しの差違が生じるだけで空の印象がこうにも変わるのは、この世界の狭さを感じさせるものだった。
しかし、だからこそ世界は生きていると実感出来るモノだ。世界が動き続けるからこそ雲の動きが目に見え、その雲が月や星の印象を変えるのだから。
この街は前述通り魔法が盛んで、様々なイベント事が定期的に開かれる。それは"ホウキレース"に"魔法・魔術の披露宴"など多種多様。魔法技術が進んでいるので生活するに当たっても暮らしやすい。
そんな街にある、城ほどの範囲を持つ立ち入り禁止区域。そこを飄々とした態度で歩くのは黒髪である一人の男性。
「……ふぅん? 此処が例の立ち入り禁止っていう場所か……」
その男性──シュヴァルツ・モルテ。ヴァイス達組織の幹部を勤める者にして、一度ライと戦った事のある者。
そんなシュヴァルツは、立ち入り禁止区域である穴を埋めたような跡となっている地面の前に立つ。周りに建物はあるが、そこには誰も住んでいない様子だ。
そしてそこには魔族の国の言語で文字が書かれた看板が立っており、シュヴァルツはその看板を内心で読み上げる。
『"タウィーザ・バラド"からの報告。
住民の皆様と、遥々外からやって来られた皆様。この場所にはとても危険な怪物が眠っています。
その怪物はかつて世界を滅ぼすと謂われたレヴィアタンと対になるモノであり、眠っていると言っても危険な事に変わりはありません。
どうかこの場所に近付かぬよう、ご注意してください。
もし封印を解こうと目論む者が居たのなら、我々がその者を捕らえなくてはなりません。
"タウィーザ・バラド"、幹部と側近一同』
「クク、随分と厳重になってんだな……この場所……だったら夜でも見張りを付けとけって話だよ。魔法で見えないロープを張ってはいるが……誰が起こすか分からねェんだぜ……」
その看板を読み終え、軽く笑いながら誰に言う訳でも無く呟くシュヴァルツ。
看板に書かれている事からかなりの危険生物が封印されていると読み取れるが、警備などもおらず、看板のみが立っている光景が可笑しかったのだろう。これでは不本意に入ってしまう者が現れたり、不慮の事故で封印されている怪物が目覚めてしまう可能性があるからだ。
しかしそこには魔法で創られたロープがあり、意図して入らなければ入る事の出来ない構造であった。
「俺とかな……?」
そしてシュヴァルツは、そのロープを破壊の魔術で破壊して立ち入り禁止区域に侵入した。
朧気な月明かりに照らされるシュヴァルツはゆっくりと歩き、その場所の中心へと行く。
「此処にレヴィアタンと対になる怪物──ベヒモスが居るのか……クク、ヴァイスの言うようにちったァ戦力になりそうだな……」
シュヴァルツがわざわざ幻獣の国から離れた魔族の国、"タウィーザ・バラド"に来た理由。それはベヒモスの封印を解き、自分たちチームの戦力へ入れようと考えているのだ。
シュヴァルツ達は不死身の兵士を連れている。なので、仮にベヒモスが言う事を聞かずに暴れようとも問題は無いのである。
ベヒモスによって食われようと踏み潰されようと、兵士達は何度でも蘇り続け再生し続けるからだ。つまり、ベヒモスを連れて行く事が出来るだけで幻獣の国に大打撃を与える事が出来るという事。
「つか、封印ったって……どういう感じなんだ? ただ埋まっているだけ……つー訳じゃ無さそうだけどな……」
立ち入り禁止区域の中心へとやって来たシュヴァルツは腕を組みながら思考する。
この場所全体に埋まっているであろうベヒモス。そんなベヒモスがあのロープ程度で封印されている訳が無いだろう。なのでシュヴァルツは試しに、地面へ片手を着けた。
「成る程な。この下に奴は居る……で、地面の下に封印用の魔法道具が張り巡らされているな……」
そこから魔力の気配を感じ取ったシュヴァルツ。
そう、ベヒモスの封印は表面から見ればそれ程厳重では無い。しかし、ベヒモス本体が居るであろう地中では様々な魔法道具が使われており、これ以上に無い程厳重な封印が施されているのだ。これならばそれなりの実力者でなければ封印を解く事は出来ないだろう。
「クク、情報は本物だったな……ヴァイスの奴、暇があればベヒモスを連れて来いって言った時はアホかと思ったが……ライの方へ向かうんじゃなくてベヒモスの封印を解くってのも中々楽しそうじゃねェか……俺の破壊魔術で破れるか……試してみる価値はあるな……! これだけの封印を施せる奴だ……幹部ってのは流石だな……!」
シュヴァルツは、自分のアジトにゾフルが帰って来た時、ライの元へ行こうかと考えていた。
しかし、何時の間にかヴァイスと話していたらしく、ヴァイスが幹部の街に向かう前にベヒモスの事を教えられていたのだ。
初めは嫌々"タウィーザ・バラド"に来たのだが、施されている封印を見、この街にもかなりの実力者が居ると推測して楽しくなったのだろう。
「……なあ、そう思うだろ? この街の幹部を勤めている者よ?」
「……」
そしてそこには、箒を持った一人の幼い少女がちょこんと立っていた。シュヴァルツがその少女に気付いたのはほんの数分前、この立ち入り禁止区域に入ってから少し経った後だ。
そのように、途中まで気配を感じさせない程の実力者。だからこそ、その者が幼い少女だとしても幹部と推測したのである。
「ねえねえ、お兄ちゃんは誰? 此処はね、入っちゃね、イケない場所なんだよ? 怒られちゃうよ?」
「……あん?」
その少女は、敵意無くシュヴァルツに話し掛けた。しかしその様子は子供らしく、覚束無い言葉使い。
とても子供の"フリ"をしているとは思えないモノだった。だが、此処に来るまで気配が分からなかったのも事実。それに対して少し違和感を覚えるシュヴァルツ。
「何だァ? このガキ……? まさかガチのマジでガキなのか? だが……こんな夜更けに此処に居る事自体おかしい……」
「お兄ちゃん、帰ろ? お家はドコ? 外から来たの? 見たことない顔してるけど……」
「……な!?」
そんな違和感を横に、少女はシュヴァルツの袖を引いていた。
その行動をシュヴァルツは、『目で追う事が出来なかった』。
その少女が子供らしいとはいえ警戒しているシュヴァルツだったのだが、袖を引かれるまで近付いていた事にすら気付かなかったのだ。
「……。殺すか」
「……え?」
刹那、シュヴァルツは袖を引く少女を払い、片手に破壊魔術を纏って戦闘体勢に入る。
「悪ィな、ガキ……弱い奴を痛める趣味は無いが……テメェは弱いって部類に入ってねェらしい……」
シュヴァルツは、弱い者を痛める事はしない。と言うより、興味が全く無い。だがしかし、目の前に居る突然現れた子供は決して弱者では無いと、直感で理解出来たのだ。なので強者に対する礼儀を弁え、その場で始末するらしい。
「……えぇ……? ……私……死んじゃうの?」
「心配するな、こう見えても割りと優しいんだ。弱者は必要な時以外に殺さねェし、強者だとしても相手がガキなら痛み無く殺してやる……!」
それを聞いた少女は返し、シュヴァルツはニヤリと笑って返す。弱者でないと分かった以上容赦はせず、破壊魔術を込める。
「そう……なら、仕方無いね……」
「ああ、これが大人だ……!」
次の瞬間、シュヴァルツは破壊の魔術を纏った腕を振るい、少女に向けて拳を突き出した。その魔術は空間を砕き、数センチ前に居る少女へ向け──
「私もこの姿を止めましょう……」
「やっぱり魔法か……!」
──放たれる前に、少女は大人の女性へと変貌した。
シュヴァルツはそれを見抜いていたらしく、少女。もとい、女性。そんな女性に躱され腕が空を砕いて空振った瞬間に加速して距離を取る。
「テメェがあのガキに化けてたんだな? いいや……化けてたってのもなーんかおかしいよなァ……若返りの魔法か……?」
「ええ、そうです。あの姿でなければナールさんたちの目を掻い潜って外へ行けませんので……そして、怪しい者がこの場所に近付いていたので来ました……」
距離を取ったシュヴァルツは警戒しながらその者へ言い、その者へ頷いて返す。
その丁寧な言葉とは裏腹に、その者が秘めているであろう大きな魔力を感じ取るシュヴァルツ。
「俺はシュヴァルツ・モルテ。この街にて封印されし怪物、ベヒモスを復活させようと目論む……テメェは?」
そしてシュヴァルツは、礼儀として己の紹介をして相手へ尋ねる。その者は目を細め、身体全体、そして片手に持つ箒へ魔力を込めて返した。
「魔族の国、幹部の街である"タウィーザ・バラド"の幹部を勤めている──アスワドです……! 今アナタを敵と見なし、この場で捕らえましょう!!」
「そうか、夜露死苦な……アスワドさんよォ!!」
その刹那、アスワドは箒に跨がり空を飛び、シュヴァルツはその足で跳躍して破壊魔術を放つ体勢へと入っていた。
「"炎"!!」
「"破壊"!!」
二人が空に到着した時、それと同時にアスワドは炎魔法、シュヴァルツは破壊魔術を放出する。
凄まじき熱量を持つ炎魔法とそれをも砕く破壊魔術がぶつかり合い、辺りの誰も住まない建物は轟音と共に崩れ落ち、視界を消し去る粉塵を巻き上げた。
今、朧月が覗く闇夜の"タウィーザ・バラド"にて、魔族の国幹部のアスワドと幻獣の国を攻めている侵略者組織の幹部シュヴァルツの戦闘が始まりの合図を告げた。




